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地域のアイデンティティを問うことの可能性-地域のこれからを考えるために

カテゴリ:自分事

21世紀に地域の歴史を振り返るということ

先日のエントリーでは地元・神宮寺の歴史について触りの部分をまとめてみました。

そもそものモチベーションは、僕自身が地元のことをろくに知らなかった点にあります。
この世に生を受けてからの18年間を神宮寺で過ごし、それなのに僕が地元について知っているのはほんのわずかばかり。

神宮寺という地にどのように人が集い、自然と関わりながら暮らしをつくりあげ、歴史を積み重ねていったのか。

蓄積された人の営みと時間とを基礎として神宮寺という町は存在しています。
神宮寺という町が今、あの場所に存在するということそれ自体に、長い時間をかけて醸成されてきた意味がある、そう思うのです。

地域を20世紀の指標で評価する限界

一方で、現在の神宮寺を見つめるだけでは地域のアイデンティティに迫りきれないという事情もあります。
今一般的に地域を評価する基準と言うのは、観光地や特産品だったり、何らかの話題性があったり、コンビニがあるとか利便性の問題だったり。
残念ながら、既存の視点では(他の多くの田舎がそうであるように)神宮寺は必ずしも良い評価を得ることはできないでしょう。
地域の歴史もまた評価の対象となりえますが、それは観光客向けに分かりやすくまとめられているなど、表にでているものに限られます。
(僕も、先日のエントリーをまとめながらようやく神宮寺という地域に刻まれた歴史に触れられた感があります)

神宮寺をはじめ、日本の地方・地域を見つめなおす作業を進める際に立ちはだかるのが、この評価基準ではないでしょうか。
経済性を重視することは今にはじまったことではないですが、地域資源の有無といった目に見える指標が支配的になったのは、20世紀に入ってからではないかと感じます。
実際、日本の多くの田舎に住む人たちは「おらほの町には何もない」と嘆いています。
そこに町が存在するということは、それだけで歴史の蓄積の賜物であるはずなのに。

経済合理性の名の下に役割を強いられた20世紀の地方

20世紀、地域はそれまで培ってきたアイデンティティによってではなく、経済的機能のみによって役割分担を強いられてきたと思います。

それによって地方は都市への人材や資源の供給源としての機能が強化されました。
一定期間そのシステムは順調に回っていましたが、現在は限界を迎えつつあり、都市/地方の格差が問題化するようになった、というのが多くの人の共通認識としてあります。

20世紀のシステムの限界を克服し、21世紀以降のあるべき姿を描くことが今まさに要求されていることです。
しかしながら現在中心的な位置を占める「」の文脈は、都市/地方の対比から、つまり20世紀になってこしらえられた評価基準から、脱却できずにいるように見受けられます。

歴史の蓄積すらも単純な経済性で評価した20世紀のあり方は、これ以上日本の地方を幸せにする方向へ作用することはないでしょう。
ましてや、その指標を用いてこれからの地域のあり方を考える自体、無理があると言わざるを得ません。

「じゃあ、どうすればあるべき姿を描けるの?」
僕は、事を急ぐ前に、もう少しこの問いに向き合う時間が欲しい。

地域の流れ着いた姿に、そのアイデンティティを問う

先ほど、「現在の神宮寺を見つめるだけでは地域のアイデンティティに迫りきれない」と書きました。
今僕らの目の前にあるものの多くは20世紀(あるいは21世紀初頭)に秩序なく半ば機械的につくられたものであり、評価に値しなかった地方の負の遺産がどうしても鼻につきます。

ネガティブな情報に捉われず、これからの地域のあり方を問うために、どのような可能性があるでしょうか。

一つは、僕が先日のエントリーで示したように、時間とともに醸成された地域のアイデンティティを掘り起こすという作業です。

僕の地元・神宮寺はある日突然町として機能するようになったわけではもちろんありません。
仙北平野への入り口に位置したこと、保呂羽山への通過点となっていたこと、雄物川と玉川の合流地点であること、そこに神宮寺嶽があったこと。
神宮寺が、今あの場所にあるということの必然は、これでもまだ語りつくせないでしょう。

人が根付き、信仰が生まれ、暮らしを営み、町がつくられる。
歴史の堆積に委ねられ形作られたものは、目には見えずとも、町のアイデンティティとして埋め込まれているのではないでしょうか。

ちょうど川の流れによって少しずつ川原の石が丸く削られていくように、町も時間の流れによって”自然に”その土地に合った形を持つようになったとしたら。
積み重ねられた時間を無視してきた20世紀以前の町の歴史を振り返ることで、その土地にぴったりとフィットする、地域のあるべき姿のヒントを見出すことができるのではないでしょうか。

そんなささやかな可能性にわくわくしている、今日この頃です。

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