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地域おこし系キャリアのセカンドキャリア問題を定義する

カテゴリ:世の中の事

田舎で働きながら需要のあるスキルを身に付ける難しさについて

先日この記事をアップしたら、FBやTwitterでちらほらと反応があった。実際に離島をはじめとした地方で働き暮らす人にとっては多かれ少なかれ関心を向けざるを得ない話題であることを改めて確認した。

が、ちょっと誤解を生んだ部分もある。僕が取り扱いたいのは、どちらかと言えば「地域おこし協力隊」やその他の期限付きの雇用という形で、田舎の公共セクター周辺に存在するキャリア(以下、地域おこし系キャリア)のことだった。”田舎で”というキーワードに反応した人の中には、正社員の方や、フリーランスの方もいたっぽい。そういう人のキャリアに関心がないわけではないが、今回はもう少しフォーカスをはっきりさせたい。

「地域おこし系キャリア」の「セカンドキャリア問題」を定義する

地域おこし系キャリアの特徴を改めて並べてみる。

・民間で回すほど利益が見込めない、または社会的インパクトに重きが置かれている分野の仕事。
・(したがって)人件費の財源が補助金等で期限付きの雇用である。
・雇用を継続するためにはさらなる財源の確保、または事業化が必要となる(が、一筋縄ではいかない)。

こうした地域おこし系キャリアのセカンドキャリア問題として扱う際の前提条件を置いてみた。

・働く本人が前向きで、それなりのやりがいを感じることができている。
・設定されたミッションに対してある程度の成果も出せている。
・にも関わらずそこで得られた知識・経験に直結する仕事は限定的にしか存在しない。

こうした前提を置くのは、「職場の同僚も上司もぐだぐだでまともに仕事できた環境じゃない」とか、「思ってたのと違った」とか、「ルーチンワーク多すぎてスキル身につく気がしない」とか、そうした”ミスマッチ”とか”理想とのギャップ”による問題を含ませないためだ。「田舎の中小企業に入ったけど下積み・雑用ばっかりでこの先が見えない」みたいな話には「そもそもなんでそこに就職したんだっけ?」「辞めるという選択肢はあり得るの?」「そういう環境に残るならばどんな努力が可能だろうか?」というところから考えないといけない。次のステップを考える以前に現在進行形で課題に直面しているという点で、セカンドキャリアの話と切り分けるべきという話である。

ここで扱う「地域おこし系キャリアのセカンドキャリア問題」は、そうしたミスマッチを乗り越え(※)、仕事に充実感や手ごたえを感じているにも関わらず、期限付きであるが故にその次を考えざるを得ない状況にあり、しかもその選択肢が限られている、というところが特徴と言える。

(※セカンドキャリア問題がある時点でミスマッチでは? という指摘はここでは置いておく)

まずはこのスコープで取り上げるということについていろいろご意見頂けると幸いです。

地域おこし型キャリアの特徴的な悩みについて

仮留めとはいえ課題設定をシャープにしたところで、次に考えたいのはその解決策ということになる。先述の条件設定により、この記事で言うところの地域おこし系キャリアにおいては、その当事者は何らかの経験やスキルを積み上げていることはある程度前提として良いかなと思う。その上で、セカンドキャリアを描きづらくさせる要因をざーっと考えてみると、こんな感じだろうか。

・(先述の通り)「地域おこし系キャリア」はそもそも公共性が高く、あるいは収益性に乏しい分野のため、その仕事が他の企業・地域で募集されているケースがあまりない。
→だから「地域おこし協力隊」みたいな財源を活用しているのであって。
・業務が体系立っていない職場が多く、また立ち上げフェーズで発生する課題に随時対応する必要があることから、スキルを”体系的に”積み上げる機会に乏しい。
→結構いろいろやらなきゃいけないから経験は積める。でも、それが一貫して積みあがるかというと……。
・公私混同の多忙な日々で、そもそも振り返る時間がない上に、境遇を共有し相談しあえる仲間が周囲に少ない場合がある。
→そもそも田舎は若い人が少ないし、意欲的に働いている人はますます少ない。
・ローカルで暮らし働いているために世の中全体の動きやトレンドを追うのが難しく、それ故これからどんな働き方や仕事の需要が生まれるのか分かりづらい。
→働き方も変わるし、企業の関心も移行するし、補助金も時代に合わせて変化する。

