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Something Good:不確実な時代におけるソーシャルデザインとは

カテゴリ:読書の記録

 greenz.jpを運営するグリーンズが編集した本書。

知り合いにお借りしたのですが、一気に読み終わることができました。
本書ではgreenz.jpでこれまで紹介されたプロジェクトを中心に、「ソーシャルデザイン」の事例が列挙されています。

ではグリーンズが考える「ソーシャルデザイン」とは何でしょうか?
ひとことで言えば、「社会的な課題の解決と同時に、新たな価値を創出する画期的な仕組みをつくること」です。

ソーシャルデザイン

各種メディアにも取り上げられ注目を集めている秋田の「トラ男」プロジェクトも掲載されています。
ページ数もそう多くないので、ことあるごとにパラパラと眺めるのが良さげな一冊です。

「いいこと」だからといって受け入れられるわけでもない

本書に掲載されているプロジェクトを見ると、「いいこと」であることが一目で分かります。
しかし、各プロジェクトが始まった当時に遡ってみれば、必ずしも周囲からそう見えていたわけではないはずです。

「マイプロジェクト」を続けていく過程で、いろいろな意見を耳にすることがあります。アドバイスと言いながら、凹むようなことしか言ってこない方もいます。
極論、言わせておけばいい、と思います。

(中略)

若い人は誰も寄り付かない街だった寿町が様変わりしたのも、コトラボの岡部さんたちがさまざまなプロジェクトを仕掛け続けたからでした。今や世界中の若いクリエーターたちが噂を聞きつけ、さまざまなかたちで街に新しい風を吹き込んでいます。
そう、変化は必ず起こるのです。

ソーシャルデザイン

社会の制度を変えるわけでもなく、大きな投資があるわけでもなく、必ずしもインパクトのあるプロダクトを流通させるわけでもない。
このような取り組みは「何かいいこと Something Good」ではありますが、どのような変化が起こるかはやってみなければわからないことの方が多いと思います。
やっている側ですら、あらかじめ何らかのゴールイメージを持っていたとしても、それが確実に起こることだと確信できていない場合がほとんどではないでしょうか。
ましてや周囲からしてみれば、「そんなことをなぜわざわざやる必要があるのか」という疑問を持つのは、むしろ当たり前のことのように思います。

短期的な利益にばかり目がいく時代に

「いいこと」への第一印象が悪くなりがちなのは、現代社会が不確実性に満ちていることと関連付けることもできるでしょう。
今や日本の将来はもちろん、1年後に自分がどのような状況に置かれているかすら予測がつかない時代です。
それはなぞるべきロールモデルや(例えば終身雇用のような)集団的な保障が失われたことも一因と考えられます。
(このような流れの中で、自己啓発本が流行し、自分で何とかする「自己責任」論が蔓延しているように感じられます)

不確実な時代には、今すぐには結果が出ない長期的な利益よりも、今すぐに結果を得られる短期的な利益に目が行きがちです。
最近読み始めた宇野重規著「〈私〉時代のデモクラシー」では、この点について様々な論者からの引用を交えつつ議論がなされています。
その一節を以下に紹介します。

このような社会で見失われがちなのは、長期的な視点です。あるいは、いますぐには結果の出ない、未来においてのみ、その意味がわかるような企てといえるかもしれません。ちなみに、現代社会に適応するために必要な行動や生き方の原則を、「ノー・ロングターム(長期思考はだめ)」と表現したのは、アメリカの社会学者リチャード・セネットです(『それでも新資本主義についていくか―アメリカ型経営と個人の衝突』)。

〈私〉時代のデモクラシー

〈私〉時代のデモクラシー」では、昨今盛り上がりを見せるキャリア教育についても「ノー・ロングターム」の様相を観察できるとしています。
確かに、現在のキャリア教育は、長いスパンでキャリアを形成することについて深く考える余裕はなく、「進路指導」の延長として、「出口(進路)さえ決まればいい」というスタンスで行われていることがほとんどです。
また、キャリア教育の一環として「○○力」の育成についても注目を集めているところですが、これも具体的にメリットのある能力を身に付けさせる、という視点が絡んでおり、即効性を求められていることが窺えます。

だからこそ「Do Something Good」

「Something Good」は必ずしも短期的なメリットを生み出すことができるとは限りません。
むしろ、「きっと何か良くなる」「今やらなければ手遅れになる」という「遠い将来のメリットのための投資」としてのニュアンスを多分に含んでいることと思います。

