Category Archive: 自分事

アクションラーニング勉強会の第2回振り返り

カテゴリ:自分事

第1回の振り返りはこちら↓

アクションラーニングの試行と備忘録

2か月ぶりに勉強会を実施。
今回は僕を含めて6名が参加。
男女比は半々、第1回目の参加者は3名だった。

今回、僕はアクションラーニングコーチ(以下ALコーチ)に徹し、
残りの5人がセッションする形となった。

問題提供者は前回の参加者から立候補。
質問する4名は3名が初参加で、1名は前回の問題提供者だった。
つまり、前回質問側だった人がいない状態でセッションが始まった。

セッションについて~前回との比較を中心に~

ALコーチの立場からセッションを眺めていた印象では

・前回に比べて「長い」質問が多い
・誰かの質問にみんなが重なっていくというよりは、
質問者一人ひとりが別スレッドで質問を重ねている感じ
・みんなが「おお」「なるほどー」となるシーンが少ない

といった点が前回と違って気になった。
セッションになるべく集中するようにしつつ、
その理由を考え続けた1時間だったと思う。

そして振り返りの中で出てきたフィードバックはこうだ。

・ほぼ初対面のメンバーがいるにも関わらず
お互いの自己紹介や抱えている課題の共有などなく、
緊張感を持ったままセッションが始まってしまった
・初参加で「質問」と「回答」のみ、というルールに縛られすぎた

これは主催者として大いに反省すべき点である。
僕自身は集まったメンバー全員と顔見知りだったので、
一人ひとりが場に感じる緊張感を意識することがなかった。
セッションの進行ばかり意識し過ぎたのもあるかもしれない。

次回はアイスブレイク含め、場づくりの意識を持つようにしたい。
また、ルールに縛られすぎた、という声については、
その裏にあるものをもう少し検討しておきたい。
第1回ではそんな声がなかったからだ。

効果的な質問に関する仮説

ALコーチと言う俯瞰的な立場から見たとき、
場にいい影響を与えているなあ、という質問の共通点は

・誰か一人でなくみんなの関心事である
・ある人の考えを強化するのではなく、
問題提供者への興味・関心が先行するような問いになっている
・前提に縛られず、問いが問題提供者に委ねられている

といった感じ。抽象的ではあるが、
要は質問者が自分の考えに固執することなく、
問題提供者自身に関心をかたむけるべき、ということか。
しかしこれも本当にそれだけなのかは検証の余地がある。

ALコーチのはたらきについて

今回は本格的にALコーチにチャレンジしたのでその感想も。

ALコーチとして内省の時間を挟んだのは

・ほとんど意見を言っているような質問が増えてきた
・問題の明確化よりも質問者の脳内の整理や
仮説検証のための情報収集が優先されている印象が強い
・質問者が偏っており、その流れが変わりそうにない

といった観点でもやもやが僕の中で募りはじめるタイミングだった。

1時間ちょっとのセッションで計3回内省を差し込んだが、
良い・悪いは別にして前後で流れに変化がでることは感じた。
が、質問者自身が内省によって方向転換をした、という印象はない。

内省を促すにはALコーチの質問が鍵なのだと思うが、
ここは明らかに準備不足だった。次までに復習しておきたい。

ところで、ALコーチの意義や僕自身のふるまいについては
今後フィードバックを集める予定だが、
振り返りの場で言及されることはあまりなかった。
(つまりそれだけ意識されていないのだと思うが)

今後に向けての課題

アクションラーニング自体をより良いものにするために、

・場づくりの重要性を認識し、アイスブレイク等意識して組み込む
・問題発見にフォーカスすることで学習は成立するという仮説の検証
・ALコーチの役割について復習
・セッション中の方向修正の方法の検討

など課題だらけだが、少しずつ前進しつつある。
あとは集まったメンバーの脳味噌も活用していきたい。

 

