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「人を伸ばす力」のメモランダム

カテゴリ:読書の記録

付箋を貼った箇所の記述をひたすらに引用してみた。
気になった方はぜひ本書を手に取ってみてほしい。

こちらもどうぞ → 「人を伸ばす力」の簡単なまとめ

「人間観」の転換

実際の行動主義的アプローチは多少複雑であるが、行動主義哲学者のバリー・シュバルツが指摘するように、そのメッセージは単純である。すなわち、人は基本的に受動的な存在であり、報酬を獲得するか罰を回避する機会を提供する環境からの誘いがあるときにだけ、人は反応を起こすというわけである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

行動主義では、そもそも学ぼうとする意欲などは存在しないと考えている。しかし、この前提は、幼稚園や家で幼児が示す姿-出会うものを絶え間なく探究し、いじくり回している-にまず反している。彼らが有能さを求めてチャレンジを繰り返すのは、そうするのがただ楽しいからであるのは明らかである。子どもたちは、報酬の提供によって学習に動機づけられるのをただ受動的に待っているのではなく、むしろ学習の過程に積極的に関与している。まさに、彼らは学習に対して内発的に動機づけられているのである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

では、人々がプログラムされるのを待っている機械ではないとしたら、そして飼いならされるのを待っている野蛮人ではないとしたら、いったい彼らは何者なのだろうか。彼らは生命体なのである。彼らは生命体として探索し、発達し、困難へと立ち向かう。それは彼らがプログラムされているからでも、むりやりやらされているからでもない。そうするのが彼らの本性だからなのである。この視点から発達を見ると、ピアジェや他の先駆的心理学者たち、たとえばハインツ・ウェルナーなどが示したように、まったく異なったものになる。それはより建設的であり、より人間的なものである。発達とは、社会が子どもたちに対して行う何らかのはたらきかけではなく、子どもたちが能動的に行う何ごとかであり、社会はそれを支え育むものなのである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

ある意味では、内発的動機づけも生命論的統合も一種の生きる力、すなわち発達へと向かう暗黙の指向性を仮定しているといえる。そしてこうした考え方にもとづいて、ライアンと私は、多くの同僚たちと共同して、実験的方法を進めてきたのである。内発的動機づけに関する実験は、その探究のほんの入り口にすぎない。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

「自律性」への誤解

報酬、強要、脅し、監視、評価-このような方法を人の行動を動機づけるために利用することに私は原則的に反対する。しかし、単に寛容であればいいと主張しているわけではない。目標や構造を定め、制限を設定するなどのことは、たとえ好まれないとわかっていても、学校や組織、さらには文化においてはしばしば重要である。たとえば、お互いに絵の具を投げつけあう子どもをそのまま見過ごしたり、仕事中に気ままに出歩く人を黙認することは適切でない。真に重要な問題は、何でも許容しないことと意欲を低下させないことを両立できるかどうかにある。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

他者の自律性を支えるということは、他者を統制することの対立概念であるが、それがほんとうに意味していることは、他者の視点で考え、他者の立場に立って行動できるということである。他者の自発性やチャレンジしようという気持ち、あるいは責任をもとうとする姿勢を積極的に励ましていくことを意味しているのである。そう考えると、制限を設けることも場合によっては必要だろう。(中略)自律性を支えることは、実は強制することよりもむずかしく、より多くの努力や技能が要求されるのである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

制限の設定は責任感を育てるうえでも非常に重要である。問題はそのやり方なのである。自律性を支えるしかたで制限を設けることによって、つまり相手を操作する対象、統制する対象と見なすことなく、制限される側の立場に立ち相手が主体的な存在であることを認めることによって、偽りのない自分であることを損なわずに責任感を育てることができる。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

 

しなければならないことがある。仕事としてやり遂げなければならないことがあり、授業で教えないといけない内容がある。しかし、ほとんどの場合、何をするかを決める幾ばくかの余地はある。大切なことは、ほんとうに自律性を支援する管理職や教師であれば「与えられたもの」を受け入れ、そのうえで自律性が支援できるように対処することである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

自律性と有能感の両立の重要性

有能なチェスの駒にすぎないなら、つまり、活動に対して有能であるが自らの意志で自己決定できると心から感じられないならば、いくらそれがうまくできても、内発的動機づけを高めることはないし、満足感も生まれない。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

