カテゴリ:読書の記録
2013/06/13
TEDにも出演し話題となったサルマン・カーン氏が著者。
Khan Academyのこれまでとこれからを自身の信念と絡ませながら紹介しています。
論理は簡潔でテキストの端々から情熱が溢れだし、一挙に読み終えてしまいました。
未来の(あるいは現代のあるべき)教育のビジョンをこれだけわくわくさせられるものとして描けるとは。
本記事では僕が気に入ったところをかいつまんでご紹介したいと思います。
「完全習得学習」というシンプルなアイデア
完全習得学習の根っこの部分を一言で言えば、生徒はある学習内容を十分に理解したうえで、もっと高度な内容に進むべきだということです。そんなの当たり前だと言われそうですが、完全習得学習の歴史はけっして平坦なものではありませんでした。
世界はひとつの教室 「学び×テクノロジー」が起こすイノベーション
著者が運営するKhan Academyの重要なコンセプトが「完全習得学習」です。
現在の単元を完全に理解してから次の単元に進む。
このアイデアは学習における自明なプロセスであり、当然のように感じられるでしょう。
しかし、実際に我々が課されてきた学校のテストを思い出してみてください。
我々が学習内容をその都度漏れなく理解していたなら、赤点どころか平均点もありえません。
完璧な理解とは100点がとれるということなのだから。
一般的な教育及びその評価システムは理解度(質)を保障するものではありません。
単に全員に同じ内容を同じ時間だけ指導した(量は担保された)というだけの話なのです。
ある単元の理解が不十分なために、得意教科に突然つまずく生徒は少なからず存在します。
たとえば「三角比」。正弦定理や余弦定理でつまずく生徒は少なくありません。
多くの場合(既に学習したはずの)分数の処理と方程式の理解が曖昧であることが課題になります。
著者がKhan Academyで実現しようとしているのは、まさに質の担保です。
そして、この思想はクリステンセン氏の「教育×破壊的イノベーション」に共通するものです。
これは非常に重要なアイデアです。
一人一人の理解のスピードは違いますから、こちらの方が合理的です。
しかし、(残念ながら)既存の学校制度を前提にすればこの発想に行き着くことはないでしょう。
参考:「教育×破壊的イノベーション」-教育問題の根本原因と解決案
社会的・政治的産物である現行教育制度の正当性
「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」
ウィンストン・チャーチル
(民主主義がそうであるように)教育も現在の姿が最善であるという正当性はどこにもありません。
いまや当たり前になった授業や学期や学年の長さ、一日何時限という区切り、学習内容の「教科」への細分化などは、いったいどのような経緯で誕生したのでしょう?(中略)当時は先鋭的だったK-12教育(初等・中等教育)のイノベーションの数々は、じつは十八世紀のプロイセンに端を発しています。ひげから帽子、行進のしかたまで、何もかもが堅苦しいあのプロイセンで、いまの基本的な教室モデルは発明されたのです。(中略)プロイセンの哲学者にして政治理論学者、この制度整備のキーパーソン、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテは、制度の目的を隠そうともしませんでした。彼はこう書き残しています。「人に影響を及ぼしたいのなら、話しかけるだけでは足らない。その人をつくり変えなければならない。あなたが望む以外の意思決定をできないように」
世界はひとつの教室 「学び×テクノロジー」が起こすイノベーション
政治的な意図と経済的な制約とからスタートした現在の教育制度も、一定の成果を出したことは間違いありません。
しかし、学年の横割りや「教科」の縦割りは、あくまで「大人の事情」です。
それが改善できる(そしてより良い効果を得られる)のならば改善すべきものであるはずです。
「大人の事情」で”スイスチーズ”のように穴だらけにされた生徒の理解。
学校で学んだことを実社会に応用できない大人たち。
設備や人材といった資源を遊ばせている夏休み。
実に義務的な目的で課され、家族との時間を奪う宿題。
著者は現行制度の犠牲者をこれ以上増やさぬためにも、抜本的な解決策を描いていきます。
「世界はひとつの教室」
未来の学校は垣根のない「ひとつの教室」を中心にすべきだと私は思います。さまざまな年齢の子がいてかまいません。一方的な講義や画一的なカリキュラムに支配されることがなければ、それができない理由はありません。(中略)年上の生徒やできる生徒が、理解が遅い生徒を教えたりして、先生の助っ人をします。年下の生徒は、お兄さんやらお姉さんやら、いろいろなお手本に接することが出来ます。
