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委ねるとか、任せるとか、手放すとか、してもらってたんだなって

カテゴリ:自分事

「少年自然の家」というものがどれくらい一般的なのかは秋田で子ども時代を過ごした僕にはわからない。自然体験やキャンプ、カヌーといったアクティビティ、あるいは集団生活の実践を通じて青少年を育もうという目的を以て建てられた施設がある。そこは小学校単位での林間学校(その言葉を僕自身は使ったことはないが)の会場として利用されるほか、施設単体で独自のプログラムを企画し、近隣の小中学生を受け入れていた。

僕は小学校4~6年の間に「保呂羽山(ほろわさん)少年自然の家」に12回ほど足を運んだと記憶している。そこのプログラムはほとんどが宿泊を伴うもので、基本的には親は同伴せず子供たちと施設側の大人+ボランティアだけで過ごすことになる。たいていは週末や連休に設定できる1泊2日か2泊3日の日程が多かったように思う。期間中ひたすらにカヌーを練習するものもあれば、キャンプ場近くの山でスキーを楽しんだ翌日に雪山登山に挑戦する、というものまで、季節毎に幅広くかつエキサイティングなメニューがある。当時は、1年に1、2回ほど、たいてい長期休暇の時期を狙い定めて、4泊5日という小学生対象にしては割と長いキャンプが催されており、僕は夏の4泊5日のプログラムに3年連続で参加していた。ちなみに、秋田県が管轄する由緒正しき「教育施設」なので、毎回の参加料は都市部の人なら驚愕するほどの安さであったことも付け加えておく。

なんでこんなことを突然書き始めたのかというと、ある人から聞いた「最近は親も学校もどんどん過保護になってきている」という話をふと思い出したからだ。ある学校では、宿泊を伴う学校行事の日数が1泊分減らされたそうだ。

「子どもだけで3泊もするなんて考えられない。親元から離すのが不安だ。もっと短くしろ」

そんな声があったとかなかったとか。ひどい話だな、と思う。親元を離れた方がかえって子どもたちはのびのびと過ごせるかもしれないのに。あるいは、親がいないところで、自分で考えて、自分で試してみて、失敗したら周りの友達や大人に助けてもらう、そんな機会になるかもしれないのに。もったいない……なんて呑気に構えていたのだけれど、そこで、あ、と声が漏れた。

そうか。過保護な親の目線からは、僕の両親もまた、その非難の矛先に立っていることになるのか。子どもをほぼ毎シーズンのように数日間家の外に出させて、ひょっとしたら子どもの世話から解放されようなんて魂胆なのではないかと、あるいは勘繰られていやしないだろうか。それであるならばこれもまた不本意なことだ。

しかし、一方で、物事を自分の手元から離すこと、手放す、委ねる、あるいは任せるということの難しさも、よくわかる。曲りなりにも約5年半の間、島の公立塾で高校生と接した経験を持ってもなお、「手放す」と「放任する」の違いがよくわからないでいる。ほどよい距離の取り方がいまいちつかめない。ひとたび介入すればついつい手綱を引きたがってしまう。ところが、なるべく距離を取ろうと決心すると今度は転んだタイミングで立ち直るサポートに入れず、結果的に挫折させてしまう(一回転んでやめれることならやめちゃえばいいじゃん、という思いもあるにせよ)。

そして、また、ああ、とため息交じりに上を向く。僕の親はよく手放せたもんだな、と。受験する大学も特に親から指定されることはなかった(東京の私大への進学が決まった後に「もっと手堅い国公立大に行ってくれたら学費も安かったのに」とは言われたけれど)。それでも「参考書が欲しければお金はちゃんと出すから」という声掛けもまたあった(あまり有効に活用できたとは言えないが)。もちろん、「少年自然の家」通いができたのも親の理解とサポートあってこそなのだ。

