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「いい大学に入ったのに、勿体ない」の誤り

カテゴリ:世の中の事

「いい大学に入ったのに…」

高校・大学の同期である友人が実家の農業を継ぐことを決めたとき、多くの人はネガティブな反応を示したそうです。

いい大学に入ったのに、農業なんて勿体無い

確かに、僕と彼の通う大学の卒業生は名の知れた大手企業に就職する人が大多数です。
そういった企業に入り定年まで勤め上げた方が生涯年収としては稼げると考えるのがむしろ普通の感覚と言えます。
比較対象が(国全体としては)斜陽産業である農業なのですから、なおさら。

しかしながら、それに反してリスクの高いベンチャー企業に就職したり、定職に就かずフリーになったり、起業したり、田舎暮らしをはじめたり。収入にはそこまでこだわらず、自分のやりたいことをやる。
特に社会人になってからそういう知り合いが増えました。絶対数は少ないですが、意外と出会うものですね、こういう人たち。

海士町に集まるIターンの方々も、ざっくりまとめるとこういうカテゴリに属していると思います。
よくメディアでも取り上げられますが、Iターンの方の学歴を見ると大卒がほとんどで、難関大出身者も少なくありません。
Iターン者の前職を見ても、有名企業出身者が珍しくありません。

Iターンした側からすると、自分の学歴や職歴に対して特段こだわりはないというのが実際のところです。
僕も新卒で働いていたころと比べて現在の年収は半分ですが、今の仕事にはとても満足しています。

新卒でマッキンゼーに入社したのに、退職してお笑い芸人になった女性もいますね。
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端から見ると「勿体無い」のに、当の本人はさほど気にしていない。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

高学歴であることの意義

一般的に、学歴に比例して生涯年収は決まると考えられています。実際、統計をとるとそうなるようです。
高学歴であるからには高賃金の仕事に従事するべきだ、という”ジョーシキ”はここから導き出されるわけです。

高学歴であることは単に高賃金の仕事に対するアクセスのよさを示すものであって、「べきだ」まで言ってしまうのは固定観念といえるでしょう。
高賃金にありつくチャンスをものにするかどうかは個人の能力うんぬんの前に自由の問題である、ということがまずひとつ。

そして最も重要なのが、高学歴者の方が多くの選択肢を持っているという点です。
多くの選択肢を持っているのに農業を選ぶ、これを勿体無いと言う前に立ち止まってみましょう。
高賃金にありつける機会に恵まれていることは、選ぶ本人も認識しているところではないでしょうか。
それにもかかわらず、大企業ではなく農業を選ぶ。つまり、それだけの理由があるということになります。

さまざまな比較対象がある中で農業を選ぶということは、本人にとって目先の高賃金よりも農業が魅力的だからに他なりません。
乏しい選択肢の中からしょうがなく(消去法で)就職するのとはわけが違います。

ここに高学歴の意義があります。
選択の自由があり、かつ選択肢が多い状況となれば、それだけよい選択ができるチャンスがあるというわけです。
実際によい選択ができるか(自分が一生懸命になれる道を選べるか)は個人に委ねられますが、高学歴とはそれだけのメリットがあるということです。

下から上がるよりも、上から下りるほうが見えやすい

「学歴」の話に絞ってしまいましたが、何にせよ下から上がるよりも、上から下りる方が視野は広くなります。
選択肢に余裕がなければどうしても自分の意思よりも世の中一般の理屈を優先しがちになります。
自分の納得する選択をするためには、ある程度心の余裕があったほうがいい、というそれだけの話です。

逆に、冒頭の友人が大学進学をしていなかったら。
思うに、彼は農業を選ばなかったかもしれません。選べなかったというべきでしょうか。

いい大学に入ったのに、農業なんて勿体無い

これは大間違いで、実際のところはこう言い換えるべきなのです。

いい大学に入ったからこそ、農業を自ら選ぶことができた

と。いい大学に入って自分の可能性を広げたからこそ選べる”贅沢”な道を彼は歩んでいるのです。

その幸運は偶然ではないんです!

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