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「教育×破壊的イノベーション」-教育問題の根本原因と解決案

カテゴリ:世の中の事

イノベーションのジレンマ」で有名なクリステンセンの著作。
タイトルにあるとおり、アメリカの公教育産業や教育研究の課題を挙げながら、
その解決策としての破壊的イノベーションの導入方法について書かれています。

クリステンセンの著書はこれが初めてでしたが、面白く読めました。
なるほどと納得できる部分が多かったですね。

話が大きいので書かれているままを信じるのは怖いところがありますが、
言語化されずにいたイシューをすっきりとまとめる腕力には感嘆してしまいます。

公教育の問題…キーワードは”動機づけ”

本書は日本語版の刊行にあたり、著者による日本人読者向けの解説が追加されています。
要約すると、こんな感じです。

日本は戦後教育によって優秀な理工系学生を多数輩出し、技術力によって欧米の競合を蹴散らした。
しかし、今や理工系への進学者は低下しており、日本の技術的地位は危ういものとなっている。

この現象は経済的な繁栄によってもたらされた。
日本が豊かになり、技術を身に付けて賃金や社会的地位を得ようという外発的動機づけが失われた。
日本の教育制度は、厳しいがやりがいのある理工系科目にも自発的に取り組む生徒を増やすため、
それらの科目を内発的動機づけが持てるような方法で指導することを模索しなければならない。

日本向けに書かれてはいますが、本書の主張はここにあります。

良い大学に入り、一流企業で定年まで勤め上げることが必ずしも幸せではない。
それはバブル崩壊以降の日本が証明してきたことです。
つまり、勉強自体が楽しくない子どもにとっては、勉強する理由が失われつつあるということ。
外発的動機づけに頼ることができなくなった今、教育制度が目指すべきは
内発的動機づけにより生徒が自発的に取り組める学習方法の実現である、と著者は言います。

ごもっともな意見ですが、多くの教育研究者がこの課題の解決に苦労しているのが実際のところ。
クリステンセンは、自身の専門性を武器にこの複雑な課題に真っ向から切り込んでいきます。

内発的動機づけが持てる学習方法とその障壁

クリステンセンが早速述べているのは、「人によって学び方が違う」ということ。
ここでは「多元的知能理論」という基礎心理学の分野の研究が引用されています。

本書で紹介されている、心理学者ハワード・ガードナーによる八つの知能のタイプの分類は以下の通り。

・言語的知能
・論理・数学的知能
・空間的知能
・運動感覚的知能
・音楽的知能
・対人的知能
・内省的知能
・博物学的知能

こういった知能のタイプと教育方法とがマッチしたとき、生徒は意欲的に学習できるそうです。
つまり、「内発的動機づけが持てる学習方法は一人ひとり異なる」ということ。

著者が目指すのは、(教師中心でなく)生徒を中心とした学習の個別化です。
この理想的な提案に対する反論はほとんどないでしょう。実現可能性を疑わないとすれば。

生徒は学習の個別化を求めていると認めるとして、現実の教育現場はどうでしょうか。
実際の学校教育では、個別化よりもむしろ指導の標準化が進んでいるのが実情です。
カリキュラム作成から校舎の配置まで、一つの改善のために違う部分の変更がただちに必要となるような
相互依存的な学校制度が前提となっていることがその理由として挙げられます。

著者はこれを工業型モデルと言っていますが、工場や飲食店のマニュアルの如く、
どこで誰がやっても同じ品質(=学力)を達成するには、プロセスを一律のものにする必要があります。

指導要領を作るのは各教科の専門家。そこに都道府県の方針が組み込まれ、教育委員会も手を加え、
各学校において各学年の学習内容の一貫性を踏まえた上でカリキュラムとしてようやく形になる。
指導方法も一斉授業が基本だから、クラスの学力を勘案して平均的なレベルの授業が展開されることになる。