よい問題解決や成果を生み出すためには、内発的に動機づけられる必要がある。それはまず、前に述べたように、行動と結果を結び付ける仕組みが出発点になる。望ましい結果をどうやって達成したらよいかが理解されねばならない。また、その手段的活動に対して有能感を感じることである。さらに、内発的動機づけは人の自律性を支えるような対人的な文脈において促進される。このような重要な構成要素が揃うことによって、人は自分自身の目標を設定し、自ら自己評価の基準を定め、自己の成長をチェックし、目標を達成するだろう。そうすることは、彼ら自身のためだけでなく、彼らが所属する集団や組織のためにも寄与するのである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人間は社会的であるということ

自律への支援を提供することによって、大人たちは若者の、より大きな統合性と偽りのない自分へと向かう自然な発達を促進してきたのである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

根の生えたアボカドを大地に植えれば、おそらく成長してアボカドの木になる。そうなることがアボカドの性質だからである。それは自然に起こる。しかし、どこに植えても木に育つわけではない。枯れたり腐ったりするものもある。それらがよく育たなかったのは、気候が成長に適していなかったか、必要な養分が足りなかったからであろう。植物には日光が必要であり、水が必要であり、そして適度な温度が必要である。しかし、これらの要素が木を成長させているわけではない。それらは成長途中のアボカドにとって必要な栄養分であり、アボカドが自ら成長していくために必要なものである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

他者に責任感をもつよう期待するのなら、まずわれわれ自身が社会化の担い手としての責任を受け入れなければならない。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

関係性への内発的な欲求に導かれて、人は集団の成員となる。最初は核家族の一員に、次にはもっと大きな集団の一員に、さらには社会の一員、そして最後には(少なくとも希望としては)地球共同体の一員となる。この欲求が、良かれ悪しかれ人々の社会化を支えているのである。人がある集団に所属しているとき、集団は彼のアイデンティティの一部となり、彼は自然に集団の価値や慣習を受け入れようとする。責任感が発達するのはかなりの程度、このプロセスによっていると言っていい。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

理論上でも実際上でも重要な点は、人の行動がどの程度自律的、創造的で、生き生きしているか、内発的に動機づけられているかは、パーソナリティ(われわれが自律性志向と呼ぶもの)と社会環境が自律性を支援する程度との相互作用によって決まるという点である。社会環境は人々の動機づけや行動に影響する点で非常に重要であるが、パーソナリティも動機づけや行動に影響する。さらに重要なことは、人々のパーソナリティは社会環境にも影響し、それがまたパーソナリティに影響を与えるのである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

内発的動機づけを育む困難さについて

私が制限を課すこと―自律性を支える制限でさえ―をためらったのは、リサから嫌われてしまうのではないかという一種の恐怖心のためだった。四歳の女の子から好かれていたいという私自身の欲求のために、私は養育者としての責任を捨てたのである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

働き過ぎの親たちの一部は、ストレスに圧倒されて、子どもを放任するのではなく、より要求的・批判的になるという反応を見せる。こうした親たちは子どもに対する攻撃性を実際に行動に移してしまう。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

心理学の用語に、自我関与(ego involvement)ということばがある。これは、自分に価値があると感じられるかどうかが、特定の結果に依存しているようなプロセスのことを指す。(中略)もしある男性の自己価値観が仕事にはげんで財産を築くことに依存していれば、彼は仕事に自己関与しているのであり、もしある女性の自己価値観が、健康クラブでの競争に勝つことに依存していれば、彼女はエクササイズに自我関与しているのである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

親、政治家、学校の経営者たちは皆、生徒に創造的な問題が解決できるようになって欲しい、教材を深い概念のレベルで理解して欲しいと思っている。しかし、これらの目的を達成しようとする熱意のあまり、彼らは教師に成果をあげるよう圧力をかける。圧力をかけられるほど教師は管理的になり、そのことはわれわれが何度も見てきたように、生徒の内発的動機づけ、創造性、概念的理解を低下させてしまうというパラドックスを生み出すのである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

魅力的で積極的な生徒の自律性を支援するのは容易であるが、受身だったり攻撃的な子どもはまるで統制されることを求めているかのようだとは、教師からよく耳にすることである。そして、子どもが、統制されることを求めているとき、彼らを統制する罠に簡単に陥り、そのことでさらに、彼らの発達が妨げられる。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

その他の面白そうな記述

たとえば、自分の住んでいる地域社会に貢献したいと強く願っている人々は、バイタリティにあふれ、自尊感情も高かった。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

