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離島でシナリオ・プランニングを試してみた話

カテゴリ:自分事


昨年の11月に秋田県横手市で体験したシナリオ・プランニング

たまたま海士町にてこのワークを試す機会に恵まれたので、
紹介する意味で仕事上の関係者を中心にシナリオ・プランニングを試行してみました。

※シナリオ・プランニングについては下記リンク先がよいまとめです。
意思を持って望めば、どんな未来もつくっていける。シナリオ思考で未来のストーリーを描く「シナリオ・プランニング」 | greenz.jp グリーンズ

今回確保できたのは1時間の枠。
さすがに全行程を時間内に収めるのは無理があるので、
「当日までの課題」と「当日のワーク」の2部構成で進めます。

今回のテーマ

今回のシナリオ・プランニングのテーマは「2025年・魅力化の未来」。
島前高校魅力化プロジェクトの関係者で、約10年後の未来を想像しながら、
どのようなアクションを取るべきかを考えるきっかけづくりを狙います。

教育の未来を考えるためには、地域の未来を考える必要も当然生じますし、
テクノロジーやトレンドの変化もまた大きな影響を及ぼします。
島前の未来をつくっていくこのプロジェクトだからこそ、
シナリオ・プランニングと親和性が高い、と判断しました。

当日までの課題

シナリオ・プランニングの概要の理解(資料の読み込み)

僕以外の参加者は今回がシナリオ・プランニング初体験。
シナリオ・プランニング――未来を描き、創造する」を参考にしつつ、
十数枚のプレゼンにまとめた資料及びWEB上などの関連記事を参加者に共有。
なんとなくでもシナリオ・プランニングの概要をつかんでもらいます。

経験上、シナリオ・プランニングは途中で目的が見失われがちなので、
そもそもの意義の共有がとても重要だというのは感じていました。
が、あえて今回はここに時間を割かず参加者の努力に委ねてみました。

振り返ってみると、「取り組む中で意義が見えること」の割合が思ったより大きかったですね。
その点では、口で説明する時間をそこまで多くとる必要はないかもしれません。

「変化の兆し」書き出し(一人5個以上)

未来に起こりうることを「社会/技術/経済/政治」の4枠に分けて書き出す作業。
これも当日のワークの時間外に出してみました。

参加者は当日までにGoogleフォームから「変化の兆し」を入力するフローを検討。
全員が初めてなので、他の参加者の結果を閲覧できる設定にしました。

サンプルとしてフォーム共有前に僕も10~15個ほどの「変化の兆し」を入力しておきました。

当日のワーク

今回は結局4名の参加者の都合がつかず、計6名での実施。
幸先に不安を抱えながら、とにかく当日を迎えます

集計された「変化の兆し」の検討

前日までに集計された「変化の兆し」を付箋に書き出し、
「不確実性が低い/高い」「影響度が低い/高い」の2軸を考慮してホワイトボードに貼り付けます。
この貼り付けの作業は時間がかかることを見越して僕が前日に行いました。

これを参加者に見てもらいながら、全体的な傾向を確認し、
今回のゴールである未来の「分かれ道」の検討に生かしてもらいます。

IMG_1398[1]

整理する部分を僕が担ってしまったので
参加者はいきなりこの情報量をキャッチアップしなければならず、
予定時間よりもオーバーしてしまいました。

そのため、重要と思われる「変化の兆し」へのドット投票は省略しました。
その代わり、参加者全体で付箋を眺めながら
いろいろな観点でぜんたいの傾向をつかむことができました。
とはいえ膨大な量を処理しきれない感は否めません。

この部分のファシリテーションは想定外に難しかったですね…。

「分かれ道」となる要因の書き出し

若干消化不良を抱えながら、マトリクス・マッピングの軸となる
未来の「分かれ道」となる要因を全員で黙々と書き出していきます。

10分間ほどで多い人からは5,6個ほど要因が出てきましたが、
手が止まる参加者もおり、6名で計15個ほどに留まりました。

IMG_1405[1]

このあたりは事前のワークの準備不足がもろに影響した感じです。
やはりワークショップは事前の準備こそ重要だと思い知りました…。

「分かれ道」となる要因の選定

さて、いよいよ最後のワーク。
参加者も挙げられた要因も少なかったので、ドット投票でなく
全員で議論しながら絞っていくことにしました。

まずは類似しているもの、関連の強いものをまとめていきます。

IMG_1407[1]

