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「きき方」を意識することで、どんな良いことがあるのかというお話

カテゴリ:自分事

」は調整できるもので、それによってふれられるものが変わってくる。実践を積み上げていく過程で僕の中で少しずつ確信が形成されていっているのだが、さて、なぜ僕はそのようにあえて「」を調整し、その調整の精度をより高めていこうというモチベーションを持っているのかを、改めて自分に問い直してみたのだった。

 

○僕が「きき方」を調整することで、どんな良いことに出会うことができたのか? そしてそれはなぜなのか?

・相手に対する驚き。「ああ、だからそういう考え方に至るのか」とか、「ああ、そういうふうにこの世界を見ているのか」とか、そういう驚き。自分以外の人が生きているということをまざまざと感じられることを改めて感じることができる。もしかしたら「どうせこういう話でしょ」という先回り思考と同じところに話は到達するかもしれないが(ほとんどそういう場面に出会ったことはないが)、それでも「驚きがある」というだけでも、きくことを調整する意味が僕にとってあると思う。

・自分自身の中で起こっているプロセスへの自覚。自分が感じていることがプロセスに影響を及ぼしているのかもしれないということへの自覚。一般的には良くないとされる怒りや不安、焦り、憤りといった感情を持っていたとしても、それを認めないでいるよりも、「こういうふうに感じているんだな」と自覚したほうが、状況はより好ましい方向に転がる、という感覚がある。それはやればやるほど、「そういうものなのだな」と思えてくる類のもの。

・成長実感、あるいは自分が望む方向へ向かっている感覚による喜び。自分にとって必要と考える技術やスタンスが身に付き、しかもそれは世の中にとっても必要であるという確信を持てているので、調整の実践の中でその精度が上がることはそういう意味ではやはり嬉しい。

・ファシリテーションへのつながり。きき手としてはなし手に影響を及ぼしている、という自覚は、場に対して自分の存在が何らかでも影響を及ぼしうるというところへの想像力につながっている。そのような「きく」ことの幅の広がりが、深めていくことへのモチベーションにますますつながっている。

・問題解決に対する新たな視点。問題はそのソリューションの精度の問題以上に、そもそもの問題定義の精度こそまず考えるべきである、という視点を持つことができている(これはアクションラーニングを勉強する中でだけど)。一人ひとり見ている世界が違う、という認識によって、一人ひとり問題の見え方は異なること、お互いの立脚点を机上に出さない限りは延々と争うだけになることが見えてきて、かつ多様な視点がありながらお互いの盲点が明らかになり、真なる問題が見えた瞬間の驚きのある感動があることを知れた。

・(重複するが)自分と他人は異なる人間である、ということを単なる知識としてでないカタチで体現する術を知ることができた。そうすることで相手に対するイライラも「自分の想い通りにならないからイライラするが、しかし他人は自分と同じでないからしょうがない」といった切り替えに多少でもつながるようになっているし、余計な期待はしないようになっているし、逆に期待があるのであれば明示的に伝える必要がある、という意識につながっている。

 

これを踏まえながら、僕が考える「きく」というプロセスについて、参考文献も明らかにしつつ整理できたらいいなあと思う。

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