「コミュニティデザイン」という概念が生まれた背景を考えてみる

カテゴリ:世の中の事


 

先日の東京訪問ではこの本のことがちょこちょこ話題に上がりました。

で、昨日の日記でちらりと書いたこと。

コミュニティを変えるなら、外からコミュニティに関わらなきゃいけない。
コミュニティに入り込むということは、 そのコミュニティと運命を共にするつもりがないと。
約4ヶ月ぶりの東京で感じたこと

「コミュニティデザイン」という考え方は、外からコミュニティに関わっているということが前提としてあるはず。
つまり、こう思うのです。そのコミュニティにずっと属している人には「コミュニティデザイン」なんて発想はできないと。

異なるコミュニティがあるから、コミュニティの存在が認識される

アキタ朝大学のHPに掲載いただいた記事にも書きましたが、
コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来」では以下のようにコミュニティを分類しています。

・生活のコミュニティと生産のコミュニティ(場の役割)
・農村型コミュニティと都市型コミュニティ(形成原理)
・時間コミュニティと空間コミュニティ(志向性)

日本古来の農村をイメージすればわかりますが、ここまで明確に分類できるようになったのは最近のことだと思います。
生活と仕事の場が分かれ、どのコミュニティに所属できるかが選択可能になり、さらにコミュニティが多様化していく。
高度成長期やインターネットの普及など、時代の流れがあり、サンプルが増えたから、分類が可能になったのでしょう。
基本的にはライフステージにあわせて所属するコミュニティが移り変わりすることによって、コミュニティというものの存在がはじめて認識されるはずです。
今までのコミュニティとは異なるコミュニティに属することが否応なしに起こる現代では、コミュニティの存在を意識しない方が難しいと言えるかもしれません(もちろん、人によって意識する・しないはあると思いますが)。

ヨソモノという立場になってはじめて見えるもの

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる」の著者、山崎亮さんが情熱大陸で印象的なエピソードを語っていました(以下、うろ覚えなので誤解が含まれているかもしれません)。

山崎さんは親御さんが転勤族だったため、多くの転校を経験してきたそう。
転校先でうまくやっていけるかどうかをいつも不安に思う彼は、ごく自然に”誰が「ガキ大将」ポジションなのか”、”どういうグループがあるのか”というふうに、クラスの人間関係を観察するようになったそうです。

山崎さんは転校という「異なるコミュニティへの移行」の経験から、自分が「ヨソモノ=コミュニティの外側の人」であることを自覚した上で、どうやって既存のコミュニティに入り込むかを考え、その結果いわば「人間相関図」を描く力を身に付けた、と僕は捉えました。
「コミュニティに入り込む」という発想は、「ヨソモノ」という立場になってはじめてできること。
学校の同級生というコミュニティは基本的に生年月日によって強制的に形成されるコミュニティであり、その中で自分がコミュニティの外側に位置することを自覚する人はそう多くはないでしょう。

自ら置かれた環境下で身に付けたこの距離感の取り方、コミュニティとのかかわり方こそが、山崎さんのスタンス、そしてコミュニティデザインという考え方の原点になっているのではないでしょうか。

ヨソモノの自覚と都市型コミュニティの形成原理

これ以降は余談というか思い付きです。

単に転校して「名目的に」同級生にはなったものの、どうにも自分が同級生であるという「実感」が得られない。
そのコミュニティが単に所属するもの(条件を満たせば自動的に資格を得るもの)ではなく、参加するもの(自ら参加条件をクリアする必要があるもの)だと気付く。
自分がヨソモノであると自覚することで、コミュニティとコミュニティの間に”違い”を見出す、ということはありそうです。

特に同級生というコミュニティは、その強制参加という形成原理からして、コミュニティの構成員に対して農村的な同質化を求める傾向にあります。
同級生コミュニティのヨソモノであるということは、「みんな一緒」の中で「自分は違う」ということ。

それって、もしかして都市型コミュニティへの参加の第一歩なんじゃないか。

都市型コミュニティは、経歴に関わらず、価値観や目的を共有することで参加条件を満たした異なる個人どうしが集まることで成立しています。
自分は他の人と違うという自覚が、自分自身の他人とは異なる価値観や目的意識の認識につながるのかもしれません。
ちょうど、アイデンティティが「どんな他人を選んでも自分とは異なる」ということを指し示すように。


