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松嶋駿という高校生の学生生活を象徴する一枚の写真について(中編)

カテゴリ:世の中の事


松嶋駿という高校生の学生生活を象徴する一枚の写真について(中編)

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○インタビュイーのプロフィール
松嶋駿(まつしま・しゅん)。16歳。某県立高校(通信制)1年次在籍の傍ら、同世代による同世代が楽しめる教育をデザインする団体「Lift-Up」を主宰、秋田県内の大学やフリースペースなどでワークショップを開催している。そのほかにもいくつかの団体にコミットし、ワークショップのメンタリング等を行っている。中学校では「戦略的不登校」と銘打ってホームスクーリングを独自に取り入れ卒業。その時の思いから人生を通し教育に関わりたいと志している。

(以下、松嶋→松、秋元→秋)

秋:恐れ? 松嶋君が恐れている?

松:それで、実績をつくらないといけないなあというのがあって。このままだと、将来が崩れていくなあと。仮に今年の5月時点の(落ち込んでいた時の)生活を続けると、だらだらして、受験勉強からも遠のいて、大学にも行けず、通信制高校卒のまま終わりそうだなというのがあって。そうなると、一般的な通信制高校の評価のままで終わるわけじゃないですか。

秋:一般的なイメージとしての通信制高校出身だという評価に収まるのがダメなの?

松:割と大学生になること、受験勉強しないと大学に行けなくなるということを思っていたので、そこが第一にありました。

秋:受験勉強して大学生に入るということが社会的評価に関係がある?

松:通信のままだと危ないんですよ。

秋:何が?

松:将来的な収入とか。

秋:そこに不安があるんですね

松:今はそうじゃなくて、軸があるんですけど、5月の段階では自分の内面を理解していない部分もあり、変に周りにバリアを張っていた。「通信制です」と自己紹介するのも怖い、みたいな時期が5月にはありました。東京の知り合いの高校生は、当たり前に高校に通いながらいろいろプロジェクトをやっているけど、私はそうではない。普通高校に通っているなら勉強していれば卒業できるし大学にも行けるけど、私には助け船がないんです。

秋:助け船がない。道から逸れてしまうということ? すでに逸れている状態だったというのが当時の認識だった?

松:当時は。早いうちに礎を築かないと、という変な焦りがあってごちゃごちゃしていましたね。

秋:さっき飛行機が飛んでいる写真を見せてくれたんだけど、5月当時は、その写真の状態ではなかった?

松:駐機場にいて管制官を待っている感じ。待っているというか……。

秋:指示が来るのは期待されていた?

松:管制官からの無線は常に聞いていたという感じです。去年の3月に出会った友人から情報は常にFacebook経由で入ってきていたので。私は滑走路に入っていいのかな、みたいに、タイミングを待っていた。

秋:そこから滑走路に入るタイミングがあったということかな。そのタイミングは覚えている?

松:今年の6月くらいに、ワークショップに出まくろうと思ったのがきっかけですね。今日もこのインタビューの後にワークショップの予定が2件入っているんですけど。土日にワークショップにたくさん出るようにして、まず土日の時間を埋めました。それから、「Lift-Up」自体は3月の時点で動き始めていたので、月~金でインプットした分を反省して団体の活動に反映する時間ができた。空っぽだった時間が埋まりました。余計な空回りの時間が減って、月曜から金曜が土日の反省をする時間になり、それが結構効果があって。それから、7月半ばの「湯沢未来づくり学校」でプレゼンする話が来て、8月にお台場でプレゼンする準備もあってあたふたするようになりました。空っぽの時間、空回りしていた時間が、軌道に乗り出しましたね。で、そうしていると、通信制と言うことが怖いというか、自分がどう見られているんだろうって思う瞬間もだんだんなくなっていって。あまり学校名を強調しなくても、「『Lift-Up』という団体でこういう夢を持ってやっています」という自己紹介をする機会の方が増えてきて。「通信制高校の〇〇高校の生徒です」じゃなくて、「Lift-Upの松嶋です」と。そうすると、何をやっているかって話もしやすくなって、そうやって、切り替えができてきたかなあ。

秋:その聞いた話をどう受け取ったかというと、6月くらいから滑走路に出て離陸し始めたということだと思うんだけれども。地上を離れて上昇している状態から、平行飛行に移る時期みたいなのがあるのかなと思っていて、そういう状態になったタイミングって覚えていますか?

