Category Archive: 自分事

過去のブログでお気に入りの10記事

カテゴリ:自分事

どこかで「ブログを書き、それを都度読み返せ」という記事を読んだので、
久々に過去のブログを読み返してみました。

海士町に来た後の記事は、久々に読んでも違和感がそこまでありません。
内容もそうですが、文体がずいぶん変わったような印象があります。

振り返りながら、今の自分の視点から「これは書いてよかったな」という記事を10ピックアップしてみました。
やはり、海士町来島以降に書いた記事が大半を占めます。
それと前後するタイミングで、「自分が書きたい記事を書く」という境地に近づけたのかもしれませんね。

・自分の子どもの死体を遺棄できる心境を思う

2010年7月に起きた、大阪の2児死体遺棄事件を受けて。
mixiニュースについたコメントの配慮のなさ、当事者意識の欠如に腹が立って、こんな記事を書きました。
Twitterでも何度かRTされ、僕のブログとしては珍しく一日で100以上のPVを達成しました。

・秋田の婚姻率が低いのはなぜか―結婚しない/できないの根本

「どうやったら結婚率は上がるのか」について知人とやり取りをした後でまとめました。
結論から言うと、結婚のハードルが上がっているから、結婚が減るのも当然だよね、ということを書いています。
しかし、それが少子高齢化の進む秋田の中でコンセンサスが取れているかというと、微妙です。
問題意識をまず共有すること、そこから建設的な議論ができるのではないか、という思いも込めて。

・「個人」が求められる時代とコミュニティのあり方の変遷

広井良典著「コミュニティを問いなおす」をベースに、「個人」が台頭するに至る背景を考えてみました。
単に「個人の時代だ!」と煽るだけでなく、コミュニティの変遷と絡めながら、コミュニティが縮小し、個人がインターフェースとなりつつあるという視点を入れてみました。

・続・「個人」が求められる時代とコミュニティのあり方の変遷

上の記事の続編です。
コミュニティの変遷のメカニズムについて捉え方を提案しながら、新しい時代に求められる教育と「言語化」について述べています。
これらの記事から、僕がなぜ教育という分野に関心を持ったのかが伝わるかもしれません。

・「津山三十人殺し 最後の真相」は読んでみるといいと思う

戦前に起きた、たった一人の男が起こした残虐な事件。
現代を生きる著者がその事件の背景と謎を追ったノンフィクションを読んでの書評です。
「昔ながらのコミュニティ」が、果たしてそんなにいいものだったのだろうか?
その二面性に迫ることができる良書でした。

・ワカモノの不安と大量生産・大量消費される価値観

震災後、Twitterのなんとなく抑圧された感じにうんざりして書いたのがこの記事です。
価値観という足場を揺さぶられながらも堕落しないように必死に乗り移っているような構図が見えたことが、この記事を書く動機となっています。

・【メモ】責任の分散された都市部と買占め – 同居人のブログを読んで

これも震災に絡んでの記事。
震災後、ところどころで語られるエピソードが僕の関心ごとにリンクし、この記事を書くに至りました。
海士町に来たからこそ書けた記事であることは間違いありません。

・【終了】 #komachi115 4.29さくらこまち115おかえりなさいプロジェクト【動画あり】

震災直後から運休していた秋田新幹線「こまち」の運行復旧を祝うプロジェクトの紹介記事。
こういう紹介記事が即座に書けたことにちょっと感動してしまったのはここだけの話。

・高校生に新生児を置き去りに”させてしまった”日本社会という捉え方

2011年5月、秋田県南部の高校生カップルが生まれたばかりの子どもを公園のベンチに置き去りにした事件。
自分の子どもの死体を遺棄できる心境を思う」の事件との共通点を感じてしまい、書かずにはいられなくなって書いたのがこの記事です。
もっと建設的な議論が世の中に広まれば良いのに…。

・自分らしい働き方を実現する社会に-「スローキャリア」

キャリア関連の本を本格的に読み出そうと思ったところで、最初に手をつけた高橋俊介氏の著書の書評。
この本は自分らしい働き方を自分なりに模索し、自分でキャリアを切り拓きたいという方には間違いなくお勧めです。

