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「会話」に対する苦手意識と変わらないでいられる有難さについて

カテゴリ:自分事

島暮らしもそろそろ丸4年が経つところ。
秋田の片田舎から大都会・東京、そしてまた離島というド田舎へ。
田舎での生活に戻ったことで、改めて自覚させられることは多い。

苦手意識というものはそう簡単に克服できることではない。
僕にとって、「たわいもないおしゃべり」というものはその一つ。

「会話」と「」の二項を並べてみると、僕は後者を好む。
コミュニケーションの中で互いの価値観を交換しながら
自分がどういう点で相手と異なるのかを確認する中で、
自分自身についてもっと理解したいという欲求が強い。

一方、前者は手段そのものが目的になっているようなもの。
それもまた価値のあることだと頭で理解できなくはないのだが、
どうしてか「会話」と「対話」では前者が劣ると考えている節がある。

「対話」には目的がある。
コミュニケーションする二者が目的を共有できなければ
「対話」が成立するのは難しい。

「会話」と「対話」が求める前提の違いが、
両者に優劣をつける僕の態度をつくっているように思う。

コミュニケーションに対する2つの態度

最近、「LINEやってないの?」と僕に尋ねる人たちは
大きく”同級生”という括りでまとめられるのではないかと気づいた。

なお、僕は専らFacebookを利用しており、LINEは頑なに避け続けているのだが、
それによって海士町内の暮らしに困った記憶はない。

島に移住してから”同級生”たちと会う数少ない機会の中で、
僕が好む「対話」に消極的な姿勢を相手に感じるシーンが何度かあった。

見えてきたのは、人間関係に対する態度の違いだ。
その態度は大きく2通りに分類できるのではないかと思っている。

1.多様な関係がつくれるように自分のコミュニケーションの在り方を変える
2.自分にとって心地よい関係をつくれる人とそうでない人を選別していく

当然ながら、ある個人はこのどちらかの態度しか持ちえない、ということではない。
この2つは両立するが、その軽重が人によって異なるということだと認識している。

「会話」に苦手意識を持ち、「対話」的なものを好む僕から言わせてもらえば、
前者は「対話」的関係、後者は「会話」的関係と分類できそうだ。

つまり、僕は前者を非常に重視しているということなのだが。

直感的にわかるように、前者はコストがかかる。
相手に対しても求めることが大きく、成立の条件は後者よりも厳しい。
特に困ることがないのであれば後者に集中していた方が楽だ。

後者の態度が取れない僕は、我慢することができないのだと思う。
どうあがいても、人生において苦手な人とコミュニケーションすることは避けられない。
それが我慢できないから、無理に苦手な類のコミュニケーションを克服しようとする。

「苦手な相手がいるのはしょうがない」と受け入れることができれば、
あるいは苦手なコミュニケーションによる影響が小さいのならば、
苦手をさほど意識することもなく、その都度コミュニケーションを成立させることに集中できる。
わざわざ自分の在り方を変えずともストレスは少なくて済むということだ。
それができる人は僕にとって「大人」に見える。

変わらないでいい関係性の有難さ

そういう意味で”同級生”たちは、僕からすれば「大人」だ。
現状の良い面も悪い面も引き受けることができているから。
(それでよいのか?とつい自分を正当化したくなる自分もまたいるのだが)

しかし、ここまで書いておきながら、実のところ”同級生”と共に過ごす時間は楽しい。
創造的、生産的なコミュニケーションではないかもしれないが、
気の置けない関係とはこのことか、と有難く感じることの方が多い。

僕にとって、今でも交流のある”同級生”は
意識せずとも心地よい関係を築ける相手なのだろうと思う。
こんなことをわざわざブログに書いている自分のさもしさも情けないが。

会話が苦手な人の4つ共通点とは・・・↓

1、無反応、無表情
2、何を話そうか考えている。
3、極端に失敗を恐れている。
4、たんに練習不足

会話が苦手な人の4つ共通点、あなたは知ってましたか? | THE FREEDOM

「会話が苦手」という人は思ったより多いようだ。
それはまた技術や慣れによって解決することができるのだが、
単に「苦手」を強く意識しすぎているということもあるのではないかと思う。
もしかしたらコミュニケーションに生産性を求めすぎているのかもしれない。

誰とでも心地よく「会話」ができるというのは一見理想的だが、
その挑戦の過程ですり減っては本末転倒のようにも思える。
コンフォートゾーンが自覚できているからこそ程よく挑戦できるという見方もできる。

無理に変わらなくてもいいという有難さにちゃんと戻れる自分でありたい。

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