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「縁」を引き寄せてやりたい仕事探しにつなげる3つの作法

カテゴリ:自分事

やりたい仕事はあるけれど…

やりたい仕事が思いつかない

こういう人は少なくないですが、この段階をクリアしても次のハードルがあります。

やりたい仕事ができる環境が見つからない

「やりたいことはあるんだけど…就職先が…」
より現実的だからこそ実に悩ましい課題です。
しかし、それは一方で対処しやすいということでもあると思います。

この記事では「やりたい仕事ができる環境が見つからない」という課題について、
僕がこれまでの経験を踏まえて対処方法を整理していきます。

一言でまとめると、良い情報が周囲から勝手に入ってくる状況をつくれ、ということです。

0.「やりたい仕事像」を明確にする

これは大前提です。
実際には「何をやりたいのか」と「やりたいことができるのはどこか」は並行して行うものですが、
「何をやりたいのか」をある程度具体的に詰めることがどうしても必要になります。

それは職種を絞れ、ということだけではありません。
どういう職場がいいか、顧客とどうかかわりたいのか、何を身に付けたいのか…
そして、その中で優先順位が高いものを見つけることが最も重要なことだと思っています。

1.自分の興味・関心を周囲に理解してもらう

自分一人で情報収集できる範囲はやはり限界があるでしょう。
情報を自ら取りに行くのはもちろん、周囲からもいろいろ教えてもらえたらベターなわけです。

結論から言えば、自分の周囲にいる人から欲しい情報が入るようにすればよいのです。
特にやりたいことが明確になっている人の周りには情報感度の高い人が何人かいるはず。
他人が自分にとって有益な情報を流してもらえるように仕組むのです。

具体的には、自分の興味・関心・やりたいことを周囲にわかってもらうことからはじめましょう。
何か良い情報があったときに「あ、あの人興味ありそうだな」と思ってもらえるようにすることが大事です。
とにかく共感してもらえそうな友人・知人に自分の「やりたい仕事像」を伝えていくこと。
常日頃からそれを意識していれば、自然と周囲の認識も変わってきます。
(共感してもらえなさそうな人に熱弁しても無駄なので、後回しでOK)

実際、同級生や職場の同僚であっても、誰が何に関心を持っているのかを把握する機会はあまり多くありません。
僕自身、「将来は秋田に帰る」としつこく公言していたことが縁につながる経験を何度もしています。

ブログやFacebook、Twitterなどで興味・関心を発信するのも悪くないと思います。

2.「やりたい仕事像」に近い分野の人たちとの人脈をつくる

やりたい仕事、ありたい姿に近い人たちとなかよくなりましょう。
そうすれば人脈ができ、当然仕事の情報を得たり、斡旋してくれる確率は増えます。

勉強会やイベントにいきなり飛び込んでもいいし、人づてに紹介してもらってもいいでしょう。
面白そうだと思うところにはなるべく顔を出しておくのが吉です。

「人脈をつくる」というと何か利己的な響きですが、そういうつもりではありません。
やりたい仕事に近い人たちと交流を持つのは純粋に楽しいものです。
楽しくて、しかも情報も得られる。こんなに良いことを見逃す手はないでしょう。
自分も他の人に情報を提供できるようになれば後ろめたさもありません。

3.目の前のことにしっかり取り組む

興味・関心は人と人をつなぎますが、評価されるのはやはり実績です。
つまり、これまでの仕事でどういう成果を出してきたかということ。

「こういう仕事がしたい!」と口では言っても、その仕事が実際できるかどうかはわかりません。
手っ取り早く評価を得るためには、まずは目の前のやるべきことに取り組むべきです。

「あれやりたい」が先に立って目の前のことをおろそかにする人は割といるような気がします。
“意識高い系”と揶揄される学生はその典型かもしれませんね。
学業や所属する部活やサークルの活動に熱心に取り組んだ経験のない学生の言葉にはどうしても説得力が乗ってきません。
「非常に良いこと言うんだけど、で君は何をしてきたの?何ができるの?」みたいな。

