「コミュニティデザイン」という概念が生まれた背景を考えてみる
カテゴリ:世の中の事 2011/07/05
先日の東京訪問ではこの本のことがちょこちょこ話題に上がりました。
で、昨日の日記でちらりと書いたこと。
コミュニティを変えるなら、外からコミュニティに関わらなきゃいけない。
コミュニティに入り込むということは、 そのコミュニティと運命を共にするつもりがないと。
約4ヶ月ぶりの東京で感じたこと
「コミュニティデザイン」という考え方は、外からコミュニティに関わっているということが前提としてあるはず。
つまり、こう思うのです。そのコミュニティにずっと属している人には「コミュニティデザイン」なんて発想はできないと。
異なるコミュニティがあるから、コミュニティの存在が認識される
アキタ朝大学のHPに掲載いただいた記事にも書きましたが、
「コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来」では以下のようにコミュニティを分類しています。
・生活のコミュニティと生産のコミュニティ(場の役割)
・農村型コミュニティと都市型コミュニティ(形成原理)
・時間コミュニティと空間コミュニティ(志向性)
日本古来の農村をイメージすればわかりますが、ここまで明確に分類できるようになったのは最近のことだと思います。
生活と仕事の場が分かれ、どのコミュニティに所属できるかが選択可能になり、さらにコミュニティが多様化していく。
高度成長期やインターネットの普及など、時代の流れがあり、サンプルが増えたから、分類が可能になったのでしょう。
基本的にはライフステージにあわせて所属するコミュニティが移り変わりすることによって、コミュニティというものの存在がはじめて認識されるはずです。
今までのコミュニティとは異なるコミュニティに属することが否応なしに起こる現代では、コミュニティの存在を意識しない方が難しいと言えるかもしれません(もちろん、人によって意識する・しないはあると思いますが)。
ヨソモノという立場になってはじめて見えるもの
「コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる」の著者、山崎亮さんが情熱大陸で印象的なエピソードを語っていました(以下、うろ覚えなので誤解が含まれているかもしれません)。
山崎さんは親御さんが転勤族だったため、多くの転校を経験してきたそう。
転校先でうまくやっていけるかどうかをいつも不安に思う彼は、ごく自然に”誰が「ガキ大将」ポジションなのか”、”どういうグループがあるのか”というふうに、クラスの人間関係を観察するようになったそうです。
山崎さんは転校という「異なるコミュニティへの移行」の経験から、自分が「ヨソモノ=コミュニティの外側の人」であることを自覚した上で、どうやって既存のコミュニティに入り込むかを考え、その結果いわば「人間相関図」を描く力を身に付けた、と僕は捉えました。
「コミュニティに入り込む」という発想は、「ヨソモノ」という立場になってはじめてできること。
学校の同級生というコミュニティは基本的に生年月日によって強制的に形成されるコミュニティであり、その中で自分がコミュニティの外側に位置することを自覚する人はそう多くはないでしょう。
自ら置かれた環境下で身に付けたこの距離感の取り方、コミュニティとのかかわり方こそが、山崎さんのスタンス、そしてコミュニティデザインという考え方の原点になっているのではないでしょうか。
ヨソモノの自覚と都市型コミュニティの形成原理
これ以降は余談というか思い付きです。
単に転校して「名目的に」同級生にはなったものの、どうにも自分が同級生であるという「実感」が得られない。
そのコミュニティが単に所属するもの(条件を満たせば自動的に資格を得るもの)ではなく、参加するもの(自ら参加条件をクリアする必要があるもの)だと気付く。
自分がヨソモノであると自覚することで、コミュニティとコミュニティの間に”違い”を見出す、ということはありそうです。
特に同級生というコミュニティは、その強制参加という形成原理からして、コミュニティの構成員に対して農村的な同質化を求める傾向にあります。
同級生コミュニティのヨソモノであるということは、「みんな一緒」の中で「自分は違う」ということ。
それって、もしかして都市型コミュニティへの参加の第一歩なんじゃないか。
都市型コミュニティは、経歴に関わらず、価値観や目的を共有することで参加条件を満たした異なる個人どうしが集まることで成立しています。
自分は他の人と違うという自覚が、自分自身の他人とは異なる価値観や目的意識の認識につながるのかもしれません。
ちょうど、アイデンティティが「どんな他人を選んでも自分とは異なる」ということを指し示すように。