カテゴリ:自分事
2012/02/02
「秋田を今よりもっと良いところにしたい」という思いは僕がWE LOVE AKITAに参加したり、海士町に移住したりしたことの根元にあるものです。
で、WE LOVE AKITAのような活動をしていると、「地元想いだね」とか「すごいね」とか、そういう漠然とした「良い」リアクションが返ってくることが多いです。
「良い」リアクションを示してくれる人がいることは有難いことですが、それに甘んじていると痛い目を見そう、ということを薄々感じるようになってきました。
僕が、秋田に帰ってから何をするのか、一向に的を絞れないのも、その懸念があるからです。
「社会貢献したい」でたまに感じる違和感
『社会貢献』を買う人たち
ざっくりと「社会貢献」とカテゴライズされるような事柄に関わりたいと考えている人は最近増えています。
「社会貢献」と一言で言ってもその広がりは本当に多様で、地域活性化やまちづくり、環境保護、貧困撲滅、次世代育成、高齢者福祉、途上国支援、就労支援など、枚挙に暇がありません。
社会全体で見ればまだまだ影響が小さいかもしれませんが、そこには無視できない勢いがあると感じます。
最近では被災地支援活動に関わる人が多いですね。実際、これは評価すべきでしょう。
「社会への貢献は誰にでもできることだよ」というふうに動いているのは歓迎すべき傾向であるのは確かです。
しかしながら、(勢力を拡大しつつあるものの常として)最近は”ノイズ”が混じり始めているのではないか、と不安に思うことも少々。
「何か良さそうな感じ」はするのだけれど、どこの誰がそれを求めているのかがわからない。
話を聞いていても具体的なイメージがわかない。
何度かこの違和感と遭遇することがあったこともあり、ある共通点をそこに見出しました。
それ、あなたがやりたいってだけじゃないの?
要は、「誤魔化しているんじゃないか?」ということです。
「自分はこうしたい」というエゴが原点なのに、「地域の課題だから」「人々が求めていることだから」というすり替えが行われる。
どこか地に足の着かない印象を受けたら、まずここを疑うようにしていますが、結構当てはまっているように思います。
「すり替え」というのは、「問題を創作している」と言い換えると分かりやすいかもしれません。
自分の「何か貢献したい」「こういうことをしたい」という思いに任せて、あたかもその問題が存在するような口ぶりで話す。
ホンネと言葉がずれることで、僕も違和感を覚えているように思います。
本当に誰かが必要としていることであれば具体性が生まれるし、エピソードやストーリーが語られることもあるでしょう。
中身は「こうしたい」だけなのに、社会の課題解決の話として体裁を整える。
個人的に、これは本当に止めて欲しい。
自分のエゴを社会貢献にすり替えるという態度がそもそも僕はキライだし、そうして求められていない「良さげなこと」が世に出ることで余計な不和が起こりえます。
主体の頭の中もすり替わっているので、きっと地域や現場を好き勝手にかき乱していることに気づくこともできません。
その典型例が、キャリア教育なのかなと思います。
地方では都会に比べて子どもたちが触れる職業の幅が狭く、夢を描きにくいため、進路イメージをなかなか具体化できない。
しかも世の中はますます厳しくなっている。子どもたちのために、キャリア教育が必要なのだ。
でも今現場で求められていることは全然違ったりします。
大学進学率が低下しているのは教育費の高騰があるからかもしれません。
学力低下が叫ばれるのは、進路意識や動機付けの減退でもなんでもなく、学級経営や家庭の問題なのかもしれません。
キャリア教育の担い手の不在が学校側の悩みになっている?
