自分の子どもの死体を遺棄できる心境を思う

カテゴリ:自分事


2幼児死体遺棄:室内に放置 23歳の母親逮捕 大阪

僕はテレビも見ないし新聞も読まないが、会社ではiGoogleをホームにしているので、このニュースはすぐ知ることができた。

第一報は、「腐敗した二児の遺体が発見された」。
まだ、母親は逮捕されていなかった。

嫌な予感がした。
また、世間は母親を殺意ともとれる勢いで非難するだろう。

僕が帰宅する前に、母親は逮捕された。
予想通りの展開だった。

帰宅して、mixiを開いてみた。
案の定、ニュースには大量の日記がくっついている。
深夜0:00付近で1000件近い日記がすでに書かれていた。
大久保コーチの暴行事件のニュースなんて、130件かそこらだ。

でも、この日記の件数が表しているのは、「注目度の高さ」じゃない。
「善悪の分かりやすさ」だ、と僕は思っている。

もっと言うと、「叩きやすさ」だ。
事実上の殺人者である母親を散々叩いても、世間は否定しない。むしろ便乗してくれる。
「命を大切にしろ!」「お前みたいなヤツは母親になるな!」「そうだそうだ!」

生命の尊さを知らず、子どもを見殺しにする、最低な親。
誰が見ても「悪」にしか見えない、ということらしい。
最近はもう少し叩く側のリテラシーも上がり、 「周りはどうして気付けなかった?」 「児童相談所は何回も訪問していたんじゃないのか?」 と、矛先を変えている人もいる。

正直に思ったのは、どうやったらこの事態を止められたのか、僕が何かを口にするには、あまりに情報が少ない、ということだ。
今回に限らず、いつもそう思う。

僕が慎重すぎるからだろうけど、世間の人は慎重さがあまりに欠けているように思える。
想像すればするほど、自分が未だかつて至ったことがない境地を目の当たりにすると思うのだが。

ニュースから分かることを「事実」として、とりあえず並べてみる。

・家族構成は、母親(23)、長女(3)、長男(1年9ヶ月)。母親は、2009年5月に夫と離婚。
・母親は、2010年1月から、風俗店で働き出す。
・母親は、2010年6月下旬より前、まだ生きている二人の子どもを残して友人宅を転々とし、 同月下旬に帰宅して死亡した二人の子どもを発見、すぐに部屋をでる。
・隣人からの異臭や泣き声の苦情が管理会社に相次いでいた。
・虐待を疑う通報が2010年3月30日~5月18日に、計3回あった。児童相談所はその事実を確認できず、子どもの安否も確認しなかった。

子ども二人を抱えながら、風俗店で働くことの心境を、僕はイメージできない。
たぶん、母親は大学を出ていない。離婚する前は、職にもついていなかったかもしれない。
働いて一人で生きていくだけの能力を持ちえていただろうか。

離婚し、子ども二人が手元に残る。
大学を出るか出ないかという年齢で、当時なら2歳の女の子と7ヶ月くらいの男の子を育てる。
僕が、万が一こんな状況になってしまったら、どうするか。
僕は稼がなければならない。これはどうしようもない。
でも、こんなにも小さい子どもを家に置いていくなんてできない。

家族か、もしかしたら友人を頼るかもしれない。
でも、この母親は頼らなかったのかもしれない。
風俗店に勤め始めてから住み始めたマンションだ。隣人に知り合いはいない。

転々とする友人宅はあったのだ。彼女は頼れる人がいたと考えてもいい。
でも、事実はこんな具合だ。頼れなかったのか、頼らなかったのか。
頼り方がわからなかったんじゃないか。
何となく、僕はそう思う。

子どもを養うために、風俗店に勤める。
なぜそうしなければならなかったのだろう。
誰かがそれを止められたんじゃないか。
若いときはいいかもしれない。年をとったら?それでも風俗で働き続けることができる?

親は?母親の両親は何をしていたのか? なぜ一緒に暮らさなかったのか?
まさか、結婚を境に断絶だなんて、分かりやすい展開じゃないよね。

夫は?仕送りはあったのか?
別れてから、子どもの様子を心配したことが一度でもあるのか?
だめだ、ヤンキーの兄ちゃんの顔をつい思い浮かべてしまう。

ああ、今気付いたけど、母親の名字と、子どもの名字が、違うね。

母親は、どうして子どもをほっておこうと、決意したんだろう。
どのような心の動きが、そうさせたんだろう。

彼女に倫理観はあったんだろうか。
生命の尊さが分かっていたのだろうか。
子どもに憎しみがあったのだろうか。
元夫に憎しみがあったのだろうか。
母親自身を産んだ親に、憎しみがあったのだろうか。
自分自身に、憎しみがあったのだろうか。

育児に疲れたのだろうか。
風俗という仕事に疲れたのだろうか。
今の生活そのものに疲れたのだろうか。
将来が見えないことに疲れたのだろうか。

単に、子どもを殺したかったのか?
産んだときから、子どもは邪魔だったのか?