ここまでくると、実際に指導を行う教員の裁量はほとんど残っていません。

学習の個別化とは生徒が各々の学習スタイルで自分で進度を判断しながら学べるということ。
定期的に試験を行う現行の方法では漏れがでてくるし、学力定着の評価も難しいのです。

新しい学習システムとは

夕方の校庭

生徒中心の教育を実現するためには、生徒の学習を個別化するシステムと、
その立ちはだかる障壁を乗り越えてそのシステムを導入する方法とが必要となるでしょう。

前者について、著者はコンピュータの導入の可能性を強調しています。

同じ数学という科目でも、様々な知能のタイプに応じた学習用ソフトウェアが開発されれば、
生徒は自分自身に合うソフトウェアを見つけ、それぞれのペースで取り組むことができます。
教員は授業を実施するというよりも、チューター・学習コーチとして
生徒中心の学習システムを支えたり、ソフトウェアを開発したりする役割を担うことになります。

「評価(テスト)はどうするのか」という疑問も出てきますが、バッチ処理的な現行方式では、
その時点での到達度は計測できても「次に進んで良いか」の判定にはほとんど使えていません。

ここで、自動車会社のトヨタの整備士の訓練プログラムが例として紹介されています。
トヨタでは、整備士をトレーニングする場合、一度に全工程を教えるのではなく、
「ある工程がマスターできなければ次の工程を教えない」という手法をとっているそう。

そう、生徒中心の学習システムにはこの方式を取り入れてしまえばいいのだと。

現在の学校は「時間は一定、成果はまちまち」ですが、
生徒中心の学習システムとこの評価方法によって「時間はまちまち、成果は一定」とできます。
ある単元を理解して初めて次の単元に進めるというように、学習の中に評価の工程を組み込めば、
わざわざ手間をかけてテストを作り、定期試験でまとめて評価を行うという必要はありません。

生徒中心の技術はどのように導入されるべきか

さて、先述のシステムをそのまま適用しようとしても、失敗は火を見るより明らかです。
そこでクリステンセン氏は、生徒中心の学習システムを「破壊的に」導入することを提言します。
破壊的イノベーションについてはこちら

破壊的導入は「コンピュータベースの学習」→「生徒中心の技術」の二つの段階を辿ります。
もちろん、これらのステップは著者のイノベーションの理論に基づいています。

まずは進級・進学に必要のない知識の学習の分野を狙います。
いきなり現行の教育制度がカバーする主要科目に手を出すのは難しいでしょう。
学校にも指導のノウハウがあり、優れたテキスト教材も書店で購入できるわけですから。

逆に、生徒が突然「デンマーク語を勉強したい!」と言ってくるケースを考えてみましょう。
一般的な日本の学校にはこのニーズに対応する方法はありません。
この「無消費層」にコンピュータベースの学習を導入していくのが事の始まりになります。

そうこうするうちに、youtubeやiTunesのように技術的なプラットフォームが現れるなどして、
教育ソフトウェアの開発は素人でもできるようになることだって考えられます。
(実際、少しずつそのようなプラットフォームが世に出回り始めています)
多様なソフトウェアが集まれば、あとは生徒が自分自身でカリキュラムを組み、学習するだけ。

教育内容を別とすれば、コストやアクセシビリティなど、
様々な面でコンピュータベースの学習は現行の教育制度より利点が多いことも見逃せません。
少子高齢化時代でも教員数を削減できるので、学校の統廃合も減らせるかもしれないのです。
筆者はここに、「生徒中心の技術」が現行制度をひっくり返せるポテンシャルを見いだしています。

まとめと感想とか

まとめてみると、こんな感じ。

経済繁栄

勉強への外発的動機づけの低下=教育の諸問題の根本原因

新しい動機づけ=内発的動機づけを学習に!

意欲を持って取り組める学習は一人ひとり異なる

一枚岩式の授業から、生徒中心の個別学習を実現すればよい!

コンピュータを軸にした生徒中心の学習システムを破壊的に導入しよう!