それをニーズと捉えるか、現場とお上とのずれと捉えるかで問題は違って見えるでしょう。
学校のホンネは、キャリア教育に圧迫される教科教育の時数が欲しいだけかもしれません。
(今度の改正で授業時数は回復傾向にあるようですが)
キャリア教育で優れた効果を出しているところがあることまでを否定するつもりはありません。
しかし、それが他の場所でキャリア教育をやるべき理由にはなるはずがない。
エゴの何が悪いのか?(いや、悪くない)
こう書いてきましたが、僕自身は「エゴ」からのスタートが悪いと言いたいのではありません。
自分が面白いと思うから。何かいいことがしたいから。
そう思うのは個人の自由ですし、別に「動機が不純だから」などと言うつもりはないです。
不純であるかどうかはどうでもいい。「モテたい」がスタートでも構わない。邪悪な動機でなければエゴ丸出しでも。
自分のやりたいことの範囲でやる分には、一向に構わない。
例えば「秋田魂心会」は何よりもやっている当事者たちが楽しいということを第一としています。
秋田を媒介に、共通する価値観を持つもの同士がつながり、楽しむ。
だからこそコンテンツが面白く、たくさんの人が集まり、活動を継続することができるのです。
「ソーシャルデザイン」で紹介されているのも、そんな素直な気持ちからはじまったマイプロジェクトばかりです。
ニーズドリブンなケースでも、当然のように課題の特性やそこに関わる人の声に配慮する姿勢が見られます。
繰り返しになりますが、僕が嫌うのは「すり替え」という行為です。
「エゴ 」だと認めればいいのに、下手に自分のことを正当化しようとする。
自分発進なのに、他人のニーズだと言い張る。
発見された問題ではなく、創作された問題を扱う。
「エゴ」を社会貢献に昇華するためには、「やりたいこと」と実在する問題とを結びつける必要があります。
そのためにはどうしたって現場に出向くことが求められます。
少子高齢化という同じ課題を持つ地域だったとしても、余所で成功したところが我がとこでもニーズとしてあるわけではありません。
僕の立ち位置-開き直り
僕のスタートは「秋田に帰りたい」、ただそれだけでした。
帰るからには秋田に何か貢献したい、そう思いながらも秋田の外で考えることの限界を感じてもいます。
僕は地元から離れた高校に通っていたし、地元のこともよく知らないまま大学進学と同時に上京しました。
今や秋田からさらに遠く海士町にまで来てしまっていて、日々WEBだったり知り合いだったりから漏れてくる情報を目で追うのみです。
こういう状態なので、「やるべきこと」、埋めるべきピースが見つかる予感があまりありません。
「秋田に帰りたい」、ただそれだけで誉めそやされるようなこともある時代。
東京や海士町で学んだこと、めぐり合った人とのつながりもあり、「何かできそう」な感覚をついつい持ちそうになります。
それでも僕はその気持ちにブレーキをかけたい
「何ができるかどうか考えられるほど、自分は地元のことを知らない」
僕はもっと基本的なところで、「地元で家族や友人とともに、幸せな暮らしがしたい」、そう考えていることに気づきました。
ただそれだけのことを、「地元に貢献する」という言い方にしたくない。
海士町に来て、ますますそう思うようになりました。
どこまでも、謙虚に。かつ、率直に。
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カテゴリ:読書の記録
2011/09/15
「かかわり方のまなび方」などの著者、西村佳哲氏の近著。
2011年8月11日、あの震災からちょうど5ヶ月のタイミングで世に出された本書。
「書評」というよりは、僕自身にどう反映できるか、という観点でこの記事を書いてみようと思います。
地方で生きる
インタビュイーが、「地方」とか「土地」というものと自分との関係性をどのように捉えているかが端的に見えるような箇所を引用してみました。
個人的には、この中だと川北さんと田北さんのお話に、感じるものがありました。
―塚原さんが生きてゆく場所を判断する決め手のようなものは?
塚原 ないですね。どこでもいい。栗駒で、と思っているのは水が合ったのかな。僕、軽くアトピーなんですけど、あそこに行ったら少し楽になったんです。
いま、地方で生きるということ
―コミットするのは?
