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Fermentators Weekの振り返りー「発酵」というメタファーについて

カテゴリ:世の中の事

発酵都市として世界に記憶される湯沢へ。
個性を醸す人(=Fermentators)を増殖させる、
ファーメンテーターズ・ウィーク。

Fermentators Week 2018 in 秋田県湯沢市 | ファーメンテーターズ・ウィーク

11月3日から11日の9日間に渡り、秋田県湯沢市を巻き込んで執り行われたFermentators Week(FW)。湯沢の市内をぐるりと巡りながら、9日間毎日何かしらのプログラムを運営し続けるというのは、想像するだけでも相当ヘビーだし、実際、最終日の夜の打ち上げではみな精も根も尽き果てたという様子で、まさに祭りの後だった。

僕が参加したのは、11/3-4の世界発酵人会議、11/7の発酵人晩餐会(発酵×麹×女性)、11/9のミュージックナイト、11/10-11の発酵人感謝祭。半分ほどの参加率で、それでも食に感動し、音に感動し、そして何よりその場に集まる人の言葉に心動かされたのだった。それは僕自身の仕事や暮らし、あるいは地域へのかかわり方といった諸々の考え方にも影響を与えるもので、だから、個人的にでも、9日間の記憶をテキストに落としておきたかった。

発酵都市とはなんだったのか

発酵都市、湯沢

湯沢の日常には、発酵がある。

言葉を発することなく、しかし確かにそこにいるものたちと、
長い時間をかけて積み重ねてきた実践と対話の過程が、この土地の古層に眠っている。

菌に耳を傾け、暮らしを、文化を形成する発酵という手立てを、
都市を醸す手法に応用するとしたら。
新たに持ち込まれた視座は、人と菌、人と自然、人と人が織りなす関係性を、
自己相似的な連なりとして見ることを可能にする。

世界発酵人会議に投げかけられた「湯沢市発酵都市計画」という仮説。
都市はいかにしてその個性を醸し出しすのか。
今まさに湧き起こりつつある発酵のプロセスに魅了されて集った
Fermentatorの相互作用が、都市を発酵させる手法に輪郭を与えていく。

これは11/3-4の内容やそれにつながるこれまでの議論を踏まえてまとめられたテキストで、11/10-11の会場にパネルとして展示されている。要は「発酵都市」と言うとき、それは2つの意味を持つということを言っている。

1)湯沢では、漬物、味噌・醤油、酒といった発酵食品が当たり前に日常の中でつくられ、口にされ、あるいは一つの産業を形成している。この土地に埋め込まれた「発酵」という文化は、世界を魅了するコンテンツに転ずるポテンシャルを秘めている。

2)湯沢という地域が、個性のあるローカルとして世界を魅了していくというときに、そのプロセス自体が、「発酵」的に進行していく。多様なプレイヤーが有機的に交わることで、個性的な何かが醸されるという、予定調和でない世界観に踏み込む。

前者は、コンテンツとして、あるいはまちづくりや都市計画の輪郭や文脈をつくるもの、インスピレーションの源泉として。後者は、まちづくりや都市計画のアプローチや姿勢、考え方、価値観、世界観、プロトコルとして。

FW最終日、客もはけて片付けもあらかた終わったところで、「発酵感謝祭(JOZOまにあくす)」の関係者が円になって集まり、一人ひとりが感想と振り返りを述べ合う場面があった。その際に、「発酵」をメタファーとしてまちづくりや地域おこしへの意欲を語る人が何人もいたというのは、率直にいって、驚きだった。発酵/醸すというプロセスが、この土地に根差している何よりの証拠だったと思う。

「発酵」は人間にとってどんなプロセスなのか

発酵が直感的に理解されるキーワードであるということは、僕自身の目がFWの9日間で目撃し続けたことだ。その一方で、僕自身は、パネルに文字として残すというときに、その直感に相応のロジックを持たせてみたかった。なぜ、発酵なのか。そもそも発酵とは、どんなプロセスなのか。なぜ、発酵という言葉が、やけに魅力的に響くのか。少なくとも僕は、僕の言葉で語れるようになりたかった。

