Tag Archive: 内発的動機づけ

「きょうしつのつくり方」を読んで

カテゴリ:読書の記録

不思議な絵本だ。

子どもたちが自分たちで教室をつくりあげていく。
その様子がカラフルな水彩画で描かれている。

特徴的なのは、文字がないことだ。
「これは、○○をしているところです」といった解説は、
本編の後にまとめられている。

例えば、二、三人で一緒に読み進めながら、
どんな印象を持ったか話し合うのに向いていそうだ。

終盤には、鼎談が記載されている。
原案の学芸大准教授の岩瀬直樹氏、
プロジェクトアドベンチャージャパンの寺中祥吾氏、

」等の苫野一徳氏の3名。

気になる箇所がいくつかあった。

苫野・・・「みんなが同じでなければならない」「同じことをしなければならない」という、学校でよく見られる凝集性には、そこでひどく苦しい思いをしてしまう子どもたちが必ず存在してしまうという、深刻な問題があると思っています。
 でも、自発的な遊びを楽しんでいる時に感じるまとまり感は、むしろ助け合いや学び合いの土台になるんですね。
岩瀬・・・そのギュッとした感じをあまり味わったことがないまま、個別化を大事にしようと思うと、バラバラしたままになってしまいます。

きょうしつのつくり方

思い当たる節が多々ある。

岩瀬・・・凝集性の違和感みたいなことがぐっと来たときは、大きい変化を自分の中に感じました。「自分自身は割とそういう場は嫌なのに、先生である私はやれてしまう」みたいなところがつながったときに、自分の中に一つ核ができたという感じはあります。

きょうしつのつくり方

『先生である私はやれてしまう』。
それは公立塾のスタッフである僕も同様だと感じた。

 

本書は鼎談こそ多少抽象度が高いが、
全体としては子どもが読んでも差し支えない、と思う。
コミュニケーションのツールとして活用するとよいかもしれない。

こういう本もあるらしい↓

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「手離れが良い/悪い」問題

カテゴリ:自分事

勤務先で2回目のプログラミング講座を終えて帰宅。

今回は眼鏡男子ばかり5名の精鋭が集い、
それぞれ自分のペースで頭を抱えながらコードを書き、
約2時間半があっという間に過ぎたのだった。
前回の様子はこちら

学習に必要な情報はすべてWikiにアップしたことで、
当日は質問対応に終始。黙々と課題を進める生徒の姿に、
プログラミングというコンテンツの魅力を改めて思い知った。

僕は基本的にプログラミングを独学で進めて来たし、
身近に頼れる人がいない環境だったこともあって、
個人的には生徒も独学でどんどん進めてほしい、と思っている。

次回も企画すればリピートしてくれるであろう手応えはあったものの、
なるべく早い段階からわざわざ講座を設定せずとも
一人で、あるいは複数人で日時を合わせるなどして
プログラミングするように促せないものだろうか。

大人の勉強会を企画していてもそうなのだが、
自分自身、なかなか他の人との予定を鑑みながら
いちいち場を設定するのは心身ともに負荷がかかる。
持続可能にするためにも、手離れが必要だ。

しかし、現時点では手離れして自立するイメージが持てない。
もう少し手をかけないといけないのだが、どのようにすれば
自立する芽が育つのかという道筋も見えていない。

例えば、仕事の引継ぎであれば強制力も働き、
お互いに必要性を感じながら進めることはできる。
しかし、自主的な参加が前提の場においては、
自主性を育むということが必要なのだろうとは思う。

年度末を一旦の区切りとして、
自立の可能性を模索していかないといけない。

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フツーの人のためのキャリアデザイン(仮)

カテゴリ:自分事

※本文の内容はあくまで仮説である。

成長したいわけではないモードとは

「成長したい」と口でいう人の中には、
明確な将来像やありたい姿、ビジョンだったり、
「1番になりたい」みたいな上昇志向だったりが
あまりなさそうに見える人がちらほらいる。

本文で扱うのはそういうモードの人たちのことだ。
しかし、まだ僕もうまく定義できない。

たぶん、「成長したいモード」を定義するのが早い。
本文における「成長したいモード」の特徴はこんな感じだ。

・目の前の仕事を将来像やビジョンと素早く結びつけ、
意義付けし、目的をもって取り組むことができる
・決して暇なわけではないのに仕事を自ら獲りに行ける
・業務時間外でも自分のスキルや知識を磨いている
・情報収集に貪欲で、Amazonですぐにポチったり、
気になる人と知り合う機会を模索している