「全員が意欲的に学習する」必要性は、教育が命題として課されている「貧困の撲滅」によるところが大きいということも忘れてはいけません。
実際、親の社会的階級や経済力が子どもの将来に引き継がれる事態は日本でも見られます。
家庭環境の格差による影響を、教育は学力格差の縮小という形で対応して来ました。
それでも現行の教育手法では限界がある、ということも個別学習の実現への動機付けとなっています。

本書では、教育研究のあり方や学校の組織としての構造についても言及しています。
これが結構面白い。あと、幼児教育に対する欄もあります。
(ここまで言及するとますます長くなるので、本記事では省略)

生徒の知能のタイプがどうとかは別として、たぶん一人ひとりに合った学習方法はあるはずで、
学校の中で幾つかの学習方法の中から「より意欲的になれる」方法を選択できるなら、その方がいいはず。
といっても子どもは”合目的的に”選択することはできないから、ここに新しい役割を担う教師の出番がある。

本書で描かれる未来の教育を想像しながら、これは北欧の教育制度に似ているかも、と思いました。
直接目にしたわけではありませんが、「個」を重視する姿勢は共通しているのではないでしょうか。
教師の役割も、日本とは大きく異なる印象がありますね。

個人的にはコンピュータベースの教育プログラムやソフトウェア自体は増えていくだろうと思います。
(というか増えています)
そして、それは徐々に家庭や友達同士など、ごく小さな範囲から普及していくことでしょう。
きっと、PC、iPad、Nintendo DSといったデバイスがその普及を手助けすることになるはずです。
誰でも手軽に教育ゲームを作れるプラットフォームだって開発されるのもそう遠くない未来の話かも。

あとは、本当にコンピュータで教育効果を出せるの?という素朴な疑問を検討するのみですが、
正直なところ、僕には「良い」も「悪い」も言えるだけの判断材料がまだありません。
学校に導入されたコンピュータは有効活用されていないのは明らかで、
「コンピュータを使った教育といったらこれ」といえるものもまだありません。
今は映像教材が主流でしょうか。Khan Academyもそうですね。

トータルで見ておすすめな本です。
教育に対しての新しい見方を求めている人は、ぜひ読んでみてください。

※本記事は過去のブログから転載しました。

関連する記事

海士町@隠岐の注目すべき取り組み:まちづくり編

カテゴリ:世の中の事

海士町在住者による島根県隠岐郡海士町の取り組みのご紹介。
「教育」「産業」「まちづくり」の3部構成も本記事がラストです。

海士町@隠岐の注目すべき取り組み:教育編
海士町@隠岐の注目すべき取り組み:産業編

※紙面の都合上、独断と偏見で一部の取り組みのみ紹介させていただいております。
※記事の情報は2013/4/26現在

はじめに:本記事における「まちづくり」の定義

本記事では「まちづくり」を「住民参加や生活向上を図る取り組み」や「行政以外のアクターが主体の取り組み」と定義します。
そのため、ハード面ではなくソフト面での取り組みが主となります。
「まちづくり」というタームの従来の用法とは異なりますので、ご留意ください。

1.定住促進の取り組み

これだけIターンが集まる海士町ですから、定住促進に触れないわけにはいきません。
多くの自治体が視察に訪れるのも、その秘密を探るのが主な目的となっていることでしょう。

しかし、個人的な印象として、定住促進のために海士町が特別な制度設計をしている印象はありません。
移住時には住宅の斡旋はしてもらえますが、特別な控除や補助が用意されてはいません。
全島あげて歓迎!なんてあるわけないし、移住したその日から島の人間として生活することが求められます。
強いて言えば「定住促進住宅」と銘打ってUIターン向けの単身・世帯用の住宅をつくりまくっていることくらいでしょうか。
これもIターンを積極的に受け入れたいから、というより、単に必要に迫られた結果(本当に家が足りない!)と感じます。

