Top Page » 世の中の事 » This Page

セルフブランディング(笑)でメッキを借りる痛い人たち

カテゴリ:世の中の事

「面白い人に会いたい」と言う人が増えるのは「良いこと」

面白い人に会いたいと言っている人は、あなたがバカにしている“合コンで出会いを求めて参加する男女”と同レベルである。

 

そして、「面白い人に会いたい」とか言って会われているうちは、自分はその程度の人間にしか会いたいと言ってもらえないほどにコンテンツの不足した、面白みのない人間だということを肝に命じなければいけない。自分に寄ってくる人は、自分の鏡だから。

もしくは「そんな理由で会われて喜ぶ、なんか可愛い女の子」だと思われて、見くびられている証拠だ。

「面白い人に会いたい」と言って会いに来る人には「死ね、クズ」と思っている | None.

盛り上がっているこの記事ですが、こういう話題が出てくること自体は個人的に”いい傾向“だと思います。

まず、「面白い人に会いたい」という発想は、既存の人間関係の外を向いている人たちからしか出てこないものです。
“相手の話を引き出す「問い」がなんにもない”(質の低い)人が紛れてくるということは、外向きの志向を持つ人が増えた=裾野が広がったということ。
“ウィークタイ”など興味・関心をベースにした弱いつながりの”強さ”に注目が集まっていることなどを考慮すれば、この傾向自体は歓迎すべきものと言えるでしょう。

ですからこういう輩を排除することを急ぐべきではない、と考えます。今はまだ過渡期なのです。
一線で活躍している人たちの貴重な時間と精神の安定を確保するためにも、今後少しずつ修正を入れていく、くらいが適切なスタンスでしょう。

「会われ」る側が悪い、とはあんまり思いませんが。

「面白い人に会いたい」のはなぜか

面白い人や変な人に会いたい、とか言っている人に限って

「自分も変人だ」

と思っていて、

「自分はあなたの魅力が分かる人間だ(だからオレは偉い)」

と、自分を肯定して安心したいがため、「オレってイケてる」を確認するために来ている。

「面白い人に会いたい」と言って会いに来る人には「死ね、クズ」と思っている | None.

この記事で言及されているような「面白い人に会いたい」人の目的は、 一言で言えば「自己満足」でしょう。
個人的な経験も踏まえると、この「自己満足」は「セルフブランディング」の欲求と強く結びついている、と感じています。

最近ではソーシャルメディアの普及も相まって、あるテーマや話題の中心(あるいは先端)にいる人物が容易に可視化されるようになりました。
そして、誰とつながるべきかがとても分かりやすくなっており、かつつながりたい人と容易にコンタクトをとれるようになってきています。
ある界隈の中心人物とつながることで、その界隈での自分の評価を押し上げるという効果を狙いやすい状況にある、と言うことです。

「あ、その人知ってるよ」「一度会ったことがある」

この事実が個人の内実をどれほど的確に表せるかというと疑問は当然ありますが、少なくともそう言えてしまうことで「顔が広い」とか「人脈がある」「そういう分野に関心がある」ということのアピール材料として使えます。

逆に言えば、自分の内実は棚に上げながらとりあえず人に会いまくれば、それだけでセルフブランディング(笑)になりえる、ということ。
会うことで何を学んだのか、相手からどう思われたのか、そんなことは無視してしまっても、「あの人に会った」ことを「自己満足」で終わらせることができるのです。

「あー、そういうやついるいる」と思っていただけると幸いです。
と同時に、僕自身そう見えていないか気をつけないといけないなと思います。自戒を込めて(死語)。

他所からメッキを拝借してしまう人たちのこと

「自分はこうしたい」というエゴが原点なのに、「地域の課題だから」「人々が求めていることだから」というすり替えが行われる。
どこか地に足の着かない印象を受けたら、まずここを疑うようにしていますが、結構当てはまっているように思います。

(中略)

中身は「こうしたい」だけなのに、社会の課題解決の話として体裁を整える。
個人的に、これは本当に止めて欲しい。
自分のエゴを社会貢献にすり替えるという態度がそもそも僕はキライだし、そうして求められていない「良さげなこと」が世に出ることで余計な不和が起こりえます。
主体の頭の中もすり替わっているので、きっと地域や現場を好き勝手にかき乱していることに気づくこともできません。

社会貢献をしたいのか、自分の思い通りにしたいのか、はっきりさせた方がいい

「セルフブランディング(笑)」な人たちって、二言目には「社会貢献したい」と胸を張る大学生と似ているな、と思います。
他所からの借り物だけでポジショニングを試みる姿勢は、見ていて気持ちが良くないのは確かです。

海士町に住んでいるといつも思わされることですが、

お前は本気なのか?

問われているのはたったこれだけなんじゃないかと思います。
この問いに答えられないがために借り物競争に走る。これはひどく滑稽に見えるかもしれません。

とはいえ、これも過渡期ならではの現象であり、仕方の無いことと捉えるべき、とも思います。

“○○がしたい”って簡単に言っちゃいけないんですね。

ワカモノの不安と大量生産・大量消費される価値観 | 秋田で幸せな暮らしを考える

 「やりたいことがない」と嘆く若者はたくさんいますし、それに対して批判的な声も多い。
ところが世の中は変わってきました。「」が注目されるようになって来たのです。
ここに「やりたいことがない」若者がたくさん飛びついた。僕は最近の”ブーム”をそんなふうに見ています。

これは間違いなく「良いこと」です。社会貢献にかかわる人が増えるわけですから。
しかし、単なる”ブーム”で終わらないかという不安もまたあります。
社会貢献は世の中的に「良いこと」とされています。この”世の中的に”が曲者です。
巷の若者の社会貢献への姿勢も、「メディアで話題になっているから」「みんな良いといっているから」という”みんな志向”と変わらないんじゃないか、そう思うときがあります。

とりあえずボランティアをやってみる。
「すごいね」「えらいね」とみんなが言ってくれる。
それで自分は正しい方向を向いていると安心できる。

内実を問われることに対する恐れが、メッキを他所から拝借する行為を生む
つまり、「自己防衛反応」と僕は捉えています。
なかなか根の深い問題だな、と感慨深くなる次第であります。

関連する記事