世界はひとつの教室 「学び×テクノロジー」が起こすイノベーション
マイペース学習(完全習得学習)が可能になれば、学年・学級の垣根はなくせる。
著者は、ここで生徒同士のコミュニケーションが生じるというポジティブな面を強調しています。
年齢混合クラスの必然的帰結としてさらに提案するなら、生徒と先生の比率はそのままに、クラスを合併してはどうでしょう。(中略)ただ、二十五人の生徒と孤独な先生がひとりいるクラスが四つあるよりは、七十五~一00人のクラスに先生が三~四人いたほうがよくはないか、と思うのです。これにはいくつかの明らかなメリットがあります。
世界はひとつの教室 「学び×テクノロジー」が起こすイノベーション
教員はチームとして生徒の指導に当たり、それぞれの強み・弱みを補完しあうことが出来る。
これは現行の制度(そして学校という施設)から出発して思いつくものではないですね。
また、マイペース学習が導入されれば教科指導の時間は現状より削減できる、と著者は言います。
であるならば、そうしてつくった時間をより創造的なプログラムにあてることもできます。
僕はまだKhan Academyのプログラムを体験したことがありません。
著者の思想をジャッジするにはまだ早いかもしれませんが、実に魅力的な提案でした。
日本語翻訳プロジェクトもあるようなので、ちょっと試してみます。
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カテゴリ:世の中の事
2013/05/08
「イノベーションのジレンマ」で有名なクリステンセンの著作。
タイトルにあるとおり、アメリカの公教育産業や教育研究の課題を挙げながら、
その解決策としての破壊的イノベーションの導入方法について書かれています。
クリステンセンの著書はこれが初めてでしたが、面白く読めました。
なるほどと納得できる部分が多かったですね。
話が大きいので書かれているままを信じるのは怖いところがありますが、
言語化されずにいたイシューをすっきりとまとめる腕力には感嘆してしまいます。
公教育の問題…キーワードは”動機づけ”
本書は日本語版の刊行にあたり、著者による日本人読者向けの解説が追加されています。
要約すると、こんな感じです。
日本は戦後教育によって優秀な理工系学生を多数輩出し、技術力によって欧米の競合を蹴散らした。
しかし、今や理工系への進学者は低下しており、日本の技術的地位は危ういものとなっている。
この現象は経済的な繁栄によってもたらされた。
日本が豊かになり、技術を身に付けて賃金や社会的地位を得ようという外発的動機づけが失われた。
日本の教育制度は、厳しいがやりがいのある理工系科目にも自発的に取り組む生徒を増やすため、
それらの科目を内発的動機づけが持てるような方法で指導することを模索しなければならない。
日本向けに書かれてはいますが、本書の主張はここにあります。
良い大学に入り、一流企業で定年まで勤め上げることが必ずしも幸せではない。
それはバブル崩壊以降の日本が証明してきたことです。
つまり、勉強自体が楽しくない子どもにとっては、勉強する理由が失われつつあるということ。
外発的動機づけに頼ることができなくなった今、教育制度が目指すべきは
内発的動機づけにより生徒が自発的に取り組める学習方法の実現である、と著者は言います。
ごもっともな意見ですが、多くの教育研究者がこの課題の解決に苦労しているのが実際のところ。
クリステンセンは、自身の専門性を武器にこの複雑な課題に真っ向から切り込んでいきます。
内発的動機づけが持てる学習方法とその障壁
クリステンセンが早速述べているのは、「人によって学び方が違う」ということ。
ここでは「多元的知能理論」という基礎心理学の分野の研究が引用されています。
本書で紹介されている、心理学者ハワード・ガードナーによる八つの知能のタイプの分類は以下の通り。
・言語的知能
・論理・数学的知能
・空間的知能
・運動感覚的知能
・音楽的知能
・対人的知能
・内省的知能
・博物学的知能
こういった知能のタイプと教育方法とがマッチしたとき、生徒は意欲的に学習できるそうです。
つまり、「内発的動機づけが持てる学習方法は一人ひとり異なる」ということ。
著者が目指すのは、(教師中心でなく)生徒を中心とした学習の個別化です。
この理想的な提案に対する反論はほとんどないでしょう。実現可能性を疑わないとすれば。
生徒は学習の個別化を求めていると認めるとして、現実の教育現場はどうでしょうか。