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夏の終わりに考えていること

カテゴリ:自分事

海士町に移住してあと3ヶ月足らずで5年が経つ。

今年は、自分の見聞を広める一年にしよう。

そう思い立って、なるべく島外に足を運ぶ機会をつくっている。
まだまだ海士町という地にも足が着いていないのだけど。

この島の日々の中で学んだこととか、気づいたこととか、
考え続けたこと、考えるのをやめたこと。

いったん意識が島の外に向くと、
ひとつの方針の下に集積しつつあったそれらは
徐々に焦点がぼやけ、境界が曖昧になり、散開し始める。

僕は一つの場所で確かに5年足らずを過ごした人間であり、
きっと何かを語ることができるしそうしてきたのだけれど、
その一方で語るべきことが解体されつつあるのが今。

一言で言えば暗中模索という感じ。
それでも「光明」と呼べそうなものが
いくらかでも手元に残っている。

コンテンツとしてのICT教育×PBL

ツールとしてのICT教育も気にはなっているけど、
プログラミング講座の方にもっと関わりたい、と思う。
技術を身に付けたい純粋な欲求もある。

技術やスキルはそれを持つ人が
具体的に社会に影響を与える手助けをする。
プログラミングとPBLの親和性はかなり高いはずだ。

たとえば高校生が学校の授業の一環で
地域社会の課題解決に取り組むケースが増えている。
こうしたとき高校生が技術を持っていたら、
課題解決が「提案」で収まることなんてないと思う。

「現場」を重視するなら「実践」をこそ重視したいものだ。

「会社」「雇用」の枠にとらわれない「仕事」

島で暮らしていると、仕事はつくるものだとよくわかる。
「職場」「肩書」の縛りをうまく統合できれば、
もっと自由にかつクリエイティブな仕事ができるはず。

全然言語化できていないんだけど、
少しずつ輪郭が見えてきたような気がする。
この1年のうちで1つでも実践できればいいのだけど。

まずは今の職場を週4日勤務にするくらいでないと。


(新装版が出ていたのは知らなかった)

いわゆる「教育」の枠にはまらない関わり方

「やっぱり将来も教育の仕事に携わるの?」
「いつ秋田に塾つくるの?」

良く聞かれることだが、いい加減うんざりしている。
一般的なイメージとしての「教育」の領域は非常に狭い。
そんな枠組みに収まるために島になんか来ていない。

正直なところ、「教育者」的な関わりには飽きつつある。
「地域のおっちゃん」みたいな関わり方、
もっと言えば相手が高校生であっても同じ市民として、
あるいは仲間として接していきたいとなんとなく思っている。

これは取り立てて新しい概念ではない。
「教育」という既存の枠に当てはまらないがために
なかなか説明しても伝わらないのだけど。

家族を持ち、地域の一員となる

やっぱり家族持ちたいなって思わされるのが島暮らし。
誰もが家族を持つべきと言うつもりはさらさらないが、
ブログのタイトルにもある「幸せな暮らし」の実現のため、
少なくとも僕にとってそれはとても大事なもののようだ。

「秋田」にこだわる理由

ふるさとである秋田への思い入れについて語るとき、
「別にいい思い出があるわけでもない」とは
なかなか言い出しづらいものがある。

WE LOVE AKITAという活動に2008年末から関わっているが、
僕の秋田愛は人や場所との出会いによって育まれた。
つまり、WLAに関わった以後がポイントになっている。

そうして育まれた愛着が他のどの地域にもましてあるから、
「秋田」という土地にこだわっている。
もしかしたら、ただそれだけでしかないのかも、と最近思っている。

まとめ:現在地を確かめるために

当たり前だったことの意義が問いなおされている中で、
心ここにあらず、の一歩手前にいる心地がしている。

この島にいる自分がどういう位置に立っているのか。

たぶん、それが知りたくて島の外にある情報や機会に
もっと目を向けるようになっているのだろうと思う。

仕事と暮らしの手応えはどうしても薄れてしまうが、
様々なことをフラットに見ることができている今のうちに
様々な場所から現在地を眺める試みにいそしみたい。

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アクションラーニングの試行と備忘録

カテゴリ:自分事

ぼんやりとした課題意識から出発し、
組織を越えてお互いの問題を共有するような場として
有志で勉強会を開こう、というのが最近の企て。

その勉強会のネタとして冒頭の本に代表される
「アクションラーニング(以下、AL)」を導入しようと考えている。

良質な問いを追及するアクションラーニングについてのメモ

というわけで先日ALを試行してみた。

思いがけずうまくいった(とみんなが感じた)のだが、
「なぜうまくいったのか」「うまくいっていないことはなかったか」等
自分の中で説明が付けられない部分も多い。

改めて「実践 アクションラーニング入門」を読み直しながら、
感じたことを備忘録的にまとめたい。

マルチプル問題アプローチの利点を生かす

今回集まったのは僕を含めて4名。計3組織からの参加となった。
年齢構成は20代後半~30代で、Iターンとしては平均的。
男女比はたまたま2:2とバランスがよかった。

