結婚支援事業の出会いのデザインを考えてみる

カテゴリ:世の中の事

こんなニュースがあったので。

spocom news:9月3日に1000人対1000人の巨大合コン開催

東日本大震災:福島市で2000人合コン 17日に – 毎日jp(毎日新聞)

2000人合コンは、実質的な出会いの効果うんぬんを超えて、勢いのある面白さがあると思います。

秋田は少子高齢化率がそろそろ全国トップになるという状況。
県を挙げて結婚支援事業に乗り出していますが、効果的な出会いの支援ってなんだろうと考えてみると、
意外と企画のチャンスはあるなあと思ってしまいました。

ポイント

豊田さん(@sarugo_ama)と軽くブレストしたんですが、
それも受けて僕としては以下の3点がポイントだと思っています。
(※合コン批判っぽくなってしまいますが)

1.限定させる
2.活躍させる
3.共有させる

1.限定させる

そんなに難しい話ではありません。
基本的に人間は自分が所属・参加するコミュニティ内でパートナーを探すものです。
学校や職場、バイト先でパートナーを見つけた人が多いのも、まあ当然です。

ところが合コンというものは基本的に単発なので、「次もあるし…」と気持ちをリセットすることが容易です。
目移りさせず、まずはそのコミュニティの中で交流を重ねながら良い人とめぐり合う。
そういう場のデザインをすることで、カップル成立だけでなく、交友関係を広げ、次の出会いにつなげるという 効果を狙うこともできるでしょう。

2.活躍させる

合コンでパートナーを見つけられるのは、どんな人でしょうか。
シンプルに考えれば、会話や場の盛り上げなど、いわゆるコミュニケーション能力に長けている人でしょう。

一般的な合コンは、基本的に一部の人しか活躍できません。
飲んで食べてしゃべるだけですから、そんなに多くの役割が発生することもありません。

例えばBBQだと「調理する」「重いものを運ぶ」「トークする」「火を起こす」「ゲームする」など、
複数の役割を分担することができます。それだけ活躍の場がある、ということです。

農家の独身男性を婚活させたいなら、彼らのフィールドである農作業主体で企画を立てる、というのは無難ながら手堅い発想ではないでしょうか。

3.共有させる

学校の文化祭って、カップルが生まれるイメージ、あります。
目的や時間、空間を共有しているから、というのがその理由ではないでしょうか。

学園祭を前に進めるためには、とにかく一緒に作業をする必要があります。
それによって、会話せざるを得ない状況が生まれます。

目的や価値観が共有されている場は、それだけで双方にスクリーニング効果があります。
「勉強会」という場は、その勉強会のテーマに興味があり、かつそれを学ぶことで自分を高めたい、という人の集まりです。
ある程度価値観が一緒で共通の話題があるので、会話も成立しやすいのはある意味当たり前です。

いくつかの課題

現状、既に結婚支援事業を実施しているところから課題がちらほらとあがっています。
それらにも目を向けてみましょう。

結婚支援事業の参考事例・現地ヒアリング調査について(PDF)

例えばこの資料で挙げられている課題は以下のようなものがあります。

・地元男性の募集に苦労した。
・主催者が信頼を得ることが必要。行政が手がければ安心・信頼という人も多い。
・男女の結婚に求める条件差がある。専業主婦志向の女性もいる。
・男性(特に団塊ジュニア世代)のコミュニケーション能力を高める必要がある。
・カップリングはできたものの、結婚までのフォローができれば。

それぞれについて見てみましょう。

・地元男性の募集に苦労した。
・男女の結婚に求める条件差がある。専業主婦志向の女性もいる。
・主催者が信頼を得ることが必要。行政が手がければ安心・信頼という人も多い。

これらは「婚活(出会い)イベントと銘打たない」ことが一つの解決策となるでしょう。

婚活と言われてしまうと、気後れする男性は多いはずです。
特に地方では「あいつ、婚活イベントに出てたぜ」と後ろ指を指されかねません。

女性も女性で「婚活イベント」に参加するとなると、出会いだけが目的になりかねません。
会う人会う人みな「結婚相手にふさわしいか」だけで判断してしまうことになります。
結婚したこともないのに「理想の結婚相手像」が先行しすぎるというのもどうかな、と思いますが、
まずは交流してみること、そしてその縁から交友関係を広げること、それが自然と可能な場である方が後々にメリットがあるはずです。
(あえて太字にしたところは、なんとなく就職活動の問題と似ていますね。)