実際の学校教育では、個別化よりもむしろ指導の標準化が進んでいるのが実情です。
カリキュラム作成から校舎の配置まで、一つの改善のために違う部分の変更がただちに必要となるような
相互依存的な学校制度が前提となっていることがその理由として挙げられます。
著者はこれを工業型モデルと言っていますが、工場や飲食店のマニュアルの如く、
どこで誰がやっても同じ品質(=学力)を達成するには、プロセスを一律のものにする必要があります。
指導要領を作るのは各教科の専門家。そこに都道府県の方針が組み込まれ、教育委員会も手を加え、
各学校において各学年の学習内容の一貫性を踏まえた上でカリキュラムとしてようやく形になる。
指導方法も一斉授業が基本だから、クラスの学力を勘案して平均的なレベルの授業が展開されることになる。
ここまでくると、実際に指導を行う教員の裁量はほとんど残っていません。
学習の個別化とは生徒が各々の学習スタイルで自分で進度を判断しながら学べるということ。
定期的に試験を行う現行の方法では漏れがでてくるし、学力定着の評価も難しいのです。
新しい学習システムとは
生徒中心の教育を実現するためには、生徒の学習を個別化するシステムと、
その立ちはだかる障壁を乗り越えてそのシステムを導入する方法とが必要となるでしょう。
前者について、著者はコンピュータの導入の可能性を強調しています。
同じ数学という科目でも、様々な知能のタイプに応じた学習用ソフトウェアが開発されれば、
生徒は自分自身に合うソフトウェアを見つけ、それぞれのペースで取り組むことができます。
教員は授業を実施するというよりも、チューター・学習コーチとして
生徒中心の学習システムを支えたり、ソフトウェアを開発したりする役割を担うことになります。
「評価(テスト)はどうするのか」という疑問も出てきますが、バッチ処理的な現行方式では、
その時点での到達度は計測できても「次に進んで良いか」の判定にはほとんど使えていません。
ここで、自動車会社のトヨタの整備士の訓練プログラムが例として紹介されています。
トヨタでは、整備士をトレーニングする場合、一度に全工程を教えるのではなく、
「ある工程がマスターできなければ次の工程を教えない」という手法をとっているそう。
そう、生徒中心の学習システムにはこの方式を取り入れてしまえばいいのだと。
現在の学校は「時間は一定、成果はまちまち」ですが、
生徒中心の学習システムとこの評価方法によって「時間はまちまち、成果は一定」とできます。
ある単元を理解して初めて次の単元に進めるというように、学習の中に評価の工程を組み込めば、
わざわざ手間をかけてテストを作り、定期試験でまとめて評価を行うという必要はありません。
生徒中心の技術はどのように導入されるべきか
さて、先述のシステムをそのまま適用しようとしても、失敗は火を見るより明らかです。
そこでクリステンセン氏は、生徒中心の学習システムを「破壊的に」導入することを提言します。
(破壊的イノベーションについてはこちら)
破壊的導入は「コンピュータベースの学習」→「生徒中心の技術」の二つの段階を辿ります。
もちろん、これらのステップは著者のイノベーションの理論に基づいています。
まずは進級・進学に必要のない知識の学習の分野を狙います。
いきなり現行の教育制度がカバーする主要科目に手を出すのは難しいでしょう。
学校にも指導のノウハウがあり、優れたテキスト教材も書店で購入できるわけですから。
逆に、生徒が突然「デンマーク語を勉強したい!」と言ってくるケースを考えてみましょう。
一般的な日本の学校にはこのニーズに対応する方法はありません。
この「無消費層」にコンピュータベースの学習を導入していくのが事の始まりになります。
そうこうするうちに、youtubeやiTunesのように技術的なプラットフォームが現れるなどして、
教育ソフトウェアの開発は素人でもできるようになることだって考えられます。
(実際、少しずつそのようなプラットフォームが世に出回り始めています)
多様なソフトウェアが集まれば、あとは生徒が自分自身でカリキュラムを組み、学習するだけ。
教育内容を別とすれば、コストやアクセシビリティなど、
様々な面でコンピュータベースの学習は現行の教育制度より利点が多いことも見逃せません。
少子高齢化時代でも教員数を削減できるので、学校の統廃合も減らせるかもしれないのです。
筆者はここに、「生徒中心の技術」が現行制度をひっくり返せるポテンシャルを見いだしています。
まとめと感想とか
まとめてみると、こんな感じ。
経済繁栄
↓
勉強への外発的動機づけの低下=教育の諸問題の根本原因
↓
新しい動機づけ=内発的動機づけを学習に!