松:そうですねえ、今振り返ると……まだ上昇しているんじゃないかと。

秋:あ、まだ上昇しているんですね。なるほどなるほど

松:毎月毎月、変化が大きいんですよね。月毎に私が求められる役割が変わってきたりして。例えば8月だったら東京で大きいプレゼンをして、9月は割とゆっくりしてたなあという印象があるんですけど、10月はマイプロ(東北カイギ)で結構大きい刺激を受けて、11月くらいからメンターに入ることが増えてきて。相談に乗ってよ、みたいな。東北大のAO入試を受ける高校3年生から志願理由書の相談に乗ってくれと言われたり、団体やるからその団体の紹介をしてくれ、企画見てくれ、と言われたり。月毎に変化が続いている状態で、そう考えればまだこう……揚力を高めていっている段階なんだと。サラリーマンみたいに、というわけでもないですが、一定のスピードで、毎月一定の何か役割をこなすように、例えば一か月半に一回イベントを企画するためにそれぞれの企画の準備をずーっとやり続けるみたいな、そういう段階ではまだないのかなと。

秋:サラリーマンみたいに、平行飛行に移りたい、ですか?

松:いや、まったくそれは。

秋:まったく思わない?

松:はい。

秋:もしそうなってしまったら、松嶋くんはどうなるんですかね? 「まったくそう思わない」という言葉が結構強い言葉だなと思って、聞いています。

松:どうなりそうですかねえ(笑) でも、あまりそうなったらということ自体全く想定していないというか。振り返ったらそうなってるなってときは多分来るかもしれないけど、やっているそのときはわからないでしょうね。後から考えてみたら例えば「9月くらいは結構ゆったりしていたな」とか、「そういえば平行飛行していた時期が3ヶ月くらいはあったな」ということはあるかもしれないけど。意識的にそれに移ろうとしないという感じですかね。なので、そうなったら、ということをあまり考えるというよりは、たぶん振り返ったときにそうなっていた、という感じですかね。

秋:じゃあ結果的に振り返ってそうなっている状態になっていたというときは、それは別にプラスでもマイナスでもなく、ああ、そうなっていたなって、ただ客観的に思うだけってこと?

松:そうですね。あまりそうなっていたなと意識することでもないのかなあ。実際、今までも、例えば中学生として受験勉強していたころは、別に安定でも不安定でもなかったですし。そのときなりに受験勉強という安定した軸があって、それに沿ってはいたけれども、自分なりに工夫して生活していたし。改めて考えてみれば割と今までも平行飛行の時期はあったけれども、そういうときに、「平行飛行になりたいな」とか、あんまり考えていなかったですね。なので、割と「そうなったら」ってことがぱっと思いつくものではない。

秋:なりたくない? なりたくないとも考えていない?

松:なりたくない、とは考えています。

秋:そうなったら、どういう人間になっちゃうのかな? それに対する恐れがある?

松:そうですね……たぶん、平行飛行になっちゃったら、周りが上がっていってしまうから。

秋:なるほどなるほど。周りは基本的にみんな上がっているんだ?

松:上がっています。

秋:なるほど。上がり続けないといけない? 周り。周りって誰ですか?

松:周り……同世代ですかねえ。

秋:同世代。同世代の誰ですか? どこに住んでいる人ですか?

松:そうですねえ、やっぱり、都市近郊とかですかね、東京とか、そういう人たち。やはり、彼らが私の目標とするところで。それこそ、起業家とか、たとえば、世界で活躍したいとか、そういうことを思いつく人たち。それにちょっとでも近づきたいなあみたいな。

秋:なるほど。追いつくために上昇飛行を続けている。

松:そうですね。

秋:なるほどなるほど。

後編に続く)


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検討中のインタビュー企画について

カテゴリ:自分事


秋田に帰ってからおかげさまで大学生と接する機会が増えている。海士町ではずっと高校生と接していたわけで、その延長線上に彼らとの交流がごく自然に生まれたという印象を受けている。それでも、そうして交流を持つのは、一般的な学生と比較すれば行動力があり、自分が属するコミュニティの外にいる人たちとの交流を楽しむようなタイプ相手がほとんどだ。それだけでもありがたいが、しかし、そこに留まっていては学生の全体像は見えてこないだろう、という”もやもや”がここ半年ほどで溜まってきている。

