幸せな暮らしのための「楽しさ」の質について
カテゴリ:自分事 2013/08/23
さまざまな「楽しさ」
「楽しい」ことは僕にとって生活の潤いです。
仕事が「楽しい」。食事が「楽しい」。日々の暮らしが「楽しい」。友達といる時間が「楽しい」。
生徒が伸びる瞬間が「楽しい」。海遊びをして昼寝をしてから仕事を始めるのが「楽しい」。
いろんなことを「楽しい」の一言でくくっていますが、もちろん「楽しい」の質は異なるもの。
これまでは「楽しい」を大きく二つに区別していました。
・長く続くもの、これからにつながるもの
・その瞬間のもの、一時的なもの
前者をより大事に、後者はそれなりに。
それくらいの配分が大切だなんて思っていました。
「楽しい」の優劣
最近、「区別する必要が果たしてあるのかな」と感じる場面が増えています。
みんなとばか騒ぎした夜が明けたとしたら、後には何も残らないかもしれない。
それでも、次につながらないようなことの意義は小さい、と断言できるだろうか、と。
結局のところ、「楽しい」と思えるのは、「いま・ここ」が充実しているということ。
「いま・ここ」を充実させることが将来の充実のために僕ができる唯一のことなのです。
そう考えると、そのとき・その場にいた人たちとの時間を大切にすることと、
将来に向けて自らを磨くために時間を投資することとは、優劣のつけようがない。
いずれも「いま・ここ」の充実を図る活動に他ならないのだから。
「こんなことやってて将来は大丈夫なのだろうか」と思うことがあれば、
それはすでに「楽しい」ことではないのです。飽和した「楽しさ」と言うべきでしょうか。
「楽しい」と思えるということ。
その状態をつくり続けられれば、幸せな暮らしも夢のような話ではないな、とかすかな手ごたえを感じています。