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伝統・文化の副次的な意味が多く語られる傾向について

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「伝統や文化を残す意味は?」と問われると

伝統工芸や地域の祭りが廃れていくのを見ると、
やはり寂しさを覚えます。

伝統や文化を残そう、という動きは
最近になってますます活発になっており、
「伝統や文化を残すこと」を大事と思う人は少なくありません。

さて、「伝統や文化を残す意味は?」と問われたとき、
どのような答えが返ってくることが期待されるでしょうか。
例えば祭りを守る意味について問うと、
このような回答が寄せられる傾向にあります。

・祭りを通じて地域コミュニティのつながりが醸成される。
・祭りに関わることで人々が役割を得ることができる。
・まちに活気が溢れることで、明日への活力となる。
・人が集まることで経済効果が期待できる。

これらは同様の質問に対する高校生の意見を参考にしています。
「祭りを通じて地域に良い影響が生まれるらしい」
ということは容易に想像できることです。

文化そのものの意味が軽視されていないか?

しかし、高校生の回答に気になるところがあります。
そもそも祭り自体の意義への言及が見当たらないのです。

では「祭り」自体を残す意義とはなんなのでしょうか。

昔からやっているから

残すべき理由がこれだけというのは難しいものがあります。
祭りは何らかの起源と目的や意義があってはじめて成立し、
そうして現在に至るまで継承されてきたもののはずです。
しかし、今残っている祭りという伝統には
そもそもの意味合いを喪失しているものが少なくありません。
実際、すでに観光資源としての位置づけが全面化してしまい、
元々の信仰や歴史的意義からかけ離れて、
学術的な価値が見出されないと指摘されるものもあるくらいです。

文化の副次的な価値に注目せざるを得ない事情

とはいうものの、そもそもの起こりを大事にしたところで、
昔と今とではその価値が移り変わることもあるわけです。
農業技術が発達した現代において、
豊作祈願の”切迫さ”は弱まるのは至極当然のこと。
元来の目的をその祭りの価値として据え続けることは
時代を追うごとにその目的が失われるリスクに晒されるということです。

結果的に、経済効果やコミュニティの維持といった理由が
伝統や文化を残す意味の中心となっている傾向が見られます。
もちろん、文化そのものの本来の目的や意味とは異なる
副次的な効果も”価値”ではあるのですが。

そこばかり目を向けてしまうときに僕が危惧するのは、
伝統や文化が形骸化し、本来の意味が損なわれることです。
伝統が本来の意味を失うとき、蓄積された地域のアイデンティティもまた喪失される。

これが例えばキリスト教徒の宗教上の行事になると、
多少状況が違うように思えるんですよね。
彼らは副次的な効果もさることながら、
行事そのものの(宗教上の)意味を忠実に守っているように見えます。
(あくまで「見える」というだけですが)

「文化を守れ!」という掛け声は大きくなるばかりです。

なぜ守るのか、何を守るのか、どう守るのか。
(あるいは何を変えていくのか)

慎重な検討ができる素養を身に付け、地元に帰りたいものです。

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信頼を得るために「分からない」と伝えることの効果

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先週は島の高校の試験期間だったので、授業をお休みして生徒の自習を見ていました。
彼らを見ていると、「この子はひとりで自習させても安心だな」「あの子はほっとくと不安だな」という区別が表れます。

まず、「集中力」がその分かれ目です。
大人が見ていなくてもすぐに私語をし始めたり携帯をいじったりすることなく、淡々と勉強できる。
やはりそういう子は安心して見ていられます。

最近、それだけが安心をもたらしているわけではないことを感じました。
 「どうしてもわからないときに投げ出さず質問できるか」。
確かに、自習を見る上で、分かっていない割に質問してこない生徒は注意深く見るようになります。
自分で先生のところへ質問しにくる生徒は割と放置していてもいいかな、と思えてしまいます。

「分からない」と言ってくれた方が安心する

相手の安心や信頼を引き出すことを考えるときには、「私は分かっています」ということが相手に伝わればよいような感じがします。
逆に、「分かりません」と伝えると、「こいつは大丈夫か?」と怪しまれてしまうようにすら思えます。

ところが、実際に仕事を誰かに頼む立場になると話は少し変わります。
特に仕事を頼む相手の理解度がよく分からない場合、相手がどこまでできて、どこまでできないかを把握することが非常に重要になります。
「ここまでは分かるがここからが分からない」と言ってくれる人が相手なら、分かるところまでは任せ、それ以降は少し手厚く指示をすればよいわけです。
「AとBなら95%AでOKだろうけど、重要なポイントなので念のため確認する」という人も有難いものです。
仕事の依頼者や属する組織の優先順位に則らなければならない場合、肝心なところは判断を仰ぐ人の方が安心できるのはまあ当然です。

逆に信頼構築がまだできていない相手が「私はわかっています」という態度をとるのはなかなか危険なことです。
“分かっている”人は他人に質問したり確認したりしません。”分かっていない”と思われることを恐れるからでしょうか。
確かに何度も同じ質問をするのも困り者ですが、一度指示しただけで何でも完璧にこなせる人なんてなかなかいません。
質問しない・確認しない新人は非常に恐ろしいですね。こちらからわざわざ確認しにいく羽目になるでしょう。

僕としては、前者の方が確実に依頼者の望む仕事をしてくれるだろうと思えます。

分かっているからこそ分からないと言うべき

ここで重要なのは、質問したり確認したりするためには、実は分かっていることが必要だということです。
高校生でも、この分野はさっぱり分からないという子は的確な質問をしてくることはほとんどありません。
そもそも自分がつまずいているところがわかっていないからです。