そこで、秋田県内の学生(中高生、大学生、短大生、専門学校生、高専生等もろもろ)にインタビューをして回るのはどうか、ということを先月あたりから考え始めている。これまで具体的に3人に試験的なインタビューを実施させてもらっている。インタビューをし、それを記事として公開し、アーカイブ化する。そこで秋田にいる大学生の等身大の姿を表現していけたら、というのがざっくりとした趣旨だ。目的は以下の3つにまとめられる。

(1)自分自身や関わる人のスキルアップのため
現金な話だが、僕自身が、インタビューをし、それを記事として書き上げるという経験を積みたい、という個人的な期待がある。今まで、インタビューすることと文章を書くことにはそれなりの投資をしてきたので、それらをしっかり研ぎ澄ませて投資を回収したいという思惑だ。さらに、この企画には(興味がある人がいれば)学生にも運営側(つまりインタビューする側)としてかかわってもらいたいと思っており、彼らのスキルアップにもつながれば、という想いもある。Whatばかりに目が行って、Howがおざなりになりがちな風潮への警鐘、というわけでもないが、ほんのりとでも一助になれば。

(2)ありのままの秋田の学生の姿を伝えるため
単に僕が学生像を把握するのではもったいないと思っている。むしろ、素朴に学生の考えに興味を持っている人は少なくないだろうし、そういう人たちにもせっかくなので共有したい。それが、学生の背中を後押ししようとする動きにもつながるのかな、という淡い期待がある。インタビューを経て、学生自身が自分を振り返るよい機会となると、なお嬉しい。自己分析というやり方はなかなか効率が悪いのではないかと思っているので(なにせ人にかかわってもらった方が効率が良いに決まっている)。

(3)秋田での学生を対象とした中間支援のニーズを探るため
これまで、県内の学生から「秋田には学生を地域や企業とつなげる組織・仕組みが必要だ」という声を3回聞いている。一方、そうした声の中には、「自分は独力でなんとかしたが、後輩たちのために環境を整えたい」という意図も含まれている。それは、したがって学生の純粋なるニーズではない(その後輩たちの声を直接聞いたわけではない)。なんとなく、僕もそういう支援の枠組みはあったほうがいいな、と思いつつ、本当に必要とされているのだろうか、必要とされているとしたらどういった支援なのだろうか、ということを考えるためにも、このインタビューで素朴な学生像に触れていくことが有効なのではないか、ということをぼんやり思っている。

最大の課題は、インタビュイーを見つけること、だと思っている。この辺りは飛び込み営業的な度胸の世界になるかもしれない。あと、報酬は出せないけど、インタビュー(とライティング)の経験を積みたい学生がいたら、ぜひ手伝ってほしいと思っている。もしかしたら、そういう学生を3,4名ほど組織し、僕の乏しいノウハウ的なものを伝達してしまい、彼らが主体で進めてもらってもよいかもしれない。というか、その方が結果的に良いものになりそうな気もする。

今月中からぼちぼち着手していきます。気になる方はFacebookでもTwitterでもいいのでぜひご連絡を。


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「やりたいこと原理主義」と地域の限界

カテゴリ:自分事


「やりたいことをやればいいじゃん」

秋田に帰ってからよく耳にするし、自分自身口にすることの増えた言葉の一つだ。親や友人、先生、地域から受ける期待というものは確かにあるし、周りを見渡した時に自分だけ違う道を進むというのはいかにも怖い。しかも、その道が安全だとは限らない。それでも、「やりたいことをやればいいじゃん」というのが僕としてはなんとなく善なることのように思えてしまっている。

もちろん、そう考えない人もいる。それはそれでロジックとしても十分に理解できるし、安易に否定するべきものでもない。幸せのカタチは一人ひとり異なる。このブログのタイトルは「秋田で幸せな暮らしを考える」としているが、理想的な単一のモデルがあるのではなく、それぞれが自分なりの幸せを追い求めることがあるべき姿なのだろう。秋田に戻ってきてから、あるいは海士町での経験を経て、ぼんやりとそうしたイメージが見えてきた。

それでも。

僕自身はやっぱり「やりたいことをやる」というのが一番いいことだ、とどうやら思っているらしい。あるいは「ありたいようにある」というのがより適切な表現かもしれない。いずれにせよ、僕自身のポジショニングが変わるタイミングがすぐに訪れるような気配はない。そう考えない人もいるということは念頭に置きながら、結果的にポジショントークをしてしまうケースはこれからも出てくるだろう。

