大量生産/大量消費される価値観と若者の不安

カテゴリ:世の中の事


この記事を読んでから、ちょくちょく考えていたこと。

うまく表現できないのですが(この数日、そのうまい表現を探っているのですが、いまだに見つかりません)、今回の震災で失われたのは、何も人の命や物理的な財産だけでなく、これまで僕らが当たり前だと感じていた価値観、考え方そのものではないかと感じています。 そうであれば、これまで同様の使い古しの価値観によって「上皮だけの愚にもつかない」復興を目指すのではなく、「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければ」本当の復興はあり得ないのではないか、という気がするのです。 そのためにも僕らはいま、安易に身近なものにしがみつくことなく、堕ちなくてはいけないのではないでしょうか?

堕落論/坂口安吾:DESIGN IT! w/LOVE

あの震災直後から、Twitterの中で”良しとされる価値観”があれこれと変わる様を見てきたように思います。
そのせわしない変化は、「堕ちる」ことを恐れる僕ら自身の必死さの表れかもしれません。

堕落する/しない

「堕落する」とは、どういうことでしょうか。
僕は、これまでの価値観やこれまで自分が積み上げてきた考え方が揺さぶられ、壊された後で、 過去の瓦礫や現在から調達した資材を用いて新たな価値観という足場を構築する作業ではないかと考えます(構築の作業までは含まないかもしれませんが)。
一方「堕落しない」とは、これまでの価値観という足場が壊された後で、 堕ちないようにすぐさま別の”既存の”価値観に飛び移る行為に似ています(マリオが、ひとたび乗ると落ちてしまう飛び飛びの足場を次々とジャンプしていくようなイメージ)。
これらの表現は矮小化されたものかもしれませんが、恐れずこのまま進めます。

Twitterなんか見てると感じることだけど、価値観とかマジョリティが即座に変わる中で、自身の変化の中に自分なりの連続性を保つことは難しいし、辛いことだと思う。その作業を怠るなというのが「堕落論 http://amzn.to/eXbUbc」に書いてあることじゃないか。未読だけど。
@kamioka
Yushi Akimoto

「堕落する」ことは、難しい。というか辛い。
これまでの価値観という足場がなくなる不安に耐え、 資材を調達し、新しい足場を構築するまで堕ち続ける恐怖に耐えなければいけません。
これらの不安、恐怖を抑え、たった一人で構築作業に勤しまねばなりません。

Twitterの怖さ

震災直後からのTwitterを巡る「多数派」の移り変わりの目まぐるしさといったら。
あまり一般的ではなかった公式RTの奨励運動や「不謹慎」、「自粛」を巡る言説。
3/23の夕方ごろには「検出」がバズっていたが、震災直後ではありえなかった光景でした。

一連の移り変わりに、Twitterの伝播力が寄与していることはたぶん間違いありません。
「いい意見」はあっという間にRTされ、震災中のツイートはある程度自治的に制限がされていました。
安易に正義感ぶる人たちが湧いてきたのにはうんざりすることもありましたが(だったら普段からそういう発言しろよと率直に思います)。

価値観や言説の移り変わりのメカニズム自体にはあまり興味はありません。
しかし、僕を含め多くの人がTwitterの大きな流れの中で自分のポジションを適宜調整していたように思います。
一方、その裏側で、誰もがこの震災によって何らかの精神的な揺さぶりを被っています。
実際の震度以上に激しい揺れにより、多くの人が一旦足場を壊されてしまったのではないでしょうか。

これまでの価値観を瞬時に破壊された僕らに新しい足場を提供してくれたのが、Twitterでした。
Twitterの言説の移り変わりは、新しい足場に次々飛び移る僕らの姿を想起させます。
僕らは、ソーシャルウェブが張り巡らす糸のおかげで「堕落しない」ことを選択できた、ということです。
TwitterやFacebookに感謝し、日本への祈りに新たな時代の到来を感じた人も少なくないかもしれません。

それこそがTwitterの怖さではないか、と最近思うようになりました。

「不謹慎」とか「自粛」とか各自が言いたい放題なTLに少し幻滅したところで、 僕は地震に関連する情報をTwitterで集めることを一旦やめました。
そろそろ、自分のスタンスを確認する頃合いではないか、と感じたから。

“価値観”が大量生産・大量消費される時代

先日、2週間の短期インターンで島を訪れていた6名の学生が実習を終え、島を離れました。
彼らのうち何人かは、「もやもやしている」と言い残したのが印象的です。

それは、研修が失敗だった、ということではもちろんありません。
彼らも特に後悔しているというわけではないのです。そこに気付きがあったからこそでしょう。

島に来た学生さんとの対話の中で、彼らが既存の価値観に囚われ、「なぜそれを選んだのか」を言語化できていないように感じたし、本人たちもそう口にしていた。今、若者はそういう時代に生きているのだと思う。僕自身もそう。
@kamioka
Yushi Akimoto

