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「フィンランドで見つけた「学びのデザイン」」から学ぶために

カテゴリ:読書の記録

「教育」で世界的な注目を集める北欧の国、フィンランド。
そこで実践される「学びのデザイン」の事例が幾つも紹介されているのが本書。
特に、本書では学校教育外に着目し、ミュージアム、図書館、メディア、自然の4カテゴリ におけるフィンランド国内のステキな取り組みについて、実践者へのインタビューも交えて紹介しています。

写真も豊富に掲載され、カバーの彩もよく、本のデザイン自体も非常によい。
読みやすく手に取って読むだけで幸せになれること請け合いです。

内容に入る前に-独り言

僕は「学び」という言葉がどうにも苦手です。
世の中的には、むしろ「学び」は「教育」よりも注目され、勢力を拡大しつつあるというのに。

「teaching」ではなく、「learning」がもてはやされる時代。

その背景には、昨今の雇用不安があると思います。
自ら学べる学生には内定が集中し、そうでない学生にはひとつも内定がでない。
ディテールを捉え切れていない見方かもしれませんが、今はまさにそんな時代です。

ここにおいて「学び」を強調するということの意味について、僕はネガティブに捉えています。

“Learn, or die.” - 「学べないやつは死ね。」

極端な見方だとは思いますが、自立的に学べる人材を育成しようと主張する人に対しては、無意識に学べない人材を排除するような意図が込められていやしないか、いつも注意して見るようにしています。

学校教育においてはteachの主語は教師。 learnの主語は生徒。
主語が逆転することで、責任の所在まで移っていやしないか。
「学び」という言葉を耳にする度、僕はついついひやひやしてしまいます。

いきなり本書にない内容から始めてしまいました。
以下から本題に入ります。

学びをデザインするのは誰か?

冒頭にちらりと書きましたが、本書は基本的に学校教育外の取り組みについて取り扱っています。
そうなると気になるのは、教師以外の誰が子どもや大人の学びをデザインしているのか、という点です。

本書の登場人物は、図書館、ミュージアム、NPO、自然学校、動物園のスタッフたち。
彼らが語るいきいきとした実践がなければ、これだけ多様な学びの場が生まれることはなかったのではないか。
フィンランドにおける学びのデザインは、何よりもそれに取り組む人の存在が大きかった、そう感じています。

「翻って、日本では、どうだろうか?」

本書では、とある図書館のスタッフたちがWEBサイト上で全国から投稿される質問に回答する取り組みが紹介されています。いわば、「生協の白石さん」の図書館版。
こんなサービスを、日本の図書館が始めることが想像できるでしょうか。

紹介されている3つの図書館は(読む限り、おそらく)すべて公共図書館です。
「公共の図書館でこれだけ”働く”スタッフがいるなんて」 
日本人の僕が真っ先に不思議に思ったのは、そこでした。

図書館は基本的に無償でサービスを提供するものです。
利用者数が増えることはスタッフの仕事を増やす割に収益の増加には結びつきません。
利用者数がスタッフの人事評価につながるなら別ですが、基本的には図書館のタッフが利用者数増にコミットできなかったとしても、しょうがないのかなと思えてしまいます。

学びのデザインの実践者の言葉からは、「利用者にとって本当に価値のあるものを提供する」というコミットメントのようなものが感じられます。
あるミュージアムの活動報告書は、僕たちが”活動報告書”と聞いてイメージするそれとは全く異なり、創造性にあふれ、思わず手にとって読んでみたくなるようなデザインでした。
上述したQ&AのWEBサイト「iGS(information Gass Station)」を運営する図書館のスタッフは、「iGSを重要なマーケティングツールと捉えています。」と話しています。

これだけ主体的なシゴトができる、「優秀な」スタッフが、なぜ集まるのでしょうか。
引き続き追ってみたい「不思議」をひとつ見つけてしまいました。

優れたデザインがあふれているフィンランド

本書の事例を見ながら、実際にNPOなどのWEBサイトを幾つか覗いてみました。

http://en.mediakasvatus.fi/
http://www.koulukino.fi/
http://igs.kirjastot.fi/en-GB/iGS/
http://www.esajaesineet.com/
http://mediakompassi.yle.fi/