どんな心の闇が、母親の中に住み着いていたのか。
どんな気持ちで、「育児が嫌になった」と言ったんだろう。

このニュースを見ていると、 「女子高生が学校のトイレで出産し、そのまま子どもを流した」 という、それはそれは衝撃的な事件を思い出す。
どういう気持ちで子どもを産んでしまったんだろう。
「処置に困った」 そう彼女は供述し、水を流した。

彼女は命の大切さを知らなかったのか?道徳感が欠落していたのか?
もしかしたら、本当に「困った」のかもしれない。 誰も助けてくれない。誰に言えばいいか分からない。
出産がばれたら親に怒られる。先生に怒られる。友達に見放される…。 と思っていたのかなあ、と、容易に想像できる。

あくまで、想像。話がそれた。

「隣人が悪い」「児童相談所が悪い」 って日記に書いた人は、電車の中で子どもに怒鳴っているお母さんを制止したことがあるのかな。
Twitterやmixiボイスで「ああいう親最悪だよね」って流して終わりにしていないよね。まさかね。

「日本社会のコミュニティが崩壊している」 って言う人もいる。
確かに、母親には”社会資本”が不足している印象は受ける。
でも、よくわからないけど、「23歳でバツイチで子ども二人いて風俗店に勤めている」人を すんなり受け入れてくれるコミュニティが、あるだろうか。

少なくとも、僕の地元では無理だと思う。
「多様性」なんて言葉も知らないし、「世間体社会」だもの。
友人とか、元同級生とか、そういうつながりが前提にないと、 コミュニティに所属しても、「参加」は難しいかもしれない。

そもそも、(結果的に)誰にも頼らず子どもを見捨ててしまうような母親だ。
自分からコミュニティに参加する術を知らないんじゃないか。
社会性が欠如しているかもしれない。空気が読めないかもしれない。
そんな人を歓迎してくれるコミュニティが日本にあります!と、僕は胸を張って言えない。

NPOとか、そういう人たちと出会えれば良かったのかも。
でも、恐らくこの母親みたいに(コミュニケーションを含め)リテラシーが低い人が NPOに頼る、という選択肢を自分で見つけることに懸けるには、可能性が薄い。

そうやって頭を巡らしていると、ついついこう結論付けたくなる。

彼女は「詰んでいた」。

日本社会というゲームの中で、レベル上げが足りないままダンジョンの奥深くへ入ってしまった。

長々と書いたが、結局これは僕の想像だ。
そして、実はこの想像が外れることを最も強く願っているのは、僕だ。

そんな深い悲しみ、深い闇が現実にあるとは、できれば思いたくない。
母親は極悪で、命の大切さも知らず、身勝手な行動に出た。
反省の様子はなく、心の底から飄々としている。
腐敗した子どもの死体を見てなお、友達の家を転々として、 「うちの子どもはもう死んじゃったから気が楽なの、うふふ(笑)」 なんて言って気にも留めず、当たり前に飯を食い、当たり前に接客をする。

そんなディズニーみたいな、勧善懲悪で済む話であれば、まだ、日本は平和だと思う。


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秋田の少子高齢化の考え方を考えてみる(2)

カテゴリ:世の中の事


ずいぶん前に、「秋田の少子高齢化の考え方を考えてみる(1)」という記事を書きました。
記事を書いているうちに少子高齢化についてもう少し整理したい、という気が湧いてきてしまい、 それから色々と本を読んだり、統計を見たりしましたが、一向にまとまる気配なし。

少子高齢化の考えうる要因(未整理)

まずは大前提として、少子高齢化の構造は、「少子化」と「高齢化」が同時に起こる状況を言います。
どちらも人口に対する子ども及び高齢者の割合の話。
この二つの現象を明確に分けることは難しいかもしれませんが、 「少子高齢化」の原因を考えるのであれば、まずは 「高齢者(の割合)が増える理由」と「子ども(の割合)が減る理由」 の二つを考えればよいはず。

高齢化が起こる理由は、ある世代の平均寿命が伸びたこととその次の世代が相対的に減ること。
平均寿命が伸びるのは、「医療の普及」と「生活水準の向上」で説明できる気がするけれど、どうなんでしょうか。