彼らはたぶん自分たちの足場が不連続であることに直面したんじゃないでしょうか。
島の人たちは、純粋な好奇心から「なんで海士に来たの?」と彼らに質問します。
海士町で受けた刺激、そこに生きる多種多様な人たちの多種多様な価値観に触れ、 徐々に揺さぶられた彼らの足場に対し、「なんで?」という言葉が追い討ちを掛けていきます。

“○○がしたい”って簡単に言っちゃいけないんですね。

あるインターン生は、こんなことを言っていました。
興味を持つことと、実際にそれに(特に仕事として)取り組むことの隔たりに気付いたのかもしれません。
その落差を埋めるのは自分自身であって、飛び飛びに存在する既成の価値観はその助けにはならないのです。
「将来の夢」「やりたいこと」がそんなインスタントなものであるとは、やっぱり思えません。

価値観は、連続性や複雑性なんかを固定した結果でしか存在しないと考えてみたら。価値観に共感できるということと、自分なりに価値観をつむぐこととの違いを考えないといけない。優れたデザインを生むことと、それを利用することとの間に、大きな隔たりがあるように。
@kamioka
Yushi Akimoto

デザインがそうであるように、価値観は「固定」することで生まれます。
時間の流れ、連続性、それが生み出されるまでに関わった大小さまざまな因子を削ぎ落として。

僕らはそのプロセスでなく、結果としての価値観と常に対峙することになります。
そのこと自体は、決して悪ではないでしょう。
僕らは優れたデザインの結果としてのiPhoneを用いています。
それだけで僕らは一定の効用を得られているのですから。

しかしiPhoneから何を学び、iPhoneをどれだけ使いこなすかは、一人一人に委ねられています。
優れたデザインですら大量に生産され、大量に消費されているのが現状です。
インターネットをはじめ情報の流通網が十分すぎるほど整備されたこの時代において、 価値観も大量生産される一方、受け取る側が消費することで精一杯になっているのではないでしょうか。

「価値観を消費する」から「価値観を使いこなす」へ

iPhoneを消費することと使いこなすこととの違いとはなんでしょうか。
iPhoneは持つだけで効果を発揮するものではないのは周知のとおりです。
ソーシャルメディアの活用、 デバイスを問わない仕事環境、スケジュール管理やメモの取り方へのこだわり。
iPhoneは、生活の中にiPhoneがはまる”隙間”があってはじめて恩恵に預かれるものです。
その”隙間”はたぶんあるものではなくて、見つけるもの。

使いこなす人はiPhoneの機能をよく知っているし、iPhoneの理念を理解しています。
それがどのようなシーンで使えるのか、どのようなものと代替できるのかを深く考えています。
一方、iPhoneを「メールが貧弱なケータイ」とか「通話できるゲーム機」に貶めている人もいます。
僕自身、iPhoneによって劇的に生産性を向上させられたかというと、そうとは言えません。

価値観を使いこなすということも、どこか似たようなことのように思えます。
独立して存在しているように見える価値観が生まれるまでの時間を遡るということ。
価値観が固定された過程で削ぎ落としてきた偶然や複雑なものを掘り起こすということ。
それはまるで「堕落する」作業に似ている。 正解もなく、孤独で、不安を伴う作業。

選択肢(=価値観)が無数にある時代がもたらす不安

余談として。

「既存の価値観から別の価値観へ移行する」過程にも問題が生じているように思えてなりません。
価値観が無数にあるということは、選ぶという行為が際限なく発生することを意味します。

現代においては、選ぶ行為の中に「自己」や「主体性」が問われている現状があります。
あらゆる場面で僕らは「自分とは何者か」「何を良しとしているのか」を監視されているのです。

そんな時代に生きるワカモノを、芦田宏直氏は「オンライン自己」として捉えました。
不安定な足場を転々と飛びつぎ、できるだけ安定している足場を探しまわっている世代。

次の価値観に移った後で、本当にその次を見つけられるだろうか、という不安。
必死に適切な足場を見つけようとしている様子は、就職活動生の焦燥にも似ています。
僕らは、そこに不連続な足跡と底の深い闇しかないことに速やかに気付くべきなのかもしれません。


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秋田の婚姻率が低いのはなぜか―結婚しない/できないの根本