ではなぜそんな海士町にIターンが集まるのか?
答えはシンプルで、「面白そうな仕事・役割があるから」だと僕は思っています。
僕自身、海士が持つ自然と文化の豊かさだけに惹かれて移住したわけではありません。
何よりも「やりたい仕事」「チャレンジングな課題」「一緒に働いてみたい人」の存在があったからです。

特に都市部で働いている人が田舎に関心を持つとき、多くの場合「やりがい」「生きがい」への期待があります。
のんびりとした暮らしへの憧れだけでなく、「自分がしたことの影響範囲が見えるような仕事がしたい」「社会に働きかけたい」という欲求にも注目する必要があります。

海士町はチャンスを求めてきた若者を拒みません。
と同時に、チャンスをつくりつづけているのです。
それは決して定住促進の文脈ではなく、地域をもっと良くしたいという純粋な想いが燃料源になっています。
だからこそ海士町にあるチャンスはより魅力的なものとして、若者たちの心をつかんでいるのではないでしょうか。

2.隠岐自然村

「小野 篁(おののたかむら)」という人物をご存知でしょうか。
彼は文武両道×イケメンと非常に優れた人物で、平安時代に活躍しました。

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟

これは百人一首に収録されているものですが、海士町へ島流しをされる際に彼が本土の美保関で歌ったのがこの歌。

小野篁が建てたとされるお寺が海士町にあります。
そのお寺・金光寺がある山は金光寺山と呼ばれ、春には桜並木が華やぎ、町内の花見スポットになっています。

前フリが長いですが、この歴史ある金光寺山から島内を見渡すようにあるのが「隠岐自然村」です。
隠岐自然村はエコ・ツーリズムや自然環境教育などを実践する教育研修施設です。
宿泊もできるので、僕も何度かお邪魔させていただきました。

「しまのこ自然楽校」などのイベントの他、隠岐島前地域の自然を体験するエコツアーや釣りなどのガイドも受けつけています。
僕も竹でイカ飯づくりを体験しましたが、子供づれで参加したらめちゃめちゃ面白いだろうなというプログラムが目白押し。
スタッフのみなさんは隠岐の自然に精通しているので、長年島に住んでいる方も知らないような貴重な話が伺えます。

隠岐の自然を満喫したい方にはお勧めの宿泊先となっております。
(交通の便が悪いのが少しネックですが)

3.集落支援員

総務省が実施している「集落支援員」制度をご存知でしょうか。
農水省の「田舎で働き隊」事業、総務省の「地域おこし協力隊」などと似たようなものと考えるとわかりやすいかもしれません。

集落支援員制度の説明は以下のとおり(総務省HPより引用)
“地域の実情に詳しく、集落対策の推進に関してノウハウ・知見を有した人材が、地方自治体からの委嘱を受け、市町村職員と連携し、集落への「目配り」として集落の巡回、状況把握等を実施”

この海士町でも教育委員会を中心として集落支援員が海士町内計14地区に入って活動をしています。
集落支援員のメンバーは島内出身者のみでなくIターンも加わっています。
集落に入る際には島内の人間だから入り込めること、島外の人間だから言えることがあります。
うまく役割分担をしながら、効果的な支援の方法を探ることが出来るチームになっています。

「集落支援」と聞くと、高齢者の買い物支援や草刈り、行事の手伝いなど、「何でも屋」のような印象を受ける方もいるのではないでしょうか。
海士町の集落支援員は、集落の自立の支援を第一としており、「何でも屋」を引き受けることを避けています。
関係性をじっくりと築き上げながら、少しずつできることをお手伝いし、集落の自立を引き出す。
そのあり方には学ぶべきことが多いように思えます。

海士町の集落支援員で個人的に面白いと思うのは、「古道具屋さん」の取り組みです。
住む人の居なくなった家の整理をすると、食器や家具の処理が問題になりがちです。
まだ利用できるものをゴミとして処理するのはエコロジーの観点から望ましくありません。
また、当時利用していた家具などを廃棄することは思い出を捨てることにもつながり、抵抗感があるもの。
そのようなニーズに応え、利用できるものは引き取り、他に必要とする人に譲る仕組みを集落支援員がつくりました。