↓
意欲を持って取り組める学習は一人ひとり異なる
↓
一枚岩式の授業から、生徒中心の個別学習を実現すればよい!
↓
コンピュータを軸にした生徒中心の学習システムを破壊的に導入しよう!
「全員が意欲的に学習する」必要性は、教育が命題として課されている「貧困の撲滅」によるところが大きいということも忘れてはいけません。
実際、親の社会的階級や経済力が子どもの将来に引き継がれる事態は日本でも見られます。
家庭環境の格差による影響を、教育は学力格差の縮小という形で対応して来ました。
それでも現行の教育手法では限界がある、ということも個別学習の実現への動機付けとなっています。
本書では、教育研究のあり方や学校の組織としての構造についても言及しています。
これが結構面白い。あと、幼児教育に対する欄もあります。
(ここまで言及するとますます長くなるので、本記事では省略)
生徒の知能のタイプがどうとかは別として、たぶん一人ひとりに合った学習方法はあるはずで、
学校の中で幾つかの学習方法の中から「より意欲的になれる」方法を選択できるなら、その方がいいはず。
といっても子どもは”合目的的に”選択することはできないから、ここに新しい役割を担う教師の出番がある。
本書で描かれる未来の教育を想像しながら、これは北欧の教育制度に似ているかも、と思いました。
直接目にしたわけではありませんが、「個」を重視する姿勢は共通しているのではないでしょうか。
教師の役割も、日本とは大きく異なる印象がありますね。
個人的にはコンピュータベースの教育プログラムやソフトウェア自体は増えていくだろうと思います。
(というか増えています)
そして、それは徐々に家庭や友達同士など、ごく小さな範囲から普及していくことでしょう。
きっと、PC、iPad、Nintendo DSといったデバイスがその普及を手助けすることになるはずです。
誰でも手軽に教育ゲームを作れるプラットフォームだって開発されるのもそう遠くない未来の話かも。
あとは、本当にコンピュータで教育効果を出せるの?という素朴な疑問を検討するのみですが、
正直なところ、僕には「良い」も「悪い」も言えるだけの判断材料がまだありません。
学校に導入されたコンピュータは有効活用されていないのは明らかで、
「コンピュータを使った教育といったらこれ」といえるものもまだありません。
今は映像教材が主流でしょうか。Khan Academyもそうですね。
トータルで見ておすすめな本です。
教育に対しての新しい見方を求めている人は、ぜひ読んでみてください。
※本記事は過去のブログから転載しました。
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カテゴリ:世の中の事
2013/03/07
前職の同期から「海士町のことをブログで紹介してよ」とリクエストがあったので。
しがないIターンでしかない僕なんかが偉そうに紹介してよいものかと心配もありますが、
2年半の海士町での暮らしを通じて見知ったことをここに記録したいと思います。
今回は海士町の教育分野の取り組みから。
(「教育」「産業」「まちづくり」の3部構成の予定です)
海士町@隠岐の注目すべき取り組み:産業編はこちら
海士町@隠岐の注目すべき取り組み:まちづくり編
※紙面の都合上、独断と偏見で一部の取り組みのみ紹介させていただいております。
※記事の情報は2013/3/7現在
1.高校魅力化
まず、僕が海士町で関わっているプロジェクトからご紹介しましょう。
海士町には隠岐島前地域(海士町、西ノ島町、知夫村)唯一の高校、「隠岐島前高校」があります。
現在は県立高校ですが、元々は地元の有志がたいへんな苦労をかけて分校を設置したのがはじまりでした。
それだけ地元の人の思いが込められた高校だった、というわけですね。
ところが、近年は少子化の影響で入学者が減り、一時は1学年28名にまで落ち込んでいます。
生徒数減に伴い教員数も削減され、教育環境としても本土の進学校や運動部の強豪校との落差が顕著になってきました。
島根県の規定では入学者数が21名を下回ると統廃合の対象になってしまいます。
地域内の子どもは減少の一途をたどっていますから、統廃合は目と鼻の先でした。
そこで立ち上がったのが「島前高校魅力化プロジェクト」です。
「魅力化」という言葉には、「島前高校を魅力的な教育の場にしよう」という想いが込められています。
「存続させよう!」と声高にさけぶような高校には誰も来たくないですしね。