カテゴリ:世の中の事


秋田の婚姻率の低さはいったい何が原因なんだろうね、という話。

秋田は出生率は全国平均より高いが、高齢者比率がそろそろ全国一位であり、 このままだと人口は激減します。
だから少子化対策をしなければならない、という話になっています。

以前の記事…都道府県別出生率の違いとその原因について
→「女性の労働環境と結婚率・少子化の関係-都道府県別比較で分かること-

そこでTwitterで話題になっていたのは、「秋田の婚姻率はなぜ低いのか?」。
県では婚活事業を推進しているが、効果を疑問視している県民はきっと多いに違いありません。
秋田の話題が滅法好きな僕もその話についつい口を出していました。
僕の仮説は一言でいうと、「結婚のハードルが上がっているから」。
これは秋田に限ったことではないが、”大前提”になりうる話だと個人的には思っています。

@ ファイナルアンサーじゃないですけどね。僕は結婚したいと何となく思ってますけど。極論を言うと結婚に決意は求められても、根性とか気合とか「超いい人」であることが求められなくなったら楽だなあと思います。
@kamioka
Yushi Akimoto

僕は結婚したいと思っていますが、なんとなく「大変そう」というイメージがあります。
「夫」に対する世間のイメージは、仕事ができて、妻に理解を示し、良いパパの素養がある…etc
「そんなハイパーなダンナがどこにいる!」と僕は言いたくなります。
「全方位的にいい人」でなくてもいいのならば、僕はずいぶん「楽だなあ」と率直に思うわけです。

自分でつぶやいて思ったけど、結婚ってなんかすごい努力が必要っていうのが常識になっているような。
@kamioka
Yushi Akimoto

女性だって「妻」となることになんらかのプレッシャーを感じていると思うのですが、 つまり「結婚は大変」ということになっている、というのが日本の現状としてある、と感じます。
“結婚できない/したくない理由は、「大変」だから、ということに他ならない” ということを前提に考えてみると、構造が見えてくる。
そんな気がしてきました。

@ 個人の問題解決ならコーチングとかカウンセリングを頼るくらいしか思いつかないです。全体としては、要は相手を選ぶ自由が保障されていることに加えて、求める条件が高いというのが現状で、前者は必然な気がするから、後者を是正することを考えます。(続く)
@kamioka
Yushi Akimoto

「じゃあ結婚したくない/結婚が不安な人を結婚させるには?」と聞かれたので、その回答。
結婚への不安とかそこから来る拒否感というものを「個人」のせいとするなら、 とりあえず自分が具体的にどんなことを懸念しているのかを把握した方がいいでしょう。
ライフハックじゃないけれど、ネックがわからないと問題解決はしづらいわけですから。
そういう意味では「コーチング」や「カウンセリング」の手法は有効かもしれません。
(実はかなり適当な回答です。個人の問題と考えたら、問題は個人ごとに違うのだから。)

全体として、その心理がどんな構造によって生み出されているのでしょうか。
まず一つは「選択の自由」が恋愛―結婚の前提になりつつあること。
ネットでも恋愛コラムは常に供給されている状況であり、 「もっといい人がいる」と考える余地ができた反面、競争も激化しています。
もう一つは、先述のような 「いい働き手であり、いい夫であり、いいパパである」というようなハードルの高さによって 息苦しさを生み、多くの人がたじろいでいる、という状況になっているのではないでしょうか。

@ また極論ですが、例えば結婚後の生活費、養育費の半分を国や自治体が補助してくれる制度があれば、直感的には婚姻率はぐっと上がると思います。つまり、ハードルを上げているのはお金で、「お金」単独でハードルをクリアする人が少ないから、他のもので補完しようとしているのかなと。
@kamioka
Yushi Akimoto

このハードルを上げた要因というのは、ずばり「お金」なのではないでしょうか。
生活コストの上昇により、確実に「お金」の必要な額は上がりました。
ところが、日本の平均所得はむしろ下がっており、 「お金」がある人との結婚はまさに「競争」となっています。
「お金」だけで結婚市場で一人勝ちできる人は少ないとなると、 今度は「お金」で足りない部分を他の能力(やさしさ、理解、価値観etx)で補完するようになります。
「お金」がより多く求められるようになったために、他の能力のハードルも高くなったのではないかなと。

と言い切ってしまったが、世界的に「仕事と家庭・子育ての両立」に非常に関心が高いのは、仕事をしなければ生活できないからで、昔みたいな専業主婦モデルがキープできる経済的余裕があればそもそも両立を考える必要はなくなる、と思う。
@kamioka
Yushi Akimoto