ちゃんと評価されていれば、それだけ他の人も安心して情報を提供してくれるはずです。
人とつながりをつくる上でも、人間としての評価、というか信頼に関わるところですしね。

 

同世代でも(僕を含めて)悩んでいる人が結構いるなあと思ってまとめてみました。
偉そうに書きましたが、僕もまだまだできていないところです。

参考図書を以下に紹介します。

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「いい大学に入ったのに、勿体ない」の誤り

カテゴリ:世の中の事

「いい大学に入ったのに…」

高校・大学の同期である友人が実家の農業を継ぐことを決めたとき、多くの人はネガティブな反応を示したそうです。

いい大学に入ったのに、農業なんて勿体無い

確かに、僕と彼の通う大学の卒業生は名の知れた大手企業に就職する人が大多数です。
そういった企業に入り定年まで勤め上げた方が生涯年収としては稼げると考えるのがむしろ普通の感覚と言えます。
比較対象が(国全体としては)斜陽産業である農業なのですから、なおさら。

しかしながら、それに反してリスクの高いベンチャー企業に就職したり、定職に就かずフリーになったり、起業したり、田舎暮らしをはじめたり。収入にはそこまでこだわらず、自分のやりたいことをやる。
特に社会人になってからそういう知り合いが増えました。絶対数は少ないですが、意外と出会うものですね、こういう人たち。

海士町に集まるIターンの方々も、ざっくりまとめるとこういうカテゴリに属していると思います。
よくメディアでも取り上げられますが、Iターンの方の学歴を見ると大卒がほとんどで、難関大出身者も少なくありません。
Iターン者の前職を見ても、有名企業出身者が珍しくありません。

Iターンした側からすると、自分の学歴や職歴に対して特段こだわりはないというのが実際のところです。
僕も新卒で働いていたころと比べて現在の年収は半分ですが、今の仕事にはとても満足しています。

新卒でマッキンゼーに入社したのに、退職してお笑い芸人になった女性もいますね。
東大→エリートコンサルタント→お笑い芸人の道を選んだ石井てる美とは? – NAVER まとめ

端から見ると「勿体無い」のに、当の本人はさほど気にしていない。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

高学歴であることの意義

一般的に、学歴に比例して生涯年収は決まると考えられています。実際、統計をとるとそうなるようです。
高学歴であるからには高賃金の仕事に従事するべきだ、という”ジョーシキ”はここから導き出されるわけです。

高学歴であることは単に高賃金の仕事に対するアクセスのよさを示すものであって、「べきだ」まで言ってしまうのは固定観念といえるでしょう。
高賃金にありつくチャンスをものにするかどうかは個人の能力うんぬんの前に自由の問題である、ということがまずひとつ。

そして最も重要なのが、高学歴者の方が多くの選択肢を持っているという点です。
多くの選択肢を持っているのに農業を選ぶ、これを勿体無いと言う前に立ち止まってみましょう。
高賃金にありつける機会に恵まれていることは、選ぶ本人も認識しているところではないでしょうか。
それにもかかわらず、大企業ではなく農業を選ぶ。つまり、それだけの理由があるということになります。

さまざまな比較対象がある中で農業を選ぶということは、本人にとって目先の高賃金よりも農業が魅力的だからに他なりません。
乏しい選択肢の中からしょうがなく(消去法で)就職するのとはわけが違います。

ここに高学歴の意義があります。
選択の自由があり、かつ選択肢が多い状況となれば、それだけよい選択ができるチャンスがあるというわけです。
実際によい選択ができるか(自分が一生懸命になれる道を選べるか)は個人に委ねられますが、高学歴とはそれだけのメリットがあるということです。