川北 ・・・・・・地域ではないなあ。土地でもないね。
場所というより「機会」みたいなものかな。自分は「機会」に身を置いて、そこで暮らしている感じがする。
いま、地方で生きるということ
柏崎 地元から「1回は出てみたい」と田舎の人は思う。私もとりあえず北海道の大学に行って都会に出て。暮らしてみて。でも、なんかちょっと物足りなかった。
(中略)
私は北海道で自然を相手に仕事をして、自然の見方を教わった。「北海道っていいところだなー」と思っていたけど、戻ってきたら釜石もいい。「なんだ、あるじゃない!」ってあらためて気づいて、もっと釜石が好きになったんですよね。
いま、地方で生きるということ
―この後のことは、どのようにお考えですか?
徳吉 都市に戻ることはないと思います。今も東京にいくと、少しおかしくなっちゃんですよ。
(中略)
遠野の父ちゃんや母ちゃんはね、物事への働きかけが身体から始まるんです。家畜などの生き物にもそうだし、人間にも。
いま、地方で生きるということ
矢吹 (中略)
自分の存在が肯定されることを、私は求めているのかもしれないなと思う。ここはそれをしてもらえている場所なのかもしれませんね。
で、ここから離れることがあっても全然いいと思っている。
でもまずは、ここを活かすことが大事で。私がこの場所とやれることを、まずは最大限やるっていうことが大事。私は離れることもできます。でもここから引っ越すことはできないとか、ここで生まれ育った人もいて、そういう人たちに、この場所にいることを肯定してもらいたいんだと思う。それで「はしご市」をやっているんだと思う。
いま、地方で生きるということ
―なるほど。「地方の時代」じゃなかったんだね。
笹尾 そう、なかったの(笑)。
―もっと小さな単位だったんだ。
笹尾 そうなんですよね。すべての原因がそこにあるような気がしている。私が抱いていた問題意識は、辿ってゆくと全部そこにいく気がする。
原発だってそうかも、と思ったりもするんです。家族を二の次にして空き進んでいくこと?
いま、地方で生きるということ
―酒井さん自身は、離れる準備を始めているということですか?
酒井 最近それが強くなって、準備をしなきゃと思っています。
―じゃあ、福岡からどこかへ移る可能性もあるんですね。
酒井 はい。自分自身の家族を持つことであるとか、一住人として、どう生きてゆくのかも考えていかないと。
離れるというか、自分の変化を起こしてゆきたい。
「どうしたらいいかわからないけど、街をもっと住みよいところにしたい」と考えている人たちがいるところに行きたいな、という気持ちもあります。少し物足りなくなってきているのかな?
いま、地方で生きるということ
―田北さんは、自分が生きてゆく場所を決めてゆく時、何を手がかりにしますか?
