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僕や僕の家族と地元のこと

カテゴリ:自分事

先週から一週間ほど実家に帰省しておりました。

3月中旬から入院していた祖父の容態が悪化したため、意識があるうちにと兄弟揃って会いに行ったのが4/8(日)。
4/10の朝に一旦海士に戻るつもりでしたが、4/9の夜に容態がさらに悪化、そのまま祖父は帰らぬ人となりました。
急遽チケットをキャンセルし、そのまま秋田に残って諸々手伝いながら、あっという間の一週間でした。
祖母が15年前に亡くなったときには僕ら兄弟は奥の部屋に押し込められていましたが、全員が社会人になった今回はなんとか戦力になれたかなあと思います。

4人の孫に対して並々ならぬエネルギーを注いでくれた祖父は、寡黙さとはかけ離れたところにいましたが、自分のことをあまり多くは語らない人でした。
人が死ぬというときには、生前の”縁”というものが再び立ち上ってくるものですね。
帰省中に、これまで聞いたこともないようなエピソードを幾つも知ることになりました。
生前に聞くべきことがもっとあったよなと悔やむところはあるものの、振り返ってみるとやはり”時機”というものがあったように思います。

家族のルーツ

「秋元」という名字は、僕の地元である大仙市神宮寺には一軒しかありません。
それは、「秋元」のルーツは神宮寺にはない、ということを示唆しています。

生まれも育ちも東京で、秋田県民らしからぬ江戸っ子気質を見え隠れさせる祖父は東京の血を引く人だと思っていました。
ところが、実際には現在の北秋田市に位置するとある地域に、祖父方のルーツがあるそうです。
県北在住の方はご存知でしょうが、あのあたりに「秋元」姓がひしめきあっているところがあります。
足を運ぶことが滅多にないその地域に、血のつながりがあると思うと、少し不思議な感じがしますね。

ちなみに祖母は増田の出身。従って父は純血の(?)秋田県民ということになります。
母は長崎の出身なので、僕は秋田県民としてはハーフですね。

神宮寺という場所

秋田県大仙市神宮寺

僕の実家があり、高校卒業までを過ごしたところです。
秋元家のルーツはここにはありませんが、曽祖父、祖父、そして父の”縁”の集積として僕と地元のつながりがあるように感じています。
しかしながら、「神宮寺」の由緒についてこれまで考えたことはほとんどありませんでした。

葬儀が終わり家でくつろいでいるときに、仙台に居を構える大叔母(祖母の妹さん)からこんな質問がありました。
「しかしここいらはなんで『神宮寺』って言うんだろうね?」

ネットで調べてみるだけでも、興味深い話がいくつもありました。
詳細についてはまた次の記事に。

葬儀を終えて

家族を亡くした経験は2度目ですが、改めて葬儀にまつわる儀式というものの意義を考えさせられました。
親類やご近所さんが集まって、悲しみを共有し、杯を交わしながら故人を懐かしみ、故人を送るために家族総出で諸々のことを済ませていく。
それがたとえ小さいことであっても、何かしら家族の尊さとか、地域の関わりのありがたみとか、伝統として残ってきただけの意味を含んでいると感じました。

家族の一員として一連の儀式に関わることが、大人になるための通過点だったように思います。
寂しさと慌しさの余韻に浸りながら、そんなてごたえのような感覚が僕の中に残ったのでした。

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秋田魁新報の「北斗星」で海士町が紹介されています

カテゴリ:告知

秋田魁新報の一面のコラム「北斗星」で海士町が紹介されています。

北斗星(3月25日付)|さきがけonTheWeb

※現在は削除されてしまったようです。

秋田出身ということで、海士町観光協会が運営する「離島キッチン」の佐藤さんと僕も紹介されています。

海士町には、秋田が学ぶべきポイントがいろいろあります。
「ヨソモノ」の受入はその一つ。

とかく「閉鎖的」と揶揄される秋田(県民)。
しかし、これが田舎では至極当然であるということを認めなければ、話は進みません。

それはIターンを積極的に受け入れている海士町であっても当てはまることです。
むしろ、離島という条件下で、海士町は昔ながらのコミュニティをより色濃く残しています。
そんな海士町でIターンが自分の言いたいことだけ言い、田舎の論理を無視する振る舞いを見せたら、たちまち総スカンを食らうことになります。
それでも、海士町には多数のIターンが集まっているのです。
ここに大きなヒントがあるのではないでしょうか。

海士町のIターンである自分が学んだことをきちんと秋田に持ち帰らなければならないと改めて思うのでした。

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社会貢献をしたいのか、自分の思い通りにしたいのか、はっきりさせた方がいい

カテゴリ:自分事

「秋田を今よりもっと良いところにしたい」という思いは僕がWE LOVE AKITAに参加したり、海士町に移住したりしたことの根元にあるものです。

で、WE LOVE AKITAのような活動をしていると、「地元想いだね」とか「すごいね」とか、そういう漠然とした「良い」リアクションが返ってくることが多いです。

「良い」リアクションを示してくれる人がいることは有難いことですが、それに甘んじていると痛い目を見そう、ということを薄々感じるようになってきました。
僕が、秋田に帰ってから何をするのか、一向に的を絞れないのも、その懸念があるからです。

「社会貢献したい」でたまに感じる違和感

『社会貢献』を買う人たち

ざっくりと「社会貢献」とカテゴライズされるような事柄に関わりたいと考えている人は最近増えています。
「社会貢献」と一言で言ってもその広がりは本当に多様で、地域活性化やまちづくり、環境保護、貧困撲滅、次世代育成、高齢者福祉、途上国支援、就労支援など、枚挙に暇がありません。
社会全体で見ればまだまだ影響が小さいかもしれませんが、そこには無視できない勢いがあると感じます。
最近では被災地支援活動に関わる人が多いですね。実際、これは評価すべきでしょう。

「社会への貢献は誰にでもできることだよ」というふうに動いているのは歓迎すべき傾向であるのは確かです。
しかしながら、(勢力を拡大しつつあるものの常として)最近は”ノイズ”が混じり始めているのではないか、と不安に思うことも少々。

「何か良さそうな感じ」はするのだけれど、どこの誰がそれを求めているのかがわからない。
話を聞いていても具体的なイメージがわかない。

何度かこの違和感と遭遇することがあったこともあり、ある共通点をそこに見出しました。

それ、あなたがやりたいってだけじゃないの?