どのサイトもWEBデザインで手を抜いている様子はなかったのが印象的です。
これだけ見ても、フィンランドの人たちのデザインに対する認識が汲み取れるような気がします(というのはさすがに言いすぎでしょうか)。

また、見た目だけでなく、ワークショップや提供するサービス、施設の設計に至るまで利用する側の立場になって考えられている印象を受けます。
専門的な知識以上に、デザインすることが習慣化されている、そう思えてなりません。
(もちろん、本書が優れた実践を取り上げているからそう見えるという面もあるんでしょうけど)

日常のシゴトの中にデザインがある国。
 教育に限らず社会保障や政治など様々な面で注目されるフィンランドを、こう見てみるのも面白いかもしれません。

 

あえて「学び」から観点をはずしての書評となりましたが、本書においてはこの言葉がキーワードであることは間違いありません。
政府も国民もサービスの提供者も、「学び」の重要性を強く認識しており、機会の平等を実現することがコンセンサスになっているように感じます。
正しいと信じることを実践する。より良いものを提供できるように創意工夫する。
当たり前のようでなかなか難しいことを、ごく自然なこととして語るフィンランドの人たちを、ただただ尊敬するばかりです。

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「これ、いなかからのお裾分けです。」が面白い

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2010年に出版された本書。
著者は愛知出身、高知在住の大学院生(当時)。
ほとんど僕と同世代です。

彼は幼少の頃から川に山に畑にと、大自然を相手に遊んでいます。
天然うなぎを釣ったり、オオスズメバチと格闘したり、自分で畑を耕したり…。

「本当にこんな体験をしている人が同世代にいたのか。」

自然体で紹介されている様々なエピソードに、著者の遊びに対する「特別な」情熱、そして何よりも「たくましさ」を感じずにはいられませんでした。

遊びへの情熱-遊びの先にあるもの

本書は著者が蜂の巣をとったり、創意工夫しながら川釣りに挑んだりした実体験の記述によって構成されています。
驚くほど豊富な体験もさることながら、表現の豊かさ、リアリティに目を奪われます。
読みながら思わずおなかが空いてしまうほどに!
(僕は読んでいておなかが空く本はいい本だと 勝手に思っています。余談ですが。)

釣り上げようとした大うなぎが腕に巻きついて水中から出られず意識を失いながらも、決してうなぎを放さなかったという著者。
そのたくましさ、執念を支えるのは、「遊び」への情熱だったのではないか、と感じています。

川釣りしたいがために自ら竿をこしらえ、釣り糸を確保し、針を自作する。 
何度も川に挑戦しながら、少しずつ釣り場や適切なえさの選び方を学び、釣果を上げる。

魚を釣れば、自宅で飼っているウコッケイに釣った魚を与えることができ、それを食べたウコッケイたちはたくさんの卵を生んでくれます。
でかいうなぎが釣れれば早速晩御飯となり、食卓が彩られ、笑顔が生まれます。

「遊び」の先にあるもの。
著者は自分だけでなく、家族の、親しい人の笑顔を見ることを喜びとし、遊びに興じています。
彼の遊びの多くは「食」につながります。残念ながら、テレビゲームでお腹いっぱいになることはありません。

テレビゲームを例に出しましたが、もうひとつ、テレビゲームの特徴として、その有限性があります。
プログラムという枠内で提供されるこの遊びは、限定的な変数によって構成され、いつやめてしまっても構わないもの。
僕が自然と戯れる著者に「たくましさ」を感じたのは、あらゆる変数が中身を変えてしまう可能性がある遊びに嬉々として立ち向かい、創意工夫する姿勢に対する「畏敬の念」を覚えたということなのかもしれません。

