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アクティブラーニングなるものの取り扱いについて

カテゴリ:世の中の事

アクティブラーニングをどのようなものと捉えればいいのだろうか。(一斉講義と対立する意味での)授業手法のことなのか、思想の問題なのか。情報を得れば得るほど、全体像が掴みづらいものになっている。あたかも「地域活性化」のようなバズワードの宿命を辿っているようにもみえる。

一つ言えるのは、アクティブラーニングは手段であり目的ではない、ということなのだろう。アクティブラーニングは、それ自体が万能なものではない。結局は、限られた時間の中で学習者の学習を最大化するという目的を実現するための試みであって、それはもちろん長年の一斉指導の歴史の中でも同様に中心に据えられた目的だったはずだ。だから、アクティブラーニングを一斉指導と対立させる分かりやすさは、一方でアクティブラーニングというものへの誤解を生む温床にもなっている。

しかし、一斉指導が当たり前であり続ける以上は、教員の授業力の担保に限界がある、というのも良く分かる。アクティブラーニングというタグ付けをすることで、試験だけでなく普段の授業から「学生が知識や技能を習得し、能力を身に付けているかどうか」に注意を払うことが促されるかもしれない。それだけでも、学校教育は進化を遂げるはずだ。

もちろん、そんなことを言われる前からきちんと学習者を中心に据えて授業を実践してきた先生方からすれば、ここに何か真新しい議論があるようにも見えないのだろう。アクティブラーニングというものに対しては、だからこれくらいの期待値でよいのかもしれない。何も特別な話ではないのだ。

こんな動画もある。もし興味があれば、全体像を知るのにちょうどよいかもしれない。

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