発酵は、菌にそのプロセスが委ねられている。言い換えれば、菌という仲介者がいることが前提となっている。「発酵させる」と言うとき、人はその対象に直接の働きかけをすることを想定しない。菌が人間に有益な形で働くような状況をつくる、くらいのニュアンスに留まる。「醸造する」というと、もう少し人がつくりだすニュアンスが強まるが、「醸し出す」という表現になると、もはや、そうなりたくてもなれないが、その人となりに応じて、自然にそうなっていく、という意味合いになる。人の意志や意図が及ばない領域がここでは描かれようとしている。

今でこそ発酵は菌の仕業であり、科学の言葉で説明可能なものになってきている。しかし、顕微鏡で菌を確認できるようになるもっと前から、人間は目に見えない菌の作用を頼りにしていた。僕たちの祖先の誰かが、時間の経過に従って元の状態からの変貌を遂げた食物を思い切って口にしたところに始まり、試行錯誤の末に、人間が食せる状態にたどり着くようにそのプロセスを進行させる術を編み出していった。そのおかげで、発酵が彩る豊かな食生活にありつけている。日本酒の生酛づくりなどはその集大成とも言える高度な技術だと思う。

「発酵」というメタファーの威力

そう考えると、発酵は、目に見えないものを信頼するプロセスである、と言える。日本は「八百万の神」という考え方があるが、自分の力と想像が及ばぬ領域を否定するのではなく受容してきた。まちづくりにおいても、それは同様かもしれない。まちには本来多様な人が暮らしているという当たり前の事実に対し、そうした多様性を可能性の源泉と捉えられるか。一見経済的に価値のないものに価値を見出せるか。完璧な計画を手放し、自然発生的に生み出されるものを待つことができるか。発酵という切り口には、これまでの日本が失ってきたものに対する眼差しが宿っていると思う。

さらに、もう一つの示唆として、知識を超える領域に挑んできた先人たちの開拓の歴史の賜物という発酵像が見えてくる。前例があること、リスクが少ないこと、結果が見えていることが求められる現代社会の礎は、前例がなく、結果が出るかどうかわからないものに投資する姿勢によって築かれている。発酵に目を向けると、そんな当たり前のことに気づかされる。

そして、言わずもがなだが、発酵は絶え間ないプロセスだ。菌の活動を促すような働きかけを怠ってはいけない。糠床は一日一回かきまぜる必要がある。菌に委ねるが、放置はしない。管理でも放任でもない「第3の教育」という考え方にも近い。多様な人たちがいきいきと動き回れるような環境づくりがポイントになってくるのだろうと想像できる。また、同時に、持続可能性も無視できない要素になる。「世界発酵人会議」において「経済」が一つの重要なポイントになっていたように。

ここから見えてくる「発酵」というコンセプトは、これまでのまちづくりや都市計画が包含する世界観を転換する意図が込められると解釈できる。トップダウン―ボトムアップ/行政―民間といった従来の二項対立を乗り越え、よくある田舎のノスタルジックなストーリーに迎合することなく、世界を魅了するまちを醸していくためのプリンシプルを構築する。そのために、「発酵」というメタファーが有効だった。

僕自身、FWに関心を持ったのは、それが良くある「地域おこし」の文脈を意に介していない様子だったからだ。目線は世界に向けられており、時間軸は21世紀が起点になっている。伝統的な文化である「発酵」を起点として、これからのまちづくりの在り方を提案するというのも面白い。引き続き、このムーブメントに関わっていきたい、と思う。

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「難しいけど○○したい」って言われないと応援できない

カテゴリ:世の中の事

「○○したいけど、難しい」と「難しいけど、○○したい」

地域で何か新しいことにチャレンジしたり、縁もゆかりもないところに移住したり、普段と異なるコミュニティに飛び込んでみたり。

日常からの「ジャンプ」が必要な場面には「覚悟」が伴うものというのが通説で、「ジャンプ」するための心構えやノウハウを、安心するための材料として求めたくなることもある。

「ジャンプ」を妨げるのは、未知の領域に足を踏み入れ、「うまくいくかどうかわからない」ところに足を踏み入れる恐れ。「○○したいけど、難しい」。そう言って、なかなか踏み切れない場面が良くある。

そんなときに大事なのは、「難しいけど、○○したい」と言えるかどうかなんだな、ということに最近改めて気づいた。もともとは、現在神山町に住んでいる西村佳哲さんが「『○○だけど、難しい』と『難しいけど、○○したい』は似ているようで全然違うよね」と紹介してくれたものだった。それを聞いたときは、なるほどなあ、というくらいだったけれど、五城目に移住してから、「難しいけど、○○したい」の持つパワーを再認識したのだった。

