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「生活保障-排除しない社会へ」に見る、これからの日本のヒント

カテゴリ:読書の記録


一年以上前に購入したものの、なんとなく消化不良のままだった本書。
最近改めて読み直してみたので、ここにまとめてみたいと思います。

生活保障=雇用+社会保障

まずはじめに、「生活保障」とは「生活保護」とイコールではありません。
著者の宮本太郎氏は、生活保障を「雇用」と「社会保障」の組合せの上に成立するものとしています。

本書の中では、雇用をロープ、社会保障をセーフティネットとして綱渡りのように例えていましたね。
基本的にはみなロープをたどって先を行くわけですが、時にはロープが切れたり、誤って落ちてしまうこともありえます。
そんなときは、(もう一度ロープに戻るためにも)セーフティネットに一旦受け止めてもらう必要がある、というわけですね。

これだけだと何のことかあまりよく分からないかもですね。
概念的なところを理解するために、このたとえを用いて各国の生活保障を表現すると次のようになるかなと。

・日本:「一本のロープで全部まかなえばいいじゃん!

日本の雇用慣行として、一つの企業にずっと雇われる終身雇用がベースとしてあります。
また、その対象となるのは基本的に男性で、女性は被扶養者として家族ごと男性の収入に支えられるモデルとなっていました。
つまり、「しっかりしたロープを一本用意すれば家族も含めてみんなゴールまで行けるでしょ?」という発想だったわけです。

ところが、ご存知の通り「しっかりしたロープ」自体が稀有になりつつあります。
ロープが突然切れたり、もともとロープの長さが決まっていたり、渡り切るには細すぎたり。
そんなロープが増えると当然ながらアクシデントでロープから落ちる人も出てくるわけです。

しかしながら、これまでの日本の発想においてはロープから落ちる(あるいは降りる)人のことは想定していません。
(つまり以前からシングルマザーの存在は日本の制度設計の構想外だったわけです)
当然ですよね。しっかりしたロープを張っていれば大丈夫と思っていたわけですから。

・スウェーデン:「古いロープはすぐ切れるから、新しいロープをどんどん張ってこうぜ。

対してスウェーデンはどうなっているかというと、スウェーデンは雇用保護法制が強い。
つまり、簡単には辞めさせられない仕組みになっていますが、一方で労組は個別の労使関係を保護するよりも積極的労働市場政策の下で雇用を流動化させながら完全雇用の実現を目指しています。

この考え方のベースになっているのは「就労原則」という言葉。
スウェーデンでは「皆が働くべき」という価値観が非常に強い。
じゃあどうやってその思想を実現しているかというと、「ハイロードアプローチ」という戦略がその答えです。
つまり、生産性の低い斜陽産業を守ることで雇用を保護するのでなく、失業者も高付加価値産業にどんどんシフトさせ、同時に労働市場外で職業訓練等スキルアップの機会を用意するわけです。

古いロープを修繕するのではなく、新しいロープをどんどん張っていく。
そして新しいロープをみなが掴めるようにセーフティネットのトランポリン(失業者を労働者に戻す)機能を強化する。
日本とはずいぶん異なるアプローチであることがお分かりかと思います。

ところが、高付加価値産業はそもそも雇用収容性が低い(たくさんの人を雇う必要がない)。
それによって徐々に新しいロープにありつけない失業者が増えてきているという問題も出てきています。

デンマーク:「とにかくみんなロープを渡ろうぜ。たとえロープから落ちたとしても何とかするぜ。

デンマークといえば「フレキシキュリティ」という言葉で知られるとおり、労働市場の柔軟性を担保しつつ社会保障を組み合わせた体制によって失業の抑制を試みています。
デンマークは同じ北欧であるスウェーデンと異なり、雇用保護法制は弱い。
その分労働市場が柔軟であり、かつ積極的労働市場政策に基づいて職業訓練プログラムが多数用意され、しかも長期にわたる失業手当がある。
デンマークの労働市場は辞めやすい(し辞めさせやすい)、流動的な環境になっています。
そのため、転職率も非常に高い(年間に労働者の3分の1が転職)。日本とは世界が違う感じがしますね。

