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まちづくりにおける合意形成ワークショップの虚しさについて

カテゴリ:世の中の事

Twitterで割と反応がよかったのでブログでまとめてみることにした。

海士町に住んでいるとそれなりにワークショップに参加する機会があるが、
海士町内で体験したものは大きく3種類しかなかったことに気づく。

1.給与をもらう仕事とは異なる趣味や興味・関心に基づく場でのアイデア出し
2.内省や対話、関係性構築の契機となるような仕掛けのワークショップ
3.実際に物を作ったり体を動かすようなワークショップ

職場で合意形成のためにワークショップをした記憶がない。
海士町の暮らしの中でも”まちづくり”の文脈で合意形成の方法として
ワークショップを選ぶということはほとんどなかったと思う。

逆に言えば何かを決めるときにワークショップをするという発想がなかった。
合意形成ワークショップが必要なかった、ということだ。

それでも世の中は合意形成ワークショップを求める

一方、「合意形成ワークショップ」で検索すれば、
いろんな地域でそれが行われていることがすぐわかる。
ぱっと見た限りでは、行政主導のものが多そうだ。

合意形成は目的でなく手段であって、
みんなでやろうと決めたことをちゃんとやれるかどうかが大事。
それがわかっていればわざわざワークショップでなくても良い気はする。

成果が上がるかどうかはやるかやらないかだけ。
そのために何かをみんなで決める必然性もない。

 

”まちづくり”をしている”つもり”で終わらないために

仲間内でワークショップをやる虚しさがここにある。
気の知れた仲で合意形成できたことが即”まちづくり”につながるわけではない。
繰り返しになるが、”まちづくり”のためにワークショップをしないといけない理由はない。
「仲間内でやる」が目的なら、それを”まちづくり”と混同してはいけない。

何か特別なことをしないと”まちづくり”と言えないというのもおかしい。
これは裏を返せば当たり前に暮らす人に対する敬意を欠いているということだ。

それよりは(抽象的な誰かのためにではなく)自分たちの暮らしを楽しくするために、
とはっきり自覚してわいわいがやがややってる方がよっぽど健全なのではないか。

上澄みを掬い取って”まちづくり”とか言っている場合じゃない、と思う。

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