また、地方移住の若年化がうっすらと広まっており、新卒・第二新卒の時期に移住してくるケースも出てきた。僕自身も前職を1年半で辞めてしまっている。そうなると、

・比較対象がなく、普段の業務で得た知識や経験、スキルが他の場面でも活用できるかイメージしづらい。
→海士町に数年いると僕自身も不安になり始めたところ。
・企業をはじめとした組織や地域内のお金の回り方に明るくないため、需要のある仕事をイメージしづらい。
→営業職的視点。僕もまだまだ勉強中。

といった悩みもあるのではないかと想像する。改めてまとめると、最も大きな問題は「そもそも直結する求人が世の中に少ない」という点にあり、その二次的な課題として「じゃあ今の経験をどう他分野に生かせるのだろう」ということをなかなか考えづらい、という悩ましさがある、ということではないだろうか。

地域おこし系キャリアで得られるものについて

傾向が見えたところで対策を考えたいところだが、その前に地域おこし系キャリアを歩むことで得られるものについても整理した方が良い気がする。こちらも個人的な経験に基づいたものだけれど、悩ましい点と表裏一体のものもあるように感じる。

・人が少ない分、得意なことを生かし合う働き方になりやすい。
→仕組化されていない分、そこにいる人の強みを生かさないとなかなか前に進まない。
・何でもやらないといけないので、幅広い経験ができる。
→とはいえ「やりたいことしかやりたくない」なんて言ってられない状況。
・地域内の他業種とのかかわりやコラボレーションがしやすい。
→顔の見える距離感だから、いろいろ頼み頼まれやすい関係がつくれる。
・社会の回り方が見えやすい。
→海士町は最たる例だが、自治体や社会としての機能を誰がどの組織で果たしているのかが把握できるから、なんとなくそれぞれの仕事ぶりを想像しやすい。
・社会課題とその解決に向けた実践が見えやすい。
→田舎はどこも人口減少社会の課題に先んじて直面しており、地域おこし型キャリアはその最前線に立つことになる。現場から学ぶことは多いはず。

加えて、海士町や五城目町に住んでこそ感じることもある。この両者の共通点は「移住者を含めた仲間が多い」「自治体自体が注目を集めている」「顔の広い人たちがいる」などだろうか。

・同年代で境遇と志を同じくする人たちと相互に刺激しあえる。
→この要素がなければ、いずれの町にも移住しなかったと言っても過言ではない。
・第一線の人たちが仕事で(あるいは遊びで)来てくれる。
→おこぼれに預かっていろいろと刺激を得られるのがありがたい。東京に居続けたとしても得難いような縁に恵まれたと思う。
・注目されているだけあって周囲の期待値が上がる。
→良くも悪くも、秋田でも「海士町にいた」「魅力化にかかわっていた」というだけで声がかかるケースもあった。

こういうメリットはもちろん生かせるだけ生かした方がいいのだろう。

本題に入る前に

この問題の範囲を一旦示しつつ、その周辺の事情を整理してきたが、まだ本題に至るには材料が足りないように感じている。その前に、もう少し個人的な話をしたほうが良いと思っている。実は、海士町を離れてもう間もなく1年が過ぎようとしているタイミングでもある。僕自身が秋田に来てからどのように縁に恵まれながら仕事をしてきたのかを振り返ることで、もしかしたら何かヒントが見えてくるかもしれないという若干の期待を込めつつ。

長くなったので、続きはまた別記事で。

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カテゴリ:世の中の事

田舎で体系的に積み上げるって結構難しい

田舎で働くトレンドというのはじわじわとだけど確実に広がっていて、例えば僕が海士町で従事していた高校魅力化の取り組みすらも、全国各地で起こり始めている。そうした取り組みを支える人材としては、都市部の若い人材を投入するケースが一般的だと思う。しかし、人件費が地域おこし協力隊等の助成金から捻出される場合がほとんどで、そうした場合、一定の期間を経て、その本人は次のキャリアをどうするかを考えないといけない。いわゆる移住者のセカンドキャリアということ。

