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秋田県庁が秋田PRのアイディアを募集している件

カテゴリ:世の中の事

秋田の持つ豊かで様々な地域の魅力やその素晴らしさを全国や海外にPRするためのアイディアを募集します

美の国あきたネット [「秋田の魅力発信アイディアコンテスト」を実施します]

こんな公募が秋田県庁から出ています。
特にデメリットもないので、僕はよほど忙しくない限りは応募しようかなと思っています。

情報はこれしかありませんが、”800字程度”で、「なぜ」に触れながら「何を、いつ、どこで、誰に、どうやって」PRするのかを詰め込むのは難しいでしょうね。
個人的には、「何を」、「誰に」、「どうやって」のうち、一つに絞るくらいでちょうどいい分量になるのではと思っています。

みんなで企画を考えるときは違いますが、一人でぱっと思いつくようなアイデアは、結構自由度が高い分、主流を外すことが多いです。

今回応募しようと思っているのは「何を」について。

テーマの提示→「?」→ロジック+事例紹介→「!」

800字の構成として「?」から「!」に展開できれば理想なんですが、果たして「面白い」と思ってもらえるかどうか。
こればっかりは応募してみないことにはわかりませんね。
実際、何人がライバルになるのかも読めませんし。

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秋田の神輿と梵天(ぼんでん)の不思議

カテゴリ:自分事

秋田は神輿を担がない?

海士町・宇受賀地区のお祭りが先日行われました。
見た目からして立派で重そうな神輿を、島の男手計40名が担ぎ、ぐるぐる回ったり、高く掲げたりする様は圧巻。
(実は僕も担ぎ手登録はされていたんですが、先月の捻挫が未だ治らず、登録抹消…)

そういえば、僕の地元の祭りは神輿を担ぐことはありません。
神輿は車にのっていて、子どもたちがそれを曳いて町を練り歩く。あえて言えば山車の形式ですかね。

気になって調べてみましたが、秋田県内の祭りは基本的に神輿より山車(担ぐより載せる、曳く)の方が多い印象でした。
(参考サイト:http://www.akitafan.com/

神輿自体はあるのだから、単に担ぎ手が少なくなったから、という解釈もできそうです。
もし、元々秋田では担ぐことが少なかったとしたら、その理由は何か。

※いや、そんなことない、結構担いでるよという方いらっしゃいましたらご指摘ください。

秋田といえば、梵天(ぼんでん)

というようなことを役場の課長と雑談していたら、「秋田の祭りはどげか?」と。

考えてみると、海士に比べれば秋田は圧倒的に冬祭りが多い。
「地元学からの出発」の結城登美雄先生も、

秋田は全国的にみても沖縄に次いで伝統行事が残っている。
冬の祭りの件数、豊富さなら全国一だろう。

とおっしゃっていたことをふと思い出しました(うろ覚え)。

地元の祭りはというと、真っ先に思い浮かぶのが梵天(ぼんでん)。
残雪まばらな3月、町内を練り歩いて家々(やや)を巡った後、嶽山(277m)という地元のシンボルを重さ30kgはある梵天を持って登り、山頂に位置する嶽六所神社 に奉納します。
参考:ふるさと こんにちは [神岡地域] – 嶽六所神社奉納梵天

梵天を課長に説明しようとしたんですが、これがなかなかうまくできない。
そもそもあの梵天の形状を言葉で表現するのが意外と難しい。
なぜあのような形式で行うようになったのか、なぜあの時期に行うのか。
考えれば考えるほど、結構知らないことばかりなんだと実感しました(悔しい)。

伝わらないもうひとつの理由があります。
梵天の祭りは、基本的に秋田でしか行われていない行事なのです。
「ぼんでん」と呼ぶのも秋田だけ。フツウは「ぼんてん」と読みます。
「なぜ秋田だけなのか」も、Google先生にちょっと聞いたくらいじゃわかりませんでした。
周囲に勝手に秋田マーケティングを進めてきた身として、これは調べないわけにはいかない。

秋田の祭りや伝統行事について、いい感じの本があればぜひご紹介ください!