「少子化」の問題については、以下の説明が主だったものになります。
子どもが減る理由は「子どもを生める人(夫婦)が減る」「生める人辺りの生む数が減る」の2パターン。

子ども一人当たりにかかるお金が高くなって、夫婦一組当たりの子どもの数が減っている

デジタルディバイドという言葉もありますが、付加価値を提供できる知的労働者と単純労働者の賃金の格差が拡大し、 「高学歴=高収入」の構図が生まれたため、親は子どもをいい大学に行かせようと熱心になります。
小学校から私立に通わせたり、塾や家庭教師を利用するなど、子ども一人当たりの教育費の負担(感)が重くなるわけです。
負担(感)が増したから、子どもをそんなに養えなくなり、結果子どもを生まなくなってしまった。
以上で「成熟社会は少子高齢化になる」という主張を説明できる気もしますが・・・。

女性の社会地位向上により、自立し、結婚を選ばない女性が増えている

上は夫婦一組当たりの出生数の減少についての説明。こちらは、未婚者数の増加について。

晩婚化により、子どもを生める時期が短くなっている

晩婚化の原因も色々ですが、やはり子どもにかかるお金が高い→社会的に安定する 20代後半~30代で結婚、というスタイルが一般化した、という説明がしっくりきそうですね。
他にも何か理由があるのでしょうか?

社会生活を営むための最低限のコストが高くなった
一人当たりのコストが高くなれば、そりゃあ人が増える方向にはなかなかいかなくなるよね、と。
避妊も定着しているのだから、出生率をコントロールするようになるはず。

成熟社会における少子化の原因って、きっとこれくらいでいいんじゃないでしょうか。
秋田の少子高齢化の構造となると、都市と地方の関係含め、もう少し深く入る必要がありそうです。

秋田の少子化の原因についてざっとリストにする前に、先に言っておかないといけないのは、 様々な要因がある中で何がクリティカルなのかを紐解くことが最も重要だ、ということ。
今の秋田の少子化対策はパッチワーク的に減ったから増やす、と言っているようにしか見えない。
減っているのは分かるけど、その原因は夫婦数なのか、結婚率なのか、出生率なのか、 子どもの死亡率なのか、はたまた県外に流出する若者の数なのか。
今は結論を出すにはあまりに情報が乏しい現状ではありますが、 時間があればぜひ取り組んでみたい課題です。

個人的には、絶対数そのものよりも、「比率」の推移に注目したい。
減少あるいは増加の変化がそれまでの推移とは異なる傾向を見せるのなら、 そこに何か発見があるはず。
とはいったものの、なかなか時間はとれないのですが・・・。

※2011/01/12追記

秋田は「婚姻率が全国で最も低い県」であることからも、 少子化の原因は以下にまとめることができるのではないかと考えます。

○子どもを育てるコストが増した

これはさらに二つの要素に分けられます。

・教育レベルが上がり、子どもにかかる教育費が増した。
・生活コストの増加により、生活における仕事の重要性が増し、相対的に家庭に割ける時間が減った (=時間当たりの家庭にかかるコストが増した)

さらに「経済環境の悪化(定常化)」が拍車をかけています。
それによってますます子どもには良い教育を施す必要が生じ、 また自身の雇用を確保するという意味で生活の中での仕事の重みが増したと考えられます。

○そもそも若い人が少ない

婚姻率が低いことも同様の原因と考えられるでしょう。
ちなみに婚姻率は総人口に対する婚姻届出数の割合で算出されます。
つまり、結婚適齢期の人口が少なければ当然婚姻率も下がるのです。
大人しい県民性が災いしている、というのは他県と比較していないからなんとも言えません。 (感覚的には否定できないが…)

上記について、例えば他の国では男女が育児に参加できるような施策をとる、 婚外子に寛容な政策を実施する、といったことで出生率を上げているようです。
生活コストが増す中、共働きはすでに必然になりつつあるのだから、 国や自治体としても共働きを支える体制を整えることで婚姻率も上がるのではないでしょうか。
具体的には有給休暇消化率の向上、育児休暇の拡大、男性の育児参加率向上、 ワークシェアリングなど柔軟な雇用形態の拡大など。

若い人が少ないことへの対策としては、Aターンの促進か流出阻止しかないでしょう。
よく言われるのは「移民の受け入れ」ですが、それよりも県外流出阻止がまず第一かなと。
あるいは、少し長期的に見て、30~40代になって県外から戻ってくるような仕組みづくりを目指してもいいでしょうね。
後者の方がより現実的な考え方だと思います。

