12年ぶりの秋田暮らしの不慣れさについて
カテゴリ:自分事 2016/05/16
五城目町への引っ越しから約3週間が経つ(転入してからは数日)。
久々の秋田暮らしではあるけれど、車を運転するようになり、
かつほとんどなじみのない土地であるおかげで、
いちいち新鮮に感じられ、騒がしい日々になっている。
上京、都内での引っ越し、海士町への移住。
住むところや環境が変わったことは何度かあったけれど、
毎度これほどに刺激があったものだろうか。
刺激は、活力にもなり、ストレスにもなる。
油断していると、蓄積したストレスをアドレナリンでおさえつけて
変に興奮した状態になっていることがあるようだ。
公道をドライブ中に自覚することもままあり、なお危ない。
もうすぐ30になるというのに、この浮つき具合といったら、
社会生活そのものへの不慣れさではないかと思えるほどだ。
秋田は確かに広く、車の存在は暮らしの経験を一変させる。
さらには、お酒を飲めるかどうかが一日の長さを決める。
秋田の何をも知らず東京へ発った自分を責める手立てがない。
そうして11年が経ち、なるほど多くのことを知ったが、
これからの秋田暮らしではどれも必要なようで決定打がない。
あるとすれば、そうした雑多なものを拾い集めて来た
自分自身の感性だけが、最後に残るもののように思う。
(ということは前の記事にも書いたが)
結局、これからますます問われるのは自分自身であり、
それは「どれだけ蓄積してこれたか」という形としてでなく、
「どれだけ損なわず育めてこれたか」が焦点になるように思う。
僕は、だから、なるべくごまかさず、ぼやかさず、
率直に、自分の感性の導く方へと歩むようにしたい。
今日という日が正解であったかどうかは、
明日という日をどう生きるかによって決まる。
ふとそんな言葉を思いついたのだった。