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秋田の婚姻率が低いのはなぜか―結婚しない/できないの根本

カテゴリ:世の中の事

秋田の婚姻率の低さはいったい何が原因なんだろうね、という話。

秋田は出生率は全国平均より高いが、高齢者比率がそろそろ全国一位であり、 このままだと人口は激減します。
だから少子化対策をしなければならない、という話になっています。

以前の記事…都道府県別出生率の違いとその原因について
→「女性の労働環境と結婚率・少子化の関係-都道府県別比較で分かること-

そこでTwitterで話題になっていたのは、「秋田の婚姻率はなぜ低いのか?」。
県では婚活事業を推進しているが、効果を疑問視している県民はきっと多いに違いありません。
秋田の話題が滅法好きな僕もその話についつい口を出していました。
僕の仮説は一言でいうと、「結婚のハードルが上がっているから」。
これは秋田に限ったことではないが、”大前提”になりうる話だと個人的には思っています。

@ ファイナルアンサーじゃないですけどね。僕は結婚したいと何となく思ってますけど。極論を言うと結婚に決意は求められても、根性とか気合とか「超いい人」であることが求められなくなったら楽だなあと思います。
@kamioka
Yushi Akimoto

僕は結婚したいと思っていますが、なんとなく「大変そう」というイメージがあります。
「夫」に対する世間のイメージは、仕事ができて、妻に理解を示し、良いパパの素養がある…etc
「そんなハイパーなダンナがどこにいる!」と僕は言いたくなります。
「全方位的にいい人」でなくてもいいのならば、僕はずいぶん「楽だなあ」と率直に思うわけです。

自分でつぶやいて思ったけど、結婚ってなんかすごい努力が必要っていうのが常識になっているような。
@kamioka
Yushi Akimoto

女性だって「妻」となることになんらかのプレッシャーを感じていると思うのですが、 つまり「結婚は大変」ということになっている、というのが日本の現状としてある、と感じます。
“結婚できない/したくない理由は、「大変」だから、ということに他ならない” ということを前提に考えてみると、構造が見えてくる。
そんな気がしてきました。

@ 個人の問題解決ならコーチングとかカウンセリングを頼るくらいしか思いつかないです。全体としては、要は相手を選ぶ自由が保障されていることに加えて、求める条件が高いというのが現状で、前者は必然な気がするから、後者を是正することを考えます。(続く)
@kamioka
Yushi Akimoto

「じゃあ結婚したくない/結婚が不安な人を結婚させるには?」と聞かれたので、その回答。
結婚への不安とかそこから来る拒否感というものを「個人」のせいとするなら、 とりあえず自分が具体的にどんなことを懸念しているのかを把握した方がいいでしょう。
ライフハックじゃないけれど、ネックがわからないと問題解決はしづらいわけですから。
そういう意味では「コーチング」や「カウンセリング」の手法は有効かもしれません。
(実はかなり適当な回答です。個人の問題と考えたら、問題は個人ごとに違うのだから。)

全体として、その心理がどんな構造によって生み出されているのでしょうか。
まず一つは「選択の自由」が恋愛―結婚の前提になりつつあること。
ネットでも恋愛コラムは常に供給されている状況であり、 「もっといい人がいる」と考える余地ができた反面、競争も激化しています。
もう一つは、先述のような 「いい働き手であり、いい夫であり、いいパパである」というようなハードルの高さによって 息苦しさを生み、多くの人がたじろいでいる、という状況になっているのではないでしょうか。

@ また極論ですが、例えば結婚後の生活費、養育費の半分を国や自治体が補助してくれる制度があれば、直感的には婚姻率はぐっと上がると思います。つまり、ハードルを上げているのはお金で、「お金」単独でハードルをクリアする人が少ないから、他のもので補完しようとしているのかなと。
@kamioka
Yushi Akimoto

このハードルを上げた要因というのは、ずばり「お金」なのではないでしょうか。
生活コストの上昇により、確実に「お金」の必要な額は上がりました。
ところが、日本の平均所得はむしろ下がっており、 「お金」がある人との結婚はまさに「競争」となっています。
「お金」だけで結婚市場で一人勝ちできる人は少ないとなると、 今度は「お金」で足りない部分を他の能力(やさしさ、理解、価値観etx)で補完するようになります。
「お金」がより多く求められるようになったために、他の能力のハードルも高くなったのではないかなと。

と言い切ってしまったが、世界的に「仕事と家庭・子育ての両立」に非常に関心が高いのは、仕事をしなければ生活できないからで、昔みたいな専業主婦モデルがキープできる経済的余裕があればそもそも両立を考える必要はなくなる、と思う。
@kamioka
Yushi Akimoto