「やりたいこと原理主義」。人口減少が急速に進む秋田において、教育が目指すべき方向は、こっちにある、と思っている。まず第一に、そっちの方が楽しいだろう、ということ。もう一つは、これから地方が直面する「生産性」という課題に対するソリューションとして。そう考えるのは、”一人ひとりがありたいようにあり、やりたいことに打ち込んでいる瞬間こそが、最もその個人のエネルギー量を最大化できる”という個人的な考えが前提としてあるから。といっても、そんなに複雑な話ではない。ドライな考え方だけれど、労働人口が減少するのはわかっていながらそれなりの生産性を保ち、経済を回すために、先進国の中で労働生産性の低い日本においては、一人ひとりの生産性を高めるというのが有効な手段だと思うからだ。

現行の日本の教育制度では、残念ながら最大公約数しか掬えない、という印象がある。秋田は確かに学力日本一という結果を残しており、特にいわゆる「落ちこぼれ」をきちんと拾っている、という点はきちんと評価されるべきだと思っている。しかし、それはあくまである定められた枠組みの中に子どもたちをしっかりと押し込めるための教育でしかなくて、取りこぼしがぽつぽつと出ている。端的には不登校や発達障害、あるいは低偏差値の子どもたちだ。たぶん、その取りこぼしも、全国レベルで見れば非常に少ないのだろうとは思う。が、秋田はこれから人口減少の最前線に突入する。現行の教育制度での取りこぼしを「致し方ないもの」として目をつぶり続けることが果たしてできるのだろうか。

偏差値という物差しによって「優秀」とみなされた子どもたちであっても、彼/彼女ら一人ひとりの生産性が最大化される保証は、この学校教育ではたぶん無理だ。むしろいさぎよく諦めてしまった方がいいのだろうけど、学校教育はそのつもりもなさそうで、なんとなく、行き詰った感がある。高校生100人がいれば、大学に入り正社員になり3年間働き続ける、という人間は1/3ほどだ、という調査もある。そのストレートを前提として”キャリア教育”が実践されているとしたら、限界が来るのは当然と言えば当然なのだけど。

僕は別に秋田の学力日本一を批判しているわけではない。「学力日本一になってどうするの?」という疑問が浮かんでしまうところに、批判的にならざるを得ないというだけだ。五城目町は、移住者が入り始めた時期から一部の人間の裏テーマとして「世界一子どもが育つまち」という方向性を打ち出している。「世界一」を掲げた途端に、偏差値という物差しの意味が瓦解する。世界の教育はより多様であるからだ。そして、そこに、自由と責任が生まれる。あらゆる可能性を手段として検討することができるが、きちんと「子どもが育つ」というところにコミットが必要だ。量的な評価の可否は別にしても。

正直、今の秋田を見ていると、ちょっと息苦しさを感じる部分がある。地域の大人たちから子どもたちに向けた期待が否応なく高まっているのだ。自分たちの世代がどんどん都会を目指したせいで人口減少が進んだというのに。そうした大人たちからのメッセージの多くが、子どもたちの視点を欠いているのだから、なかなか困ったものだ。結局、それは教育の課題と紐づいているように思う。「子どもも一人の人間である」という前提が欠如している、という点で。

「一人ひとりを大切にする」と書くと、なにをそんな当たり前のことを、と思われてしまうかもしれない。でも、それが仮に当たり前だとして、「いやいや、全然一人ひとりを大切にできてないですよね?」というのが僕の見ている景色だ(これは別に秋田に限ったことじゃないことは書き加えておく)。はっきり言って、「やりたいことをやる」を実現するのは難しいし、僕自身の中にもノウハウがあるわけではない(他人よりは経験があるのかもしれないけれど)。それでも、この方向が僕の目指すべき道なのだろうな、とはぼんやりとした確信がある。

一方、それを受け止める地域の側も変わっていく必要がある。その地域で「やりたいこと」が実現しそうにないから、その地域から若者たちが出ていってしまうのだと思う。居場所と役割と出番があるから、その地域にいよう、という意思が生まれる。他の誰でもなく、「あなた」にこの地域にいてほしい、というメッセージがあるから、地域の一員としての自覚を持つことができる。

やりたいことをどれだけやれるか、その範囲がそのまま「地域の限界」なのではないか。先日の矢島高校でのフォーラムに参加したときに、思わず口をついた言葉だ。我ながら過激なことを言ってしまったと思うが、ぽろっと出てしまったのはまさにそれが本音であったからだ。自分たちの世代が見捨てて来た地域を次の世代に見放されたくないのであれば、自ずと考えるべきことが見えてくる、と思う。話は、それからだ。


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