ディープ・アクティブラーニングのメモ:第1章・アクティブラーニング論から見たディープ・アクティブラーニング
カテゴリ:読書の記録 2016/05/24
第1章は「ディープ・アクティブラーニング」について「アクティブラーニング」や「(機械学習とは異なる意味における)ディープラーニング」との違いを説明することによって、その必然性を明らかにするものである。
本章におけるアクティブラーニングの定義
一方向的な知識伝達型講義を聴くという(受動的)学習を乗り越える意味での、あらゆる能動的な学習のこと。能動的な学習には、書く・話す・発表するなどの活動への関与と、そこで生じる認知プロセスの外化を伴う。
この定義の背景には、教授パラダイムから学習パラダイムへの転換、すなわち「教えるから学ぶへ」のパラダイム転換がある。これにより「一方向的な知識伝達型講義」は「受動的学習」と見なされることとなる。さらに、定義の後半によって「能動的な学習」とは何かが示されている。
つまりアクティブラーニングとは「操作的に定義された用語」であって、「受動的な学習なんてあるのか?」「”能動的に”講義を聴くことも可能では?」という批判はその意味で直感的で的外れなものとなってしまう。この点は僕もまさに”勘違い”していたところだった。
アクティブラーニングの論点の変遷
日本では、1990年代半ば頃より徐々に、アクティブラーニングの実践が見られ始めた。
とあるが、具体的にはその移行には2つの構図がある。
構図Aは「受動的→能動的」という段階、つまり「受動的な学習」の否定がその根元であったが、そのために「能動的」の中身はそこまで問われなかった。
「能動的な学習」をより特定しようとする構図Bは、より積極的に、「知識・技能・態度」の育成に真正面から取り組むものである。
アクティブラーニングと呼ばなくとも、学習パラダイムに乗って学生の学習を徹底的に作り、学生を育てようとする授業デザインや教授法を説く多くのものは、この構図Bに従ったものであると考えられる。もはや、この段階になると、学習をアクティブラーニングと呼んで特徴づける必然性は大いに弱くなる。
アクティブラーニングの質を高める
本章では、構図Bにもとづくアクティブラーニング型授業の質をさらに高めるための工夫として、ディープ・アクティブラーニング以外に6つの例を紹介している。
(1)授業外学習時間をチェックする
…授業外の学習時間を単に予習、復習、課題に費やすのでなく、積極的に学習内容の理解の質を高めるための「個人的な学習時間・空間」とするよう指導する。
(2)逆向き設計とアセスメント
…学生に求める学習成果→必要なアセスメント→授業の設計→学生に求める学習というように、コースの終点から逆算的に授業計画を立案する。
(3)カリキュラム・ディベロップメント
→一授業・一コースの問題としてでなく、カリキュラム全体として、知識・理解に加えて技能・態度をいかに伸ばすかを設計する。
(4)週複数回授業
→1週間の内に講義と演習の授業をそれぞれ組み込む。
(5)学習環境の整備
→協働学習を前提とし、それを促進するデザインを教室等の学習の場に取り入れる。
(6)反転授業
→授業外の時間で前提知識を学習し、授業内では知識の確認や定着、活用、協働学習などのアクティブラーニングを行う。
「ディープアクティブラーニング」と「ディープラーニング」の違い
「学習のアプローチ」という概念がある。それによれば、学習への深いアプローチと浅いアプローチの大きく2つのタイプがあるという。
深いアプローチは、学習課題に対して「振り返る」「離れた問題に適用する」「仮説を立てる」「原理と関連づける」といった高次の認知機能をふんだんに用いて、課題に取り組むことを特徴とする。それに対して、浅いアプローチは、「記憶する」「認める・名前をあげる」「文章を理解する」「言い換える」「記述する」といった、繰り返しで非反省的な記憶のしかた、形式的な問題解決を特徴とする。
ただ、この2つの区別は、取り組み方に違いがあるということを示すものではない。深いアプローチにおいても「記憶する」「文章を理解する」「言い換える」といった学習はおこなわれており、浅いアプローチの方が高次の認知機能を用いた学習のカバレッジが低い、ということが論点になる。
とすれば、授業実践においては、「戦略的なアクティブラーニング型授業」を学習への深いアプローチを用いざるを得ないようなが。たとえ深いアプローチを好んで用いる学生がいたとしても、たとえば他者と議論し、あるいは他者に説明をするといった学習活動を、授業外で学生本人が作り出すのは難しい。つまり、真に深い学習とは、単に「深いアプローチ(=ディープラーニング)」を学習者が取ることだけで実現するものでなく、学習者の能動的な学習活動への関与を積極的にデザインされて成り立つ、ということだ。
感想
本章はあくまで議論の前提を整理するものだったが、まとめの段になってようやく本書が書かれたそもそものモチベーションのようなものがおぼろげながら見えてきた印象がある。カバーにもある通り、これは「大学授業を深化させるために」という前提を持ち、かつ汎用的能力の育成というお題目に対する真摯な検討の延長線上に、このディープ・アクティブラーニングがあるということを、一連のつながりとして見る目が徐々に養われつつある。
後の章で徐々に具体的な方法や事例に触れることで、これからの「アクティブラーニング」の姿を明らかにしてみたい。