Tag Archive: キャリア教育

「起業したい」んじゃなくて「起業するだけの力が欲しい」と言い換えてみたら

カテゴリ:世の中の事

先日、超多忙なタイミングで五城目町に遊びに来た学生と飲みながら出てきた話。

秋田の大学生と話していると、「起業したい/興味がある」という声を聞くことがたまにある。なんとなく、それって「起業するだけの力が欲しい」というのが本当のところなのではないか、と感じることが少なくない。そしてそれは僕自身すごく共感するところでもある。「力が欲しい……」なんて書くと、ちょっとダークサイドに落ちてそうな台詞だけど。

「起業したくてこの会社に入った」という発言についても、そういうわけで「力が欲しいのね」と読み替えるようになった。本当の本当に今この瞬間に起業したいと思っているのなら、すでに着手しているはずだからだ。

こんな感じのことをその学生に話すと、「いや、まさにそうですね……」と。まずは力を身に付ける。そして、到達したその地点から、改めて世界を眺めてみる。これまでは「難しいかもしれない」「どうせ無理だ」と無意識に思いセーブしていたものがあったかもしれない。力は自信に変わり、自信は視野を広げる。そうして「やりたいこと」を感知するセンサーがより精緻に働きだす、ということもあるかもしれない。

これは、例えばキャリア教育のプロセスとは逆かもしれない。キャリア教育的文脈なら、まずは「やりたいこと」を見つける手順が先にくる。方向が見えてきたら、内発的動機づけが作動して、その人は前進できる、という算段だ。そのプロセスで得た経験を血肉としながら、「やりたいこと」を実現しよう。そうしたメッセージは、至るところに溢れている。さて、それが唯一のやり方だろうか。

さっき、「おこめつ部」の「種蒔~Workshop&Training~」という3日間のプログラムに参加した学生と飯を食べてきた。「自分のやりたいことを考えるみたいなプロセスが全くなく、ひたすらスキル習得にフォーカスを当てていたのが、逆に良かった」という意見があった。確かに、そうかもしれない。自分の内なる声を探る作業はそう簡単ではない。認定NPO法人カタリバの主催する「東北カイギ」では、社会人や大学生を大量投入して高校生の内省をサポートした。裏を返せば、それだけ内面を探るのは大変で負担のかかる作業だ、ということだ。

「やりたいこと」をひとまず脇に置き、ひたすらにスキルアップと実践の機会を提供する、というのは、実はありなのではないか。もちろん、そこには良質なインプットとワクワクするような実践の場が必要ではあるけれど、内省を支援するよりはマンパワーもかからないように思える。

あくまで仮説なのだけれど、こうした気づきをぼんやりと念頭に置きながら、手を動かした後に手元に残ったものから考えることの可能性について考えていってみたい。

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「2020年の大学入試問題」と東大生ノートの話

カテゴリ:読書の記録

とある先生が紹介していた本書。

「生きる力」というものがある。
文科省によると、この「生きる力」を養うのが「学力の3要素」だそうだ。

◎知識・技能
◎思考力・判断力・表現力
◎主体性・多様性・協働性

ところが、現行の大学入試ではセンター試験・2次試験において
「思考力・判断力・表現力」を問うのが関の山となっている。
小中高における学習の事実上の集大成がこれなのだから、
普段の授業で「主体性・多様性・協働性」を取り扱われることもない。

「ゆとり教育」に始まる一連の改革は、普段の授業を変える試みだった。
が、ご存知の通り、期待通りの成果は挙げられなかった。

そして、文科省はついに本丸に狙いを定めた。

2020年、大学入試はどう変わるのか

結論から言えば、まだはっきりと決まっているわけではない。
著者は海外の試験制度等も紹介しながら、
学力の3要素と新しい入試制度をこう結び付けている。

・高等学校基礎学力テスト ― 知識・技能
・大学入学希望者学力評価テスト ― 思考力・判断力・表現力
・各大学個別独自入試 ― 思考力・判断力・表現力+主体性・多様性・協働性

位置づけとしては現在のセンター試験に相当する
「大学入学希望者学力評価テスト」はPISA型の問題が想定されているそうだ。

各大学個別独自入試ではさらに「主体性・多様性・協働性」が問われる。
これを著者は「自分軸」と表現しているが、なるほど、
小論文の問題文の例には「あなた」という文言が頻出しており、
かつ賛成/反対の明示を求めず、「考えを述べよ」という形式が目立つ。

批判的思考を求めるならば、軸となる自分が必要だ。
著者の指摘は当たり前だが新鮮だった。
ちなみに、この「自分軸」を育むためにも
アクティブラーニングが重要なのだ、という話だが、
それはまた別記事にまとめてみたい。

