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問題提供者としてアクションラーニングを実践する

カテゴリ:自分事

先日、第4回のアクションラーニング勉強会を実施。
奇しくも(?)僕の来島5周年記念日だった。

メンバーはこんな感じ。

・男性(僕)、AL8回目
・男性、AL4回目
・女性、AL2回目
・女性、AL2回目
・女性、AL3回目

今回、僕は初めて「問題提供者」を経験した。
ALコーチはAL4回目の男性が担当。

たまにメタ的にALコーチ的な視点になるかもしれないが、
基本的には質問をされる側の立場から振り返りたい。
なお、当日は問題提供者として割と必死だったため、
発言の細部はかなり曖昧である。

セッション開始前まで

勉強会では都度集まるメンバーが変わるので、
まずはアイスブレイク的に期待値を共有しながら、
それぞれの問題をこの場に軽く出してみて、
この日のセッションでどれを取り扱うかを決める。

扱いたい問題に対してALコーチ以外の4名で投票。
結果、僕とAL2回目の女性の問題で2分された。

その女性が出した問題に対し、他の女性陣は
「私もそれめっちゃ気になる!」とコメント。
実は、僕はこの反応に危うさを感じたのだった。
そして、「僕の問題でいきましょう」とごり押しする。

なお、セッション後の振り返りにおいて、
僕の「まずは楽しんでほしい」という発言に対し、
僕から提供される問題はそこまで重要でない、
と判断してしまった、というコメントがあった。
この後の流れを見ると、実に示唆に富んでいる。

セッション開始~ALコーチの介入まで

僕が提供した問題はこんな感じ。

この勉強会は職場の異なる人たちで構成されており、
日程調整が難しい。どうしたらみんなに参加してもらえるか?

そこから質問が展開されていく。
なんとなく、表面を様々な角度から撫でてはいるものの、
深く入りこむようなチャレンジに乏しい。

「逆にみなさんはどうしたら参加しやすいですか?」
こちらから質問をしてみるが、「曜日固定がいい」という回答。
しかし、残念ながら僕だって検討済みの事項だ。
そのメリットがしばらく繰り返し語られるが、
「そうじゃない」というもやもやした気持ちが募る。

この辺りから、自分自身に違和感が生まれる。
セッションが終わった今、それを言語化すると、
「それでは僕のニーズが叶えられない」という感覚だった。
そもそも日程調整はみんなのニーズを満たす手段のはずが、
実は僕が達成したいニーズが強く織り込まれていたのだった。

もやもやが解消されないまま、少しの間が生まれ、
そこを見計らうようにALコーチの介入が入る。

介入~セッション終了まで

「このセッションはうまくいっているか」という
ALコーチからの問いに対しては、
「うまくいっているかわからない」
もう自分の中で答えが見えてしまっている」といった回答が。
僕は「深まっていない」という趣旨の回答をした気がする。

その後、ALコーチから投げかけられたのは
「現時点で言いたい意見があれば言ってください」。
質問と回答という形式に絞ったALにおいて、
ALコーチが意見を求めるのは教科書的にご法度。
そこで出た意見は、「曜日固定にすればいい」といった
介入前のやり取りから提案されていたものだった。

ALコーチの「暴走」と、今求めていない意見とで
僕のもやもやがいらいらとなり一気に言語化される。

「曜日固定にして連続して出られない人がでたら、
3月までにALコーチをやったり、この勉強会を
僕でない誰かが継続したりする余地が下がる。
モチベーションが高い人にちゃんと参加してもらい、
その人たちに育ってもらえるように調整できないと」

一斉に「あー!」という声が漏れた(気がした)。
僕の内なるニーズは(AL的には不本意な形で)
場に共有され、そこからの質問は割とスムーズに。

残り時間が不足し、中途半端なところで
問題の再定義に入ったが、質問者から出た再定義は
僕にとってそう違和感のあるものではなかった。

振り返り~前提を取り払うことの重要さ

自分たち自身がこの勉強会の当事者なので、
自分の意見が明確になり、考えにくかった

毎回4、5人でも集まっているというところから、
他と比べてこの勉強会はうまく行っていると感じ、
何が問題なのかよくわからなくなっていった

振り返りで出たこの発言は貴重な教訓を含んでいる。
なるほど、僕の話をあまり聞いてもらえないと感じたのは、
質問者が前提をもちやすい設定だったからか、と。

「当事者である勉強会」の「日程調整」という、
身近すぎる話題だったことが、問題解決を難しくした。
メンバーがそれぞれの前提を持ってしまうと、
質問は前提を強化するためのものになりやすく、
新鮮な質問が出ることがなくなる。
逆にこれまで「うまくいった」セッションについては、
個人が前提を持たなかったことが好影響だったようだ。

これはアクションラーニングのみならず、
問題解決(のための問題の発見)において、
とても重要な示唆のように思う。
紆余曲折あったものの、実に大きな学びを得られた。

問題提供者としての反省

僕自身の反省としては、冒頭に書いたように
「自分の問題が切実である」ということを
問題提供者としてきちんと伝えられなかった点だ。

「その人がなぜ困っているのか」が大切であり、
良質な問いはそこへの興味・関心から沸き起こる。
変に身構えず、ストレートに切実さを表現すべきだった。

アクションラーニングの意義を改めて

もう一つ、振り返りで出た意見を紹介する。

「ALにおける質問と回答という縛りは、
あくまでゲーム的な意義でやっているのか?」

これについて、僕ははっきりと「NO」と答えたい。
つまり、真に問題解決を進めていく上で、
質問と回答という形式は非常に有意義だと僕は思う。
しかし、僕がそう思っているだけで、まだ参加者には
その意義が伝わっていないとわかったことは収穫だ。

「質問」と「回答」という形式が依拠するのは、
問題が明確になっていない段階においては
「意見」が有効なケースは極めて少ない、という価値観だ。

実際、上述のやり取りを振り返っていただくと、
介入前のやり取りは「何が問題なのか」が暴かれる前に
「どうやったらいいのか」を扱う時間が長かった。
「What」が定まる前に「How」が主な話題となった結果、
本質に迫らない表面的なやり取りになったと言える。

自分の意見を言いたいという欲求を抑え、
相手が何を問題としているのかに関心を注ぐ。
そのためのツールとして「質問」があるのではないか。

もう一つ、「質問」をされることで
「自分で気づく」余地が残されていることも重要だ。
「気づく」ことが学びにつながりやすく、
自分で考えたということが腹落ちしやすいという点から、
仮に答えがわかっていても問うてみる意義なのだと思う。

そして内省する力が上がっていることに気づく

ここまで振り返ってみて、僕自身、
振り返ることから得るものが増えてきている印象を持った。
仮にセッションがうまくいかなかったとしても、
「問題解決」だけにフォーカスしないALという手法によって
何を学べるのかという視点が育っているように思う。

僕自身が感じているこの手ごたえを
もっと積極的にメンバーにシェアしていくことで、
この勉強会が自律的な場になるのではないか。

そういう意味で、何を学んできたかを
セッション前に共有する場を持つべきかもしれない。

 

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