「○○したいけど、難しい」は、「難しい」に重心がある。もしかしたら、「○○したい」が「難しい」に負けてしまっているのかもしれない。逆に、「難しいけど、○○したい」は、したい気持ちが勝っているのだと思う。

「難しいけど、○○したい」と言われたら、周りは「こういうサポートができるよ」「ああいう人がいるから紹介するよ」「一緒に○○してみない?」と声をかけることができる。「○○したい」の確かさがあるから、周りも信頼してその気持ちを実現に向けて応援することができる。

「難しい」という気持ちを目にして、応援しよう、という気持ちにはなかなかなれない。本人が本当にそれを望んでいるかに確信が持てないから。仮に、心からの善意で応援しようとしても、下手をすればそれが「難しい」という気持ちを否定し、あたかも説得するかのような働きかけになってしまうのではないかとも思う。

「○○したいけど、難しい」というとき、その「難しさ」に焦点があたりがちだけど、たぶん目を向けるべきは「○○したい」の方。「それ、本当にしたいんだっけ?」という素朴な問いかけをしたほうが健全のように思う。そうでないと、「難しさ」を提供する環境の方をついつい呪いたくなるから。あるいは、「あの人たちは特別だけど、私にはできない」みたいな不健康な気持ちになる。もしかしたら単に「したい」という気持ちのベクトルが一致していない、というだけかもしれないのに。

五城目で新しいチャレンジが起こるとき、「ああ、この人はいろいろあっても最後までやるよな」と思えるから、素直に周りが応援しているという状況があるように思う。「難しいけど、○○したい」って言えるようになりたいし、言えないところで無理をしないようにしたい。

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「地域おこし系キャリアのセカンドキャリア問題」を自分を主語にして考える

カテゴリ:世の中の事

地域おこし系キャリアのセカンドキャリア問題を定義する

この記事の続き。

「地域おこし系キャリアのセカンドキャリア問題」を、「有期雇用で公共性の高い領域であるがゆえに、本人が充実しているにもかかわらず次の仕事を見つけるのが大変」という話に限定しよう、というのが前回の記事だった。

この記事では、「地域おこし系キャリアのセカンドキャリア」の真っ只中にいる僕自身のこの約1年間を振り返る。そして、地域おこし系キャリアでの経験はどのような形で生かすことができるのかを考える材料にしてみたいと思っている。

はじめに断っておくと、僕の例は経済的にはあまり成功していない(単にサボっているだけの部分もあるけど)。実家から享受できるメリットも最大限活用しているので、そのままの参考事例にはならないと思う。

2016年4月~7月

僕の秋田でのキャリアは、ハローワークから始まった。前職が一般財団法人の契約職員という雇用形態だったことから、失業保険を割とすぐ受け取れることが判明したのだ。それならば、焦ることなくじっくりと次の仕事を探そそうと気持ちを切り替えることができたのは結構大きかった。

求職期間中は、仕事を探すという以外には、主に五城目を中心に、ボランタリーに誰かの仕事を手伝ったり、イベントに顔を出して人と出会ったりという時間の使い方をしていた。五城目高校での授業づくり、矢島高校でのシンポジウムの打ち合わせ、入居企業の新規事業に関してのリサーチやブレスト。天狼院書店のライティングゼミを通信受講し始めたのは6月ごろ。シェアビレッジでのイベントにも積極的に参加し、一度主催もした。ゆるくつながりが生まれてきたが、具体的な仕事につながる話はすぐには見えてこなかったが、「今は種蒔の時期」と割り切っていたところも。

失業保険が出ていることで、これまでの経験が生かせそうなことを無償で手伝わせてもらえたのは、導入としては結果的によかったと思う。お金をもらうほど成果を出せるか自分でもわからないし、かといって収入がなければお金をもらわないわけにはいかない。そういうジレンマに陥ることなく、自分自身も勉強させてもらうような感じでいろいろ手を出せたことが、その後を考える材料の一つになったのは間違いない。決まった仕事がないのでフットワークも軽くいられた。この期間には県内の学生とも出会うことができ、それは今の仕事にもつながっている。