下から上がるよりも、上から下りるほうが見えやすい

「学歴」の話に絞ってしまいましたが、何にせよ下から上がるよりも、上から下りる方が視野は広くなります。
選択肢に余裕がなければどうしても自分の意思よりも世の中一般の理屈を優先しがちになります。
自分の納得する選択をするためには、ある程度心の余裕があったほうがいい、というそれだけの話です。

逆に、冒頭の友人が大学進学をしていなかったら。
思うに、彼は農業を選ばなかったかもしれません。選べなかったというべきでしょうか。

いい大学に入ったのに、農業なんて勿体無い

これは大間違いで、実際のところはこう言い換えるべきなのです。

いい大学に入ったからこそ、農業を自ら選ぶことができた

と。いい大学に入って自分の可能性を広げたからこそ選べる”贅沢”な道を彼は歩んでいるのです。

その幸運は偶然ではないんです!

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プランドハプンスタンス理論の基本-正解を選ぼうとするな

カテゴリ:世の中の事

「選んだ選択肢を正解にする」

高校2年の終わりに某S予備校主催の勉強合宿に参加したときに聞いたのがこの言葉。

正解を選ぼうとするな。選んだ選択肢を正解にするんだ。

一語一語正確に覚えていませんが、趣旨はだいたいこんな感じ。
英語講師の大島先生の言葉です。
(高校時代の教員の名前もうっかり忘れてしまうほどなのに、大島先生の名前は覚えているんですよね)

大島先生はこの話を結婚に例えていました。

“理想の伴侶を選び出すなんて土台無理。むしろ選んだ相手を理想の伴侶に仕立て上げる方が合理的である。”

この言葉は今でもはっきり覚えています。講義の内容はすっかり忘れてしまったのに。
そして、僕は大学生活や就職活動など分かれ道に立ったときにはいつもこの”格言”に立ち返っていました。
もちろん、東京での仕事を辞めて、海士町に来るときも。

あるとき、「その幸運は偶然ではないんです!」という本を読んで、気づきました。
「この”格言”は、まさにプランドハプンスタンス理論そのものじゃないか」と。

プランドハプンスタンス理論(Planned Happenstance Theory: 計画的偶発性理論)が提唱されたのは1999年。
提唱者であるクランボルツ教授らは数百人に及ぶ成功したビジネスパーソンへの調査の結果、その内の8割が「いまある自分のキャリアは予期せぬ偶然に因るものだ」と答えるという驚きの結果を得ました。
そこから導き出されたのがこの理論です。

プランドハプンスタンス理論とは

プランド・ハップンスタンス理論は以下の3つの骨子から構成されます。
【1】個人のキャリアは、予期しない偶然の出来事によってその8割が形成される
【2】その偶然の出来事を、当人の主体性や努力によって最大限に活用し、キャリアを歩む力に発展させることができる
【3】偶然の出来事をただ待つのではなく、それを意図的に生み出すように積極的に行動したり、自分の周りに起きていることに心を研ぎ澄ませることで自らのキャリアを創造する機会を増やすことができる

Educate.co.jp | プランド・ハップンスタンス理論

先述したとおり、プランドハプンスタンス理論は「キャリアは偶然に左右されて形成される」ということを前提とします。
したがって、偶然を機会に転換できるかどうか機会となりえる偶然を自分の手元に引き寄せられるかどうか、が鍵となります。

ここでは中長期的な計画の必要性は問われていません。
仕事や学習の目標が不要というわけではありませんが、クランボルツ教授は逆算方式について無駄どころかかえって有害ですらある、と指摘しています(詳しくは後述)。
ゴールを一心に見据えるその目には、偶然は「機会の原石」どころか「単なる障害」になりえるからです。
しかし、偶然に左右されるキャリア形成において偶然を見逃すことほどの損失はありません

では、偶然をキャリア形成に活かすには日頃どのような態度をとればよいのでしょうか。

【1】好奇心 : 新しい学びの機会を模索せよ
【2】持続性 : 失敗に負けずに努力し続けよ
【3】柔軟性 : 姿勢や状況を変えよ
【4】楽観性 : 新しい機会は必ずやってきて、それを自分のものにすることができると考えよ
【5】冒険心 : 結果がどうなるか見えない場合でも行動を起こせ