僕自身の話をすると、海士町には5年半いて、基本的には公立塾のスタッフとして教科指導や総務・経理業務、人の採用までいろいろ経験させてもらった。一時高校で非常勤として勤務したこともある。ところが、今五城目にきて「ちょっとやばいかも」と思うシーンがちょこちょこある。「30代にしてはスキルが不足しているのではないか」「○○ができますと言えることがあんまりない」という事態に直面する場面がある、ということだ。

ここで強調しておきたいのは、「できることが少ない」ということではない。「需要のあるスキルや経験に乏しい」ということだ。「需要のある」というのは、細かく言えば「そのスキルに対してお金を払うという社会認識ができている(できつつある)」とでも表現できるだろうか。たとえば、WEBデザインができるとか、プログラミングができるとか、提案型の法人営業ができるとか、まちづくり分野での合意形成を促すファシリテーションができるとか、国や県の予算をとってきてちゃんと管理できて消化できるとか、そういう感じ。

公立塾というのは出来立ての組織でしかも生徒数が年々増えて、しまいには建物まで移転してしまって、毎年のように授業や業務フローを壊してつくりなおすという必要に迫られていた。それ自体はもちろんいい経験なんだけど、そういうプロセスってどうしてもその組織にしか適用できないものになりやすい。きっと他の企業・組織にも応用できる要素があるのだろうけれど、目の前のことを必死にやっているだけでは、一般化するタイミングも余裕もたいていない。だから必死な中で組み込んできた工夫が実は価値のあるものだった、という発見もしづらい。

移住者が地域でどうのこうのする場合、既存の組織にどっぷり入る以外には、割と組織なり事業なりの立ち上げに関わるというケースが多いように思う。しかし、そのプロセスを一般化し、スキル・知識として体系立てて取り込む、ということは意図的に(あるいは本人が自然に)やらないと難しい。(特に「地域おこし協力隊」のような)地域おこし系の仕事って、そもそもお金になっていない領域に着手するケースがほとんどで、しかもそれが商品開発や観光振興といった分野でなく「教育」ともなると、ますます経験を生かすネクストステップは描きづらくなる。こうしてセカンドキャリア問題が出てくるのだと思っている。

キャリア選択は視野の広さが大事かも

スキルがない(強がるならスキルを利用可能な状態まで整理できていない)僕が、じゃあなぜ今のところはそれなりに仕事ができているかというと、仕事をつくれてしまう人がたくさんいる五城目町という環境にいるからというのが大きい。こう書くと、いい環境を選べ、という話に留まってしまうので、もう少し深堀したい。

先日、島の元同僚と東京で会って話をしたのだけど、僕は「人とのつながりをうまく次のキャリアに生かした」事例に見えるらしい。確かに、秋田に来てからというもの(というかそれ以前からも)人の縁に助けられっぱなしで、独力で仕事を獲得したという要素はほとんどない。その点で恵まれているのは認めざるを得ない。

一方で、五城目での仕事がこれまでのキャリアの延長線上にあるか、というと、これもまた微妙なラインだ。過去の経歴を振り返ってみると、現在の仕事には新規の要素が少なくない。縁に助けられてはいるが、そこからもたらされるものが必ずしも過去の経験に直結するわけではない。

例えば、五城目では起業家育成事業の事務局をやっている。主な対象は大学生であり、僕自身がプログラムの基本設計や講師業務に携わっているわけではないものの、これまでのキャリアの大半を占める「教育」という枠からは一見はみ出ている。しかし、もともと「教育」への関心の中核に「キャリア」とか「教育と雇用の接続」といった問題意識があり、その延長線上には「起業」という要素があるのも僕にとってはそんなに不自然ではない。

また、もともと教員志向が強かったわけではなく、(いわゆる)地域活性化という文脈の中で「教育」を捉えていたので、大学生や若手社会人の中から起業家を輩出する事業を県が主導する、という面白さと社会的インパクトをパッとイメージできたというのも大きいように思う。ベンチャーとかスタートアップ、事業創造にも興味があったし。そうでなかったら、これまでのキャリアでほとんど接点のなかった「起業家育成」という領域に(曲がりなりにも)足を踏み入れる気にはならなかっただろうと思う。狭く深く、というよりは、広く浅く、というタイプだからこそ、こうした拡大解釈が可能だった(のかもしれない)。