「島内の子どもだけでなく、島外からも進学希望者が集まるくらい素晴らしい教育環境をつくる!」
強い危機感から始まったこのプロジェクトは、県の管轄である島前高校と三町村の協力の下、着実に成果を出しています。
全国から進学希望者を募る「島留学制度」を導入し、平成24年度現在、島前高校の全生徒のうち3割強が東京、大阪など島外出身者で占められています。
平成23年度には志願者数が久々に定員をオーバー、平成24年度には僻地の高校では異例のクラス増を達成しました。
また、高校生が地域の魅力を生かした観光プランを競い合う「第一回観光甲子園」で文部科学大臣賞(グランプリ)、平成23年度には「キャリア教育推進連携表彰」を受賞など、各方面で評価を得ています。
さらに本プロジェクトを通じて公設民営塾「隠岐國学習センター」が設置されました。
単なる学習塾・予備校とは異なり、高校の教員と定期的に打ち合わせを持つなど島前高校との連携を重視しているのが特徴です。
偏差値だけでなく社会で求められる力を伸ばすことも重視しており、「夢ゼミ」という特徴的な授業も実施しています。
隠岐島前高校の一連の取り組みは注目を集めており、全国からの視察が絶えません。
離島・中山間地域の学校は同様の課題を抱えているケースが多く、「島前高校魅力化プロジェクト」の取り組みは全国のモデルケースになる可能性を秘めているといえます。
2.子ども議会
海士町は町内の小中学校を対象にしたキャリア教育にも非常に熱心に取り組んでいます。
その中でも特徴的なのが「子ども議会」ではないでしょうか。
子ども議会は毎年1回開催され、町の小学生たちが町長はじめ町の重役に対し自分たちが考えたまちづくりのプランを提案していきます。
町長も「実際の議会より真剣になる」と冗談交じりで話すくらいに子どもたちの迫力はすごいもののようです。
実際のところ、子ども議会はそう珍しいものではなく、全国に事例があるようです。
しかし海士町の子ども議会のすごいところは、実際に子どもたちの提案がいくつか実現している点。
大人が本気だから、子どもたちも本気で提案できるわけです。ここに海士町の凄みがあるように思います。
※実を言うと僕は傍聴したことがありません…。
町民の注目度が非常に高く、いつも傍聴席が満席になるからです。
3.島まるごと図書館構想
役場の裏手にある中央公民館に入ると、日当たりの良い木造の建築が目に入ります。
平成22年に開館したこの海士町中央図書館を中心に、島内の読書環境の向上を目指すのが「島まるごと図書館構想」です。
こんな素敵なテラスも
もともと海士町には図書館がなかったそうですね。
さらに、海士町はそう大きくない島とはいえ島内の移動には車が不可欠です。
せっかく新しい図書館を建てたところで、子どもやお年寄りが通いにくいのでは意味がありません。
そこで海士町では、島内の各地区にある公民館や港、福祉施設など島内の所定の場所ならどこでも本を借りられる仕組みを導入しました。
町内の保育園、小中学校、高校の図書スペースと連携した環境整備も進められています。
本の読み聞かせや読書会など図書館を活用したイベントも積極的に開催されています。
僕は本を買って読む派なので図書の貸し出しを利用したことはありませんが、イベントにはたまに足を運んでいます。
中央図書館には海士町や隠岐に関連した資料、海士町の記事が掲載された雑誌など取り揃えられており、無料のカフェコーナーまであります。
無線LANも利用可能で、島外から来た人もうらやましがるほどの充実振りです。
海士町の「人づくり」に対する「本気」
他にも小中学生を対象にしたサバイバルキャンプ「アドベンチャーキャンプ」や一週間にわたる職業体験学習、「子どもダッシュ村」など、海士町では「人づくり」の分野で数多くの実践があります。
人口2300人弱の島でこれだけの実践をしていること自体、他地域から見れば驚異的に写るかもしれません。
「人」は地域の持続発展の核であり、教育は手を抜くことの出来ない分野です。
「まちづくり」や「地域活性化」で有名な海士町ですが、海士町の本当の”強さ”は教育に対する並々ならぬ情熱にこそ現れていると思います。
大人が変われば子どもが変わる。子どもが変われば未来が変わる。
海士町の大人たちは、子どもたちのために、地域の未来のために、今日も本気で「人づくり」に励んでいるのです。
(なんかえらそうな書き方ですいません…!)
※海士町長が書いた書籍もありますので、興味のある方はそちらもぜひ。
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