カテゴリ:読書の記録
2016/03/09
「アクティブラーニング」をちゃんと理解するために、
知人に薦められていた本書を購入。
内容は詰まっているが決して難しすぎず、
ブログにメモしながら読むのがよさそうなので。
アクティブラーニングの反省
「這い回る経験主義」という言葉があるが、
今日のアクティブラーニングは同じ失敗に陥っている。
そもそも、アクティブラーニングは
「網羅に焦点を合わせた指導」としての
講義形式の授業のアンチテーゼとして登場した。
しかし、今日のアクティブラーニングの実践の幾つかは
「活動に焦点を合わせた指導」に終始し、
対極にある講義型の問題は結局未解決のまま、
あるいは新たな問題が生じている現状がある。
ディープ・アクティブラーニング
「ディープ・アクティブラーニング」とは、
「深い学習」「深い理解」「深い関与」と、「深さ」の次元を考慮し、
真の意味で能動的な学習のあり方を提案するものだ。
「深さ」について言及する前に、
その前提となる”学習サイクルの6つのステップ”を紹介したい。
動機づけ―方向づけ―内化―外化―批評―コントロール
このうち、現状のアクティブラーニングで課題となりやすいのは
「内化(必要な知識の習得)」と「外化(知識の適用)」である。
講義型指導は内化に偏重しているという批判があったものの、
そのアンチテーゼは内化を軽視し過ぎたきらいがある。
そうした反省と次の段階への提案が本書に詰まっている(ようだ)。
以下、雑多にまとめていく。
・先行研究として学習への「深いアプローチ」という概念があるが、
評価方法もまた「深いアプローチ」を促す/阻害する要因となる。
・学習対象と能力のいずれもが重要と認識するべきである。
同時に、過去には知識そのものは低次のものと捉えられていたが、
「内化」と「外化」を繰り返す中で理解が深化することを考慮すべきである。
・身体的な活動に焦点をあてるのではなく、
”知的に”活発な学習の実現にこそ注力すべきである
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カテゴリ:自分事
2016/03/08
本書で示されている「2020年大学入試改革」と
その方向性はなんとなくつかめたし、
ロジカルなその解説は納得感が高いのだが、
そのためにかえって判然としない点がある。
(著者のいうところの「モヤ感」だろうか)
子どもたちに高度な能力を身に付けてほしい、というのは分かる。
しかし、それはあらゆる子どもたちに求められているのだろうか。
これまでの教育は知識偏重である、という指摘はごもっともだ。
試験をパスすることが目的のいわゆる「浅い理解」に留まり、
もっと有意義な時間が過ごせるはずなのに!と
やるせない気持ちになる気持ちは僕にもある。
そうした想いはありつつも、ならばあらゆる子どもに
その教育課程において非常に高度な能力を求める、
というのは、それもまた強烈な違和感がある。
何よりも、著者が「あらゆる」子どもという射程を
極端なまでに想起していない、という印象が強い。
これからの大学入試改革の念頭にあるのは
エリートである、と言われた方がむしろ納得がいくくらいに。
2020年以降に進学先を失うかもしれない人たちのこと
そもそも、日本の大学進学率向上の背景には
「大学生の学力低下」や「マージナル大学」など、
大衆化と切っても切れない課題がある。
ものすごくぶっちゃけて言えば、
これまで大学に行くと想定されなかった層までもが
大学に進学している事態すらある(と思っている)。
そうした人たちが大学入試改革で振り落されるとしたら。
想起されるのは、たとえば「G/L論争」であったり、
その派生?としての「専門職大学(仮称)」である。
海外の事例としては、アメリカのコミュニティカレッジ、
フィンランドのポリテクニックなどだろうか。
大学入試改革の方向性はわかった。
この改革が目指すものに基づいた教育が実現できるのなら、
学校や教室はより子どもにとって意義あるものになるだろう。
しかし、それはグランドデザインとして十分なのだろうか。
取りこぼすものが出て来やしないだろうか。
そんな宿題を抱えつつ、まずはもう少し
大学入試改革がめざすもの、そしてそれとセットになる
「アクティブラーニング」についてもう少し勉強してみたい。
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カテゴリ:読書の記録
2016/03/07
とある先生が紹介していた本書。
「生きる力」というものがある。
文科省によると、この「生きる力」を養うのが「学力の3要素」だそうだ。
◎知識・技能
◎思考力・判断力・表現力
◎主体性・多様性・協働性
ところが、現行の大学入試ではセンター試験・2次試験において
「思考力・判断力・表現力」を問うのが関の山となっている。
小中高における学習の事実上の集大成がこれなのだから、
普段の授業で「主体性・多様性・協働性」を取り扱われることもない。
「ゆとり教育」に始まる一連の改革は、普段の授業を変える試みだった。
が、ご存知の通り、期待通りの成果は挙げられなかった。
そして、文科省はついに本丸に狙いを定めた。
2020年、大学入試はどう変わるのか
結論から言えば、まだはっきりと決まっているわけではない。
著者は海外の試験制度等も紹介しながら、
学力の3要素と新しい入試制度をこう結び付けている。
・高等学校基礎学力テスト ― 知識・技能
・大学入学希望者学力評価テスト ― 思考力・判断力・表現力
・各大学個別独自入試 ― 思考力・判断力・表現力+主体性・多様性・協働性
位置づけとしては現在のセンター試験に相当する
「大学入学希望者学力評価テスト」はPISA型の問題が想定されているそうだ。
各大学個別独自入試ではさらに「主体性・多様性・協働性」が問われる。
これを著者は「自分軸」と表現しているが、なるほど、
小論文の問題文の例には「あなた」という文言が頻出しており、
かつ賛成/反対の明示を求めず、「考えを述べよ」という形式が目立つ。
批判的思考を求めるならば、軸となる自分が必要だ。
著者の指摘は当たり前だが新鮮だった。
ちなみに、この「自分軸」を育むためにも
アクティブラーニングが重要なのだ、という話だが、
それはまた別記事にまとめてみたい。
「自分軸」と東大生ノート
本書を読み始めてまもなくのタイミングで、
太田あやさんの高校生向けの講演を聞く機会があった。
そこで印象に残ったのは2つ。
・東大生の美しいノートは試行錯誤の賜物だということ。
目標達成のため、自分に合ったノートをつくるという
東大生たちの執念が、講演の各所で感じられた。
・ルールを決めてマークや色を使うという話。
ノート術としては当たり前といえば当たり前だが、
「何が重要なのか?」を最後に判断するのは常に自分である。
そう、東大生のノートは「判断」の積み重ねの結果なのだ。
アクティブラーニングが流行っているためか、
ノートをとる行為は受動的なものとみなされがちである。
しかし、真に意味のあるノートをとるためには、
自分に即したものを自分で考え判断し試行錯誤するという
非常に能動的な学習のプロセスが発生する。
これだって「自分軸」を育んでいると言えるんじゃないか。
「どれくらい予習をしておいたらいいかわからない」
と質問している生徒がいた。○ページ分…?○単語分…?
太田さんの「それは自分が一番分かっているはず」
という回答に、僕は思わずうなずいてしまった。
大学入試改革の方向性自体に賛否はないが、
今の教育でもできることを取りこぼさないでおきたいものだ。
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