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約4ヶ月ぶりの東京で感じたこと

カテゴリ:自分事


7/1~7/3の日程で東京へ行ってきました。
7/2の秋田魂心会 に参加するために。

前回東京を訪れたのは震災のちょうど一週間前。
震災後初の東京で、いろんな人と会い、飲んだり食べたりしながら、語る。
海士町に来てからはじめて再会する、という人も多く、なんだかいろいろ感じるところがありました。

1.ちょっとだけ、気になったこと

大したことじゃないんですが。

東京で会った知人のうち、3人がひどい咳をしていました。気管支炎なんだとか。 
流行しているんだろうか。感染する類の病気ではないと思うのだけれど。

あと、米子~羽田間の飛行機でCAや機長がアナウンスをやたらととちるのが気になりました。
語尾を言い直したり、英語で噛んだり、着陸直後に着陸した空港名が出てこなかったり。
そういえば京急の車掌も「この電車は成田空港…羽田空港行きです。」って言ってた。
なんだろう、みんな疲れているのかな?

2.優先順位の不在

海士町から来たということで、やっぱりいろいろ聞かれます。
で、一番聞かれるのが「今後のこと」。

もちろん僕も考えていないわけではないんですが、
改めて聞かれて答えてみて、優先順位が自分の中にない、ということに直面しました。

・何をしたいのか。
・どこにいたいのか。
・誰と一緒にいたいのか。
・どうやってキャリアを形成したいのか。

関心のあることはいくつかあるけど、それらとどう関わるのか(仕事にするのか?)、とか。
秋田なのか、東京なのか、海士なのか、はたまた別の地域なのか(まさか海外はないと思うけど)。
誰と一緒に仕事をするのか、誰の近くにいるのか。
何を目指すのか。どんな専門性を身に付けるのか。そのために何が必要か。

「時期が来ればなんだかんだで決まるだろう」

楽観的というよりノーテンキかもしれない、とちょっと不安になってます。

3.自分自身のコミュニティとの関わり方について

ある人と話していて、自分の中で整理できたこと。

コミュニティを変えるなら、外からコミュニティに関わらなきゃいけない。
コミュニティに入り込むということは、 そのコミュニティと運命を共にするつもりがないと。

僕は、あんまりコミュニティに入り込むということができなくて、常に一定の距離をとるところがあります。

道連れになっても良い、そう思えるコミュニティ。

なんとなく、地元ならそう思える。だから地元に帰る。
そういうことなのかもしれないなあ、なんて。

優先順位がないのも、こういう背景があるかもしれない、と思うと、
このことについてもう少し振り返ってみる必要があるかもしれませんね。


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「ライブスクライブ」-このペンは筆記の経験を変える

カテゴリ:世の中の事


まさか、日本海の離島で最新のテクノロジーに感動することになるとは。

本日、海士町を訪問しているある企業の方が、このペンのデモンストレーションを生徒と塾のスタッフに見せてくれました。
メモしたそのときその場の音声が再生されると「スゲー!!」と歓声が湧き、ピアノの鍵盤を紙に描き、その鍵盤をなぞるライブスクライブからピアノの音色が再現され、どよめきが起こる。

この動画をみても伝わらないかもしれませんが、ライブスクライブはメモという行為に人間の五感をフル動員し、創造性を高めてくれる可能性を秘めている、そう感じました。

言葉で説明できるか不安ですが、ライブスクライブの主な機能の一つ、音声再生機能をご紹介しましょう。

0.大学の講義を想像してください。ライブスクライブを利き手に持ちます。専用ノートも用意しましょう。
1.講義が始まる直前に「録音」を開始します。
2.録音を開始したら、あとはいつもどおり 講義メモをとりましょう。
3. 講義メモを取り終えたら「録音」を停止します。
4.さて、試験前になりました。もう一度講義メモを 読み直しましょう。
5.読み直してよくわからないところがあったら、 該当部分をライブスクライブでタッチ。
6.タッチされた箇所をメモしているときの教授の講義が 再生されます。
そう、1~3で録音した、あの講義の音声が流れるのです。しかも、メモしたその瞬間に教授が話していたことがピンポイントに。

たぶん、伝わらないですね笑
百聞は一見に如かず、と言いたいところですが、実はこのペンは日本ではまだ販売されていないそうです。
Amazonでは輸入品を購入できます。


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