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「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」から見る福祉社会の姿

カテゴリ:読書の記録

日本の精神医療は、端的に言って「遅れている」。
本書を読了後、そう思わない人はいないのではないでしょうか。

個人的には、本書の眼差しを「精神医療」の範疇に留まらず、「社会的弱者」として社会から包摂されることなく、隔離されてしまった人たちを多数生み出している日本社会に対する大きなアンチテーゼとして捉えるべきではないかと感じました。

本書のポイント

タイトルどおり、イタリアは一八〇号法によって精神病院の新設を禁止し、予防、治療、リハビリは原則地域精神保健サービスの範疇で行うことを定めました。
この一八〇号は、イタリア精神医療改革の立役者の名前を取り、通称「バザーリア法」と呼ばれています。

本書の主張から先に並べてみます。

1.精神病患者の症状の悪化や慢性化は、精神病院の環境や治療方法によるところが大きい。

精神病院がますます患者の症状を悪化させている、というのがイタリアの精神保健改革者たちが口をそろえるところです。
逆に、地域医療(community medicine)の考え方により患者を社会で生きる一人の人間として捉え、患者が地域の中で生活しながら治療やリハビリを行うことで、患者は自己の病と共存しながら社会生活を営むことができる、ということを、著者は繰り返し主張しています。

ここで重要なのは、「目的」の設定の違いです。
精神病院では「何をしでかすかわからない患者を管理する」ことが重要なテーマでした。
ここには「臭いものには蓋をする」という精神が見え隠れします。
翻って地域医療では、患者を社会的に包摂すること(social inclusion)を重視しています。
彼らは、「困った患者」ではなく、地域医療サービスの「利用者」であり、「生活者」なのです。
生活と医療を切り離す既存の精神病院のあり方とは異なる患者観、精神医療観がそこにあります。

実際、イタリアの精神保健最先端の地では患者が地域内に居住できる住宅や生協などの職場が提供され、地域の中で他の住人と同じように生活を営めるような環境作りがなされています。

精神病院の、まるで収容所のような”管理”体制については、ぜひ本書をお読みになって確かめてみてください。
※もちろん、すべての精神病院がそうである、ということではないはずです。念のため。

 2.精神病院よりも地域医療の方がコストが安い。

地域医療のほうがこれまでの精神病院での治療よりも効果が高いだけでなく、コストが安い。
それもあってか、著者はイタリアの精神保健のあり方を絶賛しています。

実際、イタリア精神保健改革の最先端の地・トリエステ県では、精神医療費が1971年から1985年にかけて37%も削減された、と本書に記されています。

3.精神病院から地域医療への移行はそう簡単ではない。

とはいえ、治療効果やコスト削減のメリットを享受するためには、精神病院から地域医療への抜本的な移行が必要です。
著者によって絶賛されているイタリアですが、実際はまだまだ精神病院から脱却できない地域が残っているようです。

アメリカでも、精神病院の撤廃を進める政策がとられましたが、結果としては失敗しました。
なぜか。精神病院は縮小したものの、その次の受け皿となる地域医療サービスの拡充が進まなかったためです。
そのために、患者は精神病院から追い出され、そのままホームレスとなる人が続出しました。

精神病院の縮小と地域医療サービスへの移行はセットで行われる必要があります。
単に精神病院を規制すればよいわけでなく、地域医療サービスの拠点作りや旧来の精神医療従事者を地域医療サービス従事者へのシフトといった大仕事が多数発生することになります。
地域医療サービスは、医療従事者が患者の生活に入り込むことが求められます。投薬や入院による管理によって”楽に”稼ぐ事ができなくなるわけです。
改革は容易、とはとても言えないのが実情なのです。

イタリアにおけるトリエステ県を中心とした壮絶な改革のストーリーに触れたい方は、ぜひ本書を手にとってみて下さい。

4.日本の精神保健事情は遅れに遅れている

筆者が批判するような、精神病院を中心とする管理型の精神医療は、未だに日本のスタンダードのようです。
本書が世に出されたモチベーションも、おそらくそこが根本にあるのでしょう。

本書の巻末に日本における地域医療の事例が幾つか紹介されていますが(「べてるの家」なんかは有名ですね)、公的な対策がなされていないため、まだまだ個別の努力によって成り立っている部分が大きい、という印象を受けます。
「やどかりの里」を設立した谷中輝雄氏(精神科ソーシャルワーカー・現、仙台白百合女子大学教授)は本書の中でこのように語っています。

「やどかりの里は、精神病院から退院したくても引き受けてのない人々を退院させたいという、やむにやまれぬ事情から誕生しました。開始して間もなく、六十人ほどの利用希望者が現れたが、それは病院から出たいという人ではなくて、在宅で入退院を繰り返したり、医療を中断したりした統合失調症の人々でした。あれから二〇年の歳月が流れ、制度が変わって、やどかり周辺はアパートや作業所などもふえ、地域生活支援センターが配置された。やどかりの園域は、人口三万~五万の五つの区域に分けられて、三六五日、二四時間の支援体制もできた。そして、一〇年、二〇年という長期入院者が利用するようにもなった。でも、全国的にみれば、社会で暮らすシステムは全く不十分ですし、病院の患者抱え込みもなくならない。今、やるべきは、公的な二つの政策の遂行でしょう。国は、精神科病院のベッドを一〇年で半分にするための計画を立てて実行する。各市町村は、精神病の人々がそれぞれの市町村の中で暮らせるような社会資源をつくる。日本の精神保健の本当の夜明けは、この公的責任が果たされた時だと思います。」

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

日本の精神病院、そしてベッド数は世界でも群を抜いて多い、ということも本書には書かれています。
精神病院乱立の構造については、著者の仕事の中で繰り返し指摘されているようですので、ぜひそちらをご覧になってください。

本書の主張は精神医療だけに留まるのか

個人的には、イタリアの精神保健のあり方―患者は生活者であり、精神医療は地域という生活の場をベースに行われるべきだという立場―は、いわゆる”社会的弱者”と呼ばれるような人たちを生み出さない社会の実現に向けて、重要なヒントを投げかけているように思います。

所得格差、ジェンダー、アクセシビリティ、エスニシティ、マイノリティ…。

日本に生まれたからには、ほぼ例外なく何らかの社会(人間集団により構成された単位)の中に属することになります。
その「社会」が、すべての人にとって適応可能なものであることは、ほとんどの場合疑わしいでしょう。

欠陥を持つことが不可避である人間社会において、すべての人が生活を営める状況をつくりだす。
これこそが「福祉」という言葉のベースにあるのではないでしょうか。
そのためには、弱者は保護し、管理し、隔離する=社会から切り離すのではなく、共に地域で生活する=社会の一員として包摂するという観点が非常に重要である、そう考えます。

その観点からも、多くの人にこの本を手にとって貰いたいですね。

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