なんとなくおわかりいただけただろうか。

逆に言えば、「成長したいわけではないモード」とは、
頑なに成長(できる機会)を拒むわけではないが、
自発的に動くようなこともないという状態のことだ。

どうも否定的な言い方になってしまう嫌いがあるが、
誰しもいずれのモードにもなりうるだろうし、
グラデーションの問題だと思っている。

問題があるとすれば、組織の側に立ったとき、
そこで働く人には成長してもらわないと困る、
という代え難いニーズがある、ということだ。

フツーの人のために組織ができること

フツーの人にとって、
「成長したいモード」を維持し続けるのは難しい。
明確な将来像や達成したいことがある、ということは
もはやフツーではない、と僕は言い切れると思う。

組織内でスポットライトが当たり、出世するのは
常時「成長したいモード」の人だったりする。
そうした人はフツーを理解できていないことが多い。
小さな組織が拡大していく過程で直面するのは
特にこのミスマッチではないか、と思うところもある。

組織とそこで働く人のかみ合わせを良好にするために、
組織の側でできることを考えてみたい。

「手前から」考えるキャリアプランニング

個人がキャリアを考える上で様々なツールがあるが、
将来像やありたい姿から考えさせるものも多い。

一度考える場を持つことに意義はあると思うが、
今回はそうでなくもっと「手前から」考えてみたい。
つまり、今、目の前の仕事を”より良く”遂行するために
必要なスキルや知識は何か、から始めてみる。

これから必要になるすべてを網羅する必要はない。
エース社員のコンピテンシーの一部分でいい。
何を伸ばすかを本人が選んでもいいはずだ。

大きな成長には「自己変革」が必要かもしれない。
でも、オオゴトにするのは一旦止める。
代わりに、現時点で任されている業務の範囲で
必要なマインドセットに焦点をあてる。
どうしてもスコープを大きくしたいのならば、
ステップを細かくするように配慮してみる。

現在地から遠いところに目標を置かず、
一つひとつキャリアを積み上げられるようにする。
長期的なキャリアプランに重きを置かず、
月単位でステップアップできるようにしてみる。

組織が理想としたい成長ステップとは別に、
一人ひとりの「手前から」のキャリアプランを考える。
それが、本記事での提案である。
(至極当然な話で大変恐縮なのだが)

なぜ「手前から」なのか

通常、キャリアプランは理想から考える。
その場合、まずは理想がなければ始まらない。

ところが、将来像やありたい姿が明確でない場合に
組織の枠の中でそれを考えるのはいかにも制限が多い。
キャリアを描くのに適切な理想が生まれない恐れがある。

また、組織が個人にキャリアプランを求める場合、
そこで前提とされる理想像が狭い可能性もある。
「企業を将来を担う人材になってほしい」と言うとき、
必ずそこにいる個人が考慮されている保証もない。
結果、組織側の押しつけでしかない、ということもある。

無理に理想を求めない。とはいえ、その人には
今のポジションにおいて着実に成長してもらう。
そのために、現状から考えてみる。
一つひとつ、できることを増やしてもらう。

スキルと知識が増えれば、視野も広がる。
次にできそうなことが徐々に見えてくる中で、
現在地より少し遠くに目標を置くこともでてくるだろう。
そうしたら、勝手に成長したくなるかもしれない。

別に3年待て、というわけではない。
数か月の変化でも景色は違って見えてくる、と思う。
準備ができてから、成長の傾きを上げていけばいい。

現状での限界値は本人が自覚する。
突破するかどうかも本人が決めるものだ。
視野が広がれば、ある程度の方向性を持って
次の未知なる一歩を踏み出せるかもしれない。
それまでは足場をしっかり固めてもらう。

それだけで、よいのではないだろうか。

この記事で言いたかったこと

要は僕自身がついつい成長の角度を
他人に求めてしまうタイプであって、
この記事は自分を落ち着かせるために書いた。

もう少し具体的に突っ込んで核と、
僕が仕事を共にする人に対して
「成長欲求」とか「好奇心」という類のものを求める。
(そして、願わくばそれが行為に表れていてほしい)

そこから生まれる前向きさと出会うとき、僕は、
自分のふがいなさを呪いながらなんとか踏ん張れる。

そうでない人と仕事を共にするとき、
無意識に「成長の角度を上げろ」と要求してしまう。
僕のそんな身勝手な要求はさっさと諦めて、
相手にはより現実的なステップを踏んでもらう。
そうした方が互いにロスがなく、生産的なのかもしれない。

そんなことを最近考えたというお話です。

なんだかこの本↓を読めばいい気がしてきた(未読)。

 

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