そこからああだこうだ言いながら重要と思われる要因を導いていきます。
最終的に絞り出されたのは、「教育がバーチャル化する/リアル化する」と
「人口が都市に集中する/地方に集中する」の2軸。
残り時間が少なく特に教育の軸はワーディングが雑になりましたが、
参加者間のイメージの共有は割とできたのではないかと思います。

アウトプットだけ見るとありきたりな印象がありますが、
一連のプロセスを通じて未来に起こりうることが真に腹落ちした感覚があります。

参加者の声

最後に参加者間で振り返りの時間を設けました。
そこで出た感想を一部紹介します。
全体的に肯定的、前向きな意見が多かったですね。
参加者に助けられて成立したワークだったなと思います。

・いろんな大人を絡めてやると面白そう

今回は魅力化の関係者のみでした。
海士町にも様々な分野で活動している人がいるので、
いろんな視点で未来を描けるのではないかなと思います。

・未来のことを考える機会がぜんぜんなかったことに気付いた

これは僕自身も感じたことです。
世の中が変わりつつあることはニュースなどで理解しつつも、
10年後の世界について自分なりに想像する機会ってなかなかありません。
そういう意味で参加者にはいい刺激になったようです。

・高校生向けにも応用できるのではないか

ワーク自体が面白いので、高校生でも面白がってやるのではないか、
という声が挙がりました。高校生は柔軟ですしね。

気を付けなければならないのが、
未来を想像するうえで割と知識が求められることです。
知識のある大人からのサポートが必要ですね。

・自分の頭が固いと感じた

シナリオ・プランニングでは、
未来を現在の延長として考えない、というのが肝になります。
その点で、参加者に柔軟な発想を要求するものでもあります。

とはいえ知識の差によるところもあるのではないかと思います。
テクノロジーの進展に敏感でない人が、
未来のテクノロジーを想像し難いのはある意味当然のこと。

僕自身の振り返り

今回はじめてシナリオ・プランニングを実施し、
ファシリテーションにもチャレンジしてみて思ったことをまとめます。

まずは、シナリオ・プランニングの可能性を見いだせたこと。
プロセスの中で参加者間の認識の共有、すり合わせが自然と為されるので、
アウトプットだけでなくその過程自体にも価値がありました。

普段はなかなか未来のことを考える機会がないからこそ、
プロジェクトとして次の一歩をどう踏み出すかを考えるときに
このワークを通じてお互いの認識を共有できていると話は早いなと。

第二に、ファシリテーションの重要性が実感できたことも大きいです。
力不足を感じた一方で、場を適切に導くことでより価値を高められると思うと、
腰を据えて勉強する意義があると感じています。

というわけで、どこかの機会で3~4時間ほど確保し、
島内の大人を集めてシナリオ・プランニングができたらいいなと思いました。

 


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若者が仕事にやりがいを求める背景についての考察

カテゴリ:世の中の事


ひとの居場所をつくる」を最近読み終わりました。
ランドスケープ・デザイナーの田瀬さんの世界観を通して、
自分が求めているものについて改めて考える機会となっています。

農業や農的な営みは自分には関係ないことと思っていましたが、そうではなかった。
水と馬を核とした農のある暮らしが、僕にとってすごく理想的に見えたことに驚いています。

思わぬ気づきがあった理由について考えを巡らせているうちに、あるキーワードに出会いました。
それが、もしかしたら日本人、特に若者が「やりがい」を求める風潮の説明になるかもしれません。

島の高校生たちを見て思うこと

僕は離島の公営塾で3年半ほど働いています。
この島にある公立高校は進学校というよりもいわゆる「進路多様校」に該当します。
離島ゆえに本土の高校へ通うには経済的負担がかかるため、
大学進学を希望する子も高卒で就職を考えている子も通学しているためです。
(とはいえ年々大学進学を希望する生徒が増えている印象です)
また、わざわざ東京、大阪をはじめ全国から生徒が集まる稀有な学校でもあります。