自然と対峙するということは、大小さまざまなリスクを引き受けるということ。
ときには生命の危険にさらされることもあるかもしれません。

「自然は良い」ということと、実際に自然と戯れることとの間の隔たりは、非常に大きいものです。
僕らは自然という対象をどう捉えるべきか、どのような関わり方をするべきか。
本書を読みながら、ふと、僕は人間関係でも同じことが言えるな、と思うことがありました。
そう、人間のつながりなんて、よくよく考えたら影響度の高い変数だらけだということ。

これだけ深く自然と関わりあっている著者の言葉を通じて、僕らが感じるべきこと。

もう少し、自分の中でじんわりと考えてみたい、そんなふうに構えられる本書、おすすめです。

もろもろ

以下、感想などざっと箇条書きに。

・短いし、内容も重くないからさくさく読める。その割にいろいろ考えさせられる。
・周りにリスクを把握し、管理できて、ぎりぎりのところまで自由に遊ばせられる大人がいることは、子どもにとって貴重かも。とはいえ、僕が親だったら、子どもにここまでの経験はさせられないかもしれない。下手をすれば命を落とすってわかっているならなおさら。
・イラストが可愛い。この本の雰囲気をうまく作っているというか、溶け込んでいる。
・下手な冒険小説よりもわくわくする。でも「僕もこれやりたい」とまでは思えない。怖いし。
著者のブログはこちら

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「働くひとのためのキャリアデザイン」とキャリア・トランジション・モデル

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スローキャリア」の高橋俊介氏の著書を数冊読んだ後にトライ。
新書にしては300ページ超とボリュームがあり、ぱらぱら読むことが許されなかったので、Evernoteに逐一メモをとりながら読書。
約2週間かけて、ようやく読破しました。

整理の為に、メモに基づきながらここで本書の内容を簡単にまとめていきたいと思います。

本書の背景と著者の立場

世の中的に「キャリア」という概念が浸透しつつあることを否定するひとはいないでしょう。
(もちろん、組織によって、あるいは地方の人にとっては縁の薄いものかもしれません)

本書では、企業や組織、労働市場を取り巻く環境の変化、発展する経営学や組織論、生涯発達心理学など を取り入れながら、ひとの生涯を見通したキャリア理論が展開されています。
グローバルな動きとして、一企業内で完結するようなキャリアから職務や組織、仕事と家庭、産業の壁を超えて動く「バウンダリーレス・キャリア」が拡大しつつあります。国単位、職種単位で浸透度に差はあるものの、日本も例外なくこの流れの中にいます。
高橋俊介氏も「キャリアショック ―どうすればアナタは自分でキャリアを切り開けるのか?」等の著書で述べていますが、単に企業が従業員の雇用を保証するだけでなく、企業の枠を超え労働市場全体で通用するかどうかを見据えた自律的なキャリア形成が求められるようになってきました(エンプロイメントからエンプロイアビリティへ)。

本書の重要なポイントとして、ヤング・ミドル・シニアのキャリア初期~中期~後期まで一貫してキャリア・デザインについて論じている、という点は外すことができません。
著者も文中で触れていますが、特にミドル(40代周辺、中間管理職ポジション)時点でのキャリアへの眼差しが、随所にちらついています。

成熟に向かうか、枯れていくか、二極化すると言われているミドル。

僕は年齢的にも教育から雇用への移行に関心が向いてしまいますが、ライフコース全体を通したキャリア・デザインの議論に触れることができたのは有意義でした。
一方でなかなか実感がわかず飲み込めないところもありましたが、本書で推薦されているとおり、親や知人にヒアリングしながら読み進めるのが最も効果的かもしれません。

キャリア・トランジション・モデルとは

著者がよってたつキャリア理論が「キャリア・トランジション・モデル」。
「トランジション transition」とは文字通り「移行」という意味です。
ある時期から次の時期への移行するその「節目」に着目し、節目をデザインすることでキャリアを形成するのが「キャリア・トランジション・モデル」になります。