お金になっていない領域で仕事をしていて、引き続きその領域にかかわろうと思っており、しかもネクストステップとして独立を考えているわけでもない、という場合には、視野を広く持つ必要があると思う。関心を深堀りし、あるいは解釈を変えてみるとか、一か所に雇われるだけでなく、複数の仕事をパラレルに受け持つとか、やりがいのある仕事と貨幣を得るための仕事を分けるとか。そういう準備はあらかじめ取り掛かっておかないと、いざ任期満了というタイミングで身動きが取れなくなる恐れがある。元同僚の中には再び大学等で学び始めた人もいるけど、それだって前もって計画しておかないと学費のねん出すら難しくなる(田舎の仕事は給料低いし)。

こだわればこだわるほど自分でつくるしかなくなる

以上はセカンドキャリアという観点で述べたが、色々と制約を取っ払って考えるならば、手っ取り早いのは今の仕事を助成金等に頼らず事業として継続する仕組みを作ってしまう、ということなのだろうと思う。持続的な事業運営を描ければ、こだわりを押し通すことはむしろ容易になる(補助金の仕様に縛られることもない)。そこまでいかなくても、経験を余念なく体系的にスキルとして積み上げていけば、需要にこたえられる専門性を高めることはできるかもしれない。いずれにせよ、お金が発生する価値を自らつくりだせるまでの努力が必要となる。

こだわり続けるためには、最終的には自分でその仕事をつくりあげるしかなくなってしまうと思う。もちろんジャストタイミングでいい求人が転がってくる可能性がないとは言えない。しかし、運を天に任せるのは人事を尽くしてからじゃないと僕は不安だし、人事を尽くせる性格ではないので、飛んで来た球のうち打てそうならとりあえずバットを振る、というのが僕のこれまでの選択の仕方だったように思う。

飛んで来た球というのはそのタイミングで何かしらの需要があるものと考えることもできるし、自分自身が思い描く理想の仕事が求められるかどうかはまた別の話。プランドハプンスタンス理論から考えても、一つに絞って選択肢を狭めるよりも”たまたま”を生かせるくらいに目線を上げていた方が良い(一つに絞るならそれなりの準備と戦略が必要という意味で)。

今日はとりあえず思いついた通りにざーと書いてみたけど、引き続きこの問題の構造については考えてみたいと思った。

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「やりたいこと原理主義」と地域の限界

カテゴリ:自分事

「やりたいことをやればいいじゃん」

秋田に帰ってからよく耳にするし、自分自身口にすることの増えた言葉の一つだ。親や友人、先生、地域から受ける期待というものは確かにあるし、周りを見渡した時に自分だけ違う道を進むというのはいかにも怖い。しかも、その道が安全だとは限らない。それでも、「やりたいことをやればいいじゃん」というのが僕としてはなんとなく善なることのように思えてしまっている。

もちろん、そう考えない人もいる。それはそれでロジックとしても十分に理解できるし、安易に否定するべきものでもない。幸せのカタチは一人ひとり異なる。このブログのタイトルは「秋田で幸せな暮らしを考える」としているが、理想的な単一のモデルがあるのではなく、それぞれが自分なりの幸せを追い求めることがあるべき姿なのだろう。秋田に戻ってきてから、あるいは海士町での経験を経て、ぼんやりとそうしたイメージが見えてきた。

それでも。

僕自身はやっぱり「やりたいことをやる」というのが一番いいことだ、とどうやら思っているらしい。あるいは「ありたいようにある」というのがより適切な表現かもしれない。いずれにせよ、僕自身のポジショニングが変わるタイミングがすぐに訪れるような気配はない。そう考えない人もいるということは念頭に置きながら、結果的にポジショントークをしてしまうケースはこれからも出てくるだろう。

「やりたいこと原理主義」。人口減少が急速に進む秋田において、教育が目指すべき方向は、こっちにある、と思っている。まず第一に、そっちの方が楽しいだろう、ということ。もう一つは、これから地方が直面する「生産性」という課題に対するソリューションとして。そう考えるのは、”一人ひとりがありたいようにあり、やりたいことに打ち込んでいる瞬間こそが、最もその個人のエネルギー量を最大化できる”という個人的な考えが前提としてあるから。といっても、そんなに複雑な話ではない。ドライな考え方だけれど、労働人口が減少するのはわかっていながらそれなりの生産性を保ち、経済を回すために、先進国の中で労働生産性の低い日本においては、一人ひとりの生産性を高めるというのが有効な手段だと思うからだ。

