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“give and give”の精神は多数の”take”から始まるかもしれない

カテゴリ:世の中の事


「日々、周囲への感謝を忘れないようにしなさい」

この耳障りの良い言葉には、見落とされているものがあると思う。
ある事象に対して感謝が先行するということはあるのだろうか。

周囲の人や自分が今いる環境に対して感謝するためには、
感謝するだけのものを受け取る必要がやはりある、と思う。

「日々、感謝する」という態度が表出する瞬間とは、
例えるならコップから水が溢れるときにも似ていて、
与えられ続けてきた蓄積が、ある時点から感謝に転移する、
そういう類のものなのではないかというのが最近の仮説だ。

“give”は”take”から始まるかもしれない

ビジネス書なんかでよく言われることに
「”give and take”ではない。”give and give”だ。」という言葉がある。

はじめから見返りを求めてはいけない。
見返りがなくとも与え続けることで初めてリターンが来るのだ。
そんな感じの解釈だったと思う。個人的には割と好きな言葉だ。

「感謝」について色々と考えているうちに、
“give and give”もまた、前提として”take”が必要ではないかと気づくに至った。
“give and give”する側になるには、
“take”する側(“give”される側)にまずなっておくべきなのではないか、と。

見返りを求められない好意を受けていたことが、
見返りを求めない”give”を提供する側の素養となる。

また、”give”は”take”のニーズによって成り立つ行為だ。
“take”したい人がいて、それに応じられる人が”give”をする。

与えることの喜びは、与えられる喜びから学ぶことができる。
そんなことを思っている。

まとめ:海士町・多井地区の事例から

この記事の結びとして一貫性を保てないかもしれないが、
ブログを書いている最中、頭をよぎっていたエピソードがある。
海士町第四次総合振興計画の別冊のコラムで紹介されている話だ。

2008年の夏、海士町の多井という当時わずか15世帯の地区に、
岡山県倉敷市にある福祉系大学の学生が約1か月間滞在した。

福祉を学ぶ彼らのモチベーションは、
地域に暮らし地域の人を助ける、お世話をする、そんなところにあったろう。

彼らは多井の公民館で生活していたが、
公民館には家電はなく、旧式の洗濯機の使い方などわかるはずがない。
食材をもらっても調理方法が分からない。
結局彼らは、当初の想定とは裏腹に地域の人に助けてもらう生活を過ごした。

それがかえって多井の人たちが「ありがとう」と言われる機会になったという話だ。
他人に施す、与えるということが高齢者にとってささやかな生きがい、やりがいとなり、
その機会を提供したのは”give”ではなく”take”の側にある学生だった。

このコラムは「福祉」の意味を問いなおす形で締めくくられる。
“give and give”という言葉の意義は、その先にあるような気がする。


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なぜ海士町という島根の離島にIターンが移住するのか?

カテゴリ:世の中の事


僕が住んでいる島、海士町は「Iターンが集まる島」として有名になっている。
なお、Iターンとはその土地に地縁のない移住者を指す。

実際、人口2400人を下回る離島でIターン人口は約1割と言われている。
なぜ本土から60km離れた離島に、これだけ島外から移住者が集まるのか。
その理由は例えば山内町長の本でも紹介されている。

ここではIターンの視点から、海士町に移住者が集まる理由について
個人的に思うところをまとめてみたい。

先に断っておくが、特に真新しいことを言うつもりはない。
考えれば当然のことを当たり前に整理しただけだ。

Iターンはなぜ海士町に移住するのか(プッシュ要因)

さて、Iターンにとって海士町の何が魅力だったのか。

まず個人的な経緯をたどると、海士町に移住したきっかけは4つに整理できる。

(1)海士町を勧めてくれる知り合いがいたから。

僕が海士町を知ったのは高校時代からの友人(@takuro5296)経由。
彼の強い勧めによって海士町に関心を持ち、
さらに彼のレコメンドに従って海士町を訪れた友人3人からも勧められ、
「そこまで言うならば」と就職目前の時期に海士町を訪れることになった。

友人という情報源の威力には驚いてしまう。
高校魅力化プロジェクトのスタッフも人の縁によって誘われた人ばかりだ。

余談だが、僕を含む同僚3人は移住するまで接点がなかったが、
Facebookを見ると移住前からお互いの間に共通の友人がいたらしい。
島暮らしを始めて、かえって人のつながりの面白さを感じる機会が増えた。

(2)海士町に一度訪れたことがあったから。

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そうして2009年2月、僕は初めて海士町を訪れることになった。
島で出会い交流した人はみな気さくでいい人ばかりだったし、
夜の飲み会では酒の力もあって島の人の志に触れることができた。