これは文字通り。
もし仮に経済的余裕が生まれたとすれば、共働きする必要はないし、 それでも仕事が大事というなら、保育所などを利用すればすむ話です。
夫婦間でワークライフバランスの実現に力を入れることだってできます。
「待機児童の問題はどうする?」とつっこまれそうだが、 「結婚できない/しない理由」がここでの主題なので、ひとまず置いておくことにしましょう(実際には保育所を増やすことで出生率、あるいは婚姻率もあがると思う)。

結婚が大変なのはお金のせいだとすると

当然ながら、実際には結婚したカップルに多額の補助を出す、というのは現実的ではないが、 「大変」なのは「お金」の問題だ、と示すことができれば、対策はずいぶん見えてきます。

秋田の県民所得は全国的に見ても高くありません。
小・中学生は学力が高い割に大学進学率が低いのも、その影響があるかもしれません。
そうであるとすれば、家庭の教育に関する費用の負担が大きいとも言えます。
僕の仮説を確かめる一つの方法として、県内で婚姻したカップルの年齢と年収の調査が考えられます。

10代後半~20代前半の低年収層と、20代後半~30代の高年収層に二極化するかどうか

前者はいわゆる「できちゃった結婚」カップルという想定。
僕の中学の同級生にもいるが、若いうちから子どもを持った人もいます。
この層は全国どこを見ても一定割合でいるはずです。
「できちゃった」から産む。そこに(失礼ながら)計画性は見られないように思えます。

後者のイメージは正社員や公務員からキャリアをスタートし、 職場である程度の地位を確保した段階で「ではそろそろ子どもを…」と言う感じ。
直感的には、両者の中間層にあたるカップルの数は少ないはずです。
年齢にはばらつきがあるかもしれないが、年収に関しては外していない、と思います…。

※2011/02/09追記
ちなみに「二極化」の傾向が見られるというコメントもありました。
「私の周りはそうだ」「私の周りでは違う」というご意見あればコメントいただけると喜びます。

秋田の婚活事業の是非

これまでの仮説を前提にすると、秋田県の婚活事業の効果はあまりないと考えるのが自然です。
結婚にこぎつけるのは、「お金に余裕がある人」か「お金以外の魅力がある人※」だからです。
(※「お金がなくてもこの人とならすばらしい家庭を築ける!」と思わせる魅力)

出会いの数は増えるかもしれないが、そこには激しい競争が発生しそうです。
もし婚活事業を進めるとすれば、上記の仮説に沿うような形として例えば民間の婚活サイトのように年収などを入力させるようにすればいいでしょう。
そのデータを元に男女が候補を選ぶことができればマッチングの可能性は高くなります。
(ということは民間の婚活サイトの手法は「優れている」かもしれない!)
もし「出会いがない」ことが婚姻率が低い理由であるということであれば、 県は常にカップル成約率の数字を追わなければいけないし、県民も厳しく追及する必要があります。
(結果的にこの事業で婚姻率が上がるのであれば言うことなしなんだけど)

※とはいえ「出会えない」という状況に対して機会を提供しているのだから、まったく効果がないわけではないと思います。
能力的に出会えない(コミュニケーション能力が乏しい)とか、機会がないとか、そういう人が仲介を得ながらとりあえず出会える、というのはずいぶんな進歩です。
無料で受けられる公的な支援は、民間業者のマッチングサイトよりも気軽に利用できますしね。

結婚できないのは個人のせいか

この件についてTwitter上でいろんな人のやり取りを眺めていると、 「文化」や「性格」など、個人の問題とみなす人が結構多い印象があります。
当然ながら婚姻率が上がったとしても結婚したくてもできない人はいるでしょう。
でも、マクロで見たときに「婚姻率が上がった」という事実こそが重要であり、 何らかの対策を講じることで結婚できるようになった人がいる、ということに注目するべきです。
本気で結婚したい人全員を結婚させると考えれば、個人の問題を解決することが必要になります。
しかし、少なくとも「県の少子高齢化対策」レベルでそれを目標にするのは非現実的ではないか、とも思うわけです。
その論点から外れない限り、根本を改善できるような有意義な議論はできません。
個人の問題に帰する行為は考えることの放棄である、と個人的には思います。
(と言ってもほとんどの人は気軽に立ち話をしている感覚なんだろうけど)

あ、もちろん僕が結婚できないのは世の中のせいだってことではないです!

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