この5要素が求められるスキルになります。
いずれも最近のビジネス書で注目されているものばかりであり、その重要性は言うまでもありません。

その幸運は偶然ではないんです!」で僕が注目したのは、「【5】冒険心」の話。
つまるところ「リスクをテイクしろ」という提言ですが、あえて危険の中に身を投じろと言っているわけではないことに注意が必要です。

むしろクランボルツ教授は「いきなり大きなリスクを取るな」と主張します。
新しいチャレンジは小さく始め、いい手応えがあれば足場を固めた上で大きく踏み出せば良いのです。

今の仕事とは畑違いのマーケティングに携わりたいと思ったとき、いきなり今の仕事を辞めるのは得策ではありません。
マーケティングの業務経験がないのであれば、「隣の芝生が青く見えた」だけかもしれない。
やはり「こんなはずじゃなかった!」と後悔する回数はなるべく減らしたいものです。

決断を急ぐ前に、お金や時間を投じなくてもできることはいくつもあります
例えば関連書を読んだり、勉強会に参加したり、実際にその仕事をしている人に話を聞いたり…。

そうして「やっぱりマーケティングが面白い!」と実感できたら、具体的に動き出せばいいでしょう。
うまくいけば、勉強会などで知り合った人脈に頼って転職先の候補を見つけることだってできます。
ちょっと足を踏み出すことで、新しい出会いが思わぬ契機をもたらしてくれる可能性があるのです。

本書では「フツーの人たち」のエピソードがふんだんに紹介されているのも好印象です。
「偶然の機会」は誰にでも訪れうるという事実を、より身近に感じることができるでしょう。
小さな次の一歩を踏み出すヒントを得ることができるかもしれません。

キャリア教育の大きな問題

さて、ここで現行のキャリア教育の問題に触れつつ、既存のキャリア感の課題に触れてみます。

小中高で行われているのは、今の自分の興味・関心から将来やりたいことを考え、それを実現するためにどのような進路をとればいいかを計画させるものが主流です。
まずはゴールを設定させ、そのゴールまでの道のりを逆算で考えさせるわけですね。

この逆算方式には限界があることがお分かりでしょうか。
まず、キャリアを考える子ども自身は、働くということ、そしてキャリアを形成するということについて実体験を持たず、知識もほとんどありません。
最近では職業体験の取り組みが盛んですが、これはあくまで体験であり、労働の対価として報酬を得る経験にはほど遠いわけです。
乏しい情報をやりくりして導き出された答えは、本当に自分のやりたいことを正確に反映しているものになるでしょうか
ゴールを決めるためには往々にして「自己分析」の手法が用いられますが、果たして子どもに適切な「自己分析」ができるのかも疑問が残ります。

さらに、将来が予測不可能な時代になっていることもまた課題となります。
世界はグローバル化のあらゆる現象の影響下に置かれつつあります。
僕自身の話をすれば、大学4年次の9月、リーマンショックが起こりました。
おかげで3年次に就職活動で足を運んだ不動産金融系の企業の多くが倒産の憂き目にあっています。
そんなこと、僕が就職活動をしていた頃にどうして予想することができたでしょう。

子どもたちがなりたいと思っている仕事は、10年後にはもうなくなっているかもしれません
10年後にはなくなるかもしれない仕事や働き方をゴールに据えさせることは本当に正しいことなのでしょうか。