中学生の頃だったか、こんなことを言われた記憶が残っている。「お前が大学に行きたいと思うなら、そのための学費をねん出する用意はある」と。それまで自分が大学に行くなんて微塵も思っていなかった僕は、その一言で、「ああ、そうか、大学に行くという選択肢があるのか」と思えた。その後、教員という目標を持つに至り、必然的に大学進学を目指すことになるのだが、そこに変な遠慮も後ろめたさもなかった。大学進学という選択肢を一切意識していない小中の同級生や、これまで接してきた高校生を見れば、それがどれだけ目がぐまれたことなのかを自覚せざるを得ない。

しかし、「大学に行け」と言われたわけではない。もしかしたら親にはその期待があったのかもしれないが(田舎には珍しく両親ともに大卒だったし)、もしかしたらそこに秘められていたかもしれない意図を認識する暇もなく東京に出てしまったのだから、それはまさに「子どもに委ねる」という両親の試みが成功裏に終わったという証なのだろう。

「少年自然の家」でのアウトドア体験や、その場所で初めて出会う同年代との共同作業を経て、果たして今の自分に何がどれだけ残っているのかは定かではない。ただ、少なくとも、リピーターになるくらいに僕は保呂羽山での経験に熱中していたのだろうし、振り返ってみても、記憶は飛び飛びなのに、「面白かった」という思い出として保持され続けているのだから、悪いことはないに違いないとは思える。

手放して、委ねて、任せることが、どうしてこんなに難しいのだろう。
「過保護」であることは、一体誰のためなのだろう。

自然と、小学校6年生のときに参加した4泊5日の壮絶なプログラムが思い出される。初日の夜は早速駒ヶ岳でキャンプ。翌日に登頂し、下山後、田沢湖でカヌーを練習する。次の日は丸一日かけてカヌーで雄物川を下り、キャンプ泊。4日目はまたまた丸一日かけて徒歩で保呂羽山を目指す。4年生から参加できることを考えると、いかに過激で過酷かが分かる。というか、「保呂羽山少年自然の家」主催なのに保呂羽山に正味一日もいない計算だ。実にむちゃくちゃなプログラムで、きっと後にも先にもこんな行程はなかっただろうと想像する。

「真夏の炎天下で、小学生たちが、20km以上の行程を、歩く」

こう書くだけで正気の沙汰でないことがわかる。暑さと疲労に倒れ、各チームに一人つく大人に背負われた子もいた。大人だって大変だ。ロジを考えるだけでも頭がパンクしそうになる。人数分のカヌーがどこから来てどこにどうやって運ばれたのかなんて、できれば想像したくない。

しかし、だからこそ、それは最高の体験だった。本当にありがたい、の一言に尽きる。いつも親が運転する車のフロントガラスから見えていた「保呂羽山少年自然の家」の文字を視野にとらえたときの感動と感激、そして安堵は、めちゃくちゃな大人たちがいなければ感じることすらできなかったのだから。

あえて書かなくていいことかもしれないが、「手放す」というのは、「手を抜く」のとは決定的に異なる何かなのだろうと思う。それが「過保護」と言われている親たちに届けば、あるいは救われることすらあるのかもしれない。それは、僕がこの言葉から受ける「力の抜け加減」以上に、「本気」を要求することであるように思えてならない。

願わくば、あの真夏の4泊5日のようなめちゃくちゃな体験を、「委ねて、任せて、手放して」みることで実現されるあの充実した時間を、自分も生み出してみたいものだ。

 

※追記

確認したところ、平成11年度、つまり僕が中学1年生のときまではほぼ同様の4泊5日が行われていたようである。

http://www.pref.akita.jp/gakusyu/horowa11.htm

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松嶋駿という高校生の学生生活を象徴する一枚の写真について(後編)

カテゴリ:世の中の事

松嶋駿という高校生の学生生活を象徴する一枚の写真について(後編)