スウェーデンと異なるのは、労働力を生産性の高い部門へ誘導していないこと。
労働力の動向は市場に委ねられているのです。

セーフティネット(失業手当と職業訓練)の充実によってロープから落ちることが怖くないという状態を作れれば、確かにロープを渡る恐怖は和らぐでしょう。
雇用のみでなく、社会保障も含めて生活の保障を図るので高負担・高福祉型の社会にならざるを得ませんが、中小企業の多いデンマークにおいては雇用に頼ることの限界が早くから認識されていたのかもしれません。

 

このような比較の仕方ではどうしても日本が見劣りしてしまいますね。
著者も、これまでの日本の「殻の保障(雇用自体を保障)」から北欧型の「翼の保障(労働市場の流動化を前提に新しい雇用への道を切り開く)」への転換を主張しています。

重要なのは、雇用だけで生活を保障することの限界が指摘されている点です。
社会全体でセーフティネットの充実を図らなければ、失業者どころか、被雇用者すらも安心して働くことができない社会がじわじわと到来していることを認識するべきでしょう。

新しい生活保障の4つの観点

 本書の第4章にて、著者は新しい生活保障には以下の4つの視点が必要だと述べています。

柔軟性
男性が稼ぐという従来の日本型雇用は限界を迎えています。
家族構成を見ても核家族化が進み、ひとり親世帯数も昔の比ではありません。
ライフスタイルが多様化する中、一通りのレールを用意するのではなく、各自の状況に柔軟に対応した制度が求められます。

就労を軸とした社会参加の拡大
ここが著者の面白いところで、人は雇用によって「生きる糧」を得るだけでは生きていけない。
他の人とつながり、承認される「生きる場」 もまた必要である、という立場をとっています。
当然ながら、働くことを通じて人は社会参加を果たすことができます。
そのためにも働けない人をサポートする職業訓練や職業紹介、さらには保育サービスなどといった制度の充実が求められます。
また、仕事の人間関係だけで閉じないためにも、地域の自治活動やNPO,ボランティア活動への参加を促す方向も意識するべきでしょう。
実際、このような考え方はソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)と呼ばれ、ヨーロッパでは広く注目されています。

補完的保障
雇用の二極化が進み、すべての人が仕事を通じて大きな見返り(つまり、所得)を期待することが難しくなっています。
その問題は例えば日本においても「ワーキングプア」という形で露呈しています。
最低賃金の引き上げや均等待遇の徹底は当然のことながら、勤労所得以外にも公的な保障を組み合わせることで生活を維持できる状況をつくるが求められるでしょう。

合意可能性
生活保障は広く国民の合意を得られるものでなければなりません。
というのは非常に当たり前のことに聞こえますが、個人化・流動化が進み、人々が個別具体的な課題を抱えている昨今においては、大多数による合意形成は非常に難しくなっています
実際、「格差」問題が叫ばれる中でも、日本の社会保障改革は一向に進まず、むしろ社会保障の引き下げを望む声も大きくなっています。
これは、「格差」の問題が我が事でない人たちが大多数を占めているからです。
(おいおいは自分たちの問題になりうることには気づかずに)

このような状況では政治もポピュリズムに陥りやすくなります。
公務員は日本人の共通の敵としやすく、そのため国家公務員の給与が引き下げられました。
それによって一体誰がハッピーになるのか、浮いたお金でどうするかはさほど問題でなく、敵を引き摺り下ろすことが第一というわけです。

こんな状況で合意形成は非常に難しい。だからこそ合意可能性が問題に挙がるわけです。
そのためにも公正で透明度の高い制度設計が求められるでしょう。

アクティベーションという考え方

 上記4条件を満たすものとして、本書では「アクティベーション」という考え方が紹介されています。

社会保障の目的として、人々の就労や社会参加を実現し継続させることを前面に掲げ、また、就労および積極的な求職活動を、社会保障給付の条件としていこうとする発想である。スウェーデン型生活保障や、イギリス労働党が掲げた「第三の道」がこの議論の系譜に属する。