学年度末に私は指導している大学院生と、その年の成績について話し合いをする。私は学生の到達度について、私個人の意見をもって臨むし、多くの場合、他の教員の意見も参考にする。話し合いでは多くの話題が出るが、その中で何が実績の評価として考えられるかという話題になる。私は学生に、自分自身の評価をさせることから始めるが、学生は概して私が考えていること以上のことを言うので、幾度となく驚かされた。私が付け加えることはほとんどないのである。最適な評価とは、自分が設定し到達しようと決めた基準に照らして、自分が実績を評価することである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人にとって自然なことは何か、人が求めることは何か、人の発達を促進するものは何かを表すには、幸福というのは不適切な概念である。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人が幸福のみを求めるとき、幸福の追求により、それ以外の経験が抑圧されることになり、発達が阻害されるかもしれない。幸福になりたがることは、愛する人が死んだときに悲しみを避けたり(すなわち抑圧したり)、危機に直面したときに恐怖を避けたりすることにつながる。生きていることのほんとうの意味は、単に幸福を感じることではなく、さまざまな人間の感情を経験することである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

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「人を伸ばす力」の簡単なまとめ

カテゴリ:読書の記録

「内発的動機づけ」というテーマについては
ダニエル・ピンク著の「モチベーション3.0」が話題になったが、
本書はその原典的な立ち位置にある。

内発的動機づけは人間の3つの欲求によって支えられている。

・自律性への欲求
・有能感への欲求
・関係性への欲求

本書においては、内発的動機づけを高めることで、
人はよりよく学習し、目標を達成できるようになり、
精神を充実させることができる、とされている。
つまり、いかにこの3つの欲求を満たすかがポイントである。

自律性への欲求

ポイントは、意味のある選択が自発性を育むという点にある。人は、自ら選択することによって自分自身の行為の根拠を十分に意味づけすることができ、納得して活動に取り組むことができる。同時に、自由意志の感覚を感じることができ、疎外の感覚が減少する。しかも、もし選択の機会が提供されるならば、人々は自分たちが一人の人間として扱われていると感じる。このように、選択の機会を提供することによって、問題をうまく解決することができるのである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

自ら選択する機会が提供されることで、人は自律的になれる。
それは周囲の働きかけによっても実現できる、というのが肝だ。

選択の機会を提供することは、自己中心的な態度を許すこととは違う。
子どもにあれこれと指図したり怒鳴ったりして接するのでなく、
子どもの目線に立ち、子どもの自律性を尊重することで、
「しなければならないこと」を「やらされ」ではなく、
自ら納得し、責任感をもって取り組めるようになる。

本書においては外発的動機づけは批判の対象である。
学校での読書促進のために本を借りた冊数に報酬として
ポイントを付与する試みに触れ、核心をえぐっている。

たとえば、ピザの店と提携した報酬プログラムでは、読書のポイントがピザと交換できた。実はこの場合、ピザのほうが読書より価値が高いことを暗に教え込んでいるのである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

外発的動機づけは、行為そのものの価値を貶める危険性をはらむ。
むしろますます他律的な傾向を強化することになりかねない。

有能感への欲求

内発的動機づけがもたらす「報酬」は、楽しさと達成の感覚であり、それは、人が自由に活動をするときに自然に生じる。したがって、その仕事をこなす力があるという感覚は、内発的な満足の重要な側面である。うまくこなせるという感覚それ自体が人に満足感をもたらす。そして、生涯にわたる職業へとみちびく最初の力にもなりうる。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

勉強になかなか取り組まない生徒というのはどこにでもいる。
たいてい、そうした生徒は「やる気がない」と表現されるわけだが、
多くの場合は「意欲」でなく「有能感」の問題なのかもしれない。
できそうもないことにも意欲的であれ、というのは考えてみれば酷な話だ。

動機づけられるためには、自らの行動と望む結果のあいだに関連があると知る必要があり、行動と結果の関連に気づくようにする仕組みによってこの両者は結びつけられる。(中略)もし、自分の行為によって望む目標に到達できると信じなければ、このような仕組みが欠けていることの責任がシステムや組織にあるのであれ、上に立つ人のせいであれ、動機づけられることはないだろう。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

したがって、自律性と同様に有能感の発達を支援するときには、
相手の目線に立ち、最適なレベルのやりがいを提供するべきである。

関係性への欲求

これまで述べた通り、「自律性」と「有能感」の獲得は
周囲の支援を得ることでも実現可能である。

”人が自律するようになるためにはそのための支援が有効だ”

