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徒労感のない仕事や暮らしと循環のある営みについて

カテゴリ:自分事

「省エネ」

やっても意味がないこと。終わりが見えないこと。
手ごたえがないこと。フィードバックがないこと。

仕事でも日々の暮らしでも、徒労感こそが最大のストレスではないか。
意義を確実に感じながら努力の先にあるものを見据えられているのなら、
その途上での障害や人間関係の軋轢によるストレスは
かなりの程度はやりくりできる、そんな風に考えるようになった。

「省エネ」という言葉がある。
これを「徒労感のないようにエネルギーを使うこと」と訳すと、
それは僕が実現したい働き方や暮らしとぴったり重なる。

「無駄がない」との微妙な違い

「徒労感がない」を「無駄がない」と言い換えると、
僕の意図がうまく伝わらないような気がしている。
理由のひとつとして、僕を含めた多くの人にとって、
あることが本当に無駄かどうかを判断する難しさがある。

無駄という判断は何らかの価値基準によってなされる。
しかし、或るものの価値とは常に一側面を切り取って評価されるにすぎない。
誰かにとって全面的に意義のないものなど本当にあるのだろうか。

「無駄」と思っていたことが無駄ではなかったというケースは多い。
「生産性」の大義によって職場から非効率として排除された仕組みが
実は社内コミュニケーションの量を担保していた、といった例は枚挙に暇がない。

「徒労感のない」という耳慣れない言葉をわざわざ使うのはそういう理由だ。
「徒労感」の有無は主観的な判断で構わないし、むしろそうでなければならない。
仕事や暮らしの中で、その人がどう感じ、どういう景色を見ているのか。
そこにフォーカスすることなしにこの話を進めることはできない。

自分と周囲をうまくかみ合わせること

自分はこうありたいという価値観があり、
一方で仕事や周囲との人間関係の中で求められる役割がある。

周囲からの要請に応えることを優先しすぎると、
自分らしさを維持する余地が損なわれる恐れがある。

自分らしさの実現ばかり追い求めると、
職場や友人関係に軋轢が生じるかもしれない。

周囲との関係性の質を高めたところで、
目の前の仕事や暮らしが自分のありたい方向とずれていれば
本来欲するところが結局満たされないままとなる。

ありたいようにある、ということと
周囲との関係性を良好に保つ、ということと、
自分と仕事や暮らしの方向性を一致させる、ということの両立。

自分の在り方を損なわないようにしながらも、
自分だけでなく周囲との関係性のかみ合わせをチューニングする。
そうした日々の小さな働きかけの積み重ねがとても大切になる。

本来求めているものを知るということ

結局、自分が求めていることと、
他人や環境が求めていることを知るということに尽きる。

単純な話だ。
「ショートケーキが食べたい」というリクエストは、
そこにショートケーキがないときには当然満たされない。

それでもショートケーキにこだわるのなら自分で探しに出るしかない。
その環境には自分のリクエストを満たしてくれるものがないのだから。

一方、自分のリクエストを因数分解するというやり方もある。
単に甘いものが食べたいということなのか、生クリームこそが要求なのか。
リクエストの抽象度が上がればそれを満たす具体策はより多様になる。
その環境の中で自分のリクエストを満たす方法を探すというわけだ。
ブリコラージュ」的な作法とも言える。

もちろん、このやり方には限界がある。
リクエストをどうこうしたところで、環境が応じてくれる余地がなければ、
やはりその環境を離れるということを考えるタイミングなのだろう。
実際、多くの人がこうした形で人生の転機を迎えているような気がする。

ここまでの話の主語は「自分」だったが、
同じ環境にいる「他人」を主語にした場合も考える必要がある。
自分の要望を叶えることばかり注力してはいられない。
他人の要望も叶える、もっと言えば自分と他人が両立・併存できるように
お互いのリクエストを解体し、かみあわせていく働きかけが重要となる。

環境を変えることで解決することは少なくないが、
最終的にはその環境の中でどうやりくりするかが問われる。
ブリコラージュ的発想がなければどこにいても満たされることはない。

エネルギーのロスを減らすというアプローチ

自分と周囲とのかみあわせが良くなり、
お互いがやり取りするエネルギーのロスが最小の状態。
それが「徒労感のない」ということだと思っている。

ここには「困難や壁を突破する」という価値観はない。
摩擦を恐れずに真正面から課題にぶつかり解決していく、
そうした考え方もまたありえると思うが、僕にはぴんと来ない。

力んでばかりいると自分の感覚がにぶくなる。
それよりも感覚を研ぎ澄ませて楽にいられるようにしたい。
リラックスした方が自分らしさの輪郭を捉えることがより容易になる。

工夫を凝らし、自然な形で事を運ぶということにこだわる。
それは純粋な意味での生産性の向上ともつながるように思う。

具体的には、日々のコミュニケーションをほんの少しでも
意識的に変えていく、ということになるのだと思う。

「仕事なんだからやらなきゃいけないものはやらなきゃいけない」

真っ当な正論を振りかざすのは楽ではある。
が、「かみ合わせをよくする」という発想とは程遠い。
もっと言えば暴力的で、相手のことを考慮に入れる気がない。

頼みたい仕事が頼まれる相手にとってどんなメリットがあるのか、
ちょっと立ち止まって考えてみる。
それだけで、相手へ投げかける言葉が変わってくるはずだし、
そうしてほんの少しでも工夫を入れ込む方がきっと楽しい。

お互いがお互いを損ねないように工夫し合う関係。
それが結局、持続可能ということなのではないかと思っている。

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