ゴールを描いたところで、実現のための手段が十分に提供されるわけではない、という点も指摘せずにはいられません。
キャリア教育では子どもに「こうなりたい」を膨らませるよう求めるというのは前述のとおりです。
しかし、ゴールの実現に必要な手段に目を向けると、日本の学校教育で提供されるのは教科教育が主流です。
具体的な手段(技術・スキル)を得るためには、大学や専門学校に入らない限り支援できないわけです。
(職業訓練など具体的なスキルを伸ばす機会が与えられることがどれだけあるでしょうか?)
「自分らしさの追求や自己実現という欲求は強化されるのに、それを達成する手段が与えられない状態を、社会学者はアノミーと呼んでいるが、自己実現をめぐっても、まさに自己実現アノミーと呼べる状態が生じている。」とは苅谷剛彦氏の言。
職業高校でエンジニアとしてのキャリアを思い描きながら、実際に工学を学びゴールに近づく、というアプローチは、普通科が圧倒的多数(かつ職業教育軽視)の日本ではむしろ稀です。
※詳しくは本田由紀著「教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ」をご参照のこと。

こうして見ると、現行のキャリア教育―逆算方式には改善すべき点が多数あることに気づかされます。
自分のやりたいことを見つけることなんて、大人でも大変なのに…と思う方は少なくないはず。
それを大人よりも職業経験の乏しい子どもにさせているわけです。

また逆算方式は大学生の就職活動の際にも主流になっている点も危惧するべきでしょう。
就職活動中に考えたキャリアプランと、社会人5年目で考えるキャリアプランとでは、どちらの精度が高いかは明白でしょう
逆算方式で打ち立てたゴールを達成することがその時々のベストであるとは限らないのです。

限界を迎えつつある既存の理論からどのように方向転換すれば良いか。
その答えの一つとなるのが、プランドハプンスタンス理論というわけです。

プランドハプンスタンス理論の課題ともうひとつのキャリア理論

とはいえプランドハプンスタンス理論は「ビジネス書」的要素が強く、個人の努力に任される部分が多いのが難点です。
「キャリア形成の80%は偶然」という観点は非常に重要ですが、ともすれば自己啓発の論調を感じます。

このプランドハプンスタンス理論を取り込みつつ、異なるキャリア理論を提唱しているのが金井壽宏教授です。
彼の提唱する「キャリア・トランジション・モデル」は、「ヤング・ミドル・シニア」とそれぞれのライフコースごとにキャリアの性質や課題を整理し、一貫したキャリア・デザインについて論じています。
「トランジション」とは「移行」であり、あるキャリア段階から次のキャリア段階へ移る「節目」に彼は注目します。 
以前に書評記事を書きましたので、詳細はこちらをご参照ください

改めて、「正解を選ぼうとしない」

偶然に左右される世界では正解を選ぼうとする態度がかえって望ましくない結果をもたらすものです。
就職活動でいえば、入社前(どの会社に入るか)よりも、入社後(内定先で充実した仕事ができるかどうか)の方がよっぽど大事なわけです。

今この瞬間にベストを尽くすことこそが、将来の可能性を拡げてくれるもっとも有効な手段だと僕は思います。
どれだけ一生懸命将来のことを考えたとしても、今目の前にある仕事で結果を出し、スキルを積み、人間関係を深め、可能性を広げていくことを怠っては意味がありません。

僕自身就職活動を経て思うことは、その瞬間瞬間を充実させてきた人たちの方が魅力的である、ということです。
正解を選ぼうとするあまり周囲の目ばかりを気にするようになり、世間的な評価基準(そんなものがあればの話ですが)に基づいてできる限り良さそうなところへと流れていくだけになってしまうのがもっとも怖いのはご存知のとおり。
その態度には主体性など存在しえず、目の前を横切る偶然を機会と捉える目も当然欠如しています。

正解を選ぼうとするな。選んだ選択肢を正解にするんだ。

こんな時代だからこそ、この言葉は金言たりえるのです。
改めて大島先生に感謝しつつ、一生この言葉とともに生きていきたいと思っています。

色々と書きましたが、プランドハプンスタンス理論は21世紀の教養として
誰もが認識するべき多くの示唆を含んでいるものです。

プランドハプンスタンス理論を一度学んでみたい方は、
まずは提唱者であるクランボルツ教授の著書↓を手に取ってみてください。

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