島の高校生の進路の決め方は、公立進学校出身の僕にとって新鮮に映ります。
進学校の生徒は勉強するのは当たり前、大学進学は既定路線となっていました。
したがって大学の決め方も「手前から」考えることが多いように感じます。
つまり、得意・不得意で文理選択をし、実力的にいけそうな大学のラインを見積もり、
その中で興味が持てそうな大学・学部・学科を見繕うという流れ。
政経、法、教育、文など文系学部はすべて受験するなんて人も少なくないです。

ところが、島の高校生にとって大学進学は必ずしも既定路線化していません。
大学に行くと決める前に、なぜ大学に行きたいのかを考えている生徒が多いようです。
将来こういう仕事がしたい、そのためにこういうことを学びたい、だから○○大学△△学部に行きたい。
つまり、「向こう側から」考えているわけですね。

もちろん高校生ですからそのロジックには稚拙な部分も見られるわけですが、
自分の「内なる動機」を意識しないことには大学を選べない、そんな雰囲気を感じます。
進路多様校だからこそ、周りに流されない目的意識が要求されるという背景もあります。
近年関心が高まっているキャリア教育が流れを後押ししているという面もまたあるでしょう。

「内なる動機を大切にせよ」
こうしたメッセージが世に広まるようになった契機を考えてみたいと思います。

内発的動機こそ大事だと思わされてきた世代

たとえば、勉強というものの捉え方について。
高校生にもなると膨大な知識の習得が求められますが、何らかの意義を見いだせないと単に辛いだけ。
しかも、「いい大学に入って大企業に入ることがゴールではない」という風潮が主流になりつつある。
にんじんに頼り過ぎてしまうと、消耗しきった未来の自分がイメージされてしまう。

こうして内発的動機が大事なのだと悟る若者が出てくるのも当たり前かもしれません。
内なるモチベーションを保てる仕事、つまりやりがいのある仕事に若者が注目するのは、
世の中がそう思わせたからだ、という面は確実にあると思います。

「意味のないことなんてしたくない」

僕の中で大きいのは、「意味のないことはしたくない」という気持ち。
「これをやって誰が喜ぶのか」「これをすればどこかに不具合が出るのではないか」
そんなことで悩みながら仕事をするのは出来る限り避けたい。

実際、これまで価値があるとされてきたことが意義を失っていく様を目の当たりにしてきたわけですから、
「物事の意義」に向いた引力が一層強化されるのも無理がありません。

つまり、これは内発的動機付けにも関わる話です。
自己の利益だけを追求したいのではない。
自分のやっていることに意義を見出したい。
こうした欲求が芽生えれば、自然と仕事を選ぶ目も厳しくなるでしょう。

若者の「誰にでもできそうな仕事」を避ける傾向について言及する人もいますが、
これも仕事に対して意義を求めるからこそではないでしょうか。

また、バブル崩壊によって、同じ会社で定年まで働けるかもわからない時代になり、
定年まで働いたとしても公私に充実した暮らしが送れるわけでもなくなりました。
なおさら就職先選びには慎重にならざるを得ません。

ひとの居場所をつくる」を読んで導かれたのは、「徒労感のない仕事」というキーワード。
意義がないことはしたくない。自分の内なる動機を実現する働き方がしたい。
こうした僕の意識もまた、時代の流れによって形成されたのではないかと感じています。

社会貢献が「正解」に見えてくる

・忙しく働いて家庭を顧みないのは望ましくない。
・自己の利益追求の結果、環境を破壊したり、他者の犠牲を伴ったりするのは良くない。
・仕事に没頭しすぎて生きがいを見いだせないサラリーマンはカッコ悪い。

「否定」の言説ばかりの中で、自分はどういう働き方をすればいいのか。
「否定」されない仕事、自分が納得できる仕事とはどういうものか。
バブルの崩壊は「正解」の崩壊でもあった、と個人的には思っています。

こう見ると、次なる「正解」を探そうとする意識が芽生えるのも無理はないかもしれません。
社会貢献志向を持つ若者が増えているのもここにつながっているように思えます。
もちろん、社会貢献志向そのものが悪と断定することはできません。
しかし、そのモチベーションが「正解」を求める姿勢にあるとすると、齟齬が生まれます。

「自分はこうしたい」というエゴが原点なのに、「地域の課題だから」「人々が求めていることだから」というすり替えが行われる。
どこか地に足の着かない印象を受けたら、まずここを疑うようにしていますが、結構当てはまっているように思います。