「節目」と書きましたが、それに気付くための四つの契機が紹介されています。

1.なんらかの危機
…どんづまり感、焦燥感

2.メンター(先輩、上司、身内etc)の声
…節目をくぐりぬけてきた人たちの声→チャンス、相談、手本・見本につながる

3.ゆとりや楽しさ
…あまりに楽しくはまっているときorいやでいやで仕方ないことがうまくできるようになったとき

4.カレンダー、年齢
… 昇進、昇格、異動、転職、年齢の節目、結婚、出産など

特に4についてはより容易に自覚が可能です。
キャリア初期、つまり新卒就職時なんかは、多くの場合はじめての「節目」ということになります。

節目をくぐるときには、概念として
・「終焉」…何かが終わる時期-整理、反省、終焉の受入
・「中立圏」…混乱や苦悩の時期-移行期、”宙ぶらりん”の感覚
・「開始」…新しい始まりの時期
の3つの段階を踏むことになります。これはある程度誰もが共有できるところではないでしょうか。 
失恋→乗り越える→次の恋愛、というプロセスを考えればわかりますが、この「終焉」を自覚し、うまく消化することができないと、次の恋愛でも同じ失敗を重ね、結局は同じところを堂々巡りするはめになりかねません。
節目を”うまく”くぐることで、堂々巡りから脱却し、螺旋を描くように上の段階へ一皮むけることができる、そう著者は主張しています。

これまでのキャリアや人生を振り返りながら、節目をデザインする。
その作法として、以下のように4つのステップからなるサイクルを意識することが大切です。

ステップ1.「キャリアにおける大きな方向感覚を持つこと」

キャリアの三叉路・四辻で、まず、自分がどこに向かっているかを自問してみること。 
具体性はここではそんなに求められていません。
僕の場合は「地元に帰る」ということ、そして最終的には「地元で死ぬこと」が大きな方向性としてあります。
「夢」や「人生の目標」、「志」といったくらいのイメージですね。

抽象的でうさんくさいかもしれませんが、人間は金銭や名誉のためだけに仕事しているわけではない、という立場に立てば、物質を超えた領域、精神性 もキャリア理論の範疇に組み込むのもそこまで不思議なことではありません。
幸せ=たくさんのお金があること、なんて思っている人は、もうほとんどいないわけですから。

ステップ2.「実際に次の道を(自分で)選ぶこと」

節目自体は自分の意思に反して訪れることがしばしばあります。
常に自分で適切な判断ができるほどの万全の準備ができないままに、節目をくぐることになることも少なくありません。

ときには自分だけでなく、メンターや友人、家族と相談した上で次の道を選ぶこともあるでしょう。
そこで重要となるのは、「最後は自分で選び取る(という感覚を持つ)こと」です。

当たり前に聞こえるかもしれませんが、キャリアは一人ひとりのもの。一つひとつのキャリアが特注品です。
自ら選ぶこと、そしてその選択に自覚的であることが自然と求められてきます。
(※自ら選ぶことと人生そのものが他の人と相互依存的であることは決して矛盾するものではありませんが、詳しくは本書をご参照ください)

ステップ3.「選んだ道にふさわしい適切な最初の一歩をきちんと歩むこと」

選択肢を選んだ後でも、「やっぱり違ったんじゃないか…」という不安はあるもの。
しかし、そこから先に進まないことには節目をくぐりきることはできません。 
宝くじは、買わなければ当たらないように。

ちょっとやそっとの努力で実が得られないことを嘆くのも困り者。
「最低必要努力量」という言葉を著者は使っていますが、それなりの投資があってはじめてリターンが期待できると考える方が納得性が高いと言えないでしょうか。

まずは一歩踏み出す。相応のエネルギーや努力を費やす。
その態度が、結果的にトランジションをよりよいものにしてくれるのです。

ステップ4.「周りの景色、出会い、いろんな偶然を大事にする、取り込むこと」

「節目はデザインするが、それ以外はデザインしすぎない」というのが著者の重要な主張です。
キャリアの8割は偶然に影響されている、というクランボルツ教授の「プランドハプンスタンス理論」があるくらいです。