要は、「誤魔化しているんじゃないか?」ということです。

「自分はこうしたい」というエゴが原点なのに、「地域の課題だから」「人々が求めていることだから」というすり替えが行われる。
どこか地に足の着かない印象を受けたら、まずここを疑うようにしていますが、結構当てはまっているように思います。

「すり替え」というのは、「問題を創作している」と言い換えると分かりやすいかもしれません。
自分の「何か貢献したい」「こういうことをしたい」という思いに任せて、あたかもその問題が存在するような口ぶりで話す。

ホンネと言葉がずれることで、僕も違和感を覚えているように思います。
本当に誰かが必要としていることであれば具体性が生まれるし、エピソードやストーリーが語られることもあるでしょう。

中身は「こうしたい」だけなのに、社会の課題解決の話として体裁を整える。
個人的に、これは本当に止めて欲しい。
自分のエゴを社会貢献にすり替えるという態度がそもそも僕はキライだし、そうして求められていない「良さげなこと」が世に出ることで余計な不和が起こりえます。
主体の頭の中もすり替わっているので、きっと地域や現場を好き勝手にかき乱していることに気づくこともできません。

その典型例が、キャリア教育なのかなと思います。
地方では都会に比べて子どもたちが触れる職業の幅が狭く、夢を描きにくいため、進路イメージをなかなか具体化できない。
しかも世の中はますます厳しくなっている。子どもたちのために、キャリア教育が必要なのだ。

でも今現場で求められていることは全然違ったりします。
大学進学率が低下しているのは教育費の高騰があるからかもしれません。
学力低下が叫ばれるのは、進路意識や動機付けの減退でもなんでもなく、学級経営や家庭の問題なのかもしれません。

キャリア教育の担い手の不在が学校側の悩みになっている?
それをニーズと捉えるか、現場とお上とのずれと捉えるかで問題は違って見えるでしょう。
学校のホンネは、キャリア教育に圧迫される教科教育の時数が欲しいだけかもしれません。
(今度の改正で授業時数は回復傾向にあるようですが)

キャリア教育で優れた効果を出しているところがあることまでを否定するつもりはありません。
しかし、それが他の場所でキャリア教育をやるべき理由にはなるはずがない。

エゴの何が悪いのか?(いや、悪くない)

こう書いてきましたが、僕自身は「エゴ」からのスタートが悪いと言いたいのではありません。

自分が面白いと思うから。何かいいことがしたいから。

そう思うのは個人の自由ですし、別に「動機が不純だから」などと言うつもりはないです。
不純であるかどうかはどうでもいい。「モテたい」がスタートでも構わない。邪悪な動機でなければエゴ丸出しでも。

自分のやりたいことの範囲でやる分には、一向に構わない。
例えば「秋田魂心会」は何よりもやっている当事者たちが楽しいということを第一としています。
秋田を媒介に、共通する価値観を持つもの同士がつながり、楽しむ。
だからこそコンテンツが面白く、たくさんの人が集まり、活動を継続することができるのです。

ソーシャルデザイン」で紹介されているのも、そんな素直な気持ちからはじまったマイプロジェクトばかりです。
ニーズドリブンなケースでも、当然のように課題の特性やそこに関わる人の声に配慮する姿勢が見られます。

繰り返しになりますが、僕が嫌うのは「すり替え」という行為です。
「エゴ 」だと認めればいいのに、下手に自分のことを正当化しようとする。
自分発進なのに、他人のニーズだと言い張る。
発見された問題ではなく、創作された問題を扱う。

「エゴ」を社会貢献に昇華するためには、「やりたいこと」と実在する問題とを結びつける必要があります。
そのためにはどうしたって現場に出向くことが求められます。
少子高齢化という同じ課題を持つ地域だったとしても、余所で成功したところが我がとこでもニーズとしてあるわけではありません。

僕の立ち位置-開き直り

僕のスタートは「秋田に帰りたい」、ただそれだけでした。
帰るからには秋田に何か貢献したい、そう思いながらも秋田の外で考えることの限界を感じてもいます。

僕は地元から離れた高校に通っていたし、地元のこともよく知らないまま大学進学と同時に上京しました。
今や秋田からさらに遠く海士町にまで来てしまっていて、日々WEBだったり知り合いだったりから漏れてくる情報を目で追うのみです。
こういう状態なので、「やるべきこと」、埋めるべきピースが見つかる予感があまりありません。

「秋田に帰りたい」、ただそれだけで誉めそやされるようなこともある時代。
東京や海士町で学んだこと、めぐり合った人とのつながりもあり、「何かできそう」な感覚をついつい持ちそうになります。

それでも僕はその気持ちにブレーキをかけたい

「何ができるかどうか考えられるほど、自分は地元のことを知らない」

僕はもっと基本的なところで、「地元で家族や友人とともに、幸せな暮らしがしたい」、そう考えていることに気づきました。
ただそれだけのことを、「地元に貢献する」という言い方にしたくない。
海士町に来て、ますますそう思うようになりました。

どこまでも、謙虚に。かつ、率直に。

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