その意味において、自律は「独立」とは異なる。

高校時代は、若者たちが両親からある程度の独立を達成しようと格闘する時期であり、この発達段階においては、家族との愛着関係を放棄することが最重要課題であると、多くの本に書かれている。しかしライアンとリンチは、十代の若者たちの統合性と精神的健康にとって必要なのは、両親に対する自発的な、あるいは自由意志による依存(意地をはって両親から独立しているよりも)であることを明らかにした。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人間は社会の中で、つまり人との関係の中で生活する。
社会の中で生きる上で求められる責任は、
個人が自分の世界に浸ることだけを許さない。
ここにおいて「関係性への欲求」の役割が重要になってくる。

他者とつながっていると感じていたいという欲求が、人に文化の諸側面を自然に身につけさせ、あるいは同化させ、その結果創意あふれる社会的貢献をするようになる。それが起こるのを援助しているのが、重要な他者からの自律性への支援である。関係性への欲求はこのように、社会化の担い手による自律性の支援と結びついて、責任をもちながら、同時に真に自由になれるよう導いていくのである。社会化されるというのはこういうことである。少なくともこのことばのもつ、積極的で健康的な意味ではそうである。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

感想・・・性悪説から性善説へ

以上の内容は、学校や組織に根付く
一般的な人間観とは異なることに気づかねばならない。

内発的動機づけとそれを支える3つの欲求を中心に据える過程では、
その土台としてのパラダイムの転換が求められるのだろうと思う。
結局はここが最大の課題になるのではないか。

その他、目を引く箇所がいくつもあったが、
それは別記事でまとめている。

「人を伸ばす力」のメモランダム

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「自ら学ぶ」学習者を育てる「自己調整学習」の理論

カテゴリ:読書の記録

勤務する隠岐國学習センターでは学習指導の大きな方針として「自立学習」というコンセプトを打ち出している。

まだまだ組織内でもクリアに言語化ができていないが、このコンセプトを取り上げるようになった背景には「自立して一人で学習を進められる状態が最も学習効率が高い」という、指導者の経験及び生徒の観察によって導かれた仮定に基づく。

「自立学習」を理論的に補強する上で注目したのが「自己調整学習」だ。冒頭に挙げた「自己調整学習の指導―学習スキルと自己効力感を高める」から定義を引用する。

自己調整学習(Self-regulated learning)
語彙を増やすような、スキルを習得するための目標設定、方略利用、自己モニタリング、自己調節を含む学習方法。

自己調整学習の指導―学習スキルと自己効力感を高める

以下、本書から自己調整学習の概要をこの記事で整理したい(中盤の詳細な指導方法については割愛)。

自己調整学習と自己調整学習のサイクル・モデル

多くの学校や塾では指導の対象は教科の内容であって、どう学べばよいか、もっと言えばどうしたら成績が上がるのか、その方略(Strategies)を指導するための機会に乏しい。

一生学び続けねばならない「生涯学習社会」という背景を踏まえると、「自ら学ぶ力」を伸ばすことは時代の要請と言える。しかし、そのための時間が取られていない、という課題があるということだ。

成績の良くない生徒と比べると、成績のよい生徒は、学習方略や学習の進み方に対して自己モニタリングを多く使い、結果を踏まえて学習の取り組み方をより組織的なものに変え、学習目標を高く設定する。

自己調整学習の指導―学習スキルと自己効力感を高める

研究者たちはできる生徒とそうでない生徒の違いを分析した。その過程で見出されたのが「自己調整学習」の理論だそうだ。

この自己調整学習は4ステップからなるサイクルを回すことで成立する。

☆自己調整学習のサイクル・モデル(Cyclic model of self-regulated learning)

①「自己評価とモニタリング」
  生徒が前の遂行と結果についての観察と記録から自分の成果を評価した時に起きる。
②「目標設定と方略計画」
  生徒が学習課題を分析し、特定の学習目標を設定し、目標を達成する方略を計画し、練り上げるときに生じる。
③「方略―実行モニタリング」
  生徒が構成された文脈の方略を実行し、その実行の正確さをモニターしようとするときに生じる。
④「方略―結果モニタリング」
  生徒が学習結果と効果を測定する方略過程との結びつきに注意をする時に生じる。

一つひとつをもう少し細かく見てみる。

①「自己評価とモニタリング」

驚くべきことに(?)、生徒は自らの学習活動において例えば「何にどれだけ時間をかけているか」等知らないということがよくある。したがって第1のステップとして生徒の現状の実力や学習方法、時間の使い方などから今抱えている問題は何かを発見することが必要となる。