僕自身の秋田への思いに共感してくれる人がいたことも有難かった。
滞在日数は3泊4日とそう長くはなかったが、
島を離れるころにはすっかり海士ファンになっていた。

(3)海士町での仕事が面白そうだったから。

(1)(2)で海士町とのつながりができた僕は、
就職後もRSSやTwitter経由で海士町に関わる情報を集めだした。
秋田にAターンする際に、海士の取組から学ぶことが多いという確信があったからだ。

島へ移住するきっかけは、2010年の夏にTLを流れた一つのTweetだった。

島の高校魅力化の取り組みと公営塾の運営をサポートするスタッフを募集します

元々「田舎」と「教育」のキーワードに興味があった僕にはまたとない求人だ。
当時の仕事も、非常に忙しかった時期を乗り越えてひと段落したタイミング。
そのTweetを見てすぐに連絡をとったことを今でもはっきりと覚えている。

(4)地域活性化の先進地・海士町で学べることは多いと思ったから。

仕事内容もそうだが、海士町という環境そのものが僕にとっては魅力的だった。
田舎の人間関係に違和感を覚えて東京の大学に進学した身としては、
海士町という田舎で暮らすこと、地域活性化の現場で仕事をすることは
田舎の魅力・価値をもう一度見直せるいいチャレンジだと思ったから。

また、都会で得たスキルを田舎に持ち帰るというのは
Uターンとしては割とメジャーな経路だと思う一方、
田舎での経験を田舎に持ち帰るというキャリアは
ユニークなものになり得るだろう、という打算もあった。

 

卑近な例を一般化するのも恐縮だが、
(1)~(4)を整理すると、以下のような要因がIターンにつながると考えられる。

1.海士町との出会いのきっかけをもたらすつながりや情報源の存在
2.海士町という土地、あるいは関係者との直接的なつながり
3.海士町に存在する仕事との興味・関心のマッチング
4.海士町での仕事・暮らしと自分が描く将来像のリンク

実際、僕の周りにいるIターンの多くは
こうしたきっかけによって海士町に吸い寄せられたと言えると思う。

つまり、上記のような形で仕事や住む場所を選ぶ人は
徐々にだが増えているということだ。

海士町はなぜ移住者にとって魅力なのか(プル要因)

では海士町の魅力は何なのか。
これも海士町暮らしで感じてきたことから自分なりにまとめてみたいと思う。

(1)島に住む人の魅力

第一にはやはり人に惹かれた、という部分が大きい。

地元出身で役場など主要ポストで活躍する人はもちろん、
決してメディアに取り上げられるようなことはないが
この土地に根差し、楽しく暮らしを送る人が多数いる。

また、それに惹かれて集まるIターンもまた魅力的な人が多い。
それぞれに志を持っていたり、個性があったり、
島暮らし、田舎暮らしを思いっきり満喫していたり。

そういう人たちに囲まれて生活をしていると刺激があるし、
僕としてはささやかなりともその一員になれるというのがうれしい。

(2)「企て」の魅力

「海士町には『企て』がある」と言ったのは
元リッツ・カールトン日本法人代表の高野登さんだった。

海士町は歩みを止めない。
それは立ち止まる余裕がないからでもあるが、
この島にはだから常に何らかの「企て」がある。

地域に面白い仕事がある、ということは、
誰かがチャレンジをしている、ということと同義なのだ。
それが地域に関わり、地域やさらには社会に貢献する余白を生み出していく。

(3)島暮らしの魅力

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(仕事に関してはだいたいどこもそれなりにハードだが)
暮らしの充実へエネルギーを注ぎやすい、という印象がある。
やや抽象的な言い方になってしまうが、
「こういう暮らしがしたい」と思うこととそれを実現することの距離が短い。

「その気になれば」出勤前や退勤後に釣りを楽しむこともできるし、
知り合いとおすそ分けしあったり、梅酒を漬けたり、
BBQしたり、夜は流れ星を眺めたり、と遊びには事欠かない。

また仲間を見つけるのも割と簡単だ。
楽しそうなことに対する嗅覚が鋭い人が多いというのがポイントである。

実は8月からこの島でシェアハウス暮らしを始めたが、
恐らく東京に居続けていたらシェアをしようなんて発想は出てこなかった。
暮らしを大切にしている人たちに囲まれる中で、
シェアハウスの魅力を感じた部分は少なからずあったと思う。

(4)Iターンの多さ

最後の理由は「魅力」とは異なるかもしれない。
移住する上で自分と同じく島外から人が集まっているという事実は
移住のハードルを下げてくれる。この効果は割と無視できないと思う。