「私は分かっています」という態度を取る人は、実際7,8割くらいはちゃんと分かっていることが多い。
残り1割での失敗のために信頼を損なってしまっているという残念な事態が大部分ではないでしょうか。

信頼を得るためには、まずは上司や組織の優先順位を押さえる。これは最低限です。
その上で今の仕事で絶対に外してはいけないポイントを把握し、そこはきちんと確認をする。
これだけで「お、こいつは大事なところがわかっているじゃないか」と思われるわけです。

これを常に意識できていると、仕事を頼まれた時点で的確に質問をすることもできるようになります。
すると「ここまでは分かるが、ここからは不安だ」と伝えることができます。デキる人の質問ですね。
高校生でこれくらいの質問ができると、相当頼もしく感じます。

まとめると、良質な質問(確認)が信頼を得るための要点になるということです。
わかっているからこそ質問する。確認する。そうしてポイントを落とさない。

普段接する高校生たちにも、質問の仕方をもう少し意識させて行きたいものです。

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地域のアイデンティティを問うことの可能性-地域のこれからを考えるために

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21世紀に地域の歴史を振り返るということ

先日のエントリーでは地元・神宮寺の歴史について触りの部分をまとめてみました。

そもそものモチベーションは、僕自身が地元のことをろくに知らなかった点にあります。
この世に生を受けてからの18年間を神宮寺で過ごし、それなのに僕が地元について知っているのはほんのわずかばかり。

神宮寺という地にどのように人が集い、自然と関わりながら暮らしをつくりあげ、歴史を積み重ねていったのか。

蓄積された人の営みと時間とを基礎として神宮寺という町は存在しています。
神宮寺という町が今、あの場所に存在するということそれ自体に、長い時間をかけて醸成されてきた意味がある、そう思うのです。

地域を20世紀の指標で評価する限界

一方で、現在の神宮寺を見つめるだけでは地域のアイデンティティに迫りきれないという事情もあります。
今一般的に地域を評価する基準と言うのは、観光地や特産品だったり、何らかの話題性があったり、コンビニがあるとか利便性の問題だったり。
残念ながら、既存の視点では(他の多くの田舎がそうであるように)神宮寺は必ずしも良い評価を得ることはできないでしょう。
地域の歴史もまた評価の対象となりえますが、それは観光客向けに分かりやすくまとめられているなど、表にでているものに限られます。
(僕も、先日のエントリーをまとめながらようやく神宮寺という地域に刻まれた歴史に触れられた感があります)

神宮寺をはじめ、日本の地方・地域を見つめなおす作業を進める際に立ちはだかるのが、この評価基準ではないでしょうか。
経済性を重視することは今にはじまったことではないですが、地域資源の有無といった目に見える指標が支配的になったのは、20世紀に入ってからではないかと感じます。
実際、日本の多くの田舎に住む人たちは「おらほの町には何もない」と嘆いています。
そこに町が存在するということは、それだけで歴史の蓄積の賜物であるはずなのに。

経済合理性の名の下に役割を強いられた20世紀の地方

20世紀、地域はそれまで培ってきたアイデンティティによってではなく、経済的機能のみによって役割分担を強いられてきたと思います。

それによって地方は都市への人材や資源の供給源としての機能が強化されました。
一定期間そのシステムは順調に回っていましたが、現在は限界を迎えつつあり、都市/地方の格差が問題化するようになった、というのが多くの人の共通認識としてあります。

20世紀のシステムの限界を克服し、21世紀以降のあるべき姿を描くことが今まさに要求されていることです。
しかしながら現在中心的な位置を占める「地域活性化」の文脈は、都市/地方の対比から、つまり20世紀になってこしらえられた評価基準から、脱却できずにいるように見受けられます。

歴史の蓄積すらも単純な経済性で評価した20世紀のあり方は、これ以上日本の地方を幸せにする方向へ作用することはないでしょう。
ましてや、その指標を用いてこれからの地域のあり方を考える自体、無理があると言わざるを得ません。

「じゃあ、どうすればあるべき姿を描けるの?」
僕は、事を急ぐ前に、もう少しこの問いに向き合う時間が欲しい。

地域の流れ着いた姿に、そのアイデンティティを問う

先ほど、「現在の神宮寺を見つめるだけでは地域のアイデンティティに迫りきれない」と書きました。
今僕らの目の前にあるものの多くは20世紀(あるいは21世紀初頭)に秩序なく半ば機械的につくられたものであり、評価に値しなかった地方の負の遺産がどうしても鼻につきます。

ネガティブな情報に捉われず、これからの地域のあり方を問うために、どのような可能性があるでしょうか。

一つは、僕が先日のエントリーで示したように、時間とともに醸成された地域のアイデンティティを掘り起こすという作業です。

僕の地元・神宮寺はある日突然町として機能するようになったわけではもちろんありません。
仙北平野への入り口に位置したこと、保呂羽山への通過点となっていたこと、雄物川と玉川の合流地点であること、そこに神宮寺嶽があったこと。
神宮寺が、今あの場所にあるということの必然は、これでもまだ語りつくせないでしょう。

人が根付き、信仰が生まれ、暮らしを営み、町がつくられる。
歴史の堆積に委ねられ形作られたものは、目には見えずとも、町のアイデンティティとして埋め込まれているのではないでしょうか。

ちょうど川の流れによって少しずつ川原の石が丸く削られていくように、町も時間の流れによって”自然に”その土地に合った形を持つようになったとしたら。
積み重ねられた時間を無視してきた20世紀以前の町の歴史を振り返ることで、その土地にぴったりとフィットする、地域のあるべき姿のヒントを見出すことができるのではないでしょうか。

そんなささやかな可能性にわくわくしている、今日この頃です。

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