前編はこちら/中編はこちら

○インタビュイーのプロフィール
松嶋駿(まつしま・しゅん)。16歳。某県立高校(通信制)1年次在籍の傍ら、同世代による同世代が楽しめる教育をデザインする団体「Lift-Up」を主宰、秋田県内の大学やフリースペースなどでワークショップを開催している。そのほかにもいくつかの団体にコミットし、ワークショップのメンタリング等を行っている。中学校では「戦略的不登校」と銘打ってホームスクーリングを独自に取り入れ卒業。その時の思いから人生を通し教育に関わりたいと志している。

(以下、松嶋→松、秋元→秋)

秋:ちょっと個人的な興味で聞いてしまうかもしれないんだけど。冒頭で飛行機の写真を見せてくれて、実は今、このインタビューの最初に話してくれていた言葉が思い浮かんでいて。写真を見せてくれながら、どんどん変化が大きくなったんですって話と合わせて松嶋君が喋っていたことで。写真の左上に、まちがあり、そのまちが普通だとすると、そこからどんどん離れていくということを言っていたと思ったんですけど。改めて、その飛行機の向かう先というか、周りに追いつくために上昇飛行をしているというときに、では、何から離れていっているのかなあと。

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松:何より、今は受験勉強を一切しなくなっている状況なんですね。

秋:受験勉強から離れている?

松:はい。4月とか5月とかの時点だと、通信制高校に通ってはいるけれども、当初は別にマイプロやりたくて通信制にきたわけではなかったので。いずれはまた当たり前に3年後に入試を受けて、卒業するんだろうなというイメージがもともありました。それこそ能代高校に入学した子たちと離れることなく、お互いレールは違うけど、普通に彼らと同じ出発駅を発って、同じ到着駅にたどり着くんだなと。

秋:なるほどなるほど。同じところに着くんだけど、でもレールは違う、と。

松:レールは違う。たとえば、秋田から東京に電車で行くつもりだったのが、私は秋田からカナダに行っちゃう、そういうふうに路線変更しちゃったのかなと。秋田から東京へ行くはずだったのだけれども、みんなは新幹線で行って、私は飛行機で行こうと。そうしたら、私の乗る飛行機がとうとう行く先を変えちゃったのかなみたいな。そういう感じで、離れていったのかなと。

秋:離れた、ことに関してはどうですか? 離れてよかった?

松:良かったと思います。

秋:離れたかったのかな? もともと。

松:いや、もともと、あの、そうですね……離れたかったのは、あるかもしれない。離れたくて、離れるためには、まず大学を卒業してから自分の人生を描いていこうと。自分のやりたいことをやれるのは大学卒業のその先のことと捉えていた。でも、それを、今の段階で「Lift-Up」として実現する術があるなってことを実感して。まあいわゆるマイプロですよね。マイプロをやることができるんだと気づいて、大学卒業後にやるつもりだったことを手前に持ってきて、高校1年生の今からやり始めた。やりたいことを前倒しする手段を知ったことで、大学卒業後にやろうと思っていたことに近づいたと考えれば、離れたかったと言えば離れたかったですね。

秋:離れることで、近道ができた?

松:そうですね、離れたいけど、とりあえず大学に行くまでは我慢しなきゃいけないと思っていた。けれども、自分のやりたいことを、一旦大学を卒業して大人としてやる前にも始めることができるということを知ったから。

秋:そっか、我慢する期間なのね。通信制に行って、大学入って卒業して、ようやく自分が社会に出るという、それまでの期間は我慢の期間だった?

松:まず、中学校に通っていたときは間違いなく、はい、我慢のときでしたね。高校も入学当初は我慢しなきゃいけない時期と捉えていたでしょうね。勉強自体は嫌いではなかったけれど、ライフスタイル全般としては、あまり興味があるものではなかったです。大学生は、自分で選んではいるからそれなりにやりたいことができるとは思っていたんですけど。やはり自分で何かを生み出したり創り出したり考えたりってことは大学卒業後にできるもので、それまでは我慢って考えはありますね。

秋:なるほどなるほど。じゃあ、今、話を聞きながら思った印象をもとに聞くと、えーと、松嶋君が乗る飛行機が離陸するわけじゃないですか。で、例えば、能代高校に行った元中学の同級生とかは、飛行機に乗っているんですか?