田北 僕は「将来こうなりたい」っていう目標がないんですよ。まったくなくて。
(中略)
どういう仕事でもいいんですよ。たとえば嫁さんの実家はガソリンスタンドなんですけど、そこから「来て働いてくれないか?」と言われたら僕は行く。で、その中で役割を見出せばいいと思っていて、僕自身には「こういうことをやりたい」というのは本当にないんですよね。
だから自分が住むべき場所も、その時その時で決まっていく。杖立も最初から住もうなんて思っていなかった。あるおばちゃんと飲んで話していた時に、「よし、じゃあ住もうかな」と思ったんです。
そこに身を委ねるのは自分にとってすごく自然なことで、それしか考えられないというか。
いま僕は独身だったら、福島に移り住んでいると思うんです。
いま、地方で生きるということ
自分の思い通りにしたいわけじゃない
自分の思い通りにいくことで「気持ちよい」と感じるようじゃ、まだ半人前なのかな。
最近、ある種のコミュニケーションに違和感を覚えることがたまにあります。
「あなたのためですよ」「みんなのためだから」という言葉が建前に聞こえてしまうコミュニケーション。
「自分の思い通りにしたいだけじゃん」という違和感。
月曜のフェリーで本土に戻った学生のインターン3名の受入期間中、彼らに向けて、そして自分たちへの戒めとして、何度も出てきた言葉を思い出します。
「島暮らしで大事なことは?」と尋ねて、ほぼ全島で聞けた回答は、上記のような「自分の価値観は控え目に」と「島と島民を尊敬すること」のふたつ。
http://magazineworld.jp/brutus/715/
「地元に帰りたい」ということを強く意識した就職活動期以降、秋田への帰り方を模索することが僕の中で最大のテーマとして君臨し続けています。
一方、「秋田に帰ったらあれがしたい、これがしたい」という気持ちは、徐々に薄れつつあります。
強いて言えば、「秋田で幸せに暮らしたい」「楽しい仲間との時間を過ごしたい」くらいかな。
地域に対して何か働きかけたい、とか、こういう仕事がしたい、という具体的なアイデアがあるわけではありません。
対象も、手段も、すべては可能性というか、選択肢の一つだと思うようになりました。
僕が秋田への帰り方を決めかねているのも、むしろ日を増すごとに決める気がなくなりつつあるのも、その影響かもしれません。
下手に専門性を持って帰ってしまうと、たぶん手段もそれに引きずられます。
手順としては、「それが本当に必要とされていることなのか?」を考えることが、先なのに。
いずれにせよ、地域の為に、そこに住む人の為に必要なことを念頭に置く配慮が常に求められるはずです。
むしろ、それだけ注意深くいることができれば、スキルとか、手段とかは後で考えるくらいでいいのかもしれません。
海士町にいると、徐々にそんな考え方にシフトするようになってきます。
僕自身が、元々専門性を武器にこの島に上陸したわけじゃない、ということにも関連しそうですが。
そう、僕は自分の思い通りにしたくて、秋田に帰りたいわけじゃないんです。
秋田に帰り、そこで時間を過ごすことで、自分がフィットする場を少しずつ探す、そんな暮らしを望んでいます。
ここにそれを明記しようと思い至ったのは、本書を読んだ影響かもしれません。
田舎暮らしとの相性
僕は、田舎が嫌で都会へ飛び出したタイプの人間です。
何が嫌かって、コミュニケーションが嫌でした。苦手といってもいいかもしれません。
常に何かを前進させるようなコミュニケーションを求めてしまっていることに、最近気が 付きました。
「反省(後悔)が早い」ことは自覚している自分の特徴の一つですが、それとも共通しています。
基本的に、「日常会話」が苦手です。
本書の中では徳吉さんが「遠野の父ちゃんや母ちゃんはね、物事への働きかけが身体から始まるんです。」と言っていますが、僕の指す「日常会話」ももしかしたらこれに似ているのかもしれませんね。
物心ついたときからそんな感じだったためか、今でも結構悩むことが多いです。
笑いが生まれたり、新しい視点に気づけたり、関係性を深めたり、物事が前進したり、そのような会話ができないことにフラストレーションを感じます。
僕が地元に帰る上で最も懸念しているのは、この点です。
はっきり言ってしまえば、東京での生活は気楽で、ある種居心地の良いものでした。
この辺り、どう折り合いを付けていくか、未だに答えが見つかりません。
本書を読んでも、そこに困っていない人たちばかりで、「すごいな」と思ってしまいます。
それでも
いずれにせよ、僕が生涯身を置く場所を考えたとき、そこは東京でも海士でもなく、秋田であることに今のところ違和感はありません。
具体的なイメージもなく、やりたいことを腹に決めているわけでもないため、秋田に帰る上で必要なこともよく分かっていませんが、今は目の前のことにきちんと取り組むことくらいしかできないんじゃないかと思います。
やりきるということができない自分自身には未だに嫌気が差しますが、それでも秋田に帰りたいという気持ちに付き合ってやるためにも。
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