婚姻率では「大人しい県民性」にばかり注目が行くが、これはどちらかというと個人の問題。
行政が取り組むべきは、社会構造の欠陥を発見し、それを修正することでしょう。
秋田県は必死で婚活イベントに取り組んでいるが、機会や場が足りないという声は大きいし、 誰かが担わなきゃいけないところなら「無駄だ」とは言えません。
後はやり方の問題となりますね。


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秋田の少子高齢化の考え方を考えてみる(1)

カテゴリ:世の中の事


先日、Twitter上で少子化について盛り上がりました。

きっかけとなったのは、「脱少子化ウェーブを巻き起こす行動県民会議」の話題。 秋田の課題である少子化の認識を共有し、県全体で子どもを増やそう、という位置づけ。
僕がまず知りたいと思ったのは、なぜ少子化が解決すべき課題なのか
すべてのスタートはそこから。まずは秋田県としてのスタンスを知りたいと。

WEB上で拾える秋田の少子化対策に関する資料を幾つか見ましたが、対策の内容が書いているばかりで、 なぜ少子化が解決すべき問題なのか、その説明がどうも見当たりませんでした。
数字だけ見れば、確かに少子高齢化の傾向が見られます。それはもうまざまざと。

秋田で生まれる子どもの数は一年で8000人を切った。昨年は、県の人口が何十年かぶりに110万人を下回った。
高齢者の割合は全国トップの水準であり、各世代のバランスが非常に歪になっている。
このままでは将来膨れ上がると予想される医療・介護にかかるコストを支えることができない。

「よって少子化は課題であり、子どもを増やす対策が必要だ」という結論に至った経緯が知りたいんですよね。

少子化に対する幾つかの観点

そもそもの話。少子化だから増やす、というのは唯一解ではない、ということ。
子どもが減っているからこそ一人当たりの教育費を上げ、教育県として生き残りをかける」でもいい。
総力を挙げて教育に力を注ぎ、「郷土を愛し、問題解決力を持つ人材を育む」という選択肢もないことはない。
また、少子化は成熟社会の要請である、という見方もあります。
実際、先進国と呼ばれる国はどこでも少子高齢化の傾向があり、日本も例外ではありません。
東京も若者が多いと思われがちですが、単に絶対数が多いだけで、少子高齢化の傾向は明らかに見られます。 (ソースすぐ出せないのが悔しい。プレゼンで出されたデータなので)
つまり、少子高齢化は当然の流れであり、現代社会の構造がすでに古い、という見方もできるのです。
そうなると、子どもを増やそうとするのは時代を逆行することであり、 むしろ少子高齢化にフィットする、適切な規模の社会への移行こそが21世紀に求められているかもしれません。

なぜ秋田県は「脱少子化」の道を選んだのか。

もしもビジョンがないのであれば、これは事業として欠陥があります。
脱少子化ウェーブを巻き起こす行動県民会議」が認識を共有する位置づけだったとすれば、 本当に秋田の少子化に対する問題意識とゴールの共有がこの場でできていたか、疑問が残ります。少なくとも、そのビジョンを第一に示すべきではないでしょうか。

また、注目すべき懸念点がもう一つあります。
それは、上述の会議が行われる以前から、すでに秋田は少子化対策に乗り出していた、という事実です。
他ならぬ「脱少子化ウェーブを巻き起こす行動県民会議」の出席者の方からの指摘でした。
過去に成果を上げられなかった反省として、その方向性自体が検討されることはなかったのでしょうか。

僕はまだ県の少子化対策の歴史について明るくはないのですが、今後じっくりと調べてみたいと思います。
一時期は「子育て税」なるものの導入まで検討されていたらしいのですが、その話題すら知らなかったので。
ちょっとググってみると、5年前には「あきたわか杉夢っ子プラン」なるものがあったそうな。

随分長々と書いてしまいました。これはまだ自分の中では議論の始まりに過ぎません。
個人的には、少子化対策を考える前に、なぜ少子化が起こるのか、をきちんと整理したいと思っています。

上の方で「少子化は社会の要請」と書いたけれど、もしかしたら少子化自体が”歪み”の結果かもしれない。
であれば、少子化は解決されるべきである、とようやく主張することができるようになるし、 その”歪み”に対して問題解決していけば事態は好転する、とスタート地点を定めることができます。
すでに少子化については議論されつくしているのではないかと言う気もしますが、 まずは既存の議論を追いつつも、”観察”を適切にはさんでいきたいな、と考えています。

続きはこちら⇒秋田の少子高齢化の考え方を考えてみる(2)


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