「Something Good」がなぜ求められるのでしょうか。
長期的な視点がなければ、目に見える利益がすぐ現れにくい交流や教育、社会の格差、環境問題などへの投資ができないからです。
この視点こそが、持続可能な社会をつくるために必要なのです。

海士町の「AMAワゴン」という取り組みを見ると、僕は特にその必要性を痛感します。
「AMAワゴン」は一橋大学の学生が海士町に来たのがきっかけで始まった交流事業で、参加者の他に毎回講師がつき、住民との交流や中学校への出前授業などを行います。
このAMAワゴンに参加した講師や参加者をきっかけに移住した人もおり(僕もその一人です)、島外の大人との交流を通じて地元の子どもたちの意識にも無視できない影響が出ているように思います。
海士ファン拡大にも寄与しており、都内での海士のイベント開催時にもAMAワゴン参加者が集まる他、その知り合いもイベントに参加し、ファンの輪がじわじわと広がっているという効果も見られます。

このAMAワゴンは、見た目としては単なる「交流」でしかなく、観光ツアーとしての利益を見込めるものでもありません。
海士ファンが増えるかもしれませんが、しかしそれがどのような利益につながるのかを実施前から明らかにするのは難しいでしょう。

それでも、海士町はこの交流事業に投資することを決断し、これまでに15回実施しました。
まさに「Something Good」の好例と言えるでしょう。

「Do Something Good」のコツ

短期的な利益に偏りがちな社会で長期的な利益を追求することは至難の業です。
この「ソーシャルデザイン」で紹介されている様々なプロジェクトはそのコツを学ぶのに適していると言えます。

本書の事例を踏まえながら、そのコツとなりそうなものをリストにしてみました。

1.継続する

プロジェクトの性質上一度で終わるようなものでない限りは、何よりも継続が第一だと考えます。
WE LOVE AKITAも活動を始めて4年目になりますが、停滞するときもあったものの、ファーマーズマーケットや他団体との連携を通じて、学生が集まりだしたり、率先して企画を生み出す人が参加してくれたり、秋田に帰ったメンバーで動けるようになったりと、どんどん面白くなってきています。
海士町のAMAワゴンも、15回まで続ける気概があったからこそ、メリットを享受できるようになったのだと思います。

具体的に効果のある施策を確実に仕掛けられる実力が重要と思われるかもしれません。
しかしそれを前提にしてしまうことでハードルも上がってしまいますし、そこまでの実力がなくともトライ&エラーを繰り返しながら徐々にインパクトを出すことに成功しているという事実を見逃してしまうことに繋がります。

一度のプロモーションでの話題性を狙うならば話は別かもしれませんが、「Something Good」を狙うのであれば長期的に関わることを前提に、少しずつでもプロジェクトを前進させていくことが重要です。

2.やってて楽しい

本書にも書かれていますが、楽しいということは重要です。
短期的にメリットがなくても、それに関わってる瞬間に「面白い」「楽しい」「またやりたい」と思えることが継続に繋がります。
インセンティブは何も目に見える利益に限りません。「やってて楽しい」は無視できない効果があります。

この点、社会の問題にコミットするNPO組織のような場合、「楽しい」を封殺してストイックに「使命感」や「コミットメント」を重視するケースもあるように思います。
が、これは継続を念頭に置いた場合は割と不利です。十分な「やりがい」があればいいのかもしれませんが。

3.味方を不幸にしない

プロジェクトに直接関わる人も、そのプロジェクトのメリットを享受する側の人も、いずれも不利益を被らない仕組みがベストなのは言うまでもありません。
誰かの”犠牲”や”不幸”の上に成り立つ活動は持続性がなく、どこかが疲弊した時点で運営がストップする可能性があります。
直接プロジェクトの運営に携わらない人たちであっても、きちんと”win”になれるようなデザインが求められるでしょう。

4.なるべく敵は作らない

何らかの形で社会の問題の解決に携わる場合や、競合する既存業者が存在する市場に参入するような場合、そこでの戦い方に気をつけるべきです。
「自分たちは相手より優れている」「あなたがたのここがおかしい、だからこうするべきだ」という態度は望ましくありません。
これは余計に「敵」をつくるリスクがあります。

ステークホルダーの中に自分たちのプロジェクトを妨げる存在がいないに越したことはありません。
「敵」を設定することは自分たちを妨害する障壁をわざわざつくりあげるようなものです。
また、そのような攻撃的な姿勢は、味方になりうる人たちにも悪い印象を与えることにも注意が必要です。