この古道具屋さんは教育委員会が管理していた旧保育園の施設を活用したものです。
現在は土日のみの営業ですが、月に1度のケーキの日など、イベントも多数開催されています。
古道具を買い求める人だけでなく、子連れや島内のIターンで賑わう、憩いの場になっています。

 

※海士町長が書いた書籍もありますので、興味のある方はそちらもぜひ。

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海士町@隠岐の注目すべき取り組み:産業編

カテゴリ:世の中の事

今回は海士町の産業分野の取り組みをご紹介します。
(「教育」「産業」「まちづくり」の3部構成の予定です)

海士町@隠岐の注目すべき取り組み:教育編
海士町@隠岐の注目すべき取り組み:まちづくり編

※紙面の都合上、独断と偏見で一部の取り組みのみ紹介させていただいております。
※記事の情報は2013/3/9現在

1.CAS(Cells Alive System)の導入

島根県沖に位置する隠岐諸島は、北からのリマン海流(寒流)、南からの対馬海流(暖流)がぶつかる海域にあります。
海洋資源は非常に豊富で、海士町も昔から漁業が盛んなところでした。
その歴史は古く、平城京の時代からあわびなどの乾物を朝廷に献上していた記録が残っているほど。

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陸から海をながめるだけで魚がうじゃうじゃ

しかし、近年は海士の漁業も衰退の兆しを見せ始めていました。
その大きな要因は、地理的なハンデにあります。
海産物の卸先は本土ですが、海士から本土まで海産物を輸送するだけでも時間とコストが大きくかかります。
鮮度でも価格でも本土の産品に見劣りするばかりか、輸入品にも押され、島の漁業者の手取りも徐々に下がっていきました。

漁業は町を支える一大産業であり、その衰退は町の衰退に直結します。
海士町ならではの付加価値をつけ、漁業者の収入をあげることが急務となっていました。

そこで導入されたのが「CAS(Cells Alive system)」と呼ばれる冷凍技術です。
もともとは臓器保存などの医療目的で開発されたもので、細胞を壊さずに冷凍できるのがその特徴です。

通常の冷凍技術では解凍時にドリップ現象が起こりますが、CAS冷凍した食品ではそれが起こりません。
島のお寿司屋さんが「CAS冷凍したイカは取れたてのイカと何も変わらない」と語るほど、食味を損なわず冷凍することができるのです。

CASを導入することで町の漁業が抱える課題はどう改善されるのでしょうか。

「旬をずらして出荷することで価格競争から抜け出せる」

CAS冷凍した海産物は長期保存が可能ですから、わざわざ流通量の多い旬の時期に出荷する必要がなくなります。
流通量が多いということは、価格競争に巻き込まれやすいということです。
逆に、年間を通じて出荷できることで売値は安定し、他の海産物にはない価格競争力を持つことが出来ます。

実際、CASによる加工・販売を手がける第三セクター「ふるさと海士」では、売値の安定を図ることで島の漁師さんからある程度高い値段で海産物を仕入れることが出来ています。
CASの存在が漁師さんの所得向上の一助になっているようです。

このCASですが、導入には多額のコストがかかった、と聞いています。
つまり、CAS導入はある種の「賭け」の面もあったのです。
このあたり、詳しくは町長の本をお読みいただければと思います。

なお、CAS製品は海士町内でもお召し上がりいただけます。
港のレストラン「船渡来流亭(せんとらるてい)」のアジフライ定食、カキフライ定食、白いかの刺身などほとんどがCAS冷凍です。
冷凍と言われても信じられないくらいおいしいので、海士町にご来島の際はぜひ。
CAS製品は通信販売も行っております