2016年8月~

8月頭には失業保険が切れる見込みだったが、7月に入ったあたりから実にちょうど良いタイミングで次の仕事の話が本格化する。そして、8/1に株式会社ウェブインパクトに入社し、そこが受託した県事業の「おこめつ部」の準備もスタート。そして、こちらも8月からお手伝いすることが決まった合同会社G-experienceの「クリマ!」の初回が、早速8月最初の日曜日に。土日もない生活が急に始まったという記憶がある(実際、Googleカレンダーも8月から急に埋まり出している)。

それからは、基本的に「ウェブインパクト」(IT企業)、「おこめつ部」(起業家育成、若者支援)、「G-experience」(教育)が仕事(有償も無償も)の軸になっている。「おこめつ部」が動き出したことでまた一つ声の掛けられ方が増えた感じ。個人で関わったことと言えば「ネコバリキャリアのつくりかた(五城目高校)」、「矢島高校地域連携応援フォーラム」、「あきた若者塾」、「ふろぷろ秋田」、「C-net交流会」など。どれも単発だけど、こう書くといろいろ声かけてもらっていたなと思い、本当にありがたい限り。なお、個人では県内大学生へのインタビューや、学生向けワークショップの試験的実施なんかもした。そういえば、公私問わず文章を書く機会もちょこちょこあった。天狼院書店のライティング・ゼミがあったおかげで周囲が声をかけてくれたこともあったし、頼まれてもとりあえず受けようという気になれたのだと思っている。

ウェブインパクトに入社したといってもフルタイムでなく、G-experienceとも業務委託だったため、その二つだけで週40時間は埋まらない。それは自分が手綱を引ける時間が多いということであり、空いた時間分の収入は自力で確保しなければならないということでもある。オフィスという場所に縛られる必要もなかったため、「就職した」というよりは、求職期間中の自由な時間の使い方にどちらかと言えば近いかなと思う。

12月からは「クリマ!」がなくなった関係で、急に仕事がなくなった感じがあった。雪が降り始めて車で出歩くことも減ったためか、内にこもって考え事をしたり自己研鑽に励むような時間の使い方だったように思う。ただ、「おこめつ部」がだんだんと本格化し、年度末っぽい案件もちょこちょこ入った関係で、2月からは割とばたばたしていた。

2017年4月~

来年度以降も引き続きウェブインパクトに所属し、「おこめつ部」も継続(の予定)。それ以外には年度末案件の一つで任意団体の設立に積極的に巻き込まれたので、ここにも力を割きたい。個人の名義では難しくても、関わりのある組織・団体をうまく活用しながら予算を確保できればと思っている。

一つの組織にコミットするというよりは、いろんなところに顔を出してパラレルワークを進めていくというこれまでの働き方を自分自身でちゃんと成り立たせるよう実験したい、という感じ。もうちょっと計画性というか見込みがあったほうがいいとは思っているけれど。

五城目暮らしの中で僕を支えていてくれたもの

こんな秩序を欠いた暮らしを送ることができているのは、自分の力だけではもちろんありえない。最も大きかったのは、BABAME BASEの存在。この廃校を活用したインキュベーションオフィスにウェブインパクトとして入居しているが、他の入居企業や地域おこし協力隊の皆さんに相談したり、時には相談されたり、という関係があり、ここで仕事をもらうことも多々あった。拠点があり、仲間がいるということがこんなにありがたいものだとは。

あとはもうとにかく人の縁に頼りっぱなしで、「自分ひとりでこれを成し遂げました」というものがほとんど思い当たらない。今住んでいるアパート(かなり好条件)だってツテがなければ入居できなかった。大学生とかも含めて、周囲に恵まれているとしか言いようがない。気持ちよく人に動いてもらえるような巻き込み方がもっとできるようになると、いろいろできそうなんだろうなという可能性をすごく感じている。

あと、Facebookはめちゃめちゃ活用している。メッセンジャーで仕事する時代はもう来ていたんだなと感じる。海士でも使っていたけど、頻度が違うし、関わる人も増えた。そして電話の回数が格段に減った。関わる組織の問題もあるだろうけど、そもそも電話番号を知らない人が結構多くて、通話が必要であればFacebookで電話かけるかSkypeするか、みたいな感じ。

逆に言えば、僕が普段関わっている層の多くはFacebookユーザーということになる。ごくたまに高校生相手にLINEとかTwitterとか。ちなみに社内コミュニケーションは基本メールかSkype、雑談っぽいのはチャットサービスを活用。