これは文字通り。
もし仮に経済的余裕が生まれたとすれば、共働きする必要はないし、 それでも仕事が大事というなら、保育所などを利用すればすむ話です。
夫婦間でワークライフバランスの実現に力を入れることだってできます。
「待機児童の問題はどうする?」とつっこまれそうだが、 「結婚できない/しない理由」がここでの主題なので、ひとまず置いておくことにしましょう(実際には保育所を増やすことで出生率、あるいは婚姻率もあがると思う)。

結婚が大変なのはお金のせいだとすると

当然ながら、実際には結婚したカップルに多額の補助を出す、というのは現実的ではないが、 「大変」なのは「お金」の問題だ、と示すことができれば、対策はずいぶん見えてきます。

秋田の県民所得は全国的に見ても高くありません。
小・中学生は学力が高い割に大学進学率が低いのも、その影響があるかもしれません。
そうであるとすれば、家庭の教育に関する費用の負担が大きいとも言えます。
僕の仮説を確かめる一つの方法として、県内で婚姻したカップルの年齢と年収の調査が考えられます。

10代後半~20代前半の低年収層と、20代後半~30代の高年収層に二極化するかどうか

前者はいわゆる「できちゃった結婚」カップルという想定。
僕の中学の同級生にもいるが、若いうちから子どもを持った人もいます。
この層は全国どこを見ても一定割合でいるはずです。
「できちゃった」から産む。そこに(失礼ながら)計画性は見られないように思えます。

後者のイメージは正社員や公務員からキャリアをスタートし、 職場である程度の地位を確保した段階で「ではそろそろ子どもを…」と言う感じ。
直感的には、両者の中間層にあたるカップルの数は少ないはずです。
年齢にはばらつきがあるかもしれないが、年収に関しては外していない、と思います…。

※2011/02/09追記
ちなみに「二極化」の傾向が見られるというコメントもありました。
「私の周りはそうだ」「私の周りでは違う」というご意見あればコメントいただけると喜びます。

秋田の婚活事業の是非

これまでの仮説を前提にすると、秋田県の婚活事業の効果はあまりないと考えるのが自然です。
結婚にこぎつけるのは、「お金に余裕がある人」か「お金以外の魅力がある人※」だからです。
(※「お金がなくてもこの人とならすばらしい家庭を築ける!」と思わせる魅力)

出会いの数は増えるかもしれないが、そこには激しい競争が発生しそうです。
もし婚活事業を進めるとすれば、上記の仮説に沿うような形として例えば民間の婚活サイトのように年収などを入力させるようにすればいいでしょう。
そのデータを元に男女が候補を選ぶことができればマッチングの可能性は高くなります。
(ということは民間の婚活サイトの手法は「優れている」かもしれない!)
もし「出会いがない」ことが婚姻率が低い理由であるということであれば、 県は常にカップル成約率の数字を追わなければいけないし、県民も厳しく追及する必要があります。
(結果的にこの事業で婚姻率が上がるのであれば言うことなしなんだけど)

※とはいえ「出会えない」という状況に対して機会を提供しているのだから、まったく効果がないわけではないと思います。
能力的に出会えない(コミュニケーション能力が乏しい)とか、機会がないとか、そういう人が仲介を得ながらとりあえず出会える、というのはずいぶんな進歩です。
無料で受けられる公的な支援は、民間業者のマッチングサイトよりも気軽に利用できますしね。

結婚できないのは個人のせいか

この件についてTwitter上でいろんな人のやり取りを眺めていると、 「文化」や「性格」など、個人の問題とみなす人が結構多い印象があります。
当然ながら婚姻率が上がったとしても結婚したくてもできない人はいるでしょう。
でも、マクロで見たときに「婚姻率が上がった」という事実こそが重要であり、 何らかの対策を講じることで結婚できるようになった人がいる、ということに注目するべきです。
本気で結婚したい人全員を結婚させると考えれば、個人の問題を解決することが必要になります。
しかし、少なくとも「県の少子高齢化対策」レベルでそれを目標にするのは非現実的ではないか、とも思うわけです。
その論点から外れない限り、根本を改善できるような有意義な議論はできません。
個人の問題に帰する行為は考えることの放棄である、と個人的には思います。
(と言ってもほとんどの人は気軽に立ち話をしている感覚なんだろうけど)

あ、もちろん僕が結婚できないのは世の中のせいだってことではないです!