2.隠岐牛

海士町の玄関口・菱浦港の駐車場と道路を挟んで向かい側のあたり。
ランチタイムや夕食時に木造の建物の横を通ると、なんともいえず食欲をそそる匂いが漂ってきます。

ここは、海士町内で隠岐牛の焼肉・しゃぶしゃぶ・すき焼きが食べられる「隠岐牛店」。
隠岐牛は東京の食肉市場で松坂牛と同等のA5ランクの評価を受けるほどのブランド牛です。
都内でも提供されているお店がいくつかありますが、2万円以上は覚悟するほどの高級品。
「隠岐牛店」ではドリンク込みでも5千円~1万円ほどで頂けるので、町民も祝い事や慰労会でよく利用します。

隠岐牛・しゃぶしゃぶ用
隠岐牛のしゃぶしゃぶは絶品

驚くべきことに、この隠岐牛の飼育・出荷をしているのは、町の建設業者なのです。

山内現町長が町長選に初出馬した際、公共事業を削減する方針を打ち出しました。
普通、田舎でそんなことを言えば大きな票を持っている地元の建設業者を敵に回すことになります。
ところが、当時の「飯古建設」の社長は違いました。

「町長、あなたの言うことには賛成だ。われわれも公共事業への依存から脱却しなければならない」

そうして「飯古建設」は建設業から畜産業という異業種へ参入し、隠岐牛のブランド化を進めるに至ったのです。

隠岐牛は島中放し飼い、といった感じで、たまに道路のど真ん中を占領されるときもあります。
海からのミネラル分を豊富に含んだ牧草を食べてのびのびと育った隠岐牛の肉は、心地よい甘みがあり、絶品です。

現時点では十分な出荷量が確保できないため、いまだ「幻」となっている隠岐牛。
海士町へご来島の際はぜひご賞味ください。

3.いわがき「春香」

僕が東京に居た頃、とあるイベントで生のいわがきを食べる機会がありました。
もともと生のかきはその生臭さが苦手で、カキフライならまあ食べられるというくらい。
ところが、僕がそこで食べた岩がきは全く臭みがなく、新鮮な海の香りが口の中いっぱいにひろがる美味しさ。

「え!?本当にこれが冷凍!?」

と驚愕したことを覚えています。

何を隠そう、僕がそこで食したのは、海士町のブランドいわがき「春香」をCAS冷凍したものだったんです。

このいわがき「春香」はトレーサビリティの担保など厳格な品質管理の下、海士町で養殖されているもの
S~LLサイズまであり、LLサイズともなるとかなり大粒ですが、味はどれも濃厚で豊かな海の香りを感じられます。

このいわがき「春香」の特徴は、その名のとおり3月~5月の春から初夏が旬であること。
通常のいわがきは5月~8月の夏季が旬なので、CASと同様、競争優位性が働きます。

しかしこのいわがき「春香」の養殖、はじめから順風満帆というわけではなかったそうです。
現在のブランドが確立するまでには数多くの失敗があった、と伺っています。
いわがき「春香」は、生産者が覚悟を持って積み重ねてきた試行錯誤の賜物であり、だからこそ味と品質は格別なのですね。

現在では東京でも取り扱いが増えており、都内のオイスターバーでも高級品として提供されています。
また通販でもご購入いただけますので、ぜひお試しください。
※旬をはずすと食べられない可能性大です。今年の出荷は始まっているそうなので、お見逃しなく!

産業の影に「人」あり

ここに紹介したのはほんの一部ですが、海士町の産業の取り組みに共通するのは「人」です。
工場をつくればいい、牧場を作ればいい、養殖場を作ればいい…。
そんな単純な発想では、「離島」というハンデを覆すブランド化を実現するのは無理だったはずです。

覚悟を決めて挑戦し、諦めず粘りづよく食らいついていった「人」がいるからこそ、今がある。

そのありがたみを感じるからこそ、「いただきます」の言葉の重みも増すというものです。

※海士町長が書いた書籍もありますので、興味のある方はそちらもぜひ。

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