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アクティブラーニングなるものの取り扱いについて

カテゴリ:世の中の事


アクティブラーニングをどのようなものと捉えればいいのだろうか。(一斉講義と対立する意味での)授業手法のことなのか、思想の問題なのか。情報を得れば得るほど、全体像が掴みづらいものになっている。あたかも「地域活性化」のようなバズワードの宿命を辿っているようにもみえる。

一つ言えるのは、アクティブラーニングは手段であり目的ではない、ということなのだろう。アクティブラーニングは、それ自体が万能なものではない。結局は、限られた時間の中で学習者の学習を最大化するという目的を実現するための試みであって、それはもちろん長年の一斉指導の歴史の中でも同様に中心に据えられた目的だったはずだ。だから、アクティブラーニングを一斉指導と対立させる分かりやすさは、一方でアクティブラーニングというものへの誤解を生む温床にもなっている。

しかし、一斉指導が当たり前であり続ける以上は、教員の授業力の担保に限界がある、というのも良く分かる。アクティブラーニングというタグ付けをすることで、試験だけでなく普段の授業から「学生が知識や技能を習得し、能力を身に付けているかどうか」に注意を払うことが促されるかもしれない。それだけでも、学校教育は進化を遂げるはずだ。

もちろん、そんなことを言われる前からきちんと学習者を中心に据えて授業を実践してきた先生方からすれば、ここに何か真新しい議論があるようにも見えないのだろう。アクティブラーニングというものに対しては、だからこれくらいの期待値でよいのかもしれない。何も特別な話ではないのだ。

こんな動画もある。もし興味があれば、全体像を知るのにちょうどよいかもしれない。


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ディープ・アクティブラーニングのメモ:第5章・理解か、暗記か?

カテゴリ:読書の記録


本書は第5章から「第Ⅱ部・様々なフィールドでの試み」に入る。ディープなアクティブラーニングを追究する実践事例や様々な工夫が紹介されている。この章では初等物理学の授業で著者が実際に採用している「ピア・インストラクション」という手法がテーマだ。

ピア・インストラクションとは

ピア・インストラクションは以下のような流れで構成される授業手法である。

1.重要な単一のテーマ・トピック(キーコンセプト)に関する講義
2.概念的課題(コンセプテスト)の提示
3.課題について個人思考
4.課題について近くの学生とディスカッション
5.課題の回答の解説

この1~5は1サイクルが約15分というごく短時間に収まる。それくらいにトピックを絞り、このサイクルを講義時間中に何度か回す。2~4のコンセプテストの結果、学生の理解度が高まっていないと感じたときは5の部分にもう少し時間をかける。学生の理解に沿った柔軟な授業運営が前提になっており、著者はそのために扱うトピックも厳選し、振り返り用の時間をシラバスに組み込んでいるそうだ。

著者の問題意識は、初等物理学の授業が、概念の理解よりも公式の暗記やそれに基づく数理計算に偏っていることにあった。それは、教材の提示のされ方が一方向的で、学生の批判的な思考を養う前提でつくられていないことも大きく関与している。これは(ディープ・)アクティブラーニング導入のモチベーションとほぼ一致するし、何よりこれまで学校教育を受けてきた人の多くが実感するところだと思う。「教授パラダイム」の限界はすでに来ているのかもしれない。

ピア・インストラクションのポイント

この手法のポイントは、第一に良質なコンセプテストを十分に準備すること。数理計算のみでは解決されないような概念的な問題が望ましい。コンセプテストは多肢選択問題として出題される。例えば、以下のようなものだ。

水が縁いっぱいまで入っているバスタブがあるとしよう。その横にそれとまったく同じバスタブがあり、やはり水が縁いっぱいまで入っているが、そちらには戦艦模型が浮かんでいる。どちらのバスタブの方が重いだろうか。
1.最初のバスタブ
2.戦艦模型が浮かんでいるバスタブ
3.どちらも同じ

ディープ・アクティブラーニング

僕も高校のときは物理選択だったし、大学でも力学の授業を少しだけ受けたことがあるが、こういったシンプルな問題が物理の試験で問われた記憶はほとんどない。多肢選択式であっても、だいたいは公式の暗記ができているかの確認だった。この出題方式であれば自分の考えを持った上でそれを他者に説明するということがやりやすいと思う。

もう1つは「リーディング・アサインメント」、つまり事前にテキストやノートを読むよう学生に求めること。いわゆる「予習」だ。これは高校時代に僕もやっていたし、できるならばこの方が学習の効率は上がるはずだ。そういう意味で、「反転学習」まではいかないが、教員と他の生徒がいる「授業」という場の価値を重視したスタンスというふうに捉えることもできるのではないか。

感想

本書を読み進めるたびに、学校教育の「当たり前」として存在していた様々な課題に素朴な疑問を持ち、正面から真摯に取り組む実践者が増えてきているのだなと感じる。学生の成長を目的とすれば、ごくごく自然な方向性なのかもしれない。

また、このピア・インストラクションは第4章の「協同学習」を地でいっていることも分かる。本書の冒頭にあるように、「理論と実践を結び付け」ていく構成が、理解をより深める手がかりとなる。非常に読みごたえがある。引き続き、読み進めていきたい。


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ディープ・アクティブラーニングのメモ:第4章・協同による活動性の高い授業づくり

カテゴリ:読書の記録


第4章では、アクティブラーニング型授業の主要なテーマである「協同学習」が取り扱われている。

授業に組み込まれたグループ活動に注意が集まり過ぎ、学生に何らかのグループ活動をさせればアクティブラーニングになるといった極端な認識も見受けられる。形はアクティブラーニングであっても、学習成果の乏しい授業が散見される。

ディープ・アクティブラーニング

「這い回る経験主義」から脱却し、授業の質をいかに高めるか、特に、協同学習に期待される効果をいかに引き出すか。これが本章のテーマだ。

結局、協同学習って何がいいの?