※太字は引用者による

生活保障 排除しない社会へ (岩波新書)

「就労及び積極的な求職活動を、社会保障給付の条件としていこうとする」とはどういうことでしょうか。
具体的には、失業者に対して無条件にではなく、職業訓練を受けることを条件として失業給付による所得保障がなされる、といった具合です。

アクティベーションは、人々がその生涯でさまざまなタイミングで働き始めたり退職したりすることを前提に、就労と社会参加の支援をする。その限りで柔軟な、つまり多様なライフスタイルに対応した生活保障である。また、就労を軸とした参加の拡大については、これこそがアクティベーションの目的であり、職業訓練や教育などに政策の重点が置かれる。
(中略)
さらにアクティベーションは、就労を奨励するために、労働市場の見返りを高める所得保障改革も重視する。たとえば、スウェーデンの社会保険給付が現行所得に強く比例するかたちになっているのはその一例で、所得比例給付は就労意欲を高め た。
(中略)
さらにアクティベーションは、合意可能性の高い生活保障であると言える。なぜならば、「ただ乗り」の可能性があるベーシックインカム型の生活保障に賛同しない人々も、「自助の公助」という観点から就労を支援することには支持をよせるからである。

生活保障 排除しない社会へ (岩波新書)

著者はアクティベーションについて4条件に照らし合わせてこのような評価をしています。
では、雇用と社会保障をより密接に連携させた「生活保障」のモデルを見てみましょう。
本書では雇用と直接関わる政策領域に限定し、機能別に4領域にまとめています。

Ⅰ.参加支援…生涯教育、高等教育、職業訓練、保育サービスなど
Ⅱ.働く見返り強化…最低賃金制度、均等待遇、給付付き税額控除など
Ⅲ.持続可能な雇用創出…新産業分野・「第6次産業」、公共事業改革など
Ⅳ.雇用労働の時間短縮・一次休職…ワークシェアリング、ワークライフバランスなど

さらにこのⅠ.参加支援については労働市場のライフステージが、教育、家族、失業、体とこころのよわまり・退職の4つのライフステージとそれぞれ接続され、状況に応じて行き来できるべき、と著者は主張します。

実際のところ、日本の現状は労働市場から他のライフステージに移るのが一方通行になっています。
教育過程が終われば就職するのが当たり前で、卒業後スキルアップのために大学に入り直すにも基本的に本人の努力次第です。
女性の場合は結婚・出産によって労働市場から一旦外れると、ブランクを経て正社員として戻るのは難しい。

この提案にこそ日本の構造的欠陥が見え隠れしています。
日本の雇用と社会保障の課題は、個人化・流動化する現代と既存の社会構造との歪みがもたらしたものです。
成長ではなく、目まぐるしい変化を前提にした「生活保障」を考えるためには、これまでの常識を一新しなければなりません。
「アクティベーション」はそのための手がかりとなるはずです。

まとめ

日本の労働市場は硬直化しており、結婚や出産、あるいは病気などで仕事から一旦離れてしまうと、その後もう一度仕事に就くということが難しくなっている。
日本社会自体も個人化・流動化が進み、これまでの男性稼ぎ主モデルの成立条件が整わず、さらにはそのモデルに当てはまらないひとり親世帯の貧困率はOECD諸国の中でも高い。
様々なライフスタイルに対応するためには、労働市場を流動化し、辞めやすく、かつ再就職しやすい環境整備が求められる。
そのためにも「辞めても安心」な法制度が必要で、失業給付や職業訓練などがそれに当たる。

同時に、今現在働いている人自身の所得もまた保障される必要がある。
ワーキングプアの問題は企業努力のみならず、均等待遇や最低賃金向上といった法制度によるアプローチも必要だ。

今働く人たちはそれなりの見返りを保障され、「辞めても安心」で、働く意思のある人にはきちんと手を差し伸べる。
当たり前のことなのかもしれませんが、それができていないのが今の日本です。
個人でも、企業でも、自治体でも、労組でも、国でも、どんな単位でも良い。
できることをそれぞれが探していかなければならない時代がすでに到来していることを改めて感じた次第です。


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