松:……新幹線で東京に行っている。

秋:新幹線で東京に(笑) 自分もそうやって東京に向かうと当初は思っていた?

松:たとえば能代から東京に行こうとするじゃないですか。能代を中学校、秋田を高校入学にそれぞれ例えるとします。そうすると、まず能代から普通電車で秋田まで行きますよね。

秋:はいはい。

松:東京を大学入学に例えると、みなさんは新幹線なり各々のルートでぶーんと東京に行くと。私はそこで飛行機に乗って東京に行くことを選んだ。秋田から東京へ向かうタイミングでみんなと分かれ、私は飛行機で東京に行く。しかしそのはずが、路線変更してカナダに向かった、みたいな。

秋:なるほどなるほど。じゃあ松嶋君はみんなが乗っている新幹線から離れていっているわけですね。それで、今向かっている先に、東京で出会った、追いつきたいと思っている人たちがいる? その背中を見て今松嶋君は上昇飛行をしている?

松:そうですねえ……。東京の子たちだと、企業とかにスカウトされてある程度人から努力を認められているというか。自分で何かやっているとか、自分が団体の代表であるというだけではなくて、他人に能力なりを認められている状態でやっている。そういうのって一線を画すると思うんですよね、社会的な評価を得ている。そうなると、たぶん、訳が違うというか、そういうところがやっぱり、長けているっていう感じですかね。

秋:社会的評価が必要?

松:そうですねえ、やっぱり、いずれは、必要。必要ってかマストではないと思うんですけど、ある方がやっぱり、強いですよね。

秋:強い。

松:強いというか、あるほうがやっぱり認められているというか、価値があってやっているっていうか。スキルに価値があるとか、たとえばプログラミングができますというような、その人の能力的な話だけではなくて、それを実際にうちで売れますよっていうふうになっていく。私たちはまだ自分の範囲内でやっているに過ぎないので。

秋:私たちっていうのは……。

松:団体とか。

秋:ああ、例えば「Lift-Up」という団体でやっている中ではってことね。

松:でも、東京にいる人たちは、自分たちの活動を他人から認められているわけなので、それはやっぱり、能力の比較と考えても、彼らの方が優秀ですよね。

秋:彼らの方が優秀、だと松嶋君は思っている。

松:はい。

秋:なるほど。認められることが優秀ってことかな?。

松:そうですね、あの、そうだと思っています。

秋:認められるくらい、自分も優秀になりたい?

松:はい。

秋:なるほどなるほど。

松:たとえば、直近の話だと、次の「Lift-Up」のイベントで協賛をいただけたとか、そういうことはスモールステップとして次の段階に進めることができたのかなと思いますね。そういう他人から認められるという「尺」の中で得たものかなと。企画書を見ていただき、後援していただき、お金を頂けるってことは、そういう過程の中の一部なのかなと。

秋:そういう過程。優秀になっていく、社会に認められていく過程の、ワンステップ。

松:はい。数の問題だけではないと思うので。

秋:数?

松:数。というのは、要は、幾つもの会社から声がかかるとか、何社から内定貰ったとか、エントリーシート何社通ったとか、あとは何点取ったとか、そういう数の問題ではなくて。そうではなくて、確実な評価をどれほどいただけたか。逆に、私たちのやっている「Lift-Up」に関しては、そういう評価のされ方だと思うので。

秋:確実な評価。確実?

