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秋田の少子高齢化の考え方を考えてみる(1)

カテゴリ:世の中の事


先日、Twitter上で少子化について盛り上がりました。

きっかけとなったのは、「脱少子化ウェーブを巻き起こす行動県民会議」の話題。 秋田の課題である少子化の認識を共有し、県全体で子どもを増やそう、という位置づけ。
僕がまず知りたいと思ったのは、なぜ少子化が解決すべき課題なのか
すべてのスタートはそこから。まずは秋田県としてのスタンスを知りたいと。

WEB上で拾える秋田の少子化対策に関する資料を幾つか見ましたが、対策の内容が書いているばかりで、 なぜ少子化が解決すべき問題なのか、その説明がどうも見当たりませんでした。
数字だけ見れば、確かに少子高齢化の傾向が見られます。それはもうまざまざと。

秋田で生まれる子どもの数は一年で8000人を切った。昨年は、県の人口が何十年かぶりに110万人を下回った。
高齢者の割合は全国トップの水準であり、各世代のバランスが非常に歪になっている。
このままでは将来膨れ上がると予想される医療・介護にかかるコストを支えることができない。

「よって少子化は課題であり、子どもを増やす対策が必要だ」という結論に至った経緯が知りたいんですよね。

少子化に対する幾つかの観点

そもそもの話。少子化だから増やす、というのは唯一解ではない、ということ。
子どもが減っているからこそ一人当たりの教育費を上げ、教育県として生き残りをかける」でもいい。
総力を挙げて教育に力を注ぎ、「郷土を愛し、問題解決力を持つ人材を育む」という選択肢もないことはない。
また、少子化は成熟社会の要請である、という見方もあります。
実際、先進国と呼ばれる国はどこでも少子高齢化の傾向があり、日本も例外ではありません。
東京も若者が多いと思われがちですが、単に絶対数が多いだけで、少子高齢化の傾向は明らかに見られます。 (ソースすぐ出せないのが悔しい。プレゼンで出されたデータなので)
つまり、少子高齢化は当然の流れであり、現代社会の構造がすでに古い、という見方もできるのです。
そうなると、子どもを増やそうとするのは時代を逆行することであり、 むしろ少子高齢化にフィットする、適切な規模の社会への移行こそが21世紀に求められているかもしれません。

なぜ秋田県は「脱少子化」の道を選んだのか。

もしもビジョンがないのであれば、これは事業として欠陥があります。
脱少子化ウェーブを巻き起こす行動県民会議」が認識を共有する位置づけだったとすれば、 本当に秋田の少子化に対する問題意識とゴールの共有がこの場でできていたか、疑問が残ります。少なくとも、そのビジョンを第一に示すべきではないでしょうか。

また、注目すべき懸念点がもう一つあります。
それは、上述の会議が行われる以前から、すでに秋田は少子化対策に乗り出していた、という事実です。
他ならぬ「脱少子化ウェーブを巻き起こす行動県民会議」の出席者の方からの指摘でした。
過去に成果を上げられなかった反省として、その方向性自体が検討されることはなかったのでしょうか。

僕はまだ県の少子化対策の歴史について明るくはないのですが、今後じっくりと調べてみたいと思います。
一時期は「子育て税」なるものの導入まで検討されていたらしいのですが、その話題すら知らなかったので。
ちょっとググってみると、5年前には「あきたわか杉夢っ子プラン」なるものがあったそうな。

随分長々と書いてしまいました。これはまだ自分の中では議論の始まりに過ぎません。
個人的には、少子化対策を考える前に、なぜ少子化が起こるのか、をきちんと整理したいと思っています。

上の方で「少子化は社会の要請」と書いたけれど、もしかしたら少子化自体が”歪み”の結果かもしれない。
であれば、少子化は解決されるべきである、とようやく主張することができるようになるし、 その”歪み”に対して問題解決していけば事態は好転する、とスタート地点を定めることができます。
すでに少子化については議論されつくしているのではないかと言う気もしますが、 まずは既存の議論を追いつつも、”観察”を適切にはさんでいきたいな、と考えています。

続きはこちら⇒秋田の少子高齢化の考え方を考えてみる(2)


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