 

本書に溢れる様々なアイデアは、どれも面白く、参考になるものばかりです。
「マイプロジェクト」を何か持ちたいと考えている方、「Something Good」を志向する方、ぜひ手にとって読んでみてください。

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「働きながら、社会を変える。」を読んだ僕が考えるべきこと

カテゴリ:読書の記録

 

マイクロファイナンスや児童養護施設の支援を手がけるNPO、Living in Peace(LIP)の代表を務める慎泰俊氏による著書。
タイトルどおり、普段はプライベート・エクイティ・ファンドで働きながら、パートタイムで社会貢献活動に当たる著者の言葉は、説得力があり、実践的で、真摯な姿勢に心を打たれます。

「この人、頭いいな。」

本書を読んだ率直な感想です。
ビジネスの第一線で活躍しながら、経済学はもちろん、児童養護施設にまつわる議論やデータの分析、文学をさらりと引用する教養。

「小林さん、これってすごいことですよ。普通に考えたらこんないい話はないと思うんです。だって、二〇年のあいだ月に五〇万円集められたら、それが四億円の施設と、毎年二〇〇〇万円の補助金にに変わるんですよね?国からのお金って安定しているから、毎年二〇〇〇万円出るってことは、現在価値に引きなおしてみても、六億円くらいの価値はありますよ。てことは、毎月の五〇万円が、十億円に化けるわけですし。」

働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む

この計算を会話の中でできてしまうというのがすごい(デフォルメされているのかもしれませんが)。

(一応)海士町という現場で仕事をしている立場として、肩身の狭い思いをしました。
そこからすぐさま自分たちの進むべき道を描き、動く。
自分自身の専門性の生かし方のレベルが違うのです。

僕は現場で戸惑いながら少しずつやるべきことを探しています。
周囲はたまたまプロフェッショナルの集まりなので、いろんな場面で自信をなくします。
不安を感じながら、かすかなてごたえを頼りに、やるべきことに着手しようとしている段階です。

もちろん、ここには立場の違いがあります。
本書に例えると、僕は著者よりも児童養護施設の職員に近い立場にあります。
組織を回し、目的を達成するために、フルタイムのスタッフがやることは少なくありません。
前線で子どもと対峙する立場を譲って初めて、著者は自分ができることとやるべきことを一致させる方向性を見出すことができたのだと思います。

とはいえ、このスピード感にはどうにもかなう気がしません。

この本から学ぶべきこと

読後、印象的だったのは「インパクト」を出すことの重要性。
何か事を起こすときには、それがターゲットや世の中に対してどれだけ効果があるかをできるだけ明らかにすることが、持続的な運営の支えとなること。

僕自身強く関心を持っている「教育」の分野では、効果測定はなかなか難しいのが現状です。
最も測りやすいであろう「偏差値」についても、批判の多さから分かるとおり、指標として扱うには慎重さが肝要です。
(とはいえ、個人的には最も信頼すべきデータであるとは思っています)
最近流行の「社会人基礎力」は、今のところ的確な評価方法が見つけ出されていないようです。
アンケートをとったところで、その結果を信頼できるとは限りません。

空しさや戸惑いを覚えることも少なくありません。
「あれ、意味あったんだろうか。」「このアンケート、真に受けて良いんだろうか」
「こんなとき、どう言えばいいんだろう。」「ああ言ってはみたものの、本当に良かったんだろうか。」

その中で自分を支えているのは、「てごたえ」以外の何者でもない、と思っています。
それは残念ながら、目の前の業務をただこなすだけになっていては、決して見出せないものです。
当然、「てごたえ」を感じられるだけのエネルギーを注力することも求められます。

明確なリターンがないことに注力するのは難しい。しかし、力を尽くさなければてごたえは感じられない。
このバランス感覚を保ちながら日々の業務に当たることは、結構大変です。
公営塾のスタッフとして、生徒の成績が上がることを素直に喜べる仕事ができているのは、ある意味幸運かもしれません。

スタッフの意欲に支えられているのが現状です。
でも、それに頼ることが前提になってしまったら、結局は人に依存することになり、長期的な継続にシフトできないことになります。

将来的には、自分たちが何を目指し、どの数字をベンチマークとするのかを明確にする必要があります。
目指すものが共有できなければ「てごたえ」を感じるのは難しく、特に教育という分野においては、燃え尽きが懸念されます。

これ、実は介護の仕事にも当てはまると思っています。
高齢者の自立を支援することは、決して悪いことではありませんが、介護従事者は何を「てごたえ」とするべきなのでしょうか。