松:えー……そうですね、例えば、何百人の中でエントリーシート通った、ではなくて、自分の実情を一つ一つ見られて

(ここで録音が終了している)

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カテゴリ:世の中の事

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○インタビュイーのプロフィール
松嶋駿(まつしま・しゅん)。16歳。某県立高校(通信制)1年次在籍の傍ら、同世代による同世代が楽しめる教育をデザインする団体「Lift-Up」を主宰、秋田県内の大学やフリースペースなどでワークショップを開催している。そのほかにもいくつかの団体にコミットし、ワークショップのメンタリング等を行っている。中学校では「戦略的不登校」と銘打ってホームスクーリングを独自に取り入れ卒業。その時の思いから人生を通し教育に関わりたいと志している。

(以下、松嶋→松、秋元→秋)

秋:恐れ? 松嶋君が恐れている?

松:それで、実績をつくらないといけないなあというのがあって。このままだと、将来が崩れていくなあと。仮に今年の5月時点の(落ち込んでいた時の)生活を続けると、だらだらして、受験勉強からも遠のいて、大学にも行けず、通信制高校卒のまま終わりそうだなというのがあって。そうなると、一般的な通信制高校の評価のままで終わるわけじゃないですか。

秋:一般的なイメージとしての通信制高校出身だという評価に収まるのがダメなの?

松:割と大学生になること、受験勉強しないと大学に行けなくなるということを思っていたので、そこが第一にありました。

秋:受験勉強して大学生に入るということが社会的評価に関係がある?

松:通信のままだと危ないんですよ。

秋:何が?

松:将来的な収入とか。

秋:そこに不安があるんですね

松:今はそうじゃなくて、軸があるんですけど、5月の段階では自分の内面を理解していない部分もあり、変に周りにバリアを張っていた。「通信制です」と自己紹介するのも怖い、みたいな時期が5月にはありました。東京の知り合いの高校生は、当たり前に高校に通いながらいろいろプロジェクトをやっているけど、私はそうではない。普通高校に通っているなら勉強していれば卒業できるし大学にも行けるけど、私には助け船がないんです。

秋:助け船がない。道から逸れてしまうということ? すでに逸れている状態だったというのが当時の認識だった?

松:当時は。早いうちに礎を築かないと、という変な焦りがあってごちゃごちゃしていましたね。

秋:さっき飛行機が飛んでいる写真を見せてくれたんだけど、5月当時は、その写真の状態ではなかった?

松:駐機場にいて管制官を待っている感じ。待っているというか……。

秋:指示が来るのは期待されていた?

松:管制官からの無線は常に聞いていたという感じです。去年の3月に出会った友人から情報は常にFacebook経由で入ってきていたので。私は滑走路に入っていいのかな、みたいに、タイミングを待っていた。

秋:そこから滑走路に入るタイミングがあったということかな。そのタイミングは覚えている?

松:今年の6月くらいに、ワークショップに出まくろうと思ったのがきっかけですね。今日もこのインタビューの後にワークショップの予定が2件入っているんですけど。土日にワークショップにたくさん出るようにして、まず土日の時間を埋めました。それから、「Lift-Up」自体は3月の時点で動き始めていたので、月~金でインプットした分を反省して団体の活動に反映する時間ができた。空っぽだった時間が埋まりました。余計な空回りの時間が減って、月曜から金曜が土日の反省をする時間になり、それが結構効果があって。それから、7月半ばの「湯沢未来づくり学校」でプレゼンする話が来て、8月にお台場でプレゼンする準備もあってあたふたするようになりました。空っぽの時間、空回りしていた時間が、軌道に乗り出しましたね。で、そうしていると、通信制と言うことが怖いというか、自分がどう見られているんだろうって思う瞬間もだんだんなくなっていって。あまり学校名を強調しなくても、「『Lift-Up』という団体でこういう夢を持ってやっています」という自己紹介をする機会の方が増えてきて。「通信制高校の〇〇高校の生徒です」じゃなくて、「Lift-Upの松嶋です」と。そうすると、何をやっているかって話もしやすくなって、そうやって、切り替えができてきたかなあ。

秋:その聞いた話をどう受け取ったかというと、6月くらいから滑走路に出て離陸し始めたということだと思うんだけれども。地上を離れて上昇している状態から、平行飛行に移る時期みたいなのがあるのかなと思っていて、そういう状態になったタイミングって覚えていますか?