実際、縁もゆかりもない土地への移住はハードルが高い。
「先駆者」の存在は移住先での振る舞いや
暗黙的なルールを教えてくれるし、何より仲間がいるという安心がある。

田舎から都市部へ人が移るのも、
それが当たり前になるほど先駆者が多数いるからとも言える。
また、都市には土地固有の暗黙知的な要素は少ない。
そうした理由から移住へのハードルが低いと見ることもできる。

さらに言えば、海士町の地域住民も外からの移住者に慣れている。
困ったときに相談できる人が地元民にいるというのも安心につながる。

まとめてみて:定住促進は当たり前の積み重ね

こうまとめてみると特に真新しいことはないように思える。
面白い人。面白い仕事。面白い暮らし。
あとは移住後の不安を受け止めてくれる人の存在。

地域の魅力なしに定住促進なんてありえない、と僕は思っている。
制度ばかり充実したところで、やりがいのある仕事や
土地に根差した充実の暮らし、生活上の安心がなければ人は定着しない。
家賃は安いが風呂無のぼろアパートを終の棲家にしようとは思わないように。

移住に関心を持つ層のマジョリティの声を正面から受け止めるべきだ。
しかしながら、ずっとその土地に住み続けているような人が
そうした新しいニーズに共感できるか、という点に難しさがある。
地域に「ワカモノ・バカモノ・ヨソモノ」が必要だという話もよくわかる。

思いを持った住民の中には、永住する意志がある/ないを
そのヨソモノが信頼に値するかどうかの尺度にしている人は少なくない。
しかし、永住するかどうかを移住の段階で決断するのは難しい。

残念ながら移住先などいくらでも候補がある。売り手市場だ。
異物に一方的な期待を押し付けるのではなく、
地域の側が寛容さをもって異物を受け入れ、
「ずっとここにいたい」と思ってもらうような暮らしづくりを手伝う、
もし移住者が地域を出ると判断しても責めない、という姿勢が欠かせない。

そうした人と人との間の当たり前のコミュニケーションを積み重ること。
自分たち自身が暮らし”がい”を持てる地域をつくっていくこと。 
まずは王道としてそこを目指すべきではないだろうか。

もちろん、海士町モデルが唯一の解ではない。
話を聞く限りでは、僕は神山町の方が好みかもしれない、と思う。

なお、ここまでのまとめはあくまで僕の主観に基づくものであり、
海士町の移住者のすべてを書き切れていないことは付け加えておく。


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まちづくりにおける合意形成ワークショップの虚しさについて

カテゴリ:世の中の事


Twitterで割と反応がよかったのでブログでまとめてみることにした。

海士町に住んでいるとそれなりにワークショップに参加する機会があるが、
海士町内で体験したものは大きく3種類しかなかったことに気づく。

1.給与をもらう仕事とは異なる趣味や興味・関心に基づく場でのアイデア出し
2.内省や対話、関係性構築の契機となるような仕掛けのワークショップ
3.実際に物を作ったり体を動かすようなワークショップ

職場で合意形成のためにワークショップをした記憶がない。
海士町の暮らしの中でも”まちづくり”の文脈で合意形成の方法として
ワークショップを選ぶということはほとんどなかったと思う。

逆に言えば何かを決めるときにワークショップをするという発想がなかった。
合意形成ワークショップが必要なかった、ということだ。

それでも世の中は合意形成ワークショップを求める

一方、「合意形成ワークショップ」で検索すれば、
いろんな地域でそれが行われていることがすぐわかる。
ぱっと見た限りでは、行政主導のものが多そうだ。

合意形成は目的でなく手段であって、
みんなでやろうと決めたことをちゃんとやれるかどうかが大事。
それがわかっていればわざわざワークショップでなくても良い気はする。

成果が上がるかどうかはやるかやらないかだけ。
そのために何かをみんなで決める必然性もない。

 

”まちづくり”をしている”つもり”で終わらないために

仲間内でワークショップをやる虚しさがここにある。
気の知れた仲で合意形成できたことが即”まちづくり”につながるわけではない。
繰り返しになるが、”まちづくり”のためにワークショップをしないといけない理由はない。
「仲間内でやる」が目的なら、それを”まちづくり”と混同してはいけない。

何か特別なことをしないと”まちづくり”と言えないというのもおかしい。
これは裏を返せば当たり前に暮らす人に対する敬意を欠いているということだ。

それよりは(抽象的な誰かのためにではなく)自分たちの暮らしを楽しくするために、
とはっきり自覚してわいわいがやがややってる方がよっぽど健全なのではないか。

上澄みを掬い取って”まちづくり”とか言っている場合じゃない、と思う。


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