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過去を否定して成り立った人生のストーリーを前向きにとらえるならば

カテゴリ:自分事

子どもと遊ぶと自分の記憶が疑わしいものになるという話

新年早々暗く落ちていく記事を書いたが、どこかで「とにかく文章を書くなら最後はポジティブに抜けなさい」ということを教わったことを思い出したのだった。

過去を相対的に低く見ることで、僕は基本的に未来を楽観視できるようになったし、自分自身が少しずつでも右肩上がりに成長しようとすればできる、と捉えられるようになっている。だから、あえて言えばいつでも今ここにいる最新の自分が最も良い、と思えている。もちろん、全方位的に良いなんてことはなくて、日々積み重なっていく後悔の幾らかでも反省に転換して生き永らえているような感じ。だから、先日も書いた通り、全面的に悪いことばかりではないし、むしろ今の自分にとってはプラスに働いている部分が多い。

もう一つ、書きながら気づいたのだけど、過去が「不幸」だった、とはとらえていない。自分のことは嫌いだったが、自分だけが恵まれていない、とは思っていなかった。むしろ見方を変えればきっと恵まれた環境と思えるはずなのに、それを生かしきれない自分が嫌だった。記憶の中では、子どもの頃は周囲に感謝することなんて本当になかったことになっているので、それはあくまで大人になってからの印象なのかもしれないけれど。周りはノーマルで、自分だけがおかしい。そんな感じ(それは今でも思うところ)。

そう、だから、環境をきちんと生かし切れる自分になりたい、という思いが(これまで自覚したことなんてなかったが)どこかにあるかもしれず、だからこそ、バッターボックスに立つときには最低でも空振り三振で終わろう、というささやかな向上心につながっているのかもしれない。あるいは、周囲に感謝できる真人間になりたい、という想い、とか。

確かに、そういう「まともな感覚」「望ましい感性」を持ちたい、という気持ちは、今でもある。基本的に常識がなくて、作法(あるいは社交辞令)としてすべきことと、シチュエーションがもたらす感情に基づいて「普通ならこうするだろう」ということとの区別ができず、どうしたらいいか考えるほどに僕の脳味噌はますます混乱し、最後には判断力を失う。だから、「みんなが当たり前に思うこと」「シチュエーションに応じて当然すべき言動」を身に付けたい、という焦りがある(たとえば冠婚葬祭でのマナーについても「なんでみんな当たり前にそんな振る舞いができるの?どこで習ったの?」と心から本気で不思議に思っている)。

そうそう、だから、初めてやることは何でも大抵怖い。例えば、知らない飲食店に入って、何を注文すべきかを悩む。オーダーのタイミングに悩む。出された料理の食べ方に戸惑う。ある程度精神的に余裕があるときは自由気ままに振る舞えるけれど、油断して社交性のスイッチをオフにしていると、途端に混乱が始まる。

こう書くと社会不適合者そのものずばりなんだけど、実際、右肩上がりの成長の歴史の中で「人間社会への適応」という課題はだいぶ大きな割合を占めている、という印象。何事にもMPを消耗してしまうので、HPがあっても動けなくなる。

一方で、先に書いた通り「心の赴くままに振る舞いたい」という気持ちもまたある。たぶん、根っこはここになって、でもそうして振る舞える自由を身に付けるためにも、世間一般の常識というものをおさえて、なるべくコンフリクトを起こさないようにしたい、という意図があるのだと思う(記憶の中の僕はコンフリクトで消耗しきっていた)。

ざーっと書いてみたが、結局のところ、モチベーションの源泉は、「自由気ままに生きたい」なのだ。でも、いや、だからこそ、そのために、無駄な摩擦は避けたい。「自由気ままに生き」るために必要に応じて摩擦を恐れずにチャレンジするべき場面までMPを温存したい。そんな感じなのだろうか。

そう考えると、これまでの人生は、MPの温存の方法の習得と、MPの使いどころで勇気を発揮する訓練によって、右肩上がりになっているという自己認識がつくられてきた、のかもしれない。

 

甥っ子は自由気ままそのものだけれど、MPを消耗している印象が全くない。MPを使うような摩擦がないのか、あるいはMPが無限に湧いて来るのか。いずれにせよ、羨ましく思いつつ、僕自身が30歳になるまでに培おうとしてきたものと逆行する彼の振る舞いは、だから、僕の目には戸惑いをもたらすものとして映ったのかもしれない。ある意味、あれを反面教師にしてきたのがこれまでの人生だったのだけれど、一方で、それは、ヒントをもたらすものでもあるかもしれない。

結論めいたものにはたどり着けなかったが、なんとなく、ポジティブ方向への風穴が開いた感じがするので、この辺で終わりにしたい。

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