著者が提示する「ガバナンス」の観点は、何をするにしても、頭の片隅においておくべきだなと感じました。

僕が、これから考えるべきこと

図らずも、本書を読みながら「これから自分はどこへ向かうべきか」「何を身に付けるべきか」に思いを巡らすこととなりました。

僕は、海士町という地域の教育環境をより良いものとする仕事に携わっています。
そのモチベーションの源泉は「秋田に帰る」、その一点に尽きます。
考えるべきことは、二つ。

「秋田に帰る」ために、今の仕事から学ぶべきこと
「秋田に帰る」ために、今の仕事以外から学ばなければならないこと

さすがの地域活性化最先端の地・海士町。
ここで学ぶことは非常に多いです。特に、地域で働く上でのマインドだとか、仕事の進め方だとか。
ジェネラリストが育つ環境なのだなあと思います。

一方、地域性なのか分かりませんが、どうしても専門性を深めるのは難しくなります。
所属する組織がアーリーステージにあることにも関連するかもしれませんが、体系的な専門性の習得は難しく、日々手探りの状態です。
専ら要求されるのは文書作成と学習指導のスキル。もちろん、我流です。
幸い先達は多いので、諸先輩方を参考にさせていただいておりますが。

秋田に帰る上で、僕はジェネラリストとスペシャリストのどちらを目指すべきなのか。

「帰る」イメージを描きながら、模索する日々です。

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「困ってるひと」に今年一番心を動かされた

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(今更な感もありますが。)

ずいぶん前から話題になっていて、今年の7/29にAmazonで注文した後、ずーっと放置したままだったこの本。
ほぼ日に著者の大野更紗さんのインタビュー記事が出ていたので、ふと思い出して、手にとってみたら、あっという間に読了してしまいました。
思わず引き込ませる文章もさることながら、壮絶な(というべき)難病の「当事者」としての出来事の数々に、思わず呆然としてしまう読後感に襲われました。

著者の大野さんは「筋膜炎脂肪織炎症候群」と「皮膚筋炎」という難病にかかりました。
「二十四時間三百六十五日インフルエンザみたいな状態」が続き、それ以外にも様々な症状を抱えています。
つまり、”人並み”の日常生活を送ることが困難になったということです。

この本は、いわゆる「闘病記」ではない。もちろん、その要素も兼ねざるを得ないけれど。

困ってる人

前書きのこの断りが、実は重要です。
本書は病気と向き合う人間の姿勢、命の尊さ、そして感動…という”よくある”「闘病記」とは大きく異なるものです。
ここに描かれているのは、普通の(?)女子大生が突如として「当事者」になったお話です。
そこには読み手がときに恥ずかしくなるくらいの率直で、等身大の著者の姿があります。

ここで多くを語るつもりはありません。
というよりは、うまくこの本の良さを語ることができません。
一つだけ言えるとしたら、2011年で最も心を動かされたのは、この本だということです。

大野  だから、あたりまえのことをていねいに伝えていくという作法が、これからの日本社会では、すごく重要なんじゃないかなと個人的には思っています。「おもしろいと思って、おもしろいのをつくる」というのはちょっと違って‥‥。

ほぼ日刊イトイ新聞 – 健全な好奇心は病に負けない。 大野更紗×糸井重里

口語体の入り混じる文章、「闘病記」を期待すると痛い目を見るようなエンターテイメント性には、賛否両論があるかもしれません。
実際、Amazonのレビューでも酷評している人がちらほらいます。
中には「闘病者」としての態度に欠ける、という視点もあるようですが、残念ながらそれは「バイアス」の作用だと僕は思います。
むしろ、「闘病者」に対して我々が期待してしまうようなメンタリティから意図的に距離を置くことで、「25歳の女の子で難病の当事者」というリアリティを正確に、かつコミカルでやわらかに伝えようとしていると感じました。
この本には誰も「悪者」が出てこないことも、そして著者自身でさえ「正義」でもなんでもないんだよ、ということも、説教臭い教訓を飲み込んで「当事者」であることに徹したことを示しているように思えてなりません。
本書は「あたりまえのことをていねいに伝えていくという作法」に挑戦した結果なのだと思います。

と、ここまで書いて、自分の言いたいことが分かりました。

この本に書かれていることは、「美談」でもなんでもないんです。
日本人は「自分で何とかする」美談が大好き?でも書いた、その「美談」です。

だから、いいんですよ。この本。

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