縁に恵まれているとするならば

島の元同僚に近況報告をしたとき、「縁をうまく生かしているんですね」というコメントをもらった。人と比べてどうかはわからないが、個人の感想としては、「生かしている」というよりは「恵まれている(運が良かった)」という印象。さて、その縁を引き寄せているものって何なのだろう。

一つ言えるとすれば、僕は割と「こういうことがしたい」「これこれに興味がある」「あれは問題だと思う」「それ、面白いね」みたいなことを割と口に出している。それで周りが「ああ、こいつはこういうことはやってくれそうだな」というのをイメージしやすいというのはあるかもしれない。

興味を持っていることに関してはキャッチボールができるので、たとえば「こういうことしたくて」みたいな話にも割と応じやすい。そうすると、学生でも「ちょっと時間もらえますか?」みたいに具体的な相談に発展する。それが仕事につながる割合は多くはないけど、ペイフォワードみたいな感じでとりあえず受けられるものは受けているかなと思う(今の働き方が可能にしている部分も多々あるけれども)。

自分から発信するか、相手の話を受信するかでしか、物事は進まない、という世界観が僕にはあるようだ。ブログを書いているのもそういう発信の一環という認識がある。黙々と、コツコツと、一人で何かを成し遂げるということができるタイプではないからというのもあるのだろうけど。

Facebookをやっている人とのかかわりが多いという意味では、そういう「発信」もなんらかしたい人たちだから、なにかしら縁としてつながるというのもあるのかもしれない。

縁を生かすべき理由

地域おこし系キャリアは、どうしても世の中のレールを外れる感じになりやすい。一般的な大企業でこうしたキャリアを評価してくれるイメージはあまりないし、そうなると、転職エージェントに登録してもなかなかオファーは来なさそうという印象がある。僕の前職はざっくり言えば「塾講師」になってしまうので、職務経歴としてはイマイチぱっとしない。

もちろん、これまでの経験をきちんと棚卸し、一般に認知されているスキルに言い換えることで、既存の転職市場で評価を受けるということは可能だ。実際、そうしたプロセスを通じて転職を遂げた人もいるとは聞く。しかし、仕事の見つけ方はそれだけではない。そこに難しさを感じるなら、別の手を考えてもいいと思う。

言うまでもないことだと思うが、縁を生かした方が「わかってもらえる」。外資系の企業では転職の際にリファレンスをかけることがあると聞くが、会ったこともない人の抽象化された職務経歴書を読むよりも明らかに具体的な情報のやり取りになる。知り合いに紹介された求人情報は、テキストとしてWEBサイトに掲載されているものよりも質・量共に充実しているだろう。あまり表に出てこないような情報も人づてにもたらされることが少なくないし。

そういう、定型化されていない、いっそ属人的と言っていいプロセスの中でこそ、地域おこし系キャリアが生かされる面って割とあるんじゃないかなあと思う。もちろん、縁がつながるかどうかは、周囲が「なんとなく信頼できそう」とか、「ああいうことをしたいって言ってたから、これ紹介してもいいかも」と思えるかどうかに依存するのだけれども。

この問題の議論の方向性

今回も結論を置かずに手前から考えてみたが、「そもそも人はどのように仕事を見つけるのか」ということを整理する必要があると感じている。今のところ、「経験を棚卸してスキルとして一般化し、既存の転職市場で評価されるのを待つ」という方向と、「縁を生かし、人づてに仕事を求める」という方向と、2通りあるのは見えてきた。単純に考えれば、前者の方向であれば「雑多に積み重ねた経験を整理するためには?」という話になるし、後者であれば「縁」というものをもうちょっと整理するとよいだろう。

あとは、「そもそも本人が次にやりたい仕事ってなんだろうね」という問題が残る。既存の転職市場の中で見つけるにしても、人づてに探すにしても、そこが言語化できていなければままならない。別に「やりたい」じゃなくても、「こういう職場で」とか、「信頼できるこの人と」とか、そういう動機でもいいんだけど、何かしらの優先順位がほしい。一度はレールを外れた地域おこし系キャリアの人たちの嗜好性を勝手に想像すれば、なんとなく、完全にぴったりな仕事って世の中に少なそう、というのもこの話題に絡まっている問題の一つ。その辺りからも手だてを考えないといけないかもしれない。

具体的にはまた次の記事に。

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