②「目標設定と方略計画」

現状のレベルや問題点を把握したら、それを踏まえて適切な目標とその達成のための方略を検討するのが第2ステップだ。この際、教師がどう学習を進めているかを実際にやって見せて、生徒に観察させるのも有効だという。

③「方略―実行モニタリング」

目標を基に方略を定めただけで終わりではない。適切な方略を選択し、実行し続けられるかを随時確認することが重要となる。このプロセスは以前に使用した方略を参考にする他、級友や教師からのフィードバック、自己モニタリングに基づく。

※自己モニタリング(Self-monitoring)
「読みながら理解するような、課題の遂行結果を内からも外からも周到に観察すること」

④「方略―結果モニタリング」

第3ステップで実行が確認されたとしても、結果に結びつかなければ意味がない。第4ステップでは方略が結果に結びついたかをモニタリングする。結果に結びつかなかったり、検討した方略自体の実行が困難な場合は方略実行を継続しながら目標や方略の再設定や追加が必要となる。

 

以上、①~④のステップを循環的に回すことが「自己調整学習」の肝になる。

ここで注意したいのは、「自己(Self-)」という表現だ。

自己調整は孤立した努力ではなく、社会的援助を自分のために使用したり情報豊かな資源を使用したりすることである。

自己調整学習の指導―学習スキルと自己効力感を高める

「自分でどうにかしなければならない」わけではない。むしろ自分でどうしようもない時には積極的に周囲に頼る姿勢が求められる(個人的にも、平均点周辺で伸び悩む生徒は質問をしない、という傾向を感じる)。

自己調整の能力を身に付ける過程で周囲の援助を借りてもいい。本書でも、自己調整学習の指導においては級友や教員からのフィードバックを得る機会を設けるよう促している。

教師の目標は、生徒の学習を指導する仕事から教師自身が抜け出すことである。

自己調整学習の指導―学習スキルと自己効力感を高める

指導の上でのポイントはここに尽きるのかもしれない。自己調整学習の指導のゴールは指導する必要がなくなることだ。教員に依存したままの学習では大学入学後、あるいは社会に出てから自己成長と周囲への貢献のために学び続けろという圧力に屈することになるだろう。

本書で示される教師の役割を整理すると下記の通りだ。

☆自己調整できる生徒を育てる教師の役割

1.生徒に教える権限を移す

①生徒に自己モニターを頼む
②生徒が自分のデータを1人であるいは小集団で分析することを援助する
③自己モニターの結果から、生徒が目標設定し方略選択することを援助する

2.自己モニタリングと方略選択方法をやってみせて、自己調整技法を教える

①過程をモニタリングする書式の自分の使い方を示す
②方略選択を仮定し結果を評価する
③得られた結果によって方略を改善する

3.生徒が自己調整方略を工夫するために自己モニターをするように薦める

個人的な感想とまとめ

・本書は生徒が自己調整学習ができるようになることにフォーカスしている。そのため自己調整学習を身に付けさせるべき社会的意義が見えづらい。冒頭に「生涯学習社会」というタームは確認できたが…。

・具体的な指導の過程では随時フィードバックが必要であり、教師の方略の引き出しが問われる。負担が大きそう。

・学習の過程に級友からのフィードバックを組み込む発想は面白い。実際、生徒もお互いにどんな勉強方法をとっているのかを知らない。方法に目を向けさせる意味でも効果的かもしれない。

・本書での自己効力感という言葉の定義が面白い。

自己効力感(Self-efficacy)
ある課題をうまくやり遂げられると感じる程度。

自己調整学習の指導―学習スキルと自己効力感を高める

生徒の課題に対する自己効力感を可視化することで、生徒は自分の方略の精度により関心を向けるという。

そのためには細かな単位で小テストなどを行い、「何点取れそうか」という予想と実際の点数を比較することが求められ、それが結果につながる勉強ができているかを確認することにつながる。

もしかしたらやり方ではなく単に時間の問題かもしれない。それも踏まえてまず自己モニタリングが必要と言うのは納得できる。

・現実的にこの理論をどう普段の指導に落とし込むかが課題。本書に書かれている指導を実践する余白がある教育現場は少ないだろう。個人的には1回の授業の中で自己調整のサイクルを回せるとよいと思う。そのためにもより意図的に授業最後の小テストを活用すべきと感じた。

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