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女性の労働環境と結婚率・少子化の関係-都道府県別比較で分かること-

カテゴリ:世の中の事


このブログで昔書いた記事に、定期的なアクセスがある。
Googleで「秋田 少子高齢化 原因」と検索するとトップに表示される記事だ。

日本、というか秋田の少子高齢化について考えてみる(2)

一年近く前に書いた記事だが、改めて「少子化」について気になってちょっと調べてみた。

秋田の出生率の低さの不思議

秋田県において問題となっているのは、「出生率」の低さだと思っている。
隣県の山形県や、人口最小の島根県の出生率は、秋田よりも実は高い。
よくよく調べてみると、傾向として日本海側の方が出生率が高い傾向にあるようだ。
秋田も2006年時点では出生率は全国平均を上回っているが、 なぜ秋田は日本海側の他の地域と比べて出生率が低いのだろうか?

今回調べたところ、日本における出生率の低い県と高い都道府県の違いを説明する二つの論文に出会った。
同じキーワードで調べたため、ということもあるだろうが、結論はどちらも似通っている。

(1)都道府県別にみる出生率と女性就業率に関する一考察 坂爪聡子
(2)少子高齢化対策と女性の就業について-都道府県別データから分かること- 宇南山卓

※いずれもリンク先はPDFファイル。

仕事と家庭の両立ができれば少子化は改善される!?

(1)の結論を要旨から引用するとこうだ。

(中略)保育サービスが量的に充実しておらず、かつ女性の労働時間の非常に長い地域では、出生率と女性の就業率はともに低くなる。

(2)の結論も要旨から引用する。

(中略)晩婚化・非婚化は全国的な現象であるが、その傾向は結婚による離職率が高い都道府県ほど強いこと。 (中略)結婚による離職率を説明する要因も明らかにした。最も重要な要因は、保育所の整備状況であり、育児休業制度や3世代同居率は大きな影響を与えていなかった。

このような結論が導かれる根底には、都道府県別で比較したとき、 女性の離職率が高いほど結婚経験率は低い、という負の相関関係があるという事実。
つまり、仕事と家庭、子育てを両立できる都道府県ほど、結婚経験率が高くなる

保育サービスが充実すれば、仕事と家庭の両立はしやすい。
「保育サービスの充実」とは、例えば待機児童数や、潜在的定員率を比較することで測れる。

また、(1)が示すように労働時間の長さも、仕事と家庭の両立の問題に直結する。
(1)の本文の中ではさらにつっこんで、正社員かパートか、といった点も踏まえて検討している。
正社員でも仕事と子育てを両立できるような環境であれば、 結婚による女性の離職率も下がるという説明は非常に納得がいくものだ。

余談だが、「仕事と家庭の両立」が結婚経験率にいい影響を及ぼすようになったのは1980年から1995年にかけてのことだった、というデータが確認されたことだ。
つまり、経済環境の変化、女性の高学歴化等が、結婚経験率に影響を及ぼしているということ。

詳しくは、上記二つの論文を参照されたし。

「秋田の少子化」を考える上での今後の課題

(1)、(2)どちらも山形県や島根県など日本海側の地域の「仕事と家庭の両立」度を例に挙げている。
しかし、秋田はどうもその例にはあがらないらしい。
下記リンク先を見てみると、秋田がその二県に比べて女性の就業率が低いことが分かる。このあたりが問題なのだろうか。

http://www.pref.tottori.lg.jp/secure/107024/00000420062051.pdf ※PDF注意

待機児童数は秋田県は上記二県と比べても特別に悪い、ということもない。
となると、先に上げた論文に沿ってみると比較すべきデータとしては例えば ・女性の就業率 ・女性の正社員比率 ・女性の結婚に伴う離職率(年代別就業率でもいい) ・婚姻率(これは秋田は全国最下位)など。
これらを見てみると、秋田の少子化の構造が見えてくるんじゃないだろうか。 というのはあくまで希望的観測だが…。

Twitterで秋田の婚姻率の低さを話題に出したときには「県民性」「出会いの場がない」との声があった。
それらも社会構造の結果として結婚に対して消極的になっている、という説明ができるのではないか。
僕はそういう目論見でいる。というか、そうでないと希望がなくなる。

「個人の問題」と設定することが、もっとも解決を困難なものにしてしまうと思うからだ。
だからこそ、僕は構造として、マクロに問題を見ることをまずはじめにやりたい。
所詮データや人様の研究結果をなめ回しているだけかもしれないが、 そういう自分の「スタンス」を貫くためにも、直感以外の部分も働かせていきたいと思う。

【110516追記】
関連というほどでもないけれど、こんな記事も書いてます。

都道府県別・「デキちゃった結婚」の割合と県民所得

「計画的な結婚」は所得の高い人にしかできないことになっているのではないか、 「晩婚化」と「デキちゃった結婚」の二極化の裏に所得が絡んでいるのではないか、という観点。


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