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「決断」の作法:JGAP寄稿記事のあとがきに代えて

カテゴリ:自分事


この度、幸運なことに「一般社団法人 日本ギャップイヤー推進機構協会」様よりエッセーのご依頼がありました。

エッセーはこちらになります。

No16:「なぜ、私は新卒で就職したIT企業を1年半で飛び出して、島根県・海士町に移住したのか?!」

 ご笑覧くださいませ。

伝えたかったこと:リスクを”正しく”把握する

僕がこのエッセーで書きたいと思ったことを一言でまとめると、「レールから降りてみましょう」ということです。
そのために、そのメリットと作法の紹介を試みました。

そして、「レールから降りる」ときに最も難しいのは、実は「決断」なんじゃないかと思っています。

これは個人的な経験談ですが、どうも”正しく”リスクを把握した上での「決断」というものは、意外と世の中でなされていない、と感じています。
この”正しく”のニュアンスを適切に表現するには至っていないのですが、大きく二つの観点があるように思えます。

できるだけすべてのリスクをリストアップしようとすること
客観的にリスクを評価すること

前者はそのものずばりで、何がリスクになるのかをあらゆる方向から検討する必要がある、ということです。
重要なのは、リスクを把握しきることではなく、「決断」前後で何がどう変化するのかを具体的にイメージすることです。
したがって情報量と想像力の両方が求められます。

情報量を増やす最も簡単な手段は、「試しにやってみる」ことだと思います。

エッセーの中で、たまたま海士町を訪れた経験があったことが、移住の決断を後押ししたと書きました。
自分の目というものは、どの情報源よりも信頼性が高いと思います。
また、その島で暮らす人との交流も、「移住後」をイメージする大きな手助けとなりました。

後者については、「自分のフィルターを通して情報を評価すること」が重要となります。
ここでいう「客観性」とは、自分のフィルターの特徴を客観的に捉えることを指します。
実は、これが難しい。自分が何を好み、何を嫌い、何を求めているのかを把握するだなんて。

自分が「嫌で嫌で仕方ない」と思っていたことも、実は食わず嫌いだっただけ、ということはよくあります。
「選ぶ」という行為すら、あらゆる要因が複雑に絡まりあって行われています。
「自分で選んだ」なんて口走るのを躊躇するくらい、人間は周囲の影響を受けやすいのです。

要は「メタ思考」ということかもしれません。
僕は反省点が多い人間なので、自分の行動パターンを振り返ることが良くありました。
「パターン」なので、放っておくと大抵繰り返します。そしてまた自己嫌悪。
このサイクルから脱却するために、「なぜ自分はそうしてしまうのか?」を分析するようになりました。
そうして行動の原因を探るクセがついたおかげで、「自分のフィルター」を少しずつ客観的に捉えられるようになったかな、と感じています。

この作業でつまずくとしたら、セルフイメージと行動パターン(あるいは行動の原因)のずれを受け入れるという点ではないでしょうか。
セルフイメージは意外と頑丈で保守的なものです。
それを否定するような情報は受け取りたくない、という心理が働きます。
(あまり詳しくありませんが、コンフォートゾーンという言葉に関連するんでしょうかね)
「自分はセルフイメージを否定するような情報を受け取ることを拒否している」という状況に気がつく必要がありますが、これまた難しい。

(読まれたまま実践されない自己啓発書のような説明で、歯がゆい。)

リスクは、天秤にかけるもの

なぜ移住を決断できたのか。その鍵は、リスクを把握したことにありました。学生時代に海士町を一度訪れていたことがリスクの理解と決断を後押ししました。リスクが分かれば、不安はコントロールできます。失うものが何かわかってはじめて、それらと得られるものとを天秤にかけて判断できるのです。

No16:「なぜ、私は新卒で就職したIT企業を1年半で飛び出して、島根県・海士町に移住したのか?!」

リスクを把握しろという話を展開しましたが、それだけでは片手落ちです。
リスクは、天秤にかけるもの。そのためには、もう一方の皿にのっけるもの―「求めるもの」が必要です。

これもリスクと同様にできるだけリストアップしようとすること、客観的に評価することが求められます。

「求めるもの」はジャッジに必要となるだけでなく、その後の「軸」になるものです。
「私が求めていたものはこれじゃなかった!」とならないよう、慎重に検討することが求められます。

よくあるのは、人様の評価基準を持ち込むことです。大抵、失敗します。
自分自身の言葉で語れることが重要です。

実際のところ…

このエッセーを改めて読み直すと、どこか偉そうな感じですね。
多少文章に説得力を持たせるためにはしょうがない面もあったのですが、さて、ホンネのところはどうなっているか。

○暮らし
海士町に移住しながらも「島暮らし」を体現できているとは言いがたい生活をしています。
これは移住前の自分から見ると想定外のことではありますが、あまり気にしていません。

移住して改めて自覚したのですが、僕は仕事を重視する傾向が強いです。
仕事が充実していれば、衣食住に関しては最低限で問題ありません。
あ、嘘です。食は重要ですね。

○仕事
で、肝心の 仕事ですが、概ね満足しています。
「求めているもの」とのギャップは当然ありましたが、海士町で起きていること、本で学んできたこと、そして自分自身がこれまで大事にしてきたことをマッチさせながら、アップデートさせることで充実しながら働いています。

概ね、といいましたが、これはひとえに自分の実力不足のおかげです。
もっと満足できる仕事をできるようになりたい、と日々思わされます。

将来
海士町に移住したことは、転職市場においてはマイナスかな、と感じています。
転職市場の中で閉じたキャリアプランを描けるかといったら、もうあまり期待できないでしょう。
それはそれで不安はあります。「いよいよ自分でキャリアを築かねばならん」ということですね。

幸い、海士町での日々は、秋田に帰ったときのことをイメージする手助けとなっています。
これまでよりも、よりリアリティある形で「田舎で働くこと」の意味に近づけているのではないかと思います。
転職市場に閉じているだけでは、一向に「秋田に帰る」ところまでたどりつけなかったでしょう。

終わりに

エッセーでも紹介した「その幸運は偶然ではないんです!」は本当におすすめです。
不確実な時代には、将来の明確なキャリアプランよりも、「今、何を求めているのか」「今、何をなすべきなのか」を追求するべき、という重要な示唆があります。
「リスクの取り方」も、この本を参考にしました。

ぜひぜひご一読くださいませ。


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