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ディープ・アクティブラーニングのメモ:第4章・協同による活動性の高い授業づくり

カテゴリ:読書の記録

第4章では、アクティブラーニング型授業の主要なテーマである「」が取り扱われている。

授業に組み込まれたグループ活動に注意が集まり過ぎ、学生に何らかのグループ活動をさせればアクティブラーニングになるといった極端な認識も見受けられる。形はアクティブラーニングであっても、学習成果の乏しい授業が散見される。

ディープ・アクティブラーニング

「這い回る経験主義」から脱却し、授業の質をいかに高めるか、特に、協同学習に期待される効果をいかに引き出すか。これが本章のテーマだ。

結局、協同学習って何がいいの?

協同学習は、学生1人ひとりに仲間と共に学ぶ喜びや楽しさを実感させ、確かな学力と自己の変化成長をもたらす、教授学習に関する理論である。グループ学習の単なる技法ではない。

ディープ・アクティブラーニング

そもそも、協同学習が”良い”とされるのはなぜか。

協同に基づく活動性の高い授業を展開すると、1つの授業科目で認知的側面と態度的側面が同時に獲得できる(認知と態度の同時学習)。

ディープ・アクティブラーニング

「認知」とは授業内容そのものや知識、あるいは読解、コミュニケーション等のスキルを指す。「態度」とは、協同に対する認識、動機づけ、・仲間・学校に対する見方等を指す。「これまでは、科目の学習指導は授業時間内で、それ以外の訓育的な学生指導は授業時間外で行うものである、という認識が強かった」のだが、この協同学習はその両立が可能ということだ。また、協同学習により、学生の成績がその高低にかかわらず伸びるとする研究結果もある。さらには、学習事項の活用力も高まり、深い学びが実現するということだ。

これだけ見ると、協同学習を取り入れない理由はない。では、協同学習はいかにして成り立つのだろうか。

協同学習の基本要素

単なるグループ学習と区別するため、協同学習は次の5つの基本要素を満たしているものを協同学習と呼ぶ。

1.肯定的相互依存:目標達成のために学生が各自の力を最大限出し合い、お互いに依存し合うことが求められる
2.積極的相互交流:学生同士の積極的な交流・教え合い・学び合いが前提とされる
3.個人の2つの責任:学生は「自分の学びに対する責任」と「仲間の学びに対する責任」の2つの責任を負う
4.社会的スキルの促進:学習スキルや対人関係スキルをグループでの学び合いに必要なレベルにまで意図的に教え、使用を促す必要がある
5.活動のふり返り:学習活動における自他の言行をふり返り、何を続け、何を止めるべきかを考える時間を持つ

もちろん、協同学習の導入期はすべてが満たされることはないから、これらを満たすように授業実践すべし、ということになる。いずれにせよ、日々の授業の中で意識的に「訓練」する必要がある。

その他に、「肯定的相互依存、個人の2つの責任、参加の平等性、活動の同時性」という4条件を満たす必要がある、という研究者もいる。両者とも「肯定的相互依存」と「個人の2つの責任」の2要素を伴うのは無視できない。「参加の平等性」と「活動の同時性」については、発言量が平等で偏りがないこと、かつグループの人数が適切で多様性がありながら発言量が担保されていること等がポイントとなる。

協同学習の具体的な方法

協同学習の技法には、「LTD話し合い学習法(本書でも紹介されている)」、「グループ・インベスティゲイション」、「プロジェクト・ベース学習」、「PBLチュートリアル」など多くの種類があるらしい。それらの基本構造は、「課題明示→個人思考→集団思考」が共通にあるという。

協同学習ではグループの学び合い(集団思考)の前に、必ず個人での学び(個人思考)を求める。学び合う仲間1人ひとりが、個人思考を通して自分なりの意見をもつことにより、グループでの学び合いは深まる。また、個人思考や集団思考を求める前に「何を、どのように、どこまで考えるのか」、その目的と手順を明示することが(課題明治)、主体的かつ能動的な学習活動を促す。課題明示がなければ、学生は授業の流れを見通せず、その都度、教師の指示を待たなければならない。これでは主体性の育成にはつながらない。

ディープ・アクティブラーニング

単にグループ活動を取り入れた授業の陥りやすい落とし穴がここにありそうだ。目的や流れが明示されていない、個人思考の時間をとらずにグループの活動に入る、など、大人向けのワークショップでもありがちな失敗だと思う。

実際に協同学習を導入するにあたってのポイントもいくつか紹介されているが、気になったものだけピックアップしてみる。

・簡単な技法を忠実になぞるところから始め、徐々に複雑な技法に挑戦するのが良い。
・課題明示は口頭のみでなく、プリントやスライド等用いて視覚的にも訴えられるようにする。
・グループ活動中はモニタリングに努め、介入はなるべく避ける。介入が必要と判断されれば全体の手を止める。

「課題明示」の重要性はどれだけ強調してもし過ぎることはない、といったところだろうか。明示するということは、学生にきちんと伝わらなければ意味がなく、そのための労力は惜しんではいけないということがわかる。

また、「グループ活動中に介入すべきでない」というのは、経験的にもその通りと思う。教員が介入すれば、グループの課題の達成は教員にも依存することになる。どうしたって権威的な位置にいる教員がグループに何かを語りかければ、グループの成員はみなそれに耳をかたむける。それはグループ全体が思考停止しているのに等しい。彼・彼女らは自ら考えることを放棄する。

協同学習は方法か思想か

この章内では特に言及がなかったので気になったのだが、本書に通底する「教授から学習へのパラダイム転換」が具体的に教室をどのように変えるのかについて理解しておかなければ、協同学習の実践は現場に混乱をもたらしかねないと思う。授業中に学生が誤った方向の議論をしていたとしても、教員はそれを直接介入して止めることは推奨されていない。これは教授パラダイムでは理解できない部分があるように感じる。

そういう意味でも、協同学習の導入は試行錯誤の連続になるのだろうなと思う。せめて、その曲がりくねった道のりを楽しむことができるような心持でありたい。

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