人間には不確実なところがあるからこそ、それを前向きに捉える。
これは「複雑性」のような、比較的新しい(そして難解な)議論に近いと言えるでしょう。

ここで本書では「ドリフト」という言葉が紹介されています(「ドリフターズ」は”漂流者”という意味なんだそうで)。
著者は、節目をデザイン(流れをつくる)した上で節目と節目の間をドリフトする(流れを生かす)という立場に立っています。

そもそも、理想的で完璧なキャリアを描ききることなんて無理です(と、僕なら言い切ってしまいます)。
経験を積むごとに「あ、おれってこんなこともできるんだ」「これ、他の人より得意かも」と思うことは誰にだってあります。
自分自身の行動・思考の特性すら完璧に掴むことは不可能な状況の中、就職前の学生が自分の将来の計画をつくりあげるなんて、やっぱり無理があります。

「私はバリバリ仕事したい!」と思っていても、社会人2年目で「やばい、この人と結婚したい!」という出会いがあったら、どうするんでしょうか。
当初デザインしたとおり、バリバリ仕事するしかないのでしょうか。フツウ、悩みますよね。
デザインしておいたキャリアプランに修正が入ることは、むしろ当たり前のことのように思えます。

だからこそ、著者は節目だけはデザインしろ、後は偶然を上手く取り込みながらドリフトしろ、というメッセージを発しています。
もちろん、節目すらデザインしなければ「流されっぱなし」です。とりあえず会社にいることにだけ専念して時間を過ごし、ある日突然リストラされて呆然とする、なんてことには、なりたくないですよね。

まとめ-本書のポイントと感想

「節目だけはデザインする」、これが著者が繰り返し文中で主張していることです。

就職活動の自己分析などにみられる一般的な手法
(1)過去を振り返り、
(2)それを元に未来を描き、
(3)未来から逆算して現在(次の一歩)を考える
と、上で紹介したキャリア・トランジション・モデルは根本から発想が異なることがお分かりかと思います。

キャリア・トランジション・モデルは、どちらかというと「積み上げ」方式と言えます。
将来のビジョンを明確化し、それを逆算して緻密なキャリアプランを用意することよりも、「どのような方針で」「どれだけ」積み上げるかが関心ごととなっています。 
「プランドハプンスタンス理論」などの台頭からも見受けられるとおり、変化の激しい現代において、デザインされすぎたキャリアプランはかえって変化への対応を妨げ、結果的にキャリアやライフコースの充実を阻害する要因にすらなりかねません。

この記事ではあまり触れていませんが、本書はヤング・ミドル・シニアのキャリア発達課題を念頭に置きつつ、全体として”良い”キャリアを歩むための示唆を提示してくれています。
自らのキャリアを立ち止まって考えてみたい方は、ぜひ手にとって読んでみてください。
また、併せてプランドハプンスタンス理論の提唱者、J.D.クランボルツ教授著「その幸運は偶然ではないんです!」にも目を通すと、現在のキャリア理論のトレンドに触れることができ、本書の理解を助けてくれると思います。

本書はボリュームもさることながら、様々な分野からの引用も多いと感じました。
真に本書の内容を理解し、活用するためには、生涯発達心理学やキャリア理論の基礎的研究にまで手を伸ばす必要があります。
著者のキャリアの探究への意欲を強く感じる一方で、本書のみを読み深めるだけでは消化不良を起こすかもしれません。

僕自身も、理解はできるけど納得にまで至らない、という部分がいくつかありました。
とはいえ、自分なりのキャリアの捉え方について、全体感を把握できたことはかなり有意義だったと思います。

この本のより良い活用法としては、まずは本書で紹介されている理論やコラムに掲載されているワークを通して、実際に自分自身のキャリアを振り返ってみることに尽きると思います。
その実践の書としては、本書は十分な情報量を提供しています。ぜひ自分の手を動かしながら本書を読み進めてみてください。

金井 壽宏著:働くひとのためのキャリア・デザイン (PHP新書)

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