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「教育の仕事」に関わる難しさ:「誰のおかげか」問題

カテゴリ:自分事

それはいったい誰のおかげか?

今年も、あのシーズンがやってきております。

そう、「平方完成」のシーズンです。
高校1年生の数Ⅰにおける最初の山場です。

※島の高校は7月に文化祭がある影響で一時的に進度が遅れます。

毎年毎年2次関数のグラフの書き方と合わせて「平方完成」を教授していますが、
すぐに慣れてしまう生徒、なかなかコツをつかめない生徒、いろいろいます。
数学が比較的得意な生徒がつまずくこともあるので、なかなか侮れません。
とはいえ、訓練すれば必ず理解できる単元だと思っています。

重要な「平方完成」ですから、こちらも解説・演習に力を入れます。
生徒が質問に来たら、疑問点・つまずきの見極めに普段以上に気を配り、指導していきます。
そうして少しずつ「平方完成」を怖がらない生徒が増えていきます。

さて、生徒が「平方完成」を習得するとき、これは誰のおかげと考えるべきでしょうか?
学校の先生がご指導され、我々も指導し、生徒自身も演習し、同級生に教えてもらうこともある。
昨日教わったことの意味が、翌日の復習でようやく腑に落ちることもあるでしょう。
なにをきっかけに理解したのか、それは生徒本人にしかわかりません。
いや、生徒本人も自覚できていないことだってあるはずです。

「教育の仕事」の手ごたえとは

「教える」ということと「育つ」ということの間には、多くの変数(家族、友達、地域住民、教員…)が関わっています。
どの立場であれ、「教えられる側」の結果に対し、「自分のおかげだ」と胸を張れることがどれだけあるでしょうか。

「教育はやりがいのある仕事だ」と考える人は少なくないと思います。
しかし、自分自身の貢献度合いが測りにくいのもまた、教育の特徴ではないでしょうか。

「やりがいのある仕事がしたいから、教育に関わりたい」
そんな教員志望の学生さんがいたら、一人ひとりに聞いてみたい。
『教員のやりがいって、なんだと思いますか?』と。

自分のおかげかはわからないが、とにかく結果にコミットする。
自分のおかげかはわからないが、結果が出たことを喜ぶ。

一歩引いたスタンスを保てないと、生徒の努力すらも「自分の手柄」と喜びかねない。
そんなことを思いつつ、短い目と長い目の使い分けを日々学んでいるような気がします。

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