「すり替え」というのは、「問題を創作している」と言い換えると分かりやすいかもしれません。
自分の「何か貢献したい」「こういうことをしたい」という思いに任せて、あたかもその問題が存在するような口ぶりで話す。

社会貢献をしたいのか、自分の思い通りにしたいのか、はっきりさせた方がいい

「正解」を求めるのであれば、それはレールに乗るということと何が違うのでしょうか。
内なる動機を大切にしているようで、実は外見に強く注意を払っているに過ぎないということもありえるのではないでしょうか。
「内発的動機が重要である」という言説が、外発的動機付けに転じてしまったと見ていいかもしれません。

「心の声」に耳を傾けられる社会へ

これまでの話を整理しましょう。

・21世紀を生きる若者は、内発的動機こそ重要という風潮に包まれていた
・これまで当然視されてきた価値が失われる中で、一層意義の重要性が際立った
・バブル崩壊によって否定の言説が充満し、これまでの「正解」もまた失われた
・ところが、次なる「正解」を求めようとする外発的動機付けがかえって強化されてしまった

「やりがい」は内発的な動機付けが前提にあります。
「正解」を求める外発的動機付けによる「やりがい」志向、「社会貢献」志向はなんら本質ではなく、
だからこそ就職活動や地域活動で空回りする事態が発生するのかもしれません。

結局のところ、今の日本社会では「心の声」を受け止める土壌ができていないのだと思います。
内発的動機付けが重要視されながら、その具体的な作法が浸透していない、ということ。
(「心の声」について考察するだけで複数記事になりそうなので、一旦抽象的な表現に留めます)

ノイズをなるべく取り除き、自分の「心の声」に耳を傾ける。
自分の常識に囚われず、相手の「心の声」を拾い上げる。

結論は非常にありきたりな言葉に落ち着いてしまいました。
具体的にどうすればいいかは今後も引き続き考えていきたいと思います。

 

※就職活動については↓の書籍がなかなかおすすめです。


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「教育の仕事」に関わる難しさ:「誰のおかげか」問題

カテゴリ:自分事


それはいったい誰のおかげか?

今年も、あのシーズンがやってきております。

そう、「平方完成」のシーズンです。
高校1年生の数Ⅰにおける最初の山場です。

※島の高校は7月に文化祭がある影響で一時的に進度が遅れます。

毎年毎年2次関数のグラフの書き方と合わせて「平方完成」を教授していますが、
すぐに慣れてしまう生徒、なかなかコツをつかめない生徒、いろいろいます。
数学が比較的得意な生徒がつまずくこともあるので、なかなか侮れません。
とはいえ、訓練すれば必ず理解できる単元だと思っています。

重要な「平方完成」ですから、こちらも解説・演習に力を入れます。
生徒が質問に来たら、疑問点・つまずきの見極めに普段以上に気を配り、指導していきます。
そうして少しずつ「平方完成」を怖がらない生徒が増えていきます。

さて、生徒が「平方完成」を習得するとき、これは誰のおかげと考えるべきでしょうか?
学校の先生がご指導され、我々も指導し、生徒自身も演習し、同級生に教えてもらうこともある。
昨日教わったことの意味が、翌日の復習でようやく腑に落ちることもあるでしょう。
なにをきっかけに理解したのか、それは生徒本人にしかわかりません。
いや、生徒本人も自覚できていないことだってあるはずです。

「教育の仕事」の手ごたえとは

「教える」ということと「育つ」ということの間には、多くの変数(家族、友達、地域住民、教員…)が関わっています。
どの立場であれ、「教えられる側」の結果に対し、「自分のおかげだ」と胸を張れることがどれだけあるでしょうか。

「教育はやりがいのある仕事だ」と考える人は少なくないと思います。
しかし、自分自身の貢献度合いが測りにくいのもまた、教育の特徴ではないでしょうか。

「やりがいのある仕事がしたいから、教育に関わりたい」
そんな教員志望の学生さんがいたら、一人ひとりに聞いてみたい。
『教員のやりがいって、なんだと思いますか?』と。

自分のおかげかはわからないが、とにかく結果にコミットする。
自分のおかげかはわからないが、結果が出たことを喜ぶ。

一歩引いたスタンスを保てないと、生徒の努力すらも「自分の手柄」と喜びかねない。
そんなことを思いつつ、短い目と長い目の使い分けを日々学んでいるような気がします。


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