今回の形式は参加する各自がそれぞれの問題を持ち寄る
「マルチプル問題アプローチ」に近い。
改めて該当部分を読んでみると、思い当たる節がいくつかあった。

最も大きな利点は、メンバーは自分の問題に専念できるので、結果として、問題への洞察力やアイデア、解決策を得ることができるということである。

実践 アクションラーニング入門

これはまさに狙うところであり、
呼びかけの段階での期待値に沿うところであった。

自分の部署外の人、または自分の部下でない人と問題を共有するとき、メンバーは、同僚と問題を話し合うときにはありえないと思われる、課題、懸念、各人の性格、脆弱さなどを共有する心地よさと自由を手に入れることができる。

実践 アクションラーニング入門

ここもある程度狙い通りだったと言える。
率直な質問と回答のやり取りの中で、
問題のベールが1枚ずつはがれていく感覚を共有できたと思う。

ただ、問題提示者は絶え間なく質問されることで
「逃げられない」「答えなければならない」と感じたと話していた。
この辺りのさじ加減は研究が必要そうだ。

グループに持ち込まれる問題は、その問題に直面しているメンバーにとって緊急で、個人的・精神的苦痛を伴うものである。あるメンバーにとって重要で意味のある問題の解決を手助けすることが、他のメンバーに満足感と充実感をもたらす。

実践 アクションラーニング入門

たしかに、何らかの充実感と言うか、
問題提示者の視点が共有されることで共感が生まれ、
問題が明瞭になることで健やかな気持ちになれた気がする。

当初の期待値を越える結果だったという感想ばかりだったのも、
事後の心地よさによるものだったかもしれない。

個人的な問題を他者と共有することは、意義ある洞察―自分のもんだいが決して特別ではないこと、他の人も似たような問題を抱えていること、自分はそれほどダメなマネージャーではないこと―を引き出す。この気づきが大いなる助けとなり、自信につながる。

実践 アクションラーニング入門

問題提示者が最終的に再定義した問題のありさまは、
僕自身にとっても大きな気づきとなっている。
最初に提示された問題がまさかそう再定義されるとは、
という驚きもまた、その気づきを深める方に働いた気がする。

総じて、ある一人の問題が解決されることで、
他のメンバーも学べると実感できたのは収穫だった。

「良質な問いの可能性」という仮説検証の失敗

一方、アクションラーニングの肝である
「質問」については手応えを得ることができなかった。

質問と回答を繰り返すことで、
確かに場には良い変化が幾度かもたらされたのだが、
(メンバーが「おおー」と声を上げるシーンはあった)
個人的な感触としては、それは問いの質というよりも
問題提供者の内省力に依るところが大きかったように思う。

幾度かの「おおー」のシーンを振り返ってみると

(1)先に提出された問題が書き替えられると「おおー」となる
(2)セッション中のリフレクション後に問題の書き換えが起こった
(3)問題を深めたり、具体的にしようとしたりするよりも
 視点を変えたりそもそもを問うた後の方が「おおー」となりやすい

という印象がある。
(1)については思い返してみると想定通りではあるが、
(2)については思わぬ副次的効果だった。
(3)についてもある程度想定通りではあるものの、
セッションにおける問いはきっかけにすぎず、
それをどう受け止めて展開させるかという点において
問題提示者に依拠していた部分が目立ったかなと。

個人的な物足りなさは、「問い」そのものによって
「おおー」となるシーンがなかったことによるのかもしれない。

もう少し回数を重ねることで要点が見いだせる気がする。
他の参加者のフィードバックも集めないと。

まとめ:収穫と今後の課題

[収穫]
・「質問」と「回答」に絞るやり取りの可能性を実感できた
→「おおー」となるシーンが生まれたのは大きい
・「楽しかった」という感想を得られた
・月1回開催の負担はそう大きくなさそうと思えた

[今後の課題]
・「良質な問いとは何か」というテーゼ自体の問い直し
→縛られすぎるとかえって迷子になりそうである
・リフレクションの質を上げる
→「おおー」となるダイナミズムをチームでつくれなければ
 ALで学び、持ち帰るということが難しい

総じて出だしとしては良好だったと思う。
この勉強会の後の話まで考えると複雑になるので、
まずは勉強会自体を良質なものにすることにフォーカスしたい。

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