このリストに負けないような記事を今後も書いていきたいです。切実に。

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約4ヶ月ぶりの東京で感じたこと

カテゴリ:自分事

7/1~7/3の日程で東京へ行ってきました。
7/2の秋田魂心会 に参加するために。

前回東京を訪れたのは震災のちょうど一週間前。
震災後初の東京で、いろんな人と会い、飲んだり食べたりしながら、語る。
海士町に来てからはじめて再会する、という人も多く、なんだかいろいろ感じるところがありました。

1.ちょっとだけ、気になったこと

大したことじゃないんですが。

東京で会った知人のうち、3人がひどい咳をしていました。気管支炎なんだとか。 
流行しているんだろうか。感染する類の病気ではないと思うのだけれど。

あと、米子~羽田間の飛行機でCAや機長がアナウンスをやたらととちるのが気になりました。
語尾を言い直したり、英語で噛んだり、着陸直後に着陸した空港名が出てこなかったり。
そういえば京急の車掌も「この電車は成田空港…羽田空港行きです。」って言ってた。
なんだろう、みんな疲れているのかな?

2.優先順位の不在

海士町から来たということで、やっぱりいろいろ聞かれます。
で、一番聞かれるのが「今後のこと」。

もちろん僕も考えていないわけではないんですが、
改めて聞かれて答えてみて、優先順位が自分の中にない、ということに直面しました。

・何をしたいのか。
・どこにいたいのか。
・誰と一緒にいたいのか。
・どうやってキャリアを形成したいのか。

関心のあることはいくつかあるけど、それらとどう関わるのか(仕事にするのか?)、とか。
秋田なのか、東京なのか、海士なのか、はたまた別の地域なのか(まさか海外はないと思うけど)。
誰と一緒に仕事をするのか、誰の近くにいるのか。
何を目指すのか。どんな専門性を身に付けるのか。そのために何が必要か。

「時期が来ればなんだかんだで決まるだろう」

楽観的というよりノーテンキかもしれない、とちょっと不安になってます。

3.自分自身のコミュニティとの関わり方について

ある人と話していて、自分の中で整理できたこと。

コミュニティを変えるなら、外からコミュニティに関わらなきゃいけない。
コミュニティに入り込むということは、 そのコミュニティと運命を共にするつもりがないと。

僕は、あんまりコミュニティに入り込むということができなくて、常に一定の距離をとるところがあります。

道連れになっても良い、そう思えるコミュニティ。

なんとなく、地元ならそう思える。だから地元に帰る。
そういうことなのかもしれないなあ、なんて。

優先順位がないのも、こういう背景があるかもしれない、と思うと、
このことについてもう少し振り返ってみる必要があるかもしれませんね。

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「幸せ」ってなんだろう -このブログの原点を確かめる

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このブログのタイトルにもある、「幸せな暮らし」。

僕らくらいの世代は、バブル崩壊を小さい頃に目の当たりにし、「リストラ」という言葉をテレビのニュースで覚え、いい大学を出ていい会社にで一生を終えることが「幸せ」ではないことを、なんとなくわかっていました。それだけ今の若い人は「幸せって何だろう」と考える機会があった、 とも言えるかもしれません。

“今この瞬間に、明日・一年後・将来を楽しみにしているかどうか”が、”幸せかどうか”の分岐になっているんじゃないか、と僕は考えています。
目の前の勉強や仕事や人付き合いも、それに取り組んでいる最中は、なかなか意義を見いだせなかったり、面倒くさかったり。”希望”を見いだすことができなければ-「将来的にはトータルでプラスになっているだろう」 という楽観がなければ-どうしてもその瞬間に楽な方に逃げたくなる。そういうメカニズムが働いているように見えます。

僕が「この人、幸せそうだなー」と思うのは、目の前のことに楽しみを自ら見出したり、工夫したり、些細なことを大切にできる人です。
収入でもステータスでもどれだけ異性にモテるかでもなく、日ごろの態度が”幸せ”につながっている、そんな風に思います。
刹那的に生きることが昔から嫌だった、というのもあるのかもしれませんが…。

“幸せ”ってなんだろう。
その問いに一般的な解を求めるのは難しいかもしれませんが、まずは僕自身の生活や仕事の中でヒントや気付きを見つけていくつもりです。
そして、その先で「教育」とか「キャリア」とか「コミュニティ」といった僕自身の関心領域 が交差している。ブログを引越しして、改めてそう思ったのでした。

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