現行の日本の教育制度では、残念ながら最大公約数しか掬えない、という印象がある。秋田は確かに学力日本一という結果を残しており、特にいわゆる「落ちこぼれ」をきちんと拾っている、という点はきちんと評価されるべきだと思っている。しかし、それはあくまである定められた枠組みの中に子どもたちをしっかりと押し込めるための教育でしかなくて、取りこぼしがぽつぽつと出ている。端的には不登校や発達障害、あるいは低偏差値の子どもたちだ。たぶん、その取りこぼしも、全国レベルで見れば非常に少ないのだろうとは思う。が、秋田はこれから人口減少の最前線に突入する。現行の教育制度での取りこぼしを「致し方ないもの」として目をつぶり続けることが果たしてできるのだろうか。

偏差値という物差しによって「優秀」とみなされた子どもたちであっても、彼/彼女ら一人ひとりの生産性が最大化される保証は、この学校教育ではたぶん無理だ。むしろいさぎよく諦めてしまった方がいいのだろうけど、学校教育はそのつもりもなさそうで、なんとなく、行き詰った感がある。高校生100人がいれば、大学に入り正社員になり3年間働き続ける、という人間は1/3ほどだ、という調査もある。そのストレートを前提として”キャリア教育”が実践されているとしたら、限界が来るのは当然と言えば当然なのだけど。

僕は別に秋田の学力日本一を批判しているわけではない。「学力日本一になってどうするの?」という疑問が浮かんでしまうところに、批判的にならざるを得ないというだけだ。五城目町は、移住者が入り始めた時期から一部の人間の裏テーマとして「世界一子どもが育つまち」という方向性を打ち出している。「世界一」を掲げた途端に、偏差値という物差しの意味が瓦解する。世界の教育はより多様であるからだ。そして、そこに、自由と責任が生まれる。あらゆる可能性を手段として検討することができるが、きちんと「子どもが育つ」というところにコミットが必要だ。量的な評価の可否は別にしても。

正直、今の秋田を見ていると、ちょっと息苦しさを感じる部分がある。地域の大人たちから子どもたちに向けた期待が否応なく高まっているのだ。自分たちの世代がどんどん都会を目指したせいで人口減少が進んだというのに。そうした大人たちからのメッセージの多くが、子どもたちの視点を欠いているのだから、なかなか困ったものだ。結局、それは教育の課題と紐づいているように思う。「子どもも一人の人間である」という前提が欠如している、という点で。

「一人ひとりを大切にする」と書くと、なにをそんな当たり前のことを、と思われてしまうかもしれない。でも、それが仮に当たり前だとして、「いやいや、全然一人ひとりを大切にできてないですよね?」というのが僕の見ている景色だ(これは別に秋田に限ったことじゃないことは書き加えておく)。はっきり言って、「やりたいことをやる」を実現するのは難しいし、僕自身の中にもノウハウがあるわけではない(他人よりは経験があるのかもしれないけれど)。それでも、この方向が僕の目指すべき道なのだろうな、とはぼんやりとした確信がある。

一方、それを受け止める地域の側も変わっていく必要がある。その地域で「やりたいこと」が実現しそうにないから、その地域から若者たちが出ていってしまうのだと思う。居場所と役割と出番があるから、その地域にいよう、という意思が生まれる。他の誰でもなく、「あなた」にこの地域にいてほしい、というメッセージがあるから、地域の一員としての自覚を持つことができる。

やりたいことをどれだけやれるか、その範囲がそのまま「地域の限界」なのではないか。先日の矢島高校でのフォーラムに参加したときに、思わず口をついた言葉だ。我ながら過激なことを言ってしまったと思うが、ぽろっと出てしまったのはまさにそれが本音であったからだ。自分たちの世代が見捨てて来た地域を次の世代に見放されたくないのであれば、自ずと考えるべきことが見えてくる、と思う。話は、それからだ。

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