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技術を伝えるときは自分を過小評価しない方がいい

カテゴリ:世の中の事

元・同期の記事が話題になっていたので。

エンジニアから非エンジニアに歩み寄る方が捗る

この記事の「エンジニアは知らないことに囲まれる状況に慣れすぎ」が、
知識のある側と乏しい側とのギャップを埋めるヒントがあるように思う。

最初は先輩の言ってることがほとんどわからないですが、メモってググってしてるうちにいつの間にかわかるようになっていきます。エンジニアは手取り足取り教えてもらえることって少なくて、生き抜くためには自分で調べて試行錯誤を繰り返す必要があります。で、いつの間にかその状況が当たり前になって身体に染み付いていくんじゃないかと思うんですよ。実際他の人がどうかはわかりませんが、自分はそんな感じのイメージです。

これはエンジニアとしてはいいことなんですけど、 その感覚を他の人にも求めがちなんじゃないかなぁと感じることがあります。「それは自分でキャッチアップしようよ」とか、「最低限の知識は自分で身につけるべきでしょ」とか、つい思っちゃう。

エンジニアから非エンジニアに歩み寄る方が捗る

自分が通ってきた道は他人でも通れる、とつい考えてしまう傾向はあると思う。

特にエンジニアという専門職を自らの選択で歩もうとしている人は、
きっとわからないことがあっても無理のない範囲での努力で基礎を習得し、
プログラミングを学ぼうとする人が挫折しがちな壁を乗り越えてきたはず。

ところが、向学心があり、より専門性を高めようと考える人ほど、
下ではなく上を見てしまうところがあるのではないか。
自分ができるようになるほど、できないことが見えてきて、
「いやいや、あの人にはまだ遠く及ばないから」とつい謙遜してしまう。
ある程度のレベルに至ってこそ、自分はまだまだだ、と思うのではないか。

ここに、初学者とのギャップが生じる原因があるように思う。
「まだまだな自分でもわかるんだから、きっと誰でもできるはず」
こうした認識が、知識をこれから身に付ける側にはかえって重圧になる。

逆に、苦労して知識を身に付けた人の方が
知識を伝える側になったときに効果的だ、なんて例も少なくない。

自分自身、新卒・研修時代前後の経験と独学によって
プログラミングを身に付けようとしているけれど、
日常の仕事の合間を縫ってやるにはやる気の維持が大変だし、
つまずくことがあるとつい手が止まってそのままになりがちだ。
隣に先達がいないことで、非効率に学習時間を割く羽目にもなる。

そうしたあれこれをクリアし仕事として成り立たせている人を見ていると
尊敬の念を禁じえないし、「やっぱり向いていないのかな」とか
「そこまで好きになれないと続けられないのかな」などと思ってしまう。

こう書いてはみたものの、僕自身高校生に勉強を教える段になると、
知識をもつ側の(ある意味で健全な)謙遜の論理を持ち出してしまう。
日々反省するものの、無意識に根付いたものを解消するのは難しい。

まずは自分の実力をそれなりに評価することから始まる気がする。
それは必ずしも「謙遜」という在り方を損ねるわけではない。
むしろ、正しく自分の位置を認識することのわきまえを持つことが、
周囲との調和を生んでいくような気もしている。

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