協同学習は、学生1人ひとりに仲間と共に学ぶ喜びや楽しさを実感させ、確かな学力と自己の変化成長をもたらす、教授学習に関する理論である。グループ学習の単なる技法ではない。

ディープ・アクティブラーニング

そもそも、協同学習が”良い”とされるのはなぜか。

協同に基づく活動性の高い授業を展開すると、1つの授業科目で認知的側面と態度的側面が同時に獲得できる(認知と態度の同時学習)。

ディープ・アクティブラーニング

「認知」とは授業内容そのものや知識、あるいは読解、コミュニケーション等のスキルを指す。「態度」とは、協同に対する認識、動機づけ、学習・仲間・学校に対する見方等を指す。「これまでは、科目の学習指導は授業時間内で、それ以外の訓育的な学生指導は授業時間外で行うものである、という認識が強かった」のだが、この協同学習はその両立が可能ということだ。また、協同学習により、学生の成績がその高低にかかわらず伸びるとする研究結果もある。さらには、学習事項の活用力も高まり、深い学びが実現するということだ。

これだけ見ると、協同学習を取り入れない理由はない。では、協同学習はいかにして成り立つのだろうか。

協同学習の基本要素

単なるグループ学習と区別するため、協同学習は次の5つの基本要素を満たしているものを協同学習と呼ぶ。

1.肯定的相互依存:目標達成のために学生が各自の力を最大限出し合い、お互いに依存し合うことが求められる
2.積極的相互交流:学生同士の積極的な交流・教え合い・学び合いが前提とされる
3.個人の2つの責任:学生は「自分の学びに対する責任」と「仲間の学びに対する責任」の2つの責任を負う
4.社会的スキルの促進:学習スキルや対人関係スキルをグループでの学び合いに必要なレベルにまで意図的に教え、使用を促す必要がある
5.活動のふり返り:学習活動における自他の言行をふり返り、何を続け、何を止めるべきかを考える時間を持つ

もちろん、協同学習の導入期はすべてが満たされることはないから、これらを満たすように授業実践すべし、ということになる。いずれにせよ、日々の授業の中で意識的に「訓練」する必要がある。

その他に、「肯定的相互依存、個人の2つの責任、参加の平等性、活動の同時性」という4条件を満たす必要がある、という研究者もいる。両者とも「肯定的相互依存」と「個人の2つの責任」の2要素を伴うのは無視できない。「参加の平等性」と「活動の同時性」については、発言量が平等で偏りがないこと、かつグループの人数が適切で多様性がありながら発言量が担保されていること等がポイントとなる。

協同学習の具体的な方法

協同学習の技法には、「LTD話し合い学習法(本書でも紹介されている)」、「グループ・インベスティゲイション」、「プロジェクト・ベース学習」、「PBLチュートリアル」など多くの種類があるらしい。それらの基本構造は、「課題明示→個人思考→集団思考」が共通にあるという。

協同学習ではグループの学び合い(集団思考)の前に、必ず個人での学び(個人思考)を求める。学び合う仲間1人ひとりが、個人思考を通して自分なりの意見をもつことにより、グループでの学び合いは深まる。また、個人思考や集団思考を求める前に「何を、どのように、どこまで考えるのか」、その目的と手順を明示することが(課題明治)、主体的かつ能動的な学習活動を促す。課題明示がなければ、学生は授業の流れを見通せず、その都度、教師の指示を待たなければならない。これでは主体性の育成にはつながらない。

ディープ・アクティブラーニング

単にグループ活動を取り入れた授業の陥りやすい落とし穴がここにありそうだ。目的や流れが明示されていない、個人思考の時間をとらずにグループの活動に入る、など、大人向けのワークショップでもありがちな失敗だと思う。

実際に協同学習を導入するにあたってのポイントもいくつか紹介されているが、気になったものだけピックアップしてみる。

・簡単な技法を忠実になぞるところから始め、徐々に複雑な技法に挑戦するのが良い。
・課題明示は口頭のみでなく、プリントやスライド等用いて視覚的にも訴えられるようにする。
・グループ活動中はモニタリングに努め、介入はなるべく避ける。介入が必要と判断されれば全体の手を止める。

「課題明示」の重要性はどれだけ強調してもし過ぎることはない、といったところだろうか。明示するということは、学生にきちんと伝わらなければ意味がなく、そのための労力は惜しんではいけないということがわかる。

また、「グループ活動中に介入すべきでない」というのは、経験的にもその通りと思う。教員が介入すれば、グループの課題の達成は教員にも依存することになる。どうしたって権威的な位置にいる教員がグループに何かを語りかければ、グループの成員はみなそれに耳をかたむける。それはグループ全体が思考停止しているのに等しい。彼・彼女らは自ら考えることを放棄する。

協同学習は方法か思想か

この章内では特に言及がなかったので気になったのだが、本書に通底する「教授から学習へのパラダイム転換」が具体的に教室をどのように変えるのかについて理解しておかなければ、協同学習の実践は現場に混乱をもたらしかねないと思う。授業中に学生が誤った方向の議論をしていたとしても、教員はそれを直接介入して止めることは推奨されていない。これは教授パラダイムでは理解できない部分があるように感じる。

そういう意味でも、協同学習の導入は試行錯誤の連続になるのだろうなと思う。せめて、その曲がりくねった道のりを楽しむことができるような心持でありたい。


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