また、「婚活イベント」と銘打たず、参加費もそこまで必要としない企画であれば、そもそも「信頼感、安心感」が問われることはありません。
「婚活」というデリケートな問題にそこまで触れることなく、出会いの場をデザインしてあげるとよいのかな、と思います。

・男性(特に団塊ジュニア世代)のコミュニケーション能力を高める必要がある。

世代を問わず、男性のコミュニケーション能力が問われる時代となってしまいました。
「草食系男子」なんて言葉はまさにそれですね。

コミュニケーション能力を高めることが求められるのは、既存の結婚支援事業がそれだけコミュニケーションを求められる場になっている、ということです。
そうすると、先にも書きましたが、「活躍の場、共有の場をつくる」 ことでそもそもコミュニケーションのハードルを下げるというのも一手でしょう。
「男性のコミュニケーション能力が落ちている」というより、「コミュニケーション能力が昔より求められている」という立場にたてば、婚活イベントのデザインはまだ検討の余地があるはずです。

・カップリングはできたものの、結婚までのフォローができれば。

これについては「そもそも支援者が結婚までのフォローをすべきか」という点を検討する必要があるでしょうが、今はとりあえずそこを無視して考えてみます。

フォローを行うためには、その場でイベントが完結するのは避けたいところです。
長期的なフォローが自然に可能な企画設計、つまりは一回きりではなく継続的に実施されるようなイベントに仕立て上げることで、その問題はクリアできます。
その場合、「合コン」や「出会い」よりも参加者が主体的にかかわれる「勉強会」や「ボランティア」、「イベント運営」などを軸にすることで、参加者が長期的にかかわりあえる理由をつくれると思います。

逆に、開き直って「出会いから結婚までフォローします」と銘打ち、専門家をコーディネーターとして継続的にフォローができる体制づくりをするのもありでしょう。
体制が万全であるほど尻込みする人は多いと思いますが、それでもこの企画に参加したい!というくらい強い意欲を持っていれば、コーディネーターと二人三脚で結婚までこぎつけるのもそう難しくはないだろうな、と想像できます。
(実際は親なんかが強制的に参加させるものの、本人はやる気なし、なんてケースもあるでしょうが)

まとめ

以上をまとめると、僕ならこんな感じの企画を立てると思います。

・「勉強会」「ボランティア」「イベント運営」など、関係性をつくれるような企画を軸に据える
・単発で終わるのではなく、企画への参加をきっかけに、参加者が関わるコミュニティを増やせるような企画にする
(マッチングせずとも、少なくとも継続的な人間関係が構築でき、そこから次の交友関係を広げられるような場づくり) 
・誰もが活躍できるよう、複数の役割が発生するような企画にする
・目的や価値観、空間、時間を共有することで、会話が自然と生まれるような企画にする

たとえばBBQの企画でも、第一回目の参加者が第二回の企画を立て、運営し、第二回目の参加者が第三回目の…というふうに企画をつくるだけで、単発で終わらずに、人間関係をそこで構築することはできそうです。
自分たちが企画する側に回れば、ごく自然に自分たちができることを考えるので、役割分担もうまいことできるんじゃないでしょうか。

ここまで書きましたが、課題もいくつかあると思っています。

○「出会い」イベントよりも参加のハードルが高くなるのではないか?

「異性と出会いたい」人がわざわざ「ボランティア」をしたいか、というと…そこは検討の余地がありそうです。
出会いを目的とした参加者が、主体的に企画に参加するようなデザインを考えるべきでしょう。

○「結婚支援事業」に該当するのか?

