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メンタルヘルスと「将来への不安」の処方箋

カテゴリ:読書の記録

2年間で述べ1000社を超える企業の人事担当者と会い、日本の企業の人事部の課題とこれからを徹底的に現場目線で拾い集めようとした著者による、人事のための指南書。
タイトルだけに魅かれて購入してみました。

僕は人事の実務経験といえば採用にちょっと関わっただけ、あとは前職でシステム屋として労務管理のソフトウェア開発に携わったくらいですので、本書のメインテーマである「これからの日本の大企業の人事」には触れないでおきます。

日本企業を悩ませる問題の根っこはどこに?

以下、少々長い引用を。

メンタルヘルスはキャリア形成の問題と切り離せない

メンタルヘルスの問題は、キャリアの問題と切り離しては考えられない。
ある社員が上司とうまくいっていないとする。会社が成長し続け、年功序列終身雇用が機能していた時代なら、異動できる部門は潤沢にあったし、課長や部長への昇進はほぼ保証されていたため、 いつか現状から抜け出すことができると信じて我慢することができた。そのため、上司との関係が多少悪くても、それについて、悲壮感をもって突き詰めて考えることは少なかったのではないか。
しかし、今、多くの企業では、異動機会は限られている、いつ昇進できるかわからない、自分の下に社員が配属されないといった現状もある。こうなると、今の上司との折り合いの悪さが自分のキャリア形成に大きな影を落としていると感じて、そのことから考えが離れなくなってしまう。
つまり、始まりはキャリア形成への不安なのだ。

この引用箇所から推測できるのは

1.メンタルヘルスの問題はキャリア形成への不安が起点となっている。
2.今の時代、キャリア形成への不安を覚える大きな要因として、上司との折り合いの悪さが上げられる。

ということ。
2については金井壽宏氏も著書「働くひとのためのキャリア・デザイン」において、キャリア初期において上司の存在、あるいはそれとの関係性がその後のキャリアに大きく影響を与える、と言及しています。

特に僕が着目したのは1の視点でした。

「自分はこの会社で果たしてやっていけるのだろうか。」
「この会社で一生懸命働くことに、意味はあるのだろうか」

将来が見えないこと、先行きを楽観しできないことに対する不安が、メンタルヘルスへ悪影響を及ぼしている、ざっくりとそうまとめることができそうです。

先行きの見えない不安を誰もが持つ時代への処方箋

メンタルヘルスはあらゆる企業で問題となっており、産業カウンセラーを社内に配置するところも少なくありません。
鬱病は「かわいそうな誰かの病気」などでは決してなく、自分や家族、友人、同僚と身近なところで起こりうる問題になっています。

つまり、それだけ将来への不安に苛まれている人が多い、ということ。

本書によれば、メンタルヘルス問題に対応するため、人事担当者がキャリアカウンセラーの資格を取得したり、実際に現場に出て社員と話をしながら、異動や上司との話し合いなど、落としどころを見つけていく、という対策をとっている企業もあるそうです。
終身雇用もなくなりつつあり、キャリア形成は社員一人ひとりが自律的に行うべき、という風潮が強まる中、企業に入ったからには、少なくとも社員であるうちは、社内でのキャリア形成についてできる限り会社がサポートする、という態度が、結局は社員の悩みを解決し、パフォーマンスを安定させているということかもしれません。

学校教育では、将来に渡って社会で通用する人材を育成するために、キャリア教育に力をいれはじめています。
しかし、基本的に学校教育は被教育者が社会に出た後まで被教育者の将来にコミットできるものではありません。
結局、高校も大学も「進学・就職させる」ことにのみ注力することになりがちです。

フィンランドで見つけた「学びのデザイン」 豊かな人生をかたちにする19の実践」を読んでみると、フィンランドでは学校以外にも図書館やミュージアム、NPOなどがあらゆる人の学びの機会を創造することにコミットしていることが伝わってきます。
学ぶ主体は国民一人ひとりですが、単に「学べ!」と啓発するだけではなく、社会に出ても学ぶことのできる場を提供しようとしているのです。

昨日のブログでは「Learn, or die.」という言葉を紹介しました。
就職させることが目的となりがちな日本のキャリア教育は、「Learn, or die」の精神に基づいている、つまり「学べ」といいながら生涯にわたって学ぶ機会を保障していない無責任さがそこにあります。
フィンランドは日本よりも一人ひとりが「学ぶ主体」となることを求めているように感じますが、その一方で学ぶ場をつくり、要求するだけの責任を果たそうとする姿勢を垣間見ることができます。

丸投げしない。求めただけの責任を取る。

よくよく考えれば当たり前のことですが、この視点で「仕組み」や「制度」を考え直してみるのも悪くないかも。

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