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「介護保険は老いを守るか」から見る日本の介護事情

カテゴリ:読書の記録

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」が個人的にヒットだったため、その流れで日本の介護事情や地域医療について調べたくなり、購入。

ネットで介護業界の問題についてざっと調べたところでは、介護の職場で働く人の待遇の悪さによる人材不足がメイントピックのようでした。
低待遇を引き起こす原因として指摘されていたのが、介護報酬。
提供されたサービスに応じて介護報酬が事業所に入るのですが、その報酬内で事業運営をしなければならず、また黒字を出すと介護報酬が減ぜられる、ということだそうです。

※参考:介護・福祉職の給与はなぜ上がらないのか? [介護・福祉業界で働く・転職する] All About

2000年4月に始まった介護保険制度。
欧州を中心に介護や精神医療を在宅にシフトしていく動きがあるようですが、果たして日本はどうなっているのか。
社会保障費支出の割合が低い(らしい)日本で提供されるサービスは、どれくらいの手厚さを担保できているのか。
日本の介護にかかる諸制度の実態について(介護保険制度がいつ始まったのかすら知らなかったくらい)全くの門外漢だった僕は、まずは手始めに介護保険とその改正の軌跡が総じてまとめられていそうな本書から情報を仕入れることにしました。

いきなり、まとめ

本書は「社会保障審議会・介護給付費分科委員」として「報酬改定審議」に関わった著者によって世に出されました。
読む限り、著者は「在宅介護」を強く支持しており、利用者側の立場から介護保険制度についてコメントをしています。
印象としては、介護保険の功績は認めつつも、利用者視点から見てまだまだ足りない部分、あるいは改悪されてしまった部分を中心に批判と提言を重ねている感じ。
あたかも「介護保険制度はやばい」と思ってしまうような、そんな著者の勢いについては多少引いた目で見たいところです。

そんな著者の主張は、あとがきの直前にまとめて記されています。
さらにそれをざっくりまとめると、以下のような内容になります。

一.生活を守る視点で制度の運用を

・同居者の有無に関わらず、公平な在宅介護を。
・介護保険は軽度要介護者の重度化防止こそが大事。
・機械的な運用ではなく、生活者に寄り添う運用を。

※介護保険は「自立生活を幅広く支援するもの」という前提がここにあります。

二.「施設介護から在宅介護へ」の流れを実現させる

・「老老介護」「家族の介護疲れ」「日中独居」の人たちにもホームヘルプサービスを。
・生活援助は重要なサービスであることを認識すべき。
・在宅生活を守るという観点から、サービス内容を拡大すべき。

※できる限り家族のいる/愛着のある我が家で暮らしたいとは誰しも思うもの。
介護保険制度は利用者の思いの実現を支援するべきだ、ということです。 
著者は、施設介護に比べ在宅介護は手薄だということも指摘しています。

三.介護保険制度をシンプルに

・わかりにくい利用料の算出方法を改め、利用者でも費用を算出できるようにすべき。
・実情に合わない利用限度額を改善せよ。
・介護認定を妥当なものに。

※現行の介護保険は、利用者からすればわかりづらいため納得しづらく、事業者側からすれば複雑で手間や負担がかかるものになっており、著者はその改善を求めています。

四.介護人材への手厚い処遇を

・特に都市圏で顕著な介護事業所の経営難を改善せよ。
・介護の職場で働く人の賃金と人員配置基準の見直しが必要だ。 
・透明性のある事業運営、雇用管理を。

※記事冒頭でも触れましたが、介護業界の人材不足は深刻です。待遇改善は避けて通れない課題です。

五.制度には絶対的な信頼性と安心を。

・制度が揺るぎ、利用者に負担を強いることのないよう、財源確保を。
・介護予防の財源と方法を再検討し、個々人の健康維持への意識的努力を求める。
・あらゆるステークホルダーの意見を反映した介護保険制度を。

※コムスンの不祥事や財源問題に端を発し、必ずしも現状や要望を反映しきれていない制度変更が、介護関係者を振り回しました。制度の安定性、役割、そして有効性についてはさらなる改善が必要です。

介護はどうあるべきか?

先に紹介したのは主に介護保険の課題でしたが、では介護保険のそもそもの目的とは何だったのでしょうか。
著者が「介護保険創設時、市民たちの胸を打った言葉」として、以下の項目を挙げています。

・介護の社会化(介護の社会連帯)
・高齢期の自立支援(次の世代に迷惑をかけない日常生活)
・自己決定権(自分が欲しいサービスを自分で決める。利用者本位)
・選択の権利(自分の判断で介護サービスを選ぶ権利を持つ)
・救貧対策である措置制度から普遍的な社会保険制度へ
・家族を介護地獄から解放する(介護は専門家に、愛は家族に)

介護保険は老いを守るか (岩波新書)

僕自身も一部ピンと来ていない部分がありますが、それは「介護保険以前」についてよく知らない、というところが大きいでしょう。
本書内ではちらほら触れているので、詳しくはそちらをご参照ください。

さて、個人的に気になったのは「高齢期の自立支援」という言葉。
括弧内には「日常生活」という言葉が見受けられます。
自立的に日常生活を送るサポートをすることは、介護保険の目的の一つと考えて良いでしょう。

「日常生活」とは、なんでしょうか。
構成要素としては、食事、睡眠、会話、入浴、掃除、排泄、散歩、買い物、通院…などが挙げられると思います。
その日常生活を支える環境面を考えてみると、住居、共に暮らす人、生活する地域、生活の中で関わる人、交通手段、周辺の施設…などが関係してくるでしょう。

自立的に、という言葉には、「高齢者が自分の手で」というニュアンスとともに、「周囲に依存しない」という意味合いも含まれているのではないでしょうか。

この二つの条件を満たすために、「介護保険制度」、そして介護の仕事に携わる人がどう支援できるか。
この観点から、今の介護の現状を見ると、どのような違和感を見出せるか

この辺、興味ありですね。

イタリアの精神医療と絡めて

欠陥を持つことが不可避である人間社会において、すべての人が生活を営める状況をつくりだす。
これこそが「」という言葉のベースにあるのではないでしょうか。
そのためには、弱者は保護し、管理し、隔離する=社会から切り離すのではなく、共に地域で生活する=社会の一員として包摂するという観点が非常に重要である、そう考えます。

「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」から見る福祉社会の姿

先日、こんなことを書きました。
僕が先ほど「日常生活」という言葉に反応した経緯は、ここにあります。

「老い」は誰の元にも訪れるものであり、精神的な病と同様(と書くと怒られそうですが)、「社会」という枠組みの中でどうしてもハンディキャップになってしまう類のものです。
一方、「施設介護」は(精神病院に比べれば程度は低いでしょうが)高齢者と家族や地域、自立的な生活とをどうしても切り離してしまいます。
そうではなく、地域で「老い」と共存した日常生活を営みたい、という高齢者の意思を尊重し、社会的包摂を達成するには、「在宅介護」の範囲をもっと広げることが重要になってきます。
(実際、「在宅」を希望する高齢者は大変多いそうですよ。)
(もちろん、必ずしも高齢者に最適化されているわけではない地域での暮らしを継続するのは難しい場合もあるので、施設が全くの悪というわけではないです。)

幸い、著書もその立場だったため、ある意味では本書は読みやすかったと思います。

(ついでに、著者が「在宅介護」の重要性を、北欧諸国なんかと比較せず(ex.デンマークはすごい!日本は遅れている!)、日本の利用者や介護の職場で働く人の声を中心に論じていたことには好感が持てました)

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