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「2020年の大学入試問題」が対象とする人たちのこと

カテゴリ:自分事

本書で示されている「2020年大学入試改革」と
その方向性はなんとなくつかめたし、
ロジカルなその解説は納得感が高いのだが、
そのためにかえって判然としない点がある。
(著者のいうところの「モヤ感」だろうか)

子どもたちに高度な能力を身に付けてほしい、というのは分かる。
しかし、それはあらゆる子どもたちに求められているのだろうか。

これまでの教育は知識偏重である、という指摘はごもっともだ。
試験をパスすることが目的のいわゆる「浅い理解」に留まり、
もっと有意義な時間が過ごせるはずなのに!と
やるせない気持ちになる気持ちは僕にもある。

そうした想いはありつつも、ならばあらゆる子どもに
その教育課程において非常に高度な能力を求める、
というのは、それもまた強烈な違和感がある。

何よりも、著者が「あらゆる」子どもという射程を
極端なまでに想起していない、という印象が強い。
これからの大学入試改革の念頭にあるのは
エリートである、と言われた方がむしろ納得がいくくらいに。

2020年以降に進学先を失うかもしれない人たちのこと

そもそも、日本の大学進学率向上の背景には
「大学生の学力低下」や「マージナル大学」など、
大衆化と切っても切れない課題がある。

ものすごくぶっちゃけて言えば、
これまで大学に行くと想定されなかった層までもが
大学に進学している事態すらある(と思っている)。

そうした人たちが大学入試改革で振り落されるとしたら。

想起されるのは、たとえば「G/L論争」であったり、
その派生?としての「専門職大学(仮称)」である。

海外の事例としては、アメリカのコミュニティカレッジ、
フィンランドのポリテクニックなどだろうか。

大学入試改革の方向性はわかった。
この改革が目指すものに基づいた教育が実現できるのなら、
学校や教室はより子どもにとって意義あるものになるだろう。

しかし、それはグランドデザインとして十分なのだろうか。
取りこぼすものが出て来やしないだろうか。

そんな宿題を抱えつつ、まずはもう少し
大学入試改革がめざすもの、そしてそれとセットになる
」についてもう少し勉強してみたい。

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