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「これ、いなかからのお裾分けです。」が面白い

カテゴリ:読書の記録

2010年に出版された本書。
著者は愛知出身、高知在住の大学院生(当時)。
ほとんど僕と同世代です。

彼は幼少の頃から川に山に畑にと、大自然を相手に遊んでいます。
天然うなぎを釣ったり、オオスズメバチと格闘したり、自分で畑を耕したり…。

「本当にこんな体験をしている人が同世代にいたのか。」

自然体で紹介されている様々なエピソードに、著者の遊びに対する「特別な」情熱、そして何よりも「たくましさ」を感じずにはいられませんでした。

遊びへの情熱-遊びの先にあるもの

本書は著者が蜂の巣をとったり、創意工夫しながら川釣りに挑んだりした実体験の記述によって構成されています。
驚くほど豊富な体験もさることながら、表現の豊かさ、リアリティに目を奪われます。
読みながら思わずおなかが空いてしまうほどに!
(僕は読んでいておなかが空く本はいい本だと 勝手に思っています。余談ですが。)

釣り上げようとした大うなぎが腕に巻きついて水中から出られず意識を失いながらも、決してうなぎを放さなかったという著者。
そのたくましさ、執念を支えるのは、「」への情熱だったのではないか、と感じています。

川釣りしたいがために自ら竿をこしらえ、釣り糸を確保し、針を自作する。 
何度も川に挑戦しながら、少しずつ釣り場や適切なえさの選び方を学び、釣果を上げる。

魚を釣れば、自宅で飼っているウコッケイに釣った魚を与えることができ、それを食べたウコッケイたちはたくさんの卵を生んでくれます。
でかいうなぎが釣れれば早速晩御飯となり、食卓が彩られ、笑顔が生まれます。

「遊び」の先にあるもの。
著者は自分だけでなく、家族の、親しい人の笑顔を見ることを喜びとし、遊びに興じています。
彼の遊びの多くは「食」につながります。残念ながら、テレビゲームでお腹いっぱいになることはありません。

テレビゲームを例に出しましたが、もうひとつ、テレビゲームの特徴として、その有限性があります。
プログラムという枠内で提供されるこの遊びは、限定的な変数によって構成され、いつやめてしまっても構わないもの。
僕が自然と戯れる著者に「たくましさ」を感じたのは、あらゆる変数が中身を変えてしまう可能性がある遊びに嬉々として立ち向かい、創意工夫する姿勢に対する「畏敬の念」を覚えたということなのかもしれません。

自然と対峙するということは、大小さまざまなリスクを引き受けるということ。
ときには生命の危険にさらされることもあるかもしれません。

「自然は良い」ということと、実際に自然と戯れることとの間の隔たりは、非常に大きいものです。
僕らは自然という対象をどう捉えるべきか、どのような関わり方をするべきか。
本書を読みながら、ふと、僕は人間関係でも同じことが言えるな、と思うことがありました。
そう、人間のつながりなんて、よくよく考えたら影響度の高い変数だらけだということ。

これだけ深く自然と関わりあっている著者の言葉を通じて、僕らが感じるべきこと。

もう少し、自分の中でじんわりと考えてみたい、そんなふうに構えられる本書、おすすめです。

もろもろ

以下、感想などざっと箇条書きに。

・短いし、内容も重くないからさくさく読める。その割にいろいろ考えさせられる。
・周りにリスクを把握し、管理できて、ぎりぎりのところまで自由に遊ばせられる大人がいることは、子どもにとって貴重かも。とはいえ、僕が親だったら、子どもにここまでの経験はさせられないかもしれない。下手をすれば命を落とすってわかっているならなおさら。
・イラストが可愛い。この本の雰囲気をうまく作っているというか、溶け込んでいる。
・下手な冒険小説よりもわくわくする。でも「僕もこれやりたい」とまでは思えない。怖いし。
著者のブログはこちら

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