松:そうですねえ、今振り返ると……まだ上昇しているんじゃないかと。

秋:あ、まだ上昇しているんですね。なるほどなるほど

松:毎月毎月、変化が大きいんですよね。月毎に私が求められる役割が変わってきたりして。例えば8月だったら東京で大きいプレゼンをして、9月は割とゆっくりしてたなあという印象があるんですけど、10月はマイプロ(東北カイギ)で結構大きい刺激を受けて、11月くらいからメンターに入ることが増えてきて。相談に乗ってよ、みたいな。東北大のAO入試を受ける高校3年生から志願理由書の相談に乗ってくれと言われたり、団体やるからその団体の紹介をしてくれ、企画見てくれ、と言われたり。月毎に変化が続いている状態で、そう考えればまだこう……揚力を高めていっている段階なんだと。サラリーマンみたいに、というわけでもないですが、一定のスピードで、毎月一定の何か役割をこなすように、例えば一か月半に一回イベントを企画するためにそれぞれの企画の準備をずーっとやり続けるみたいな、そういう段階ではまだないのかなと。

秋:サラリーマンみたいに、平行飛行に移りたい、ですか?

松:いや、まったくそれは。

秋:まったく思わない?

松:はい。

秋:もしそうなってしまったら、松嶋くんはどうなるんですかね? 「まったくそう思わない」という言葉が結構強い言葉だなと思って、聞いています。

松:どうなりそうですかねえ(笑) でも、あまりそうなったらということ自体全く想定していないというか。振り返ったらそうなってるなってときは多分来るかもしれないけど、やっているそのときはわからないでしょうね。後から考えてみたら例えば「9月くらいは結構ゆったりしていたな」とか、「そういえば平行飛行していた時期が3ヶ月くらいはあったな」ということはあるかもしれないけど。意識的にそれに移ろうとしないという感じですかね。なので、そうなったら、ということをあまり考えるというよりは、たぶん振り返ったときにそうなっていた、という感じですかね。

秋:じゃあ結果的に振り返ってそうなっている状態になっていたというときは、それは別にプラスでもマイナスでもなく、ああ、そうなっていたなって、ただ客観的に思うだけってこと?

松:そうですね。あまりそうなっていたなと意識することでもないのかなあ。実際、今までも、例えば中学生として受験勉強していたころは、別に安定でも不安定でもなかったですし。そのときなりに受験勉強という安定した軸があって、それに沿ってはいたけれども、自分なりに工夫して生活していたし。改めて考えてみれば割と今までも平行飛行の時期はあったけれども、そういうときに、「平行飛行になりたいな」とか、あんまり考えていなかったですね。なので、割と「そうなったら」ってことがぱっと思いつくものではない。

秋:なりたくない? なりたくないとも考えていない?

松:なりたくない、とは考えています。

秋:そうなったら、どういう人間になっちゃうのかな? それに対する恐れがある?

松:そうですね……たぶん、平行飛行になっちゃったら、周りが上がっていってしまうから。

秋:なるほどなるほど。周りは基本的にみんな上がっているんだ?

松:上がっています。

秋:なるほど。上がり続けないといけない? 周り。周りって誰ですか?

松:周り……同世代ですかねえ。

秋:同世代。同世代の誰ですか? どこに住んでいる人ですか?

松:そうですねえ、やっぱり、都市近郊とかですかね、東京とか、そういう人たち。やはり、彼らが私の目標とするところで。それこそ、起業家とか、たとえば、世界で活躍したいとか、そういうことを思いつく人たち。それにちょっとでも近づきたいなあみたいな。

秋:なるほど。追いつくために上昇飛行を続けている。

松:そうですね。

秋:なるほどなるほど。

後編に続く)

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