僕が考えたような企画が結婚支援事業に該当するか、ちょっと疑問です。
つまり、秋田県から補助金がもらえるかどうか、という話。
官公庁の事業はどれもそうですが、目的と効果が明確に計れないものにはお金があんまりおりません。
出会いを目的とした参加者ばかりが集まるような企画でない場合、目的がぼやけていると指摘されるかもしれません。
カップル成立よりもまずはコミュニティ形成、人間関係作りに注目しているので、効果も曖昧です。

○そもそも誰が出会いたいのか?

最後の最後で、もっとも重要なクエスチョンです。
ターゲット像をもう少し整理することで、より効果的な企画作りができるのは間違いありません。
むしろ、うまくいっていない企画はここが甘いと言い切っていいかもしれません。
「結婚したいけどできない人」の全体を把握しつつ、各企画でさらにターゲットを絞るのが適切だとは思いますが、
そもそも事業主体(都道府県など)が「結婚したいけどできない人」を描けているか、微妙なところです。

社会的に少子高齢化が問題視されており、結婚支援事業がそのソリューションとして効果が高いかどうかは微妙なところですが、とはいえ「結婚したいけど結婚できない」人がいる、というのも事実。
ならばもうちょっと効果の高い企画を考えていきたい、というところからこの記事を書きました。

僕は婚活イベントに参加したこともないので、ぜひぜひツッコミなど頂けたらと思います。
(コメントはTwitter、Facebookからどうぞ)

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「コミュニティデザイン」という概念が生まれた背景を考えてみる

カテゴリ:世の中の事

 

先日の東京訪問ではこの本のことがちょこちょこ話題に上がりました。

で、昨日の日記でちらりと書いたこと。

コミュニティを変えるなら、外からコミュニティに関わらなきゃいけない。
コミュニティに入り込むということは、 そのコミュニティと運命を共にするつもりがないと。
約4ヶ月ぶりの東京で感じたこと

「コミュニティデザイン」という考え方は、外からコミュニティに関わっているということが前提としてあるはず。
つまり、こう思うのです。そのコミュニティにずっと属している人には「コミュニティデザイン」なんて発想はできないと。

異なるコミュニティがあるから、コミュニティの存在が認識される

アキタ朝大学のHPに掲載いただいた記事にも書きましたが、
コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来」では以下のようにコミュニティを分類しています。

・生活のコミュニティと生産のコミュニティ(場の役割)
・農村型コミュニティと都市型コミュニティ(形成原理)
・時間コミュニティと空間コミュニティ(志向性)

日本古来の農村をイメージすればわかりますが、ここまで明確に分類できるようになったのは最近のことだと思います。
生活と仕事の場が分かれ、どのコミュニティに所属できるかが選択可能になり、さらにコミュニティが多様化していく。
高度成長期やインターネットの普及など、時代の流れがあり、サンプルが増えたから、分類が可能になったのでしょう。
基本的にはライフステージにあわせて所属するコミュニティが移り変わりすることによって、コミュニティというものの存在がはじめて認識されるはずです。
今までのコミュニティとは異なるコミュニティに属することが否応なしに起こる現代では、コミュニティの存在を意識しない方が難しいと言えるかもしれません(もちろん、人によって意識する・しないはあると思いますが)。

ヨソモノという立場になってはじめて見えるもの

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる」の著者、山崎亮さんが情熱大陸で印象的なエピソードを語っていました(以下、うろ覚えなので誤解が含まれているかもしれません)。

山崎さんは親御さんが転勤族だったため、多くの転校を経験してきたそう。
転校先でうまくやっていけるかどうかをいつも不安に思う彼は、ごく自然に”誰が「ガキ大将」ポジションなのか”、”どういうグループがあるのか”というふうに、クラスの人間関係を観察するようになったそうです。

山崎さんは転校という「異なるコミュニティへの移行」の経験から、自分が「ヨソモノ=コミュニティの外側の人」であることを自覚した上で、どうやって既存のコミュニティに入り込むかを考え、その結果いわば「人間相関図」を描く力を身に付けた、と僕は捉えました。
「コミュニティに入り込む」という発想は、「ヨソモノ」という立場になってはじめてできること。
学校の同級生というコミュニティは基本的に生年月日によって強制的に形成されるコミュニティであり、その中で自分がコミュニティの外側に位置することを自覚する人はそう多くはないでしょう。