「自分軸」と東大生ノート

本書を読み始めてまもなくのタイミングで、
太田あやさんの高校生向けの講演を聞く機会があった。

そこで印象に残ったのは2つ。

・東大生の美しいノートは試行錯誤の賜物だということ。
目標達成のため、自分に合ったノートをつくるという
東大生たちの執念が、講演の各所で感じられた。

・ルールを決めてマークや色を使うという話。
ノート術としては当たり前といえば当たり前だが、
「何が重要なのか?」を最後に判断するのは常に自分である。
そう、東大生のノートは「判断」の積み重ねの結果なのだ。

アクティブラーニングが流行っているためか、
ノートをとる行為は受動的なものとみなされがちである。

しかし、真に意味のあるノートをとるためには、
自分に即したものを自分で考え判断し試行錯誤するという
非常に能動的な学習のプロセスが発生する。
これだって「自分軸」を育んでいると言えるんじゃないか。

「どれくらい予習をしておいたらいいかわからない」
と質問している生徒がいた。○ページ分…?○単語分…?

太田さんの「それは自分が一番分かっているはず」
という回答に、僕は思わずうなずいてしまった。

大学入試改革の方向性自体に賛否はないが、
今の教育でもできることを取りこぼさないでおきたいものだ。

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勉強に対するやる気の構造:誰のための勉強?

カテゴリ:自分事

以前「勉強にやる気が出ない生徒の特徴」という記事を書きました。
ここでは勉強にやる気が出ない原因を環境に注目して整理してみました。

本記事ではより生徒の内部的な課題に注目しながら、
やる気のない生徒、勉強に集中できない子どもの原因を考えてみます。

その勉強は誰のためのもの?

生徒に教科指導する際には、やはり生徒の集中力に目がいきます。
その時間をいかに密度濃く過ごすかで学習の成果は大きく変わるからです。

集中しているかどうかは様子を見ればだいたい分かります。
落ち着きがなかったり、ぼーっとしていたり、隣に話しかけたり。

個人的に特に気になるのは、時計をちらちらと気にする生徒。
「この時間が早く終わってくれないものか…」という消極性が垣間見えます。

 studying

とはいえ「集中力がある/ない」の話で完結させるのはいかにも面白味がないですね。

僕がそういう生徒を見て感じることがあります。

この子たちはいったい誰のために勉強しているのだろう?

「自分のために決まっているだろう」と思う方もいるかもしれません。
しかし、それは本当にあらゆる子どもに当てはまるのでしょうか。

自分の未来に投資できない子どもたち

誰のための勉強か?

この問いはこう言い換えることができます。

自分のために勉強していない生徒がいるのではないか?

たとえば、カンニングをしてチェックテストに合格した生徒は、
テストには合格できたとしても、実力が伴っているわけではありません。
チェックテストは実力の確認と、勉強を促す関門を設ける目的で実施されるもの。
これはチェックテスト本来の意義を大きく損ねています。
彼/彼女は、チェックテストの時間を自ら生産性が一切ないものにしているのです。

何も生み出さないとしても、彼らはカンニングをする。
その理由は「怒られたくない」「悪い点数をとりたくない」と様々でしょうが、
本質的には「じゃあ勉強すればいい」というシンプルな結論に達します。


生産性のない(=自分のためにならない)時間を過ごすことを選んでしまう。
彼/彼女にとって、勉強は自分のためのものではないと見るべきではないでしょうか。

与えられた時間の中で最大限の成果を出そうとすること。
たとえ心から望まないとしても、目の前のことに向き合い、自分のものにしようとすること。
勉強が未来への投資であることを自覚できなければ、そうした姿勢をとることはできません。
(ここにこそ「勉強」と「社会人基礎力」を結ぶヒントがあると思いますが、それはまた別の話)

自分のための勉強ができるようになるために

カンニング行為はなぜ行われるのでしょうか。
仙台市教育委員会のある調査結果の中にそれを考えるヒントを見つけました。

教育に関する事務の点検及び評価 | 仙台市

リンク先の平成22年度実績のPDFには以下のように記されています。

「内発的意欲(自ら進んで学ぶ意欲)」の高さは学力に反映しているが,「外発的意欲(強制や報償などによる学ぶ意欲)」が高くても,「内発的意欲」が低い場合は,どちらの意欲も低いパターンよりも学力が振るわない傾向が明らかとなった。

教育に関する事務の管理及び執行の状況 の点検及び評価の結果報告書(平成22年度実績)

これを正とすれば、こう考えることができます。
すなわち、カンニング行為とは外発的動機付けだけが強化された結果である、と。

内発的動機付けを伸ばすことが大事だ

今では当たり前に耳にすることですが、その重みがこの調査結果から読み取れます。
周囲の大人からのメッセージが外発的意欲を刺激するばかりであるとすれば、
その子どもは目の前の勉強を自分が身に付けるべきものと捉えることができるのでしょうか。

「勉強は自分にとって必要なことだ、今やらねばならぬことだ」
そう思えるようになったら、話は早いのです。
だからこそ、周囲の大人のコミュニケーションが重要だと言われているのだと思います。

すべての子どもが「自分のために」勉強してくれることを願っています。

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