自ら置かれた環境下で身に付けたこの距離感の取り方、コミュニティとのかかわり方こそが、山崎さんのスタンス、そしてコミュニティデザインという考え方の原点になっているのではないでしょうか。

ヨソモノの自覚と都市型コミュニティの形成原理

これ以降は余談というか思い付きです。

単に転校して「名目的に」同級生にはなったものの、どうにも自分が同級生であるという「実感」が得られない。
そのコミュニティが単に所属するもの(条件を満たせば自動的に資格を得るもの)ではなく、参加するもの(自ら参加条件をクリアする必要があるもの)だと気付く。
自分がヨソモノであると自覚することで、コミュニティとコミュニティの間に”違い”を見出す、ということはありそうです。

特に同級生というコミュニティは、その強制参加という形成原理からして、コミュニティの構成員に対して農村的な同質化を求める傾向にあります。
同級生コミュニティのヨソモノであるということは、「みんな一緒」の中で「自分は違う」ということ。

それって、もしかして都市型コミュニティへの参加の第一歩なんじゃないか。

都市型コミュニティは、経歴に関わらず、価値観や目的を共有することで参加条件を満たした異なる個人どうしが集まることで成立しています。
自分は他の人と違うという自覚が、自分自身の他人とは異なる価値観や目的意識の認識につながるのかもしれません。
ちょうど、アイデンティティが「どんな他人を選んでも自分とは異なる」ということを指し示すように。

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約4ヶ月ぶりの東京で感じたこと

カテゴリ:自分事

7/1~7/3の日程で東京へ行ってきました。
7/2の秋田魂心会 に参加するために。

前回東京を訪れたのは震災のちょうど一週間前。
震災後初の東京で、いろんな人と会い、飲んだり食べたりしながら、語る。
海士町に来てからはじめて再会する、という人も多く、なんだかいろいろ感じるところがありました。

1.ちょっとだけ、気になったこと

大したことじゃないんですが。

東京で会った知人のうち、3人がひどい咳をしていました。気管支炎なんだとか。 
流行しているんだろうか。感染する類の病気ではないと思うのだけれど。

あと、米子~羽田間の飛行機でCAや機長がアナウンスをやたらととちるのが気になりました。
語尾を言い直したり、英語で噛んだり、着陸直後に着陸した空港名が出てこなかったり。
そういえば京急の車掌も「この電車は成田空港…羽田空港行きです。」って言ってた。
なんだろう、みんな疲れているのかな?

2.優先順位の不在

海士町から来たということで、やっぱりいろいろ聞かれます。
で、一番聞かれるのが「今後のこと」。

もちろん僕も考えていないわけではないんですが、
改めて聞かれて答えてみて、優先順位が自分の中にない、ということに直面しました。

・何をしたいのか。
・どこにいたいのか。
・誰と一緒にいたいのか。
・どうやってキャリアを形成したいのか。

関心のあることはいくつかあるけど、それらとどう関わるのか(仕事にするのか?)、とか。
秋田なのか、東京なのか、海士なのか、はたまた別の地域なのか(まさか海外はないと思うけど)。
誰と一緒に仕事をするのか、誰の近くにいるのか。
何を目指すのか。どんな専門性を身に付けるのか。そのために何が必要か。

「時期が来ればなんだかんだで決まるだろう」

楽観的というよりノーテンキかもしれない、とちょっと不安になってます。

3.自分自身のコミュニティとの関わり方について

ある人と話していて、自分の中で整理できたこと。

コミュニティを変えるなら、外からコミュニティに関わらなきゃいけない。
コミュニティに入り込むということは、 そのコミュニティと運命を共にするつもりがないと。

僕は、あんまりコミュニティに入り込むということができなくて、常に一定の距離をとるところがあります。

道連れになっても良い、そう思えるコミュニティ。

なんとなく、地元ならそう思える。だから地元に帰る。
そういうことなのかもしれないなあ、なんて。

優先順位がないのも、こういう背景があるかもしれない、と思うと